(後藤文彦の頁) (Retpaĝo de GOTOU Humihiko) (暴走しやすいシステムと暴走しにくいシステム)

パラパラピアノの探求

Pianigitaĵoj de BACH

(02/11/17改装準備開始)
——「バッハピアノ編曲」改題——

要旨: 私はグレン グールドパラパラしたピアノによるバッハが 好きで、グールドのバッハのCDはほぼ全て持っているが、 こういうパラパラしたピアノを、他にももっとたくさん聴きたい。 そこで、バッハのチェンバロ以外の曲をピアノ編曲した演奏の中に、 そういうパラパラしたグールドのようなバッハを見出だせるのではないかと、 期待して、 バッハのピアノ編曲のCDを見つけては聴いていたのだが、 その大部分は、グールドとは対局にあるような 表情過多で「ピアノ曲的」な演奏ばかりで、まるで期待はずれのものばかりだ。 それだったら、 ジャック ルーシエとか、 ジャズピアノ奏者によるバッハの編曲ものの方が、 なかなか淡泊で躍動的な演奏で、 クラシック畑のピアノ奏者の表情過多で濃厚な演奏よりも 遙かに好感が持てる。 それならいっそのこと、 ピアノの自由奔放なアドリブを聴かせる ジャズそのもの(特にその目的に特化した モードとか)を開拓していったら、 「パラパラしたピアノが好きだ」という私の音楽的嗜好を満たす音楽を ジャズの中にも見出だせるかも知れないと思い、 ブラッド メルドーとかも聴くようになり気に入った。 確かに、ジャズのアドリブは自由奔放なだけにノリがよく、 刺激的な躍動感を感じるし、それはそれで心地いいんだけど、 バッハのように 機能調性下の対位性の中で、 複数旋律が巧みに折り重なっていく幾何学的な心地良さ とでもいうようなものは、どうも感じられない。 そういう幾何学的な心地良さを与える機能調性下の対位性を満たしつつ、 かつジャズのモードのように自由奔放に即興演奏するなんてことは、 どだい無理なのだろうか。 原博さんは亡くなってしまったけど、 バッハのような機能調性下での対位性を満たした幾何学的なピアノ曲を 作曲する人が新たに現れたり、 メルドーが両手アドリブを更に発展させて、 二声(以上)の(何らかの機能調下での)対位性が明らかに機能していると 実感させてくれるような演奏法を開発したり、 自動作曲ソフトが発達して 「まだ聴いたことのないバッハの新曲」と思わせるような曲を、 いつでも際限なく創作/即興演奏してくれるようになったり、 そいういうことに期待できるだろうか……などなど。


鍵語:
トッカータ toccata [伊] 鍵盤楽器の即興演奏から発生したといってよい 鍵盤楽曲のことで,指いっぱいの音をふくむ分厚い和音と急速な走句を駆使しての 鍵盤楽器なまり,即興につきものの自由奔放さを特徴とする(後略)。
アド・リブ ad lib. [ラ] (1)ラテン語のアド・リビトゥム ad libitum (随意に)の略。(2)ジャズのソロ演奏にあたって奏者のテクニックを駆使して 自己主張を行い,個性を発揮すること。improvise と同義にも使っている。
(音楽之友社『新音楽辞典 楽語』)

エスペラント版
(Esperantlingva versio)
注意
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目次
はじめにmidi02/1/4追記
バッハチェンバロ編曲

グスタフ レオンハルト

バッハピアノ編曲

ケビン オールドハム(02/1/4)
高橋悠治
ビルヘルム ケンプ
ミヒャエル ナナサコフ
ファジル サイ
James Tocco
Thomas Labe'
Sontraud Speidel, Evelinde Trenkner ピアノ連弾(02/1/4)
NAXOS ヒストリカル・シリーズ(02/1/4)
Pietro Spada
Nikolai Demidenko
Risto Lauriala
Carlo Grante
Wolf Harden(02/6/20)
Kun-Woo Paik(02/9/19)

バッハジャズ編曲(ピアノ編)

ジャック ルーシエ
ジョン ルイス
オイゲン キケロ
後藤文彦 (番外編03/1/13)

バッハジャズ編曲(ピアノ以外)

スウィングル シンガーズ
清水靖晃
マンハッタン ジャズ クインテット
ロン カーター

編曲ものじゃないパラパラしたバッハのピアノ

オリ ムストネン

パラパラしたジャズピアノ(バッハ以外)

Pierre de Bethmann(PRYSM)
ブラッド メルドー
ジョーイ カルデラッツォ
バド パウエル(03/1/13)
オスカー ピーターソン(04/6/5)
MJQのジョン ルイス(パラパラではないけど)(03/1/13)
上原ひろみ(04/6/5)
松永貴志(04/6/5)
カプースチン(03/6/24)
グルダ(04/6/5,05/7/3

覚え書き(機能調性下の対位性03/6/30追記


バッハの様々なピアノ編曲については、 「超絶技巧ピアノ編曲の世界——体育会系ピアニズムの系譜」(midi が鳴るので注意) で詳細に取り上げられ、解説されている。 以下でも、この頁の解説を数ヶ所で頁連結(リンク)させて戴いた。
また、 「Kyushima's Home Page」の 「J.S.バッハ/リスト 前奏曲とフーガ イ短調BWV543」 では、様々な演奏家によるこのピアノ編曲の録音CDが比較されているが、 比較論、技術論という視点から なかなか客観的に評価されていて非常に参考になる (お陰で、この頁の筆者自身は絶賛している訳ではない オールドハムの演奏を是非 聴いてみたいと 思うようになった)。


はじめに

要旨: バッハをピアノで弾いたり、そのためのピアノ編曲をするからといって、 (せっかくピアノを使うのだからと)ピアノの楽器性能:

「同時に複数の音を出せる」
「音域が広い」
「最弱音から最強音までの幅が広い」
「音の減衰曲線がなだらかで打音が持続する」
「ペダルで複数の音符を響かせ続けることができる」
などなど

を、すべて有効利用:

「単旋律の原曲には対位旋律や和音や伴奏を付加する」
「音域を拡大する(低声部をオクターブにするとか)」
「強弱で思い切り表情をつけて演奏する」
「レガート(伊 音の間を切れ目なく演奏すること)で演奏する」
「ペダルを多用して音を響かせる」
などなど

しなければならないということには必ずしもならないのではないか。 例えば、 ノンレガート(伊 音の間を切って演奏すること)のピアノでパラパラと演奏されるバッハのチェンバロ曲が好きな私の場合:

「単旋律であろうと原曲通りで」
「音域が狭くてもそのまま」
「強弱は抑えて(フーガの主題をやや強めに程度)」
「ノンレガートで」
「ペダルの使用を抑えて(指が届く限りは使わないで)」

演奏されたものでも、 十二分に心地よく鑑賞できるような気がする。 試しにその方針で、

無伴奏チェロ組曲一番一楽章(midi)
無伴奏バイオリンソナタ二番三楽章(midi, さわり)
オルガン曲トッカータとフーガニ短調(midi, さわり)

の midi ファイルを作成してみた。どうだろうか。

本題: 私は、ノンレガート(伊 音の間を切って演奏すること)のピアノでパラパラと演奏されるバッハのチェンバロ曲が好きで、 そのように演奏してくれているグールド高橋悠治 (や リチャード グード)の ピアノ演奏をCDで鑑賞して楽しんでいる。 と言っても、 バッハのチェンバロ曲には数に限りがあり (とは言ってもCDで十枚以上にはなるだろうが)、 その限られた曲目の中でしか、そうした演奏を楽しむことはできない (その意味では、バッハのチェンバロ曲の殆どをピアノ録音してくれた グールドには感謝している。 それにしても、 CD数十枚ぶんもの作品数があるバッハのカンターターを好きな人は、いい思いをしてるなあ)。
 その意味で、 原博のような作曲家が、バッハのチェンバロ曲を彷彿とさせるような曲を作ってくれることは大いに有り難いが、 他方、バッハのチェンバロ以外の曲( バイオリン曲、チェロ曲、オルガン曲など)を ピアノ用に編曲して演奏することにも期待がある。 そこで、バッハのピアノ編曲のCDを色々と買ってきて聴いてみてはいるのだが、 大部分は「ピアノ曲的」な (つまり、ペダルやレガートを多用してパラパラ感を殺し、 最弱音と最強音の幅を思い切り大きく取った、 重厚な、豊穣な、表情過多な)演奏ばかりで、 まるで気に入らない。

