04/8/3更新: この頁は長い間、ほったらかしにしておきましたが、 リンク切れになっているところを(できる限り)修正し、 昨今のネット上でのエスペラント情勢の変化にやや対応させて、 微修正しました。
はじめに(1999/7/23微更新)
エスペラントは怪しい団体か?
エスペラントとは何か、どう使われているか
お勧めの頁の紹介
どうやって習得するか
「読む」「書く」「聞く」「話す」をまんべんなく
独習の勧め
地方のエスペラント会の講習もいいが、時間が掛かりすぎる
どんな学習書がいいか
『エクスプレス』が速習向き、『La Unua Kursolibro』は時間が掛かりすぎる
どんな辞書がいいか
『エスペラント小辞典』は用例豊富、和エス付き、派生語込みだが、
『新選エス和辞典』は語幹見出しだけ
独習開始
短期間に集中するほど効率的、カセットも併せて聴く
学習書が終わったら
「読む」(1998/10/28更新)
毎日五分でも数行でも読む。エスペラントの文学作品は高級語や詩語が
頻出して読みにくい。
電網上で読める文学作品、雑誌の紹介
「書く」(1998/10/28微更新)
毎日一行でも二行でも書く。電網上で利用できる作文添削、掲示板の紹介
「聞く」(01/3/16微更新)
炊事しながら「流し聞」きする。お勧めのカセット雑誌の紹介
「話す」
部屋の中で「独り言」をエスペラントで喋る。会話できる貴重な機会は有効に
おわりに(1998/10/28更新)
「文学」作品をスラスラ読めるようになるより、会話がペラペラになる方が簡単。
会話ができるようになるほどエスペラントは楽しくなる
まず、注意してほしいのは、エスペラントに関わっている個人には様々な 考えの人がいるし、 エスペラントを支持している 団体の中には 様々な宗教団体とか代替医療の実践団体とか思想的/政治的に非中立な団体 も現に存在します(*註1)。 たまたま最初にエスペラントを知ったのがそのような個人や 団体からだったからといって、
「エスペラントは宗教団体だ」
「エスペラントはオカルト団体だ」
「エスペラントは左翼団体だ」
「エスペラントは右翼団体だ」等々
のように速断してほしくないと思います (現に私も大学生になりたての頃、 「世界を一つの言葉で」というビラを最初に見てしまったばっかりに、 「エスペラントは言語統一の運動だ」と速断してしまって、それ以上 エスペラントについて調べようとしなかったことを今になって 後悔しています。 「エスペラントへの疑問」参照)。 エスペラントをやる動機は人それぞれで、「外国人と交流したい」 という趣味的な動機でやっている人もいれば(これが最も多いのでは)、 「言語差別を解決する方法を模索したい」という思想的な動機でやっている 人もいれば(というか、誰でも趣味的な動機と思想的な動機とをある割合で 併せ持っているだろう)、更には「創始者ザメンホフの意志を継いで エスペラントは平和運動と結びつかなければ意味がない」 という極めて政治的な動機でやっている人もいます。 但し、 世界エスペラント協会や 日本エスペラント学会は、 思想的にも政治的にも中立の立場を取っていると私は理解しています (だから私は、この両団体に所属しています。 私個人のエスペラントに対する思想的立場は 「エスペラントへの疑問」 「Fundamento 問題 」 「 エスペラントのフンダメントを、宗教の教義に譬えるなら 」 「合理化英語 案」辺りを参照)。
まず、エスペラントがどういうもので、どういうふうに使われているかを 大ざっぱに五分ぐらいで教えてほしいという人は、後藤 斉さん(仙台エスペラント会 のエスペラント講習における私の先生でもある)の
をお読み下さい。文法的なことも含めて、もう少しエスペラントのことを 知りたい、他の人の説明も聞きたいという人は、以下の頁を順ぐりに 覗いていって下さい(それでも満足できないという場合は気軽に私に質問して下さい。 できる範囲でお答えします。たぶん。 電便:)。
大信田 丈志さん(エスペラント林間学校における私の先生でもある)の
「エスペラントってなんですか?」
(エスペラント紹介の頁の中では、最も詳しく分かりやすい)
英語が読める人は、
Esperanto: Frequently Asked Questions(エスペラント:よくある質問)もご参考に。
というか、
日本エスペラント学会辺りで、ちゃんと、こういうのの日本語訳を
用意しておいてほしいものだ。
日本エスペラント学会の特集記事
「エスペラントへの疑問に答える」
も参考になるが、上記の
Esperanto: FAQほど綿密に
整理されている訳ではない。
西川 悟さんの
「エスペラントのはなし」
角谷 英則さんの
「国際共通語エスペラント」
「京都大学エスペラント語研究会」
(
「エスぺラントへの扉」では主に国内のエスペラント関係の頁を分野別?に紹介しており、
いわゆる「リンク集」としては有用である)
「豊中エスペラント会」の頁では、音声データなども含め、電網上でエスペラントがどのように活用 されているかを網羅的に紹介している。更新頻度も高い。 「エスペラント」の文字を含むページへのリンクは、意外なところにエスペラントが 出てきたりして面白い(エスペラントがどう誤解されているかを知る上でも)。
