Sorry, Japanese Only!


(『月刊アスキー2002年4月号』今月のコラム)
後藤文彦

■■■■ Sorry, Japanese Only! ■■■■■

 なにす? 誰さ謝ってんの? 何バ謝って
んの? なして謝んねげねえの? 自分が生
まれなか゜らに使ってる言葉で意見 語って、
その内容のごどでねくて、使ってる言葉が多
数派の言葉ど違うっつうごどで馬鹿にさいだ
り、非難さいだり、謝ったりしねげねんでハ、
こいづは歴然どした差別問題でがすとや(母
語を使う権利の行使は取り敢えずここまで)。
「日本語だけですいません」——多くの日本
語ウェブサイトの冒頭には、そういう断りが
「英語で」書かれている。試しに検索エンジ
ン(Google)で「Sorry Japanese Only」を検
索してみると65900件も引っ掛かる。一方「英
語だけですいません」という断りを「日本語
で」書いている英語のサイトは一件も引っ掛
からない。ついでながら、ヨーロッパ諸語や
韓国語、中国語のサイトの中には「自国語だ
けですいません」の断りを「英語で」書いて
いるサイトが少しは引っ掛かるが、それぞれ
200件以内である。何といっても「Sorry 
Japanese Only」がダントツである。これは国
によるインターネットの普及率の違いを考慮
しない統計ではあるが、それでも日本人の間
には、英語を事実上の国際語として受け入れ
ている諸外国の平均的な言語感覚からもはる
かに飛び抜けて、「英語は世界共通語なので
日本人も英語を使えなければならない。英語
を使わないこと/使えないことは日本人にと
って恥であり罪である」と捉える通念が広く
深く浸透しているように私には見受けられる。

■■■■■■英語は地球語?■■■■■■■

 それをよく象徴していると私が思うのは、
TBS「さんまのからくりTV」の「ファニエスト
イングリッシュ」というコーナーである。街
頭で外国人が日本人に英語で質問に答えても
らい、英語の話せない日本人が必死に返答し
ようとして奇天烈な英語を繰り出すさまを見
て面白がるのである(もっとも最近は、外国
人の奇天烈な日本語を面白がるコーナーもあ
るが、あれは外国で通行人を無作為抽出した
標本ではないだろう)。実は、この「ファニ
エスト〜」を見ていると、TBS「噂の東京マガ
ジン」の「やってTRY」というコーナーと実に
そっくりな「構造」があるなと私は感じるの
である。「やってTRY(料理編)」では、公園
で若い女の人に、指定した料理を作ってくれ
と頼み、料理のできない人が米を洗剤で洗っ
たり奇天烈なことをしでかすのを見て面白が
るのである。言わば「ファニエスト〜」の方
は「世界共通語の英語を使いこなせないこと
は恥である」という通念を、「やってTRY」の
方は「女の役目である料理ができないことは
恥である」という通念を共有する人たちを対
象に「ああ、恥ずかしい、嘆かわしい」と共
感してもらおうという企画だと私は解釈して
いる。

■■■■料理ができなくて何が悪い■■■■

 確かに「英語は世界の共通語」という通念
はますます世界に広く浸透しているし、「料
理を作るのは女の役目」という通念にしても
まだまだ多くの国々で根深く温存されてはい
る。さて、多くの人々が共有している通念に
基づいているとはいえ、人種、性、言語、門
地など、個人の努力では変えられない生まれ
ながらの属性を理由に不利を被ること——例
えば、他の属性の人には課されない要求を課
されたり、その要求に応えられないことを非
難されたりするなら、それは普通「差別」と
呼ばれる。たとえば、どんなに「専業主婦と
働くお父さん」の関係が世界的に普及してい
ようと、「女だから」という理由で料理を作
ることを、「男だから」という理由で家族を
養うことを暗黙のうちに要求され、その要求
に応えられないことを非難されるなら、それ
だって差別の範疇だし、現にフェミニストと
かは、そういう要求の不当性を認知させる運
動もしていると思う。同様に、どんなに英語
が世界的に普及していようと「母語が英語で
はない」という理由で英語を習得することを
要求されたり、その要求に応えられないこと
を非難されるなら、それだって十分に差別の
範疇に入っていると私は思う。もっとも、男
女間での役割要求の非対称性に関しては、家
計担当と家事担当との間に相互扶助の関係が
一応はあるから(共稼ぎなのに妻だけが家事
をしているなどの明らかに不当な役割分担で
ない限り)、男か女のどちらかが一方的に得
をしていると言い切れない部分はまだあるが、
英語を母語とする人々はほぼ一方的に得して
いる。そんなこと言ったって、何らかの言語
を世界共通語に選ぶとすれば、それを母語と
する者としない者との間で不平等が生じるの
は不可避だと言う向きもあるかも知れない。
でも、原理的に言うと不可避でもない。誰も
母語としていない言語を世界共通語に選べば、
それを外国語として学習する努力は、何語を
母語とする人々にも要求される。たとえば、
私が趣味でやっているエスペラントはまさに
そういう目的で提案された中立な計画語であ
る。まあ、現実論として多大なコストを伴う
やり方で既存のシステムを改変するのは困難
だという話も分かる。が、それにしても、教
育を受け、公共機関を利用し、小説を読み、
パソコンを使い、ネットで情報交換し、等々
をぜんぶ母語だけでできるくらいには十二分
に整備されたかなり恵まれた方の言語環境に
ありながら、「Sorry, Japanese Only」なん
て謝るのは、自分の母語で教育を受けるなど
の基本的な言語権すら保障されていない人々
に対しても誠に失礼な話ではないか。「こん
な恵まれた私たちにも、もっと母語の使用を
抑圧して下さい」という自虐嗜好の表明なの
かと思ってしまう。

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