 バッハの無伴奏チェロなどを原曲の通り編曲したのでは、スカスカの曲になってつまらないという意見は、「ピアノ曲としては」ある意味では確かにその通りだろうし、 だからこそ、 ブゾーニゴドフスキー による実に「ピアノ曲」として「効果的な」編曲を 「ピアノ曲」的に演奏したような録音ばかりが出回っているのだろう。 しかし、バッハの無伴奏チェロや無伴奏フルートや無伴奏バイオリンなどは、 原曲自体が、必要最小限の音符密度で構成された (という意味ではスカスカの)曲であり、 その無駄のない限られた音符の一つ一つに割り当てられた機能は、 音符が少ないぶん大きな役割を担っていて、そこにこそ深い味わいを 私は感じる。 例えば、ブリュッヘン(やその弟子?のフェアバッハ?も) は、無伴奏チェロを音域を狭くしつつも、ほぼ原曲通りに編曲して、 リコーダーで単旋律で吹いて録音しているが、 チェロ以上に強弱などの表情をつけにくい言わば「スカスカの」 これらのリコーダーによる無伴奏チェロの演奏は、私には、とても、 躍動的で、イキイキと聞こえる。 勿論、これは私がリコーダーの音色自体を好きだということも多分に あるだろうけれども、 単旋律であっても、タンギングで音を切りながら、 パラパラ(厳密にはトゥクトゥクやトゥクルトゥクルなど)と演奏されると、 ピアノによる パラパラしたバッハ に感じるのと似たような躍動感を感じるのだろう。 そういう意味では、 二声のインベンションなどは、 二声という低密度で音域も狭く、音符密度は「スカスカ」しているけれど、 グールド高橋悠治の演奏で聴くと、 ノンレガートでパラパラしていて私は実に心地良いノリを感じる。 更に、ゴルトベルクの第29変奏 (Kimiko Ishizaka) とか、バッハのトッカータ的なチェンバロ曲には、 単旋律が続くところがあるが、そういう最も「スカスカ」したところでも、 グールドなどのノンレガートの演奏で聴くと、 私は実に躍動的なノリを感じる。 ということは、 単旋律の曲であっても、ピアノでパラパラと速いテンポで演奏すれば、 原曲のままでも、躍動的な曲になるかも知れないと、 そのように演奏させた(つもりの)

無伴奏チェロ組曲一番一楽章*の midi ファイル

を作成してみた。 再生環境の設定によっては、 勝手に残響音を付加されてノンレガートが殺されているかも知れないが、 私の環境で聴く限り、 バッハのトッカータ的なチェンバロ曲に現れる単旋律の部分をグールドとかが 弾いているのを想像しながら聴くと(かなり無理はあるが)、私には まあそれなりに心地良いような気もする。

* 追記(02/1/4):最近、トヨタ クラウン アスリートのテレビ コマーシャルで ジャック ルーシエが 高速のピアノで演奏するジャズ版 無伴奏チェロ(CDはUNIVERSAL, UCCU-1011)が 使われてい(てある種の共感を覚え)たが、 私にはクラシック畑のピアノ奏者による如何にも 濃厚で表情過多なバッハのピアノ編曲の演奏よりも、 ジャック ルーシエみたいな ジャズ畑の人が躍動感やノリを強調して演奏した高速で淡泊なバッハのピアノ編曲の方が 遙かに心地よく感じる。

 では、単位時間当たりの音符密度の低い緩徐楽章などの場合はどうだろうか。 例えば、 ゴルトベルクの第 25 変奏( (Kimiko Ishizaka)とか、 シンフォニアの九番(ここに midi) などの緩徐で音符密度の低いチェンバロ曲をグールドなどは、 実にゆっくりと、音を切りながら、ペダルの使用を抑えたピアノで演奏しているが、 これがまた、余計な装飾を排し、 バッハの旋律自体の美しさを引き立てた味わい深い演奏だと私には感じられる。 試しに、 原曲そのままをノンレガート(のつもり)で、

無伴奏バイオリンソナタ二番三楽章のさわりの部分の midi ファイル

を作成してみた。 バッハの緩徐なチェンバロ曲をグールドとかが弾いているのを想像しながら 聴くにはかなり無理があるが、まあ、 ブゾーニやゴドフスキーの「ピアノ曲」的な編曲を「ピアノ曲」的に 濃厚に演奏した演奏よりは私には馴染みやすいような気がする。

 ここまでは、無伴奏チェロやバイオリンのような原曲の音符密度の低い 曲について述べてきたが、では、 オルガンのための前奏曲とフーガやトッカータとフーガのような原曲の 音符密度の濃い曲の場合はどうだろうか。 例えばリストが割と原曲に忠実に編曲したものを James ToccoがCD録音しているが、 「ピアノ曲的」な濃厚な演奏で、 ペダルを踏んで響かせて、思い切り強弱をつけていて、 私には、どうも馴染めない (これなら、オルガンによる演奏の方がずっとスッキリしていて心地よい)。 そういう意味では、 高橋悠治 が自分の編曲で演奏/録音した 小フーガ ト短調は、 数あるバッハ ピアノ編曲ものの録音の中では、唯一例外的に、 パラパラした実に心地よい(私にとっての)理想的な演奏である。 誰か、バッハの一連のオルガン曲を、こういうふうにピアノで演奏してくれない だろうか。因みに、

バッハの得意業は、やはりオルガン。すばらしい曲が多いが、個人的には聴いていると疲れる。原因はあの音。ピアノの方が好きだな。ブゾーニ編曲判が存在するが、ピアニズムの範疇である(当然ダ)ところがおもしろくないので自分でやることにしました。
MICHAEL NANASAKOV PIANO WORKSHOP, Prelude & Fuga (プレリュード&フーガ), J.S.BACH Organ Works for the Piano ( http://www.nanasawa.net/articulates/bach1.html)から引用。

などという実に頼もしく共感できることを仰っている ナナサコフ氏 にも密かに期待している (まあ、パラパラに固執する私の音楽的好みとはまた違うだろうが、 ゴドフスキー編曲の演奏とかを聴くと 実に興味をそそられる)。

 という訳で(?)、試しに、最も重厚で濃厚なオルガン曲の代表である

オルガン曲トッカータとフーガニ短調の midi ファイル

をノンレガート(のつもり?)で作成してみた。 さすがにこれは無理があるかも知れない(笑)。アルペジオは グールドの真似?をして上から下にしてみた。

目次

バッハのチェンバロ編曲のCD

  1. グスタフ レオンハルト (レオンハルト編、無伴奏バイオリン ソナタ/パルティータ、無伴奏チェロなど、 DHM, BMG, BVCD-1652〜1652, 二枚組)

     まるでバッハの曲ではないようなゴドフスキーによるピアノ編曲や、 ゴドフスキーほど奇抜ではないまでも十分に ピアノの楽器性能を駆使した「ピアノ曲」的な ブゾーニによるピアノ編曲 などとは全く違い、 レオンハルトのチェンバロ編曲は、なかなか「バッハのチェンバロ曲っぽい」編曲で非常に好感が持てる。 誰か、この編曲をそのままノンレガートのピアノでパラパラと演奏して録音してくれ ないだろうか。

目次

バッハのピアノ編曲のCD

  1. ケビン オールドハム (KEVIN OLDHAM: The Art of the Piano Transcription, フーガ ト長調BWV577, 前奏曲とフーガ イ短調BWV543他, VAIA 1104)