若いエスペランチストがどういうことをやっているかということについては、 例えば、私も賛助会員(三十歳以上なので)になっている 日本青年エスペラント連絡会の頁 参照(勿論、ここに属さずに独自に活動している国内の若いエスペランチスト の方が多いと思う)。
これはエスペラント以外の言語の習得についても言えることだと思いますが、 短期間で効率よくエスペラントを習得する方法は、簡単に言うと 「読む」「書く」「聞く」「話す」の訓練をまんべんなく持続的にやることだと私は (個人的な経験から)思います。 「読む」「書く」の訓練しかせずに、会話は苦手という人が多いですが、 それは単に「聞く」「話す」の訓練をしていないということだと私は思います。 尤も、エスペラント学習に割く時間や労力は人それぞれの気分や考えで決める ことですから、気長に五年でも十年でもかけてゆっくりとエスペラント学習を 楽しみたいという態度の人がいても、それはそれで全く構いません (現に私の 手話 などは全然 真面目にやって いないので、何年たっても初心者の域に留まっているし、今後もそうであろう)。 しかし、普通の人にとっては「エスペラントの学習」よりも 「エスペラントの実践」の方が楽しい筈だと思うので、 やはり学習期間は少しでも短いに越したことはないと私は思います。
私が以下に紹介する方法で二年半弱エスペラントを学習、実践してきた結果、 実際にどの程度のエスペラントが使えるようになったのかについては、 第17回日韓中青年エスペラント合宿について書いた 「中国旅行記」を参照して下さい。 私は「エスペラントは果たして本当に習得しやすい言語なのか」 を確かめるために自分を使って実験しているつもりでしたが、 学習開始から二年半の時点でその青年合宿に参加したのを機に、 この実験に対する一つの中間報告(結論?)を出し、 「エスペラントはどの程度 習得が簡単な言語なのか」また、 「エスペラントはどの程度 習得が困難な言語なのか」についての 私の意見をまとめたので参照して下さい (「中国旅行記」——おわりに(中締め)——)。
それでは、その「読む」「書く」「聞く」「話す」の訓練を どうやってやったらよいのかということになりますが、 「読む」「書く」「聞く」「話す」の訓練ができるように なるためには、まず基本文法と基本語彙は習得している必要があります。 では、この「基本文法と基本語彙」をどうやって習得するかというと、 方法は色々とあります。例えば最寄りの地方エスペラント会 の講習に参加するとか、 郵便や電便による通信講座 を利用したりとかいう 方法については、 前記の頁でも十分に紹介されているので、ここでは特に触れません。 但し、短期間に「基本文法と基本語彙」を習得してしまいたいのなら、 まずは学習書を買って独習するのがやはり効率的だと私は思います。
何故、独習の方が効率的かと言うと、一般にエスペラントの講習会は、 せいぜい週に一回90分ぐらいしか行われないし、受講者もきちんと 復習をしている訳ではないので、学習書を終えるのに(つまり 「基本文法と基本語彙」を覚えるのに) 一年近くもかかってしまうのです。 それでも受講者がその一年近くの講習が終わるまで真面目に続けてくれれば、 それなりに上達はしていくでしょうが、講習の途中で、エスペラントの簡単さ に感動することもなく、やめていってしまう人が多いのではないかと想像します (地方エスペラント会の現状はどうなのでしょう)。 その意味では自分の進度に合わせられる通信講座なども効率はいいかも知れません (ネットワーカーに贈るエスペラント語入門講座 第0課)。
エスペラントの文法は16ヶ条しかないので、英語などのヨーロッパ語の 文法用語を知っている人なら、三十分もあれば覚えられるでしょう。 しかし、文法を理解するには文例を覚える必要があるし、文例を覚えるには 語彙を覚える必要があるので、一つ一つの文法項目を例文と共に解説した 学習書に沿って学習する必要はあります。
学習書にも様々なものが出ていますが (藤原 敬介さんの 「エスペラント教科書史序説 ——教科書が教えないエスペラント—— 」 参照)、短期間に習得するという目的に 適ったものとして、私は安達信明著『エクスプレス エスペラント語』(白水社)を薦めます(私もこれで独習した)。 『エクスプレス』は一日1〜2課(三十分〜一時間位)ずつやっていけば、 二〜三週間で全20課が終わります(つまり『基本文法と基本語彙』を習得できます)。
地方のエスペラント会の講習で最も多く使われている学習書に サカモト ショージ著『La Unua Kursolibro』(日本エスペラント図書刊行会)があります。これは確かに内容的には充実した学習書 だとは思いますが41課もあり、終わるまで時間がかかりすぎるので (週に1課しかやらないような講習ではなおさら)、短期間の習得には 向かないと私は思います。 一方で、究極の短期間習得を目的とした小林司/萩原洋子著 『4時間で覚える地球語エスペラント』(白水社)という学習書もあります。 これは、16ヶ条の文法は勿論のこととして、 エスペラントの歴史や、現在どのように実用されているか、 エスペラントに関する文献、エスペラント団体の連絡先などに ついて、実に簡潔に整理されており、「エスペラントとは何か」を 知るには、なかなかお勧めの本だと思います。 但し、この学習書に書いてある通りに学習しても4時間で習得することは 普通の人にはまず不可能であると思います(私は、実は一番最初にこの本で エスペラントを習得しようとしたが、とても無理だと分かったので 『エクスプレス』の方に切り替えた)。 確かに16ヶ条の文法項目を覚えるだけなら30分もあれば十分でしょうが、 その文法の意味を理解するには様々な文例の中で文法を覚えていく必要があるので、 一つ一つの文法項目を短い読み物を通して解説していく『エクスプレス』のような 学習書の方が 独習には適していると私は思います。
尤も『エクスプレス』では文法項目を1課ずつに分割しているため、 まず文法16ヶ条を一通り覚えてしまいたいという場合は (というか、『エクスプレス』をやる際にも文法16ヶ条は覚えておいて からやった方が更に効果的だとは思う)、『4時間で覚える』も 併せて買っておくのもいいかも知れません。
余談 :
ところで『4時間で覚える地球語エスペラント』には 少々 誇張した表現が数ヶ所に見られます。 「100年前に一人しかいなかったエスペランチストが今は100万人に増えた のだから100年後には1億人になる」とか。
エスペランチストの数の増え方は 係数×年数みたいな一次関数で モデル化できるような単純な現象ではありませんから、 初期値と現在との二点で線形回帰するのは論理的ではありません (こういう、宗教の布教とかでよく使われそうな演出は エスペラントの宣伝には逆効果だと私は思うのだが……)。
「エスペラントを習得すればイタリア語やスペイン語がだいたい分かる ようになる」
これも嘘です。私はスペイン語を話すキューバ人とエスペラントで喋って みたことがありますが、まるで通じませんでした。 まあ、文章で見たときに意味を推測できる単語があるのは確かですが、 それと文章を理解できるのとは全く別のことです (例えば日本人は漢字の意味は分かっているからといって、 中国語の文章の意味は分からないように)。
「生まれながらのエスペランチスト」 についての私の考えは こちら。
これも他の言語の習得にも言えることですが、 できれば学習開始の時点から辞書も購入した方がいいと思います。 辞書を引かなくてもいいように単語の意味をいちいち 頁ごとに説明しているような学習書 (中村陽宇著『辞書がなくても学べるエスペラント語入門』(大本 エスペラント普及会)全33課、藤巻謙一著『はじめてのエスペラント』(日本エスペラント学会)全30課) もありますが、説明が丁寧な分、分量が多くなって速習には向かないし、 調べたい単語をすぐに検索できる訳ではないので辞書の代わりにはなりません (『辞書がなくても〜』はザメンホフの例文集という意味では付加価値があるし、 『はじめてのエスペラント』は文法書としても使えるという利点はある。尤も、 文法書がほしいのなら、藤巻謙一著 『はじめてのエスペラント文法』(日本エスペラント学会)の方が詳細に厳密に解説している)。
それでは、どんな辞書がいいのかということになりますが、 まずは『エスペラント小辞典』(大学書林、3900円ぐらい)を 買うのがいいと思います。理由は色々とありますが、
用例がない辞書は、辞書としての利用価値が著しく下がると思います。 『エスペラント小辞典』もまだまだ用例が十分だとは言えませんが、 現時点で入手できるエス和辞典では、最も用例が充実しています。 近い将来に『エスペラント日本語辞典』が刊行される予定らしいが、 それが出るまでは『エスペラント小辞典』で我慢するしかないでしょう(*)。
* しかし、『エスペラント日本語辞典』は、どうやら「語幹見出し」の辞典に なるらしいので、3)に後述する理由で がっかりです。
忘れた単語を思い出したりする際に、和エス辞典も学習開始の段階から あった方がいいと思います。和エス辞典としては、 『日本語エスペラント辞典』(日本エスペラント学会)が最も語彙数の 多い和エス辞典だが、4800円と高いので、最初は『エスペラント小辞典』 についている和エスだけでも十分だと思います(*)。 『エスペラント小辞典』は小型なので、大会などで持ち歩きできるし、 そういう場面で付属の和エス辞典は十分に役に立ちます。
* 『日本語エスペラント辞典』は訳語として、第一にラテン系の高級語 を優先的に乗せているため、初心者がこの辞典を使うと不必要に難しい (実際には通じないような)単語を使ってしまう弊害がある。 もっと、基本語からの造語による訳語を優先させた実用的な和エス辞典が 編纂されることを密かに願う(「使いたくないエスペラント単語集」)。
エスペラントの単語には多くの派生語が含まれますが、 見出し語に語幹だけしか載せていないエスペラント辞典というのが 結構あります。 「造語を作れることこそがエスペラントの真価であり、 エスペラントの造語構造を理解するには初心者のうちから 語幹だけの辞典を使うのがよい」と主張する人がいますが、 私は反対です。まず「造語を作れることこそがエスペラントの真価」 と言い切れるほどにはエスペラントは基本語幹からの造語を徹底していないし (「エスペラントの高級語」) 、仮に徹底していたとしても、語幹だけから調べたい単語を検索するのは、 効率が悪いし合理的でないと思います。例えばある単語が三つの語幹から 造語されているとして、その三つのうちのどの語幹を調べたら、目当ての 単語が見つかるかが分からないし、字面からは造語とも解釈できるけれども 実は一つの語幹というやつもあります(mono-te-ismo, homo-gena など)。 それに、現に基本語からの造語をエスペラントよりも徹底している漢字熟語を 調べるのに、漢和辞典で調べるよりも国語辞典で調べる方が 圧倒的に検索しやすいと私は思います。