      「Kyushima's Home Page」の 「J.S.バッハ/リスト 前奏曲とフーガ イ短調BWV543」 で「 グールドを多少意識したような、ペダルを抑制しかつノンレガート(というかスタカート)を多用したアーティキュレーションで」 と紹介されていたので、amazon.com に注文して買った。 確かにスタッカートが効いていて、 バッハのピアノ編曲の演奏としては珍しく期待を裏切らないノリのよい パラパラとした演奏である。 この調子で、他のバッハのピアノ編曲も録音してほしいものだ。

  2. 高橋悠治 (Yuji Plays Bach, 1975, DEUTSCHE GRAMMOPHON, POCG-6100)

     高橋悠治、ケンプ、ブゾーニ編曲の小フーガ ト短調、トッカータとフーガニ短調、 目覚めよと呼ぶ声あり他。 高橋悠治の他の一連のバッハの録音 (ゴルトベルク、パルティータ、インベンション等)のようには、ノンレガートを徹底している訳ではないが、 ペダルを抑えて、過剰な表情づけを抑えている。 小フーガ ト短調は、高橋悠治らしいパラパラした演奏で好感が持てる。

  3. ビルヘルム ケンプ (イギリス組曲第3番、ピアノ小品集他, 1975, DEUTSCHE GRAMMOPHON, POCG-3006)

     ケンプ編曲によるコラール前奏曲集、チェンバロ協奏曲五番二楽章ラルゴ他。 旋律の綺麗な緩徐な曲を選んで編曲し録音している。 ピアノ編曲としてはまるでつまらないという意見もあるが、私は、 ケンプらしい素朴で柔らかい演奏に好感が持てる。

  4. ミヒャエル   ナナサコフ (ゴドフスキー編、無伴奏バイオリン、2000, Nanasawa Articulates, JNCD-1007)

     ゴドフスキーによる(原曲をかなり自由にいじった) 超絶技巧化編曲をコンピューター自動演奏によって指定の速度どおりに 実音再現していこうという Nanasawa Articulates の 一連の企画の中の一つ。 ゴドフスキーの編曲自体は、バッハの原曲からは離れてはいるが、 (超絶技巧)「ピアノ曲」の指定速度通りの演奏としては非常に 面白く刺激的だ。 ゴドフスキー編曲によるバッハの録音は他にもあるが、たいていは、 演奏速度が遅くて、ペダルを使いすぎたりしていて、あまり面白くないものが 多いが、ナナサコフによる演奏は、 ペダルを控えた高速演奏で、確かに面白い。

  5. ファジル  サイ (リスト編オルガンBWV543, ブゾーニ編バイオリンBWV1004, 1988, WARNER MUSIC)

     サイによるストラビンスキー「春の祭典」多重録音の素晴らしさに比べると今一つ。 パラパラと演奏しているところは、それなりにいいが、 ペダルで響かせてピアノ曲的に弾いているところは、あまり気に入らない。

  6. James Tocco (リスト編オルガン前奏曲とフーガBWV542-548, 1991, deutsche harmonia mundi, HM 992-2)

     BWV 540番台のオルガン前奏曲とフーガと言えば、 私の好きな曲なので期待して購入した。 しかし、予想通り、 ペダルで、低音や最強音を思い切り響かせた濃厚な「ピアノ曲的」な演奏だ。 部分的にペダルを抑えてパラパラと演奏している部分もあるが、 そういう部分はなかなか良い。

  7. Thomas Labe' (ゴドフスキー編無伴奏チェロ/バイオリン、 ラフマニノフ編無伴奏バイオリン、1993, DORIAN DISCOVERY, DIS-80117)

     全体的に「ピアノ曲的」な演奏。ところどころパラパラしている。 選曲的には面白い。

  8. Sontraud Speidel, Evelinde Trenkner ピアノ連弾 (レーガー編曲ブランデンブルク協奏曲, MDG 330 0635-2)

     ブランデンブルクのピアノ連弾用編曲という意味で、なかなか興味深い。 (恐らく編曲のせいだろうが)音数が多くごちゃごちゃしてはいるが、 それはそれできらびやかで刺激的とも言える。 しかし、私からすると十分に「ピアノ曲的な」弾き方。 個人的にはイル ジャルディーノ アルモニコ とかアーノンクールとかの通常の(古楽器)管弦楽版の ブランデンブルクの方がずっと躍動的でノリがいいと感じる。 管弦楽組曲のピアノ連弾版も同じ演奏家のCDが出ていたかも知れない。

  9. J.S.バッハ作品のピアノ編曲集 (NAXOS Historical, 8.110658)

     ラフマニノフ、コルトー、ギーゼキング、バックハウス、 ルービンシュタインなどの「巨匠」たちによるバッハのピアノ編曲の 演奏の歴史的(1930〜1940年代)録音。 演奏自体は、多かれ少なかれ「ピアノ曲的な」ものではあるが、 歴史的な演奏家たちによるバッハのピアノ編曲の演奏が集めてあるという 意味で興味深い。ラフマニノフなんかは、自身の編曲で、 なかなかパラパラと弾いていたりする。

  10. Pietro Spada (ブゾーニ編オルガン曲、2000, ARTS MUSIC, 47199-1, 47199-2、二枚組)

     「ピアノ曲的」な演奏。 まあ、ペダルに関しては割と控え目。テンポはゆっくり。 強弱もかなりつけてある。

  11. Nikolai Demidenko (ブゾーニ編オルガン曲, 1992, Hyperion, CDA66566)

     「ピアノ曲的」な演奏。 ペダルも多用してある。テンポはゆっくり目。 強弱もかなりついている。濃厚。

  12. Risto Lauriala (サンサーンス、シロティ、レーガー、ダランベール、カバレフスキー編曲, 1996, NAXOS, 8.553761)

     「ピアノ曲的」な演奏。クレッシェンドとか強弱で演出している。

  13. Carlo Grante (ゴドフスキー編無伴奏チェロ、1998, MUSIC & ARTS, CD-1046)

     ゴドフスキーの編曲を、テンポをゆっくりにして弾いている。 ペダルを多用し「ピアノ曲的」に弾いている。 表情豊か。ゴドフスキー編曲の演奏としては、ナナサコフによるコンピューター演奏の方が私には、ずっと面白く感じられる。

  14. Wofl Harden(ボルフ ハーデン) (ブゾーニ編曲トッカータとフーガ ニ短調他ブゾーニ集、2000, NAXOS, 8.555034)

     「ピアノ曲的」な演奏(まあ、そう表情過多というほどでもないけど)。 録音の少ないブゾーニの「若者ために」と「対位法的幻想曲」が入っている ので買った。「対位法的幻想曲」に関しては、このハーデンの演奏よりは、 二台四手版をシフとピーター ゼルキンが弾いている演奏 (ECM NEW SERIES 1676/77 465 062-2)の方が、パラパラ気味で淡泊で好きだ。 このシフとゼルキンのCDに入っているモーツァルトの二台ピアノのためのフーガも なかなかパラパラ気味で淡泊でよい。 私はシフの弾き方自体はそう嫌いではないのだけど (特にシューベルトなんかは)、 どうもシフの録音は残響が多くて、せっかくパラパラ気味に弾いてても、 それが残響に埋もれてしまっているところが気に入らないのだが、 この ECM の CD は残響が適度なので、シフの弾き方が生きているように 感じます(どっちがシフでどっちがゼルキンだか知らないけど)。 なんか、ハーデンの話じゃなくてシフの話になってしまった。

  15. Kun-Woo Paik (ブゾーニ編曲、トッカータ ハ長調BWV564、コラール前奏曲集、他、 2000, DECCA, 467 358-2)

    「ピアノ曲的」な演奏。強弱の変化もかなりつけている「濃厚な」演奏。 曲によっては、高速で堅くパラパラと弾いている部分もあり、そういうところはいい。

目次

ジャズピアノ編曲バッハ (やや番外編 02/9/19準備開始)