さて、他に入手可能なエス和辞典としては『新選エス和辞典』(日本エスペラント学会)がありますが、これは文例がなく、和エス辞典がなく、語幹見出しなので、 前記の1)〜3)の全てを満たしません(だから私は薦めません)。 尤も『新選エス和辞典』は詩語や専門語も収録しているので、語彙数に関しては あるいは『エスペラント小辞典』よりも多いかも知れません。 しかし、私は詩語や専門語を辞書に載せることで既成事実化してしまうのには 大いに疑問があります (「エスペラントの高級語」)。 あと、『エスペラント常用6000語』(大学書林)は、用例はありませんが、 和エスはついており、和エスの語彙数はエス和の語彙数と同じなので、 和エスについては、あるいは『エスペラント小辞典』よりも語彙数が多いかも 知れません。見出し語は造語も含んでいるので単語の検索も容易です。 詩語や専門語を含んでいないことは、むしろ評価できる点かも知れません。 小型なので大会などに携行するのにはいいでしょう。
尚、電子化されたエス和辞典は HIROTAKA Masaaki さんの 「エスペラントの部屋」で何種類か入手することができます。 尚、前記した理由から私は「派生語や合成語を含む」辞典を 勧めます。
さて、自分に合った学習書と辞書とを買ってきたとしましょう (私が独習に使ったのは『エクスプレス』と『エスペラント小辞典』)。 後は、一日一課とか二課とか、一週間に五課とか日課を決めて 学習することだと思います。 前に学習したことを忘れないうちに、 持続して次の課をやるほど効率はいいと思います。 最寄りに地方エスペラント会の講習とかがあったら、 それにも顔を出して刺激を受けたり、独習で分からないところを 質問したりしてもいいでしょう。 但し、独習では二週間から一月もあれば十分に終わる内容を、 講習会では一年近くをかけてやっていると思います。 私は『エクスプレス』を二、三週間でやり終えた直後に 仙台エスペラント会の講習に参加しましたので、 私にとっては殆どが「復習」でしたが、その分、学習初期の段階で 基礎はしっかり身につけることができたと思います。
こうした学習初期段階においては「読む」「書く」の訓練が主となりますが、 発音や聞き取りの訓練も初期段階からしておいた方がいいと思います。 学習書に付属のカセットやCDがついているものは、是非それも併せて 買って聞いた方がいいでしょう(流し聞きでよい)。 『エクスプレス』『4時間で覚える地球語エスペラント』 には別売りのカセット(2500円ぐらい)があるし、 『辞書がなくても学べるエスペラント語入門』にはCDがついています。 但し、これらのカセットのエスペラントは欧米人によって吹き込まれているため、 たぶん 腹式発声(英語のように腹から出す発声) で発音されていますが、エスペラントの母音「アイウエオ」は 別に腹式発声でなくても区別できるので、日本人は別に腹式発声で エスペラントを発音する必要は全くないと思います(私も最初、 このカセットを聞いて、エスペラントは腹式発声でなけらばいけないのかと 思い込んでしまった)。 また、英語などの強弱式アクセントの 母語を持つエスペランチストはアクセントを強弱でつける傾向が ありますが、エスペラントのアクセントは長短で構わないし、その方が アクセントのない部分が曖昧になったりしないのでむしろ良いと思います。 日本人や韓国人や(まあ、中国人の一部もかな) は幾つかの子音が不正確な人も多いですが、 単語の切れ目は明確だし、アクセントのない部分も明瞭に発音するので、 日本人にはとても聞き取りやすいと思います。 欧米人は割と子音は正確ですが(但しフランス人は h を発音しなかったりするし、 フランス人の r は逆に h と紛らわしいし、英語の r は l と紛らわしい)、 単語どうしをねっぱして(リエゾンして) 発音する傾向があるので、単語の切れ目が分かりにくいし、 特に英語訛りの場合、アクセントのない部分が不明瞭になったりします。 何れにせよ、アジア人のエスペラントだろうと欧米人のエスペラント だろうと、民族語の訛りの影響がないということはありません (特定の訛りを標準視すべきではない)。 自分の母語民族語の訛りを自覚した上で、相手に分かりやすく発音することが重要 なのだと思います。 そういう意味では、発音のうまい日本人のエスペラントの方が日本人の 発音の手本になると私は思うのですが、どうして日本の学習書の付属カセットは、 なにかというと欧米人の吹き込みばかりなのか不思議です。
学習書が終わったら、つまり「基本文法と基本語彙」の習得が 終わったら、早速「読む」「書く」「聞く」「話す」の訓練に入りましょう。 前述したように、「読む」「書く」「聞く」「話す」の訓練を「まんべんなく」 持続的にやることが重要だと思いますが、 それぞれの訓練に割く時間は一日三分とか五分でも構わない (長いに越したことはないが、その程度でも十分に上達はする) と私は(個人的経験から)思います。
「読む」の訓練は「読む」ものと辞書さえあれば、一人でできるでしょう。 エスペラント界においては昔から文学が盛んで、 膨大な数の翻訳文学や原作文学が存在します (日本エスペラント学会の 図書カタログ、これらの本は、 日本エスペラント学会に注文すれば郵送してくれます)。 但し、一般に「文学」作品というものは ラテン系の高級語や詩語 がふんだんに散りばめられていることが多いので、 エスペラント文のいい見本だとは私は思わないし、 一頁を読むために十回以上も辞書を引かなければならないような本が 学習や鑑賞に適しているとも思いません。 その意味では語幹数を制限した( 「400語から700語で読める」 とか 「2000語までで読める」 とか)やさしい読み物から読み始めた方が、 教育的?だと思います (Claude Piron の作品とかは、語幹数 2000語程度の読み物であっても、 十分に文学としての鑑賞に堪えると私は思う。 語幹数が 2000 とは言っても、その合成語によって語彙数は何倍にも 増やせるのだし、それがエスペラントのあるべき姿だと私は思う)。
と書いていたら、 Claude Piron の Dankon, Amiko! はとても「十分に文学としての鑑賞に堪える」代物ではない というような意見が書かれているのを見つけました。 確かに、そうかも知れません。 論文だろうと文学だろうと 造語を駆使すれば 「2000語程度で十分に書ける」 という例証としては相応しくない例を挙げてしまったかも 知れません。 私は今のところエス文学にはあまり興味がなく、あまり読んでいないので、 ラテン系の難解語 を避けて分かりやすく書いているいい例がありましたら、ご紹介ください。
日本語の対訳があった方がいいという場合は、 やさしい読み物としては『エロシェンコ短編集』(大学書林)や 『やさしいエスペラントの読み物』(大学書林)などがありますし( ここ参照)、 難しいのでは大島義夫著『新エスペラント講座(第3巻)』(要文社)などが あります(私は『エクスプレス』を終わったあと、いきなりこれを 読み始めた。最初のうちは一日に五、六行しか読めなかったが)。 但し、いきなり難しいものから読み始めることには弊害があり、 辞書を引かなければ分からないような高級語の頻出に嫌気がさして 「エスペラントが簡単だというのは嘘だ」と思い込んでしまうかも知れません (お陰で私は エスペラントの高級語に対して強い 疑問を抱くようになった)。
実は「エスペラントが簡単だというのは嘘だ」 というのは、ラテン系の高級語の頻出する専門書や文学作品に関しては、 まんざら間違いでもない と私も思います(それでも英語よりは数倍は簡単だが)。 私は、1998年8月の時点で二千数百語の語幹 (「中国旅行記」) しか覚えていないし、今でも3000語未満の語幹しか覚えていないと思いますが、 それで、ほぼ不自由なく会話や議論をしたり、電便のやりとりができます。 エスペラントでほぼ不自由なく会話のできるようになった私にですら、 エスペラントの文学作品の多くは未だに辞書なしでスラスラと読むことは できません。 尤も、難しい主題を扱っていながら、辞書なしでも割と楽に読める本というのも 現に存在します。例えば、エスペラントの創始者ザメンホフの文章は、 長文が多い割には論旨が明快で、それほど高級語も出てこないので、 なかなか読みやすいし、確かにエス文の一つの手本だと思います (ザメンホフの文章のいくつかは、 HIROTAKA Masaaki さんの 「エスペラントの部屋」 から圧縮ファイルが手に入る。 尚、私はザメンホフの思想に手放しで賛同する訳ではない。 「エスペラントに疑問」)。
また、中国報道雑誌社から世界に向けて出版している El POPOLA ĈINIO という雑誌( ここで過去の雑誌の記事が読める)のエス文も、どちらかというと ラテン系の高級語を使うよりは、割と基本語からの造語も活用する傾向があるので (やはり漢字文化圏だからか)、 他の主要なエスペラント雑誌( 例えば世界エスペラント協会の機関誌 「revuo Esperanto」) とかと比べて読みやすいのではないかと思います。
つまり、ラテン系の高級語を避けて、できるだけ基本語からの造語を活用して 書かれている「読みやすい」エス文も現に存在していると思うし、 そういう「読みやすい」エス文をこそエス作の手本にすべきだと私は思います。 もしかすると、私の読んでいない膨大な文学作品の中にも、あるいは「読みやすい」 エス文が潜んでいるのかも知れません。 そのような、ラテン系の高級語を避けた「読みやすい」エス文で難しい主題を 分かりやすく書きこなしているようなエス文の手本を知っている人は私に教えて下さい (電便:)。 私も「読みやすい」エス文を見つけたら、ここに紹介していきます。
電網上でもエスペラントの読み物を読めるところは色々とありますが、 幾つか紹介しておきます。
Ĝangalo
いわゆるポータルサイト的なサイト。
世界のニュースや、
科学、音楽、ゴシップねたなど、話題は多岐に渡る。
Edmund GRIMLEY EVANS さんの「ESPERANTO」
Literaturo のところで、サキの短編集やポーの「アッシャー家の崩壊」の
エス訳が読める。この他にも Movado のところで、エスペラント運動史上で
なされた幾つかの宣言(ティレソ宣言、ラウモ宣言、プラハ宣言等々)が読める。