 「はじめに」にも少し書いたけど、 パラパラしたピアノによるバッハが好きな私は、 クラシック畑のピアノ奏者による 表情過多で濃厚な「ピアノ曲的」なバッハよりも、 ジャズ畑のピアノ奏者による躍動的で淡泊なバッハの方が、 よっぽど心地よく感じる。 ただ、バッハのジャズ編曲にも当たり外れがあるので、ここに 私の感想を列挙していきたいと思う。

  1. ジャック ルーシエ (YouTube)

     バッハのジャズ編曲というと、大概は、単に主旋律一声のみを 編曲のネタにしたに過ぎないものが多いが、 ルーシエは、バッハの複数旋律の対位的な絡みをも巧みにジャズの中に 取り込んでいるように感じられ、そこに醍醐味を感じる。 その意味では、ピアノの対位的な絡みがちゃんと活躍している 最初期の演奏(PLAY BACH 1-5)が私は好きだ。 その後の演奏(デジタルバッハとかその手の) は、だんだん規模が大きくなってきて、 ピアノのアドリブ(即興演奏)の部分を 盛り上げるための演出(序奏?)の部分 (ドラムとかベースが静かに色々やってる)が長すぎて、 そこが退屈に感じてしまう (ちょうど、 ブルックナーの交響曲の派手なところはすごくかっちょいいけど、それ以外の静かなところは退屈だというのと同じように)。 平均律の早弾きとかは確かに凄いと思うけど。 後期の演奏で好きなのはイタリア協奏曲とかかな(あのリズムのくずし方とか)。 ゴルトベルクについてはここ

  2. ジョン ルイス

     ジョン ルイスの演奏は、非常にゆっくり/ゆったりとした音数の少ない静かな 演奏で、「躍動的で」「ノリのいい」といった私の好きなパラパラした 演奏とは対局にあるが、それにもかかわらず、私は、このゆったりとした 静かな演奏が気に入ってしまった。 ジョン ルイスは、西洋音楽の機能調性的な意味において、 実に美しい旋律を作り出す。 バッハのジャズ編曲は、(かつてルイスが組んでいたバンドである) MJQ(モダンジャズカルテット)時代のものもあるが、それよりは、 80年代に入ってからの平均律第1巻のジャズ編曲(CD4枚)と ゴルトベルクのジャズ編曲(CD2枚)が実に耽美的である (ドラムとかが入ってないところがまた、旋律の美しさを 引き立てている)。 CDの解説には、アドリブがどこから始まったかが分からないほどに、 バッハの旋律と馴染んだアドリブが展開されているというようなことが 書かれているが、確かに、それぐらいバッハの旋律美を上手に活かした アドリブ旋律だと思う(対位的ではないが)。 スウィングルシンガーズとMJQとで組んだ「PLACE VENDO^ME」という アルバムがあるが、これもなかなかいい(バッハの編曲もいくつかある)。

    14/11/24追記: アマゾンマーケットプレイスで、 ジョンルイス/JSバッハ (PIANO SOLO) 林 知行 (編集),川口 晴子 (編集) という楽譜を3000円で買った。 なかなかいい買い物をした。 ジョン ルイスのバッハの平均律1巻の編曲アドリブのCDは、 なんだかんだ言って、本当に気に入って何度も聞いている。 何度も聞きたくなるし、あわよくば、楽譜を手に入れて弾いてみたいと 切望していただけに、こんな絶版の楽譜がマーケットプレイスで入手できるのは、 実にありがたい。 実は、耳コピ能力のない私は、 WAVファイルのmidi化ツールとかで、ジョン ルイスのCDをmidi化してみたりして、 ぜんぜん、実用レベルの楽譜にならないなあとがっかりしていたりしたのである。 ウェブ上で、誰かジョン ルイスを耳コピ採譜してくれている人がいないかと 時々検索しながら、 こういうのを 見つけたりして、おお、と思ったり。 ただ、私がジョン ルイスのバッハのアドリブで特にいいと思っているのは、 フーガの主題から派生したアドリブだ。 実に耽美的で味があり、美しい旋律だ。 ところが残念なことに、 ジョンルイス/JSバッハ (PIANO SOLO) 林 知行 (編集),川口 晴子 (編集) の楽譜では、前奏曲については24曲すべてを採譜しているのに、 肝心のフーガについては、5番と10番の2曲しか採譜してくれていない。 なんとまあ。 「はじめに」によると 「本書は弦楽器等のアンサンブルで演奏されている「フーガ」を省略, ピアノ・ソロで録音された曲を採譜・収録したので, 結果的に「プレリュード」全24曲、「フーガ」は2曲だけとなった。」 だそうだ。 うーん、もったいない。 どうせやるなら、 珠玉の旋律からなるフーガのアドリブこそ全曲 採譜・収録すべきなのに。 また、「はじめに」には、「ジャズとは即興音楽だ」として、 「結論から申せば、この様なジャズの採譜本はあくまで研究資料であり、 「技芸習得の為に、そして個人的趣味の範囲内でお楽しみください」 という事である。」 「採譜本に基づいて演奏する事自体は間違いではない。 それは「少なくともジャズではない」と言っているだけなのである。」 とも書かれており、その意図はよく理解できるが、 私は必ずしも賛同しない。 ジョン ルイスのバッハ平均律1巻のアドリブは、 ジャズの域を超えて、(通常のクラシックの楽曲と同様に) 旋律自体の美しさを鑑賞し、 (採譜された楽譜で)再現演奏によっても演奏者および聴衆が感動できる ——より普遍的なレベルで完成された作品だと思う (まあ、そういう再現芸術はジャズの定義から外れるということであれば、 別にジャズでなくてもいいのだが)。 私は、 ジャズを聞くようになってから、 ジャズもときどき聞きたいと思って聞くのだけど、 それは、その曲の雰囲気とかノリとかが気に入って、 その雰囲気やノリに浸りたいたいと思って聞くのであって、 アドリブ部分の旋律自体の美しさが気に入って、 その旋律が頭から離れなくなって、それをピアノで弾きたくてしょうがないとか いうことはあまりない。 つまり、正直に言うと、 私の(音楽感性の)場合、 ジャズの(アドリブの)ノリや雰囲気は確かに心地良いと思っているけど、 その旋律自体や和声や対位性の構成自体を美しいと思うレベルは、 クラシックの好きな曲に比べると非常に低いのだ。 だから、私はジャズというのは、 推敲された旋律や和声や対位性の構成自体の美しさを味わう音楽ではなくて、 即興によって得られる臨場感やノリや雰囲気を味わう音楽と捉えている。 ただ、 ジョン ルイスのバッハの平均律1巻の特にフーガのアドリブに関しては、 例えば ビバルディの協奏曲の2楽章の耽美的なラルゴ各種 を美しいと思っているのと全く同じような意味・次元において、 本当に心から美しい旋律と和声・構成だと感じている。 特に 1番のフーガのアドリブなんて本当に美しい。 これの楽譜がほしいよ、ほんとに (短いけど、9番のフーガもいい)。 私はジョン ルイスのバッハ編曲を聞き始めた当初、 こんなに研ぎ澄まされたアドリブのセンスというか 美しい旋律を生み出す才能のあるジョン ルイスは、 他の普通のジャズの曲でも同じような美しい旋律のアドリブを弾いているんだろうと 期待して、 MJQの演奏(バッハ編曲含む)各種や、ピアノソロなど、 色々と聞いてみたのだけど、 まあ、確かにゆったりとしてジョン ルイスらしい味のあるアドリブでは あるのだけれど、 正直に言うと、 雰囲気やノリは心地良い (私の音楽感性にとっては、まあ、普通のジャズだ)けど、 旋律自体が耽美的に美しいレベルの曲には、 今のところ出会えていない。 ジョン ルイスの平均律1巻 (ゴルトベルクもまあまあだが)レベルの耽美的な旋律と和声・構成の聞ける 代表曲があるなら是非 紹介してほしい。 そんなわけで、 私は、 ジョン ルイスの平均律1巻の編曲は、 実は、ジョン ルイスが バッハの原曲を研究して、かなり推敲した上でのアドリブなのではないかと 勘ぐっている (だって、このレベルの耽美的な旋律のアドリブが、 ほんとにいきなりできるんだったら、 他の曲でももっとこのレベルの耽美的な旋律のアドリブが いっぱいあっていいはずだ)。 だから、 ジョン ルイスの平均律1巻の編曲は、 プロデューサーからの提案を受けた ジョン ルイスが、バッハの原曲を読み込んで 苦労して(おそらく推敲を重ねて?) 高い完成度に仕上げた 本当に貴重でありがたい普遍的作品なのではないかと思う。