Oftaj Demandoj のところには
私も支持する
Riisma Esperanto
も紹介されている。
色々と興味深い記事が多い。文章以外の余計な装飾がなく頁も軽くて有用である。
Administras Don HARLOW さんの
Literaturo, en la reto, en Esperanto
エスペラント文学が読める世界各地の膨大な数の頁を一覧にしてまとめています。
HIROTAKA Masaaki さんの
「エスペラントの部屋」
エスペラント—日本語 電子辞典各種を初め、
ザメンホフ訳の「アンデルセン童話集」やザメンホフ演説集、
などが、lzh 圧縮ファイルで手に入ります。
EL POPOLA ĈINIO(中国報道雑誌)
中国報道雑誌社から発行されているエスペラント月刊誌
「EL POPOLA ĈINIO」の
過去の記事?がここで読める。時事問題やエスペラント界の動向を扱った
この種のエスペラント雑誌では、どうしても
専門用語が頻出したり文体が硬い書き言葉口調になったりして読みにくい
ものだが(例えば世界エスペラント協会の機関誌
revuo Esperanto
とか)、
「EL POPOLA ĈINIO」は語彙的にも文体的にも割と読みやすいのではないかと思う。
Kajeroj el la Sudo
スペイン エスペランチスト労働者協会の会報の電網版。
因みに私のところへも電便で原稿依頼?が来て、送ったものが
ここに掲載されているらしい。
電網上のニュースの過去の記事を検索できる
Deja News
ここで、例えばエスペラントの単語を鍵語として検索すれば、
soc.culture.esperanto 等のニュースグループにエスペラントで書かれた
記事が検索され、読める。
例えば鍵語を
GOTOU + Humihiko で検索すると、私が過去に書いた記事や
それに対する意見や反論が引っ掛かる。
また、次項の 「書く」の項に紹介する 各種掲示板におけるエスペラントは、ほとんど 話し言葉に近い表現で書かれているので、話題にもよるが比較的 読みやすいと思います。
但し、電網上のニュースや個人の頁や掲示板におけるエスペラントは、 出版されているものと違って、 文法や単語の間違いを多く含んでいます。 それはそれで反面教師としてエスペラントの勉強になるかも知れないし、 ヨーロッパ人にも間違いだらけの下手くそなエス文を書く人がいること を知って自信がつくかも知れません (日本の大会に招待されて参加するような欧米人は割と上級者ばかりですが、 欧米人にも初心者や中級者はいる訳です)。
ところで、エスペラントには多かれ少なかれ、それを書いた人の母語の癖が 反映されるし(「その意味で」を「en tiu senco」というか「tiusence」 というかとか)、 昔は使われていたけれども最近は使われなくなった表現(二人称の ci とか 対格を伴う名詞とか) とか、 逆に最近になって多用されるようになった表現 (電便:retpoŝto とか電網頁:TTT-paĝo とか) というのもあります。 学習書の段階では、誰の書いたエスペラントを読んでも殆ど違いは ないでしょうが、徐々に難しいものへと読み進んでいく際には、 出来るだけ様々な人の書いたエスペラントを読み、また、 電網上のニュースなどで使われている最近のエスペラントにも触れておく のもいいと思います。
最近のエスペラント界の動向を知るという意味ではエスペラントの雑誌 を購読するのもいいでしょう。 世界エスペラント協会の機関誌 revuo Esperanto は、内容が運動を扱っている せいもあって結構 難しく読んでもあまり面白くありません。 それよりは KONTAKTO という雑誌の方が、やさしいエスペラントで 内容も面白いと思います(私も何度か投稿した)。 尚、こうした雑誌の購読は、日本エスペラント学会でも取り次いでくれると 思います、確か(会員だけだったか?)。 この他にも MONATO とか EL POPOLA ĈINIO(中国報道雑誌) といった雑誌や、 EVENTOJ とかいう電便で配信される雑誌(もうない?)とか、 Kajeroj el la Sudo という電網上で見れる雑誌 ( 私の記事もここに掲載された)とか、 その他色々ありますが、 各自で調べて下さい。
まあ、何れにせよエスペラントの場合、「読む」材料に事欠くことはないでしょう。
「基本文法と基本語彙」を習得したばかりの段階では、 自分の書きたいことが何でも書けるという訳にもいかないし、 仮に書いてみたとしても、 自分の書いた文章がエスペラントとして許容されるものなのか どうか判断しかねることと思います。 その意味ではまず最初は電網頁や日本エスペラント学会誌の 作文教室の添削を受けてみるのもいいでしょう (自分が添削を受けなくても、他人の添削例を見ただけでも 自分の作文がいいかまずいかの判断はある程度できますが)。 電便を使って手軽に応募できる 大信田丈志さんの 「基礎から分かる作文教室」はお勧めです (現在は担当者は変わっている)。 一方、日本エスペラント学会誌(日本語の記事が多く、 初心者向けの作文添削などもある) を購読するには 購読費年間5000円がかかります。6400円払って会員になれば 自動的に学会誌が送られてきます( 日本エスペラント学会の 頁)。
学会誌では、阪直さんが毎号、丁寧に作文の添削、解説をしています (オンライン講座 : 週刊「やさしい作文」では、毎週、阪さんに電便で作文の添削をしてもらえる ようです!)。 学会誌の作文教室の問題文は、比較的やさしい文が四つぐらいのエス訳が毎号、 やや難しい長文のエス訳が半年に一回ぐらいあります。 ただ、私の印象では阪さんの添削はかなり厳格で、 「正解」の許容範囲はかなり狭いです (例えば、忘れたけど、自分の着ているものを脱ぐときは、 demeti で良いけれども他人の着ているものを脱がせるときは、 depreni でなければならないだか、あるいは逆だったか?)。 私はエスペラントというのは、 橋渡し語である以上は ある程度の幅 を 許容すべきだ と考えているので、個人的には、 「正解」の許容範囲が広く(その根拠が論理的に納得できる) 大信田さんの作文教室の方が好きです(まあ、人それぞれの好みの問題でしょうが)。
こうした作文教室は月に短文が四題くらいですが、これだけをやっていても 「書く」の訓練としては足りないと思います。 できれば毎日、一文でも二文でもエス文を書くようにした方がいいと思います。 エス作の問題集を買ってきて、それをやるという手もありますが、 他人から与えられた文をエス作するよりは、 日記とか手紙とか随想とか更には文学作品とか、 自分が考えたことをエス作した方が、単語や表現は頭に入りやすいと 私は感じます。というのは、人それぞれにとっての頻出語彙や頻出表現という のは違うので、自分がよく使う頻出語彙や頻出表現は自然に身に付くからです。 例えば私は花の名前とか果物の名前とかにはまるで興味がないし、 覚えてもめったに使うことがないのですぐに忘れてしまいますが、 私がエス版の頁に書いているような「ラテン系の高級語よりも基本語からの 造語が云々」とか 「性区別が性差別を再生産する云々」とか言ったことを表現するのに必要な 語彙や表現は何回も作文しているうちに自然に身についてしまうものです。 まあ、私はもともと書くのが好きな人間なので、 自分が既に日本語で書いていた文章をエスペラントに訳したりして いましたが(例えば私の頁のエス版とか)、 普通のエスペランチスト?の間では海外文通とかをやるのが 盛んなようです。
日本エスペラント学会の 「文通紹介」 の頁で文通相手を紹介してもらえる。文通希望者一覧表に世界各地の文通希望者 (数十人)の国、年齢、性別、趣味、自己紹介などが書かれているので、 それを見て文通してみたい相手を紹介してもらうらしい。 若い人もそれなりにいるようだ。
しかし、電便が使える人は、わざわざ郵送で文通なんかしなくても、 電便のやりとりをした方が遙かに簡単で気軽だと思います (尤も「若い異性と文通したい」などの特定の目的?を満たすには 文通の方が適している場合もあるかも知れませんが)。 電便を持っているエスペランチストは 世界各地に数千人(既に万を越えているかも) おり、日に日に増え続けています。 海外のエスペランチストの頁を覗きながら、面白そうな人に いきなり電便を出してみるという手もあるでしょう。 私の場合、自分の頁で「エスペラントの性区別」とか 「エスペラントのラテン系の高級語」についての批判をしているので、 時々、海外のエスペランチストから電便で感想や意見が届きます。 そのようにして意見を交換したり議論したりすることは、 とてもよい作文の訓練になります。 私はもともと、そのように議論したりするのが嫌いではない人間ですが、 もっと気楽に当たり障りのない話題について「雑談」の感覚で 書きたいという人もいるでしょう。
そういう人には、電網上で利用できる掲示板なんかは書き込む際の 心理的敷居は低くて済むのではないかと思います。
Libera Skribo
LEE さん(韓国)が代表を努めるソウル エスペラント文化センター
の掲示板。
ハングルによる書き込みも多いが、韓国、日本などからの
エスペラントの書き込みもある。
あと、ハングル文字を読めないパソコンでは、ハングル文字の説明文
が漢字に化けるが、主要な説明文はエスペラントも併記してある。
GASTLIBRO DE ALEKSANDRA
ALEKSANDRA さん(生まれはポーランド、今は日本)の掲示板(記帳簿)。
「記帳簿」なので、一つ一つの書き込みの分量は二、三行である。
それなりに書き込みはあるようだ。
エスペラントの他に、ポーランド語、日本語、ロシア語、英語などによる
書き込みもある。説明文はエスペラント。
Komunikejo por esperantistoj
birdoさんの掲示板。
esperanto.nu
ニウエという国(太平洋南部トンガの西500kmに位置する島。ニュージーランド
自治領?)の電算機に電網住所があるらしい。
ここでは、様々な話題について、掲示や宣伝や議論が行われている。
「Lingva konsultejo」
ではエスペラントの用法についての様々な質問や議論がなされていて割と面白かったが、
アクセスできなくなった。
gajagaja
日本青年エスペラント連絡会
が開設した掲示板。
エスペラントよろず相談室
北海道エスペラント連盟
の掲示板。日本語の掲示板だが、ときどき エスペラントによる
書き込みもある。
Babilejo
一応、私の掲示板も挙げておく。エス作の練習に使って構わない。
ごくたまにエスペランチスト
(やイディスト?)