  3. オイゲン キケロ

     確かに、「こういう曲もあるなあ」と思わせる曲だが、 私は今ひとつ気に入らない(これだったら、クラシックの方がいい)。

  4. 後藤文彦 (番外編)

    機能調性下の対位性を満たしつつ パラパラして躍動的なバッハピアノ編曲と私が言う意味を、 想像して戴けるかどうかは分からないけど、 求めている一例は例えば、 こんな感じ(ゴルトベルク変造曲。 ジャズというよりはラグタイムっぽいけど)。

目次

バッハジャズ編曲(ピアノ以外)

  1. スウィングル シンガーズ

     民放(東北放送だったか?)の放送終了の時に、 バッハの平均律二巻5番のフーガをアカペラで歌うジャズ編曲が流れていて、 とても気になり、東北大の電子掲示板(bbms)で訊いたら、 スウィングル シンガーズ(swingle singers)だと教えられた。 ドラムとベースの上に、原曲に割と忠実にバッハの多声部の旋律をアカペラで 重ねていくところが実に「対位的」で、(パラパラならぬ)「ダバダバダバダバ」の 歌声は躍動的で格調も高い。

  2. 清水靖晃

     スカパー放送のシネフィルという映画番組で、 バッハの無伴奏チェロのサックス編曲が流れているのが気になって調べたら、 清水靖晃という人の演奏らしい。 この人は、バッハをサックス編曲してCD録音しているようなので、そのうち 開拓してみたい。シネフィルで使われている曲の入っている Cinefil(DICT-28901)というCDを買ってみたのだけど、 バッハの編曲を含む二、三曲を除き、後の大部分の曲は、 サックスではなく電子楽器を 使ったあんまり面白くない曲ばかりでまるで気に入らない (なんか前衛っぽさを演出してるようなんだけど、 特に新奇性は感じられない)。 気に入ったバッハの編曲は、無伴奏チェロを平野公崇と2本のサックスで 吹いているのだが、その独特の響きが実に絶妙にバッハの対位性を演出している と感じたのだけど、1本だとどうかはちょっと不安 (という訳で、この人のバッハ演奏のCDを買うかどうか迷ってるとこ)。 実は 平野公崇の演奏は、前に山下洋輔の演奏会に行った時に、生で聴いたことがある。

  3. マンハッタン ジャズ クインテット (マンハッタン ジャズ オーケストラだったかも)

     CDを買ったけど、気に入らなかったので引っ越した時にどこかにしまった (これならクラシックの方がいい)。 中途半端な編曲は、コンビニで流れてるポップス編曲の安っぽい クラシックを思わせる(ちょっと聴いただけの微かな印象で書いてるんだけど)。

  4. ロン カーター

     (ダブル)ベース(コントラバスとも言う)によるジャズ編曲。 ベースの神様とかと言われてるらしいけど、 私はCDを聴いてなかなか衝撃を受けた。 まるで音程が合ってない。 勿論、ベースで、あんな無伴奏チェロとかを高速で弾いて、 音程を合わせるというのが無理な要求なのだろうけど、 その、音程が合わなかろうが、敢えて、バッハをベースで 無理して弾いたというところに価値があるとうことなのだろうか。 しかし、(じゅうぶんに音痴で鈍感な)私の耳でも、 あんなに音痴な演奏は、さすがに鑑賞には堪えかねる。 クイケンの、バロックバイオリンとか、 フラウトトラベルソとか、ブリュッヘンのバロックリコーダーとかの (現代楽器と比べた場合の相対的な)「音程の揺れ」(古典調律における)は、確かに私は 心地よいと感じるけど、ロン カーターの音程の揺れは、そんなもんではない。 やはり、ベースを旋律楽器として使うことには、相当な無理があるということでも ないのだろうか。……と思っていたのだが、 電網上で調べてみると、どうもロン カーターは、ジャズの演奏においても かなり音痴なそうだ。ということは、もっと音程がしっかりしたベース奏者なら、 バッハの無伴奏とかでも、もっとちゃんと演奏できるのかも知れない。

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編曲ものじゃないパラパラしたバッハのピアノ

  1. オリ ムストネン: バッハ&ショスタコーヴィチ / プレリュードとフーガ Vol.1 ( Amazon)

    バッハの平均律第1巻から選んだ12曲と ショスタコービチの 前奏曲とフーガから選んだ12曲を 適当な(作為的な?)順番に並べて弾いている のだけど、 これはなかなか風変わりな演奏だ。 すごくアタックの強い鋭利な スタッカートや独特の音の切り方など、 面白いとは思うけど、 こんなに強いスタッカートでは、 私は緊張感を感じてしまい、 パラパラとした 躍動的なくつろぎはなかなか感じにくい。 それはともかく、 こうして バッハとショスタコービチの 前奏曲とフーガを並べて聞かされると、 (こういう風変わりな弾き方をされても) 素直に「いい曲だなあ」 と思えるバッハの音楽の直後に ショスタコービチが始まった途端に、 「 あれ? これは 今までの曲と違って まるでいい曲じゃないなあ 」 と如実に感じてしまう。 昔、オルガンの演奏会で、 私の前の方に座っていた 知人のおとうさんが、 メシアンの曲の後に 演奏されたバッハの曲を聴き終えた直後に、 ぼそりと 「やっぱりバッハはいいなあ」 と呟いたのに共感したときのような感じだ。

    追記(17/7/1):クレメンティのフーガは、ショスタコービチの前奏曲とフーガに雰囲気が似ている。 バッハとショスタコービチを交互に演奏すると、流石に 違和感が(私にとっては)大きいが、 クレメンティとショスタコービチを交互に演奏しても、 割と違和感は少ないかもしれない。

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パラパラしたジャズピアノ (全くの番外編 02/10/20)

 「はじめに」にも書いたが、 ノンレガートのピアノでパラパラと演奏されるなら、 ゴルトベルクの第29変奏や 無伴奏チェロ組曲一番一楽章のような、単旋律のトッカータ的な曲も、 なかなか好きである。 そういう感じの(ピアノ)曲は、 バッハより後の西洋音楽には、あまり見当たらないけど、 いっそのこと、ジャズだったら、 ピアノが単旋律でトッカータ的に忙しくパラパラと動き回りながら 即興(アドリブ)してるような曲は、結構ありそうな気がするし、 その方が、パラパラしたピアノの好きな私の好みに応える 新領域を開拓する上でも、なかなか合目的的なような気がしてきた。 で、2000年頃、 今となっては懐かしい仙台の一番町の HMV というCD屋 (せめて、このくらいの品揃えの CD屋が一軒でもいいから秋田にも あってくれたら!)のジャズ売り場で、なんか、 そんな感じでトッカータ的にピアノがパラパラと忙しく動き回ってる なかなか心地よいジャズが流れていたので、 まずは手始めにこの辺から開拓を始めようと思って買ったのが、 Bethmann という人がピアノを弾く PRYSM とかいうトリオの以下の CD。

  1. Pierre de Bethmann

     に書いたような事情で、 Prysm `On Tour'(BLUE NOTE, 7243 531575 2 4)という CD が CD屋で流れていたのを気にいって買った。 Pierre de Bethmann という人がピアノを弾いているようだ。 こういう感じの演奏はジャズにはたぶんたくさんあるのだろうから、 大雑把な印象を書いても、それはそういうジャズの一領域に対する 一般的な形容になってしまうかも知れないけど、 左手は割と和音を押さえながら、右手は、 パラパラとトッカータ的に動き回る。 多分に、 モードっぽく感じるけど、 次項のメルドーとかよりも、 旋律的には覚えやすいような(思い出して鼻歌で歌いやすいというか)。 メルドーよりも刺激的なような(対位的ではないが)。 で上述したように、 これが私にとってはパラパラしたジャズピアノ開拓の第一段なのであるが、 こんな感じのパラパラしたジャズピアノは、あとはどんなのがあるのかと 思って、まずは、 「Pierre de Bethmann + モード」とかで検索してひっかかった頁に、 この CD の評として、 「タイプとしてはメルドー君のバンガード・ライヴに似ていますが」 とあったので、 次項のメルドーを開拓してみて、気に入った訳である。

  2. ブラッド メルドー (YouTube)

     ピアノがパラパラと常に忙しく動き回っている ジャズピアノという意味で、 私が今まで開拓(味見)してみた 数少ないジャズピアノの中では、最も気に入っている。 どちらかというと、モードっぽい感じの曲が多く、 西洋音楽的な旋律性や和声は今ひとつ感じられないが、 カプースチンのフーガ なんかよりはよっぽど「音楽的だ」と私には感じる。 ジャズピアノというのは、一般に左手で(和音を押さえるような)伴奏、 右手で(単旋律のトッカータ的な)アドリブ(即興)を(パラパラと) 入れるらしいのだけど、メルドーどいう人は、 なかなかの技巧派で、両手で対位的に、即興を入れたりもするというところも、 パラパラしていて対位的なバッハのピアノが好きな私にとっては 嬉しいところだ(尤も、「対位的」とは言っても、 バッハみたいに厳格な機能調性を満たした対位性ではなくて、多分に モードっぽい対位性だけど。それでも、カプースチンとかよりは、よっぽど 機能性を私は感じる)。 Art of the Trio のシリーズは全て気に入ったが、例えば、 The Brad Mehldau Trio Progression: Art Of The Trio, Volume 5 (Warner Bros. 9362-48005-2) という二枚組CDに入っている Alone Together や Long Ago And Far Away といった曲の出だしの、 メルドーのソロとかを聴くと、 カプースチンとかとの差が歴然とする。 思うのだが、別にカプースチンのピアノ曲じゃなくたって、 一般的なジャズのトッカータ的なアドリブを楽譜にしたら、 多かれ少なかれそれなりに超絶技巧になることは十分に有り得ること ではないだろうか (ここの「カプースチン再び」参照。 というか、子供が滅茶苦茶に乱打したピアノを楽譜にしたって、 クセナキスぐらいに超絶技巧になったりして)。 クラシックにおける規則性・機能性の高い超絶技巧と、 ジャズのアドリブなどにおける規則性・機能性の低い超絶技巧とは、 かなり意味が違うと私は思う(別にどちらが優れているというのではなくて)。 塩谷哲のピアノソロの楽譜が売っていたので買ってきたのだが、その中の Cab Talk なんて、ジョプリンのラグタイムなんかより格段に難しいし (私にはとても弾けない。というかジョプリンも弾けないが)。

     尤も、Bethmannにせよ、 メルドーにせよ、 アドリブのところはパラパラしていて確かに聴きごたえがあるけど、 それ以外のとこ(序奏や間奏でベースやドラムが色々やってるけど、 ピアノは休憩していたり、和音を押さえる程度におとなしくしてるとこ)は、 やっぱりちょっと退屈に感じてしまう( ブルックナーの交響曲で金管が鳴らしまくる派手で賑やかなところはすごくかっちょいいけど、それ以外の静かなところは退屈だというのと同じように)。

  3. ジョーイ カルデラッツォ

    最近、私は、 スカパー放送の音楽番組「スターデジオ」の コンテンポラリージャズ(433チャンネル)とかを聴きながら、 それに合わせて(るつもりになって)電子ピアノを弾いたりして (同居人の顰蹙を買って) たんだけど、 なかなか刺激的でパラパラしているモードっぽい演奏が流れてきて気になり (気に入り)、演奏者を見てみたら、 Joey Calderazzo という人がピアノを弾くトリオだった。 早速、Joey Calderazzo (CK 69886, COLUMBIA) というCDを買ってきたが、 ドラムとかは、なかなか激しくて、ピアノもパラパラしていて気に入った。

  4. バド パウエル

     上に挙げたメルドーを始めとする(割と)最近のモードっぽい人たちの演奏は、 ピアノが自由奔放に高速でパラパラと動き回るところは 刺激性もあり、なかなか心地いいんだけど、 今ひとつ調性感が感じられなくて、 そこにやや不満もある。 その意味では、 バップとか言われるやや古い時代(40〜50年代)の ジャズとかを聴いていると、 なかなか調性を満たした中で、(それほど激しく自由奔放ではないものの) それなりにパラパラとアドリブしているなあと思い、 そういう割と古典的な分野も開拓しておかなければと思い、 そういうバップの高速弾きなアドリブの先駆者として有名な(らしい) バド パウウェルのCDを買ってみた。 階名で、ド、レ、ミb、ミ、ソ、ラ、ドや、 ラ、ド、レ、ミb、ミ、ソ、ラ の(ブルース・スケール?)の音階上でアドリブをしてるような 感じだが、どうだろうか (CDをかけながら、ピアノで真似しようとしても速くて 私にはとてもついていけない)。 ベースは音階上でウォーキングベース。 レッド ガーラントとか、バップと呼ばれているらしい演奏形態の人たちは、 私が今まで聴いた数少ない例から察する限り、割とその ブルーススケール上でアドリブしてるんじゃないだろうか。 対位的ではないけど。
    その後、パウエルの他のCDを2枚ぐらい買って聴いてみたら、 ゆったりしたアドリブばっかりだった。 あの速弾きは、どうも初期の演奏のみのようだ。

  5. オスカー ピーターソン

     塩谷哲が(中学・高校時代頃に) オスカー ピーターソンの影響を強く受けたというようなことを 話しているのを聴いて、 オスカー ピーターソンも開拓してみようと思う。 「オスカー ピーターソンの世界」(UCCU-5110)と 他の1枚ぐらいしかまだ聴いていないが、 確かにアドリブなどは技巧的で聴き応えがある。 ただ、 ばりばりの ブルース・スケールのジャズっぽい曲 (もあるようだけど)という訳ではなくて、 ポップス調っぽい曲や ムード音楽調 (映画カサブランカの「アズタイムゴーズバイ」みたいな 酒場とかで流れていそうな)感じの曲も多いようだ。 私の好みとはちょっと違うかも知れない。 でも、もう少し開拓を続ける。

  6. MJQ(モダン ジャズ カルテット)

     ジョン ルイスのバッハ編曲が気に入ったので、 ルイスがバンドを組んでいたMJQのCDもいくつか買って聴いてみた。 ルイスのバッハ編曲が実にゆったりしていて気に入ったというのと 同じように、MJQの演奏もゆったりしていて気に入った。 ルイスのピアノにパラパラした躍動感は期待していないが、 ミルト ジャクソンのビブラフォン(鉄琴)は、 なかなか躍動的かも。 MJQの(ピアノやビブラフォンの)アドリブも、割と ブルーススケール上ではないかな。

  7. 上原ひろみ

    なんかのテレビコマーシャルで、 分散和音の速弾きみたいなアドリブを弾いているのを聴いて、 これは開拓しなければと思って、 「Hiromi」(TELARC CD-83558) を買う。 音階上の音列を2度ぐらいずつ下降(または上昇)させながらなぞるような分散和音 (と言うかな?)の速弾きは確かに凄いし圧巻である。 しかし、生意気なことを言わせてもらうと、曲想は、創意工夫が 今ひとつ物足りなく感じてしまう。 私の好きな メルドーPierre de Bethmannカルデラッツォ といった人たち(特にメルドー)の曲の構成と創意工夫は、 そういう意味では、なかなかしっかりしたものだと私は感じる。 あと、なんか ポップス調というかロック調っぽい曲が多いような気がする。 まだ若い人なので、 (これから色々なことを試してくれると思うので) 時々 思い出した頃に聴いてみたいと思う。

  8. 松永貴志

    テレビ番組で聴いて、開拓しようと思う。 「MOKO MOKO」 (TOCJ 68059 CCCD)を買う。 ややポップス調っぽい感じ。 上原ひろみ のとこに創意工夫が今ひとつと書いたが、 松永貴志は、(私の主観では)それ以上に創意工夫が物足りない。 こちらも若い人なので、 (これから色々なことを試してくれると思うので) 時々 思い出した頃に聴いてみたいと思う。

  9. カプースチン

     私は以前、カプースチン自作自演集/24の前奏曲とフーガ作品82 (DICC-40001-2) のCDを聴いた印象で、 カプースチンをあまり気に入ってないように書いて いた。 というのも、24の前奏曲とフーガは今ひとつ調性的にも分かりにくいし、 まあ、カプースチンは特に開拓しなくてもいいかなあという気がしていた (まあ、 24の前奏曲とフーガの中で、 「 西洋的調性感がやや崩れかかった感じで対位的にノリのいい曲 」 という意味では、8番のロ短調のフーガとかは、好みの曲だが、 他の大部分の曲は私の音楽感性には、どうも退屈に感じてしまう)。 しかし、先日、試しに、 カプースチン自作自演集VOL.1 / 8つの演奏会用エチュード(DICC 24058) というCDを買ってきてきいてみたら、 この中の曲は、なかなか調性的にも分かりやすくて (というか割とちゃんとジャズっぽくて)、 ノリもよくパラパラしていて刺激的で、 なかなか気に入った。と言っても、 ストラビンスキーの春の祭典のピアノ版とかと 同じぐらいに手放しで気に入ったかと言われると、 そこまで手放しでは気に入ってないかも知れないけれど、 カプースチンの意図のようなもの (例によって私の曲解でも私は気にしないが、 つまり、「ジャズっぽい機能調を保ちつつ、 その条件下で、パラパラと対位的に旋律的に、 技巧的に刺激的に躍動的に……」といった) がなかなか分かりやすく伝わってくるのを感じるような曲で好感の持てる曲である。

     例えば、原博 のフーガはバッハとはまた違った味があってなかなかいいと 私は思うけど、仮に 世間一般のバッハ愛好者にとっては原博のフーガは バッハには及ばないものだとしても、 「バッハはいい」というのと同じような意味での「いい」曲を バッハと同じような書法で作ろうとした原博の意図に私は深い共感を覚えるし、 そのような意図で作られた曲は「さて、どんなものか」と 興味津々として、暖かく鑑賞したくなる。 それと似たような意味で、 比較的初期?のカプースチンのピアノ曲は、(私の音楽感性では) ストラビンスキーの春の祭典のピアノ版とかには及ばないように感じてはいるが、 それでも、(比較的初期の) カプースチンの意図(と私が感じている/勘違いしているもの) には、ある種の共感を覚えながら興味津々と鑑賞できそうな気がしてきた。 んー、(比較的初期の)カプースチンを開拓しなければならないかも知れない。

    それから、先日 テレビでやっていたフィトキンとかのピアノ曲も 開拓しないといけないかなあ……

  10. グルダ

    * 03/6/30: きのうの夜、NHK のテレビでグルダの(1994年頃の)来日公演の模様を やっているのを途中から見たのだけど、 その中で、 「グルダ作曲」のジャズピアノを何曲か聴いた。 即興というよりも、かなりちゃんと推敲された曲のようだ。 特に、「エクササイズ No. 5」という曲は、 ちゃんと機能的に対位的で実にかっちょいい。 さしずめ、ジャズ版のインベンションといった感じ。 バッハのジャズ編曲ならいっぱいあるけど、 バッハの対位性までは活かし切れてない。 それに比べると、 こんなにちゃんと対位的なグルダのジャズはなかなか見事だ。 カプースチンよりも気に入ったかも (カプースチンは躍動的で刺激的ではあるけど、それほど 対位的ではない)。 エクササイズ No. 5 ということは、似たような感じの No. 1 から No. 4 (あわよくば No. 6 以降も)があるということなのだろうか。 因みに旧『ピアノバカBBS』過去ログの[72]を見ると、 「 フリードリヒ・グルダの「ピアノプレイピアノ」の5番、なぜかグルダの来日公演をNHKで放送したときは「エクスサイズ5」になってました 」 とあるので、仮に私が見た来日公演も同じ時のやつだとすると 「エクササイズ5」は「ピアノプレイピアノ」である可能性もあるが、 グルダ自身が「エクササイズ5」と(英語で)言っていた。 で、「ピアノプレイピアノ」で検索して出てきた 「 うちのPiano部屋の楽譜棚から— 」 によると、グルダの「ピアノ作品集」という楽譜が出ているようで、 「 バップとバッハを融合させたような素敵な小品集 「ピアノ・プレイ・ピアノ」」とある。 んー、これはこれは。カプースチンなんかよりも、グルダこそ開拓すべき 優先順位は高いかも知れない。 世間的にはカプースチンは流行りだしていて、CD も自作自演集が手に入る ようになってきたけど、グルダの自作自演集なんて、出てるんだろうか。 ちょっと検索した限りでは見つからなかったけど (エクササイズとかピアノプレイピアノとかのCDって出てるんだろうか……)

    03/6/30追記 で書いたように、グルダのジャズピアノを開拓しなければならないと 思い、東京などに行く機会に、 グルダの自作自演ジャズの CD を捜してみてはいるが、 絶版やら製造中止やらでなかなか手に入らない 。 かろうじて買った 「グルダ ノン・ストップ」 (SONY RECORDS SRCR 9102)の中に入っていた プレリュードとフーガのフーガは、なかなか対位的。 「グルダ・ワークス」 (amaDeo PHCP-20332/4) の中では、グルダがリコーダーでジャズのアドリブを吹いていて、 これがなかなかいい。 私はリコーダーの音が(管楽器の中では特に) 好きで、バロックのパラパラした(というかタンギングで トゥクトゥクした)リコーダー曲が好きだが、 パラパラしたピアノとトゥクトゥクしたリコーダーのジャズって 捜せばそれなりにあったりするだろうか(要開拓)。

    05/7/3追記: 思いがけず、グルダのMIDLIFE HARVEST(MPS 06024 9828945)という5枚組のCDを 手に入れた(秋田のタワーレコードでこの手のCDがウインドーショッピングで 買えたとは!)。 グルダの自作自演やジャズ系の曲(ピアノ協奏曲やセッションもの) が色々と入っていて、その中の Play Piano Play (10 Übungsstücke für Klavier) という曲の、 Stück 1 と Stück 9 は、 「グルダ・ワークス」(PHCP-20332/4)というCDに入っていた 「練習曲1」と「練習曲9」と同じ曲だし、 Stück 5 は 前述の「エクササイズ5」と (記憶との比較なのでたぶんだが)同じである。 ということは、 エクササイズもピアノプレイピアノもプレイピアノプレイも練習曲も 10 Übungsstücke für Klavier という同じ曲であろうと 思われる。 いずれにせよ、これは、(ジャズとして見れば)珍しい(稀有な) 対位的な曲集だ。 この MIDLIFE HARVESTのCDとグルダ・ワークスのCDに入っている プレリュードとフーガという曲も対位的でいい曲だ ( 但し、グルダのそれ以外のジャズ系の曲には、 今のところ、同じ様な意味で対位的でいい曲は特に見つけていない )。 うーん、ピアノプレイピアノとプレリュードとフーガの楽譜が欲しくなった。

  11. 覚え書き:
    ビル エバンスのモードは、ゆったりしていて、 「パラパラしていて躍動的」というのとは違う方向性。
    プロコフィエフのピアノソナタは、 かなり技巧的でそれなりに刺激的だけど、でもわかりにくい。 7番とかは割とわかりやすくてかっちょいい方か。 なんか、ミニマルっぽい感じもする(7番の3楽章とかだっけかな?)。
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覚え書き
機能調性下の対位性 ——言わば、複数旋律の幾何学的な折り重ね方の中に、 人間の音楽感性で容易に感じ取れてしまう規則性が確認できること ——という意味では、ジャズのアドリブは、バッハ や原博にはまるで及ばない (ジャズのアドリブは基本的に単旋律のトッカータみたいなものでは)。 バッハのように機能調性下での対位法という制約の中で、 幾何学的に折り重なるトッカータ的な音の連なりを、 即興演奏で作り上げることは、極めて難しいことなのだろうか (「バッハのように」の程度にもよるが)。 「音楽の捧げ物」の逸話にもあるように、バッハですら、 王から与えられた主題に基づいてその場で声のフーガの即興をする ことはさすがに困難だったようだが、 そんな、六声とは言わないまでも、二声とか三声の 機能調性下の対位的な即興というのは、そんなにも難しいことなのだろうか (単にクラシック界に即興の習慣がなくなってしまったというだけだろうか。 少なくともベートーベンは即興の名手であったが。 ケンプの即興とかはどんなものだったのだろうか。 クラシックのピアノ演奏会でジャズの即興をやって顰蹙を買っていたらしい グルダの即興はどんなものだったのだろうか*)。 機能的な制約の非常に緩いジャズ(特に その目的に特化したモードとか)では、ジャズ ピアノ奏者たちは自由奔放に即興し、多くの即興演奏が生み出されている。 一方、機能的な制約の非常に厳しいバッハの音楽とかを演奏する クラシックピアノ奏者たちは (というか、まるで機能的な制約のない現代音楽 を演奏するクラシックピアノ奏者ですら)、即興演奏を試みてくれない。 ジャズピアノ奏者の中で、(モードより) より厳しい何らかの(調性や対位法の)機能を組み込んで、 パラパラと二声ぐらいで即興することを試みる人が現れたり (メルドーとかがそういう方向をもっと模索したりしてくれないだろうか)、 クラシックピアノ奏者の中で、 バッハ風の曲を(グールドみたいにパラパラと)即興演奏する人が現れたり、 そういうことは、なかなか期待できないような実現の困難なことなのだろうか。 だとすると、そんなことのできる演奏家の登場に期待するよりも、 「自動作曲ソフト:バッハ調」 とかが開発されることに期待する方がまだ現実的だろうか (David Copeとかの自動作曲バッハが、 いずれは、トッカータ的な四声のフーガとかも作れるようになることに 期待できるだろうか。 それならと、 私が足掻いてみたところで、所詮この程度 ……)。

追記(12/1/26)Paul Westさんという 人が、バロック風の器楽曲やら協奏曲やらたくさん作曲しているらしい。 YouTubeで聞いてみたが、なかなか面白い。 原博みたいにしっかりとした作曲技量がある訳では ないかもしれないが、 このように、自分が気に入った 特定の時代の特定の民族音楽の 古典的形式の枠組みの中で、先人たちが残した有限な曲目に加えて、 新作落語ならぬ新作バロックフーガや新作バロック協奏曲を創作しようという態度 には全面的に好感が持てる。 応援していきたい。
追記(23/8/6): Borogroveさんという人が、 正に新作バッハとでも言うべきバッハ風のピアノを即興演奏してYouTubeに 公開しているのを発見した。素晴らしい。

追記(21/1/24)最近の私の捉え方だが、音楽(に限らず、他の多くの分野でも同様のことが 当てはまると思うが)などの創作分野において、 少数の特別な才能のある人が、 パズル解きのような高度な能力を訓練して身につけないと 創作できないようなフーガとか対位法みたいな創作手法より、 人並みの才能や能力のある人が、 お決まりのパターンを覚えてしまえば、 お決まりのコード進行にそのコードに乗る適当なメロディーを重ねれば それっぽい音楽が出来上がるといった、誰でも気軽に創作ができる 創作手法の方が、 職業作家にとってすら、生き残りに有利だったということなのだろうと思う。 バッハ以降の西洋音楽の変化について見るなら、これはあまりにも 露骨だ。 バッハの子どもたちの中でも特に成功し、 親であるバッハの音楽を時代遅れと評していた(んじゃなかったっけ?) C.P.E. バッハの鍵盤曲なんて、 楽譜を見ると、え、これがバッハより後の曲なの? と意外に思う。 こういう感覚は、モーツァルトのピアノ曲ぐらいでも、そう思う。 まあ、ベートーベンのピアノソナタとかだと、さすがに音符密度は増えてくるが、 左手のアルベルティバスに右手の旋律みたいな曲は多いし、 バッハの複数声部が独立に絡み合うチェンバロ曲とかと比べてしまうと、 なんか、音楽形式がむしろ退化しているように感じてしまう。 もちろん、その後、ロマン派や近代に向けて、 西洋ピアノ音楽は、和音もリズムも複雑化していくわけだけど、 正直、バッハより音楽が進歩しているという実感を私は感じられない。 フーガや対位的作品を作曲するために バッハがその才能と超人的能力で行った情報処理能力を超える 情報処理が施されたと実感できるバッハ以降の楽曲に私はまだ 出会っていない。 もちろん、私はベートーベンも大好きだし、ストラビンスキーも大好きだ。 キンクリも好きだし、RCサクセションも好きだ。 でも、それらがバッハ以上に高度な情報処理作業によって 作られた曲だとは到底 思えない。 私の感覚では、バッハの後、西洋音楽は伴奏にメロディーといった手軽な手法に、 急激に退化し、その後、現在のポップスに至るまで、 その退化した手法が(そこそこの音楽の素養のある人なら 誰でも参戦できるので)そのまま主流の音楽手法として機能し続けている 状態なのかなと感じている。 で、こうした誰でも参戦できる手軽な手法が主流になって持続してしまうという 現象は、音楽以外でも、様々な分野でも起きていることだと私は捉えていて、 そこに、もどかしさというか、歯がゆさというか、 現代を象徴する典型的な構造を感じる。 なので、この問題については、そのうち改めて書きたい。

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即興の練習を始めてみる

やっぱり、こっちに移して、 以下は、そのうち消します。

即興を少しずつ練習?してみることにした。 左手と右手で一声ずつの二声で、和音はなるべく弾かない。 ペダルも踏まない。 理想はバッハのインベンションだけど、 対位法の決まりを きちんと修得して、それを瞬時に満足しながら即興するなんてことは、 私には到底 無理そうなので、 もっともっと緩く 自分なりのモード的な機能を見つけられればいいかなぐらいのところを目標とする。 それですら、 すぐに無調に逃げて誤魔化してしまう。 さんざん、あちこちで クレメンティのフーガやショスタコービチの前奏曲とフーガは 調性感が甘く無機質に感じるなんて書いてるくせに、 自分の方がよっぽど調性感の甘い無機質に甘んじようとしている。 とはいえ、 ショスタコービチの有調と無調の境界にあるような音楽の 中にも、時々とても美しいと思えるものもある。 いつでも無調に逃げていい緩い条件下で、即興しやすそうな (モード的であれ機能和声的であれ) 機能を使えそうなときに、それを試してみる的なやり方で、 即興しやすい機能を見つけていくという方向性もあるかなあとか。 それで、環境音楽的に弾き(聞き)続けていて心地よければ、それでいいかなあとか。 まあ、しばらく(何年か)、その方向で練習を続けてみようかと。

ところで、最近、画像生成AIだの文章生成AIが急速に進歩しているようで、 なかなか凄いと思わされるが、それらに比べると、音楽生成AIは (少なくともバッハ風とか対位的なものに関しては)まだまだのように思える (2022/9現在でこの程度だし)。 とはいえ、こうした領域は今後 飛躍的な進歩を遂げるだろうから、 私が生きているうちに、AIバッハによる新作インベンションや新作平均律を無制限に 聞けるようになる日が訪れることを今から期待している。

YouTube:
即興の練習:230219 095904
即興の練習:230219 100304
即興の練習:230223 091141
即興の練習:230223 091634

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