が訪れる。
以上は、掲示板ですが、複数の人が(日時を決めておいて) 同時にエスペラントで雑談できる場所(いわゆるチャット)というのも、 いくつかありますが、閉鎖したり移動したりの変動が多いので、 Ĝangaloのリンク 辺りから辿るのがいいかも。
Bonvenon al la Babilejo de Ĝangalo
Ĝangalo
の掲示板。
数秒ごとに読み込み直すチャット。
掲示板による雑談ではなくて、ある話題について論じたり議論したり したい人は、 電網上のニュース(soc.culture.esperanto、 ここで過去の記事を検索、閲覧できる) というのも一頃は盛んでしたが、最近はどうなんでしょう。 他にも電網上には esperanto と付くニュースグループがたくさんありますが、 実質上 機能しているのは soc.culture.esperanto だけです。 日本語の電網ニュースやパソコン通信と同じで、 soc.culture.esperanto にも揚げ足を取ったり、皮肉を書いたりと、 「為にする」議論をしかけてくるような人もいますが、 真摯に論理的な議論を展開する人もいます (当たり前のことだが、論理的な議論ができるかどうかは、 使用言語には依らないということか)。 中には riismo を嘲笑してくる人も多いですが、 現に riismo のエスペラントを書いている人も少なからずいます。 大体において、電網上では外国人の発言者の性別なんか分からないし、 議論においては相手の性別を知る必要がないことの方が普通だから、 発言者に言及するときは「ri」は実に便利な訳です。
あと、 どの配信元から電網ニュースを購読するかによって soc.culture.esperanto へ投稿された記事が全ては読めない場合があります。 そうすると、自分の投稿した記事や、それに対する意見や反論の記事が 読めなかったりします。そこで、私は、この 電網ニュースの検索頁 で自分の名前とかを鍵語にして検索して、 自分の投稿に対する意見や反論を見つけ、それを文書ファイルとして手許の 電算機に落としてから返答を書いて投稿したりしています (因みに、私が最近 soc.culture.esperanto に書いた文章や それに対する意見や反論を GOTOU + Humihiko の鍵語で で検索してみました)。
それから、日本大会や日韓中青年エスペラント合宿などに参加して知り合った人 (外国人でも日本人でも)と電便住所を交換して(大会に参加する時は 名刺などに電便住所を書いて持っていくとよい)、 時々、エスペラントで電便を交わし合うというのもいいものです。 日本青年エスペラント連絡会のメーリングリスト は、 「エスペラントに興味のある方は誰でも参加することが出来ます」 のようです。 (日本青年エスペラント連絡会の頁) 。
あと、日本の多くのエスペランチストが参加している 日本エスペラント・ネット愛好者メーリングリストというのがありますが、 これはエスペラントと関係のないどうでもいい話題 (ウイルス情報だのパソコントラブルだの チェーンメールだの)が、 ほとんど日本語でやりとりされていて、それで流量が増えています。
世界の割と著名なエスペランチストたちが参加して議論している メーリングリストとしては、 Bja-listo とかがあります。
という訳で、電網が発達した今日において、 既にこの頁を覗けるような環境にある人にとっては、 「書く」場も容易に作ることができると思います。
聞き取りは、 単語や文法を頭の中で理解しただけでは不十分で、 やはり「慣れ」ることが必要です。 日本エスペラント学会から様々なカセットテープ (物語の朗読、講演、音の雑誌、等々) を買えるので、それを買って聞くことを薦めます。 但しカセットテープは60分テープ1巻で千円〜三千円くらいして決して安くは ありません。 だから、当たり外れのないようにお勧めのテープを紹介していきます。 そんな高いテープを何巻も買ってられないという人はエスペラント短波放送を 聞くという手もあります。 ポーランドやエストニアなど多くの国からエスペラントの短波放送が発信されており、 電網上でも同じ内容の音声ファイルを Real Audio という音声再生ソフトで 聞けるところがあるので、 いくつか紹介します。
豊中エスペラント会で、電網上で聴けるエスペラント語放送を網羅的に紹介しているので、 まずは、ここを参照して下さい。
Esperanta Retradio
数十分ずつのポーランド放送のエスペラント番組が Real Audio ファイルで
多数 置いてあります。
録音状態も割といいです。
インタビュー形式で質問しながら割と
「話し言葉」口調で話されているので、
聞き取りやすいです。名前を聞いたことのある「著名な」
エスペランチストが喋っているのが聴けます。
番組の開始時や番組の切り替わり時や終了時に音楽が流れることもありますが、
音楽番組ではないので、基本的に音楽が入らないところもいいです。
私は、ここの番組を MD とカセットテープに落として聞いています。
非常にお勧めです。但し、中にはいかがわしい健康食品や
代替医療を紹介する番組とかもあったりするので
「エスペランチストが言うのだから信頼できる」などと真に受けたりしないように注意して下さい。
AudioOnDemand
様々な言語による各国のラジオ放送が聞けます。
ポーランド放送の
エスペラント番組は
毎日 更新され、Real Audio ファイルで約30分聴けます。
番組としての完成度は高く(というか玄人っぽい体裁で)、
如何にもラジオ放送っぽいですが、なかなか早口で
「書き言葉」口調なので、
「流し聞き」では、なかなか頭に入ってきにくいです。
特に前半の時事ニュースのとことかは、
ちょうど、NHKのニュースの「書き言葉」口調の日本語が分かりにくいというのと同じように、よっぽど集中して聴かないと私には、ちょっと分かりずらいです(勿論、ポーランド方面の時事についての予備知識を私は持ち合わせていないということもありますが)。
TALLINNA RAADIO
エストニアのラジオ番組。
エスペラント番組
の Real Audio ファイル(15分程度)
Esperanto-Radio Interreta
韓国の MA Young-tae さんが電網上で発信する「ラジオ?」番組。
まだできたばかりで準備中の頁もあるが、
「韓国のニュース」「世界のニュース」「(朝鮮語の分かる人のための)
エスペラント講習」などなど、内容は盛りだくさんである。
尚、北京放送 (7170KHz、日本時間20:00 )は日本でも良好な感度で聞くことができます。 最近の安い短波ラジオは限られた特定の周波数帯しか受信できないものが ありますが、北京放送を聞くには任意の周波数が設定できることを 確かめて買って下さい(北京放送の周波数は時々、変更になります)。 宮城県仙台市では良好に北京放送を受信できていますが、日本の他の地方は どうか知りません。 北京放送は25分〜30分の番組で、まず中国関係のニュースの後、 中国の文化とか、エスペラント関係の行事の報告とか、 エスペラント文学の朗読とかといった感じです。 エスペラントはやや中国訛りなところもありますが、 単語の区切れははっきりしているし、 明瞭に発音されていてると思います。 但し、内容はそれほどやさしくはないし、喋る速さもゆっくりではないので、 聞き取りに慣れないうちから北京放送を聞き取るのは結構 つらいでしょう。
そういう意味でも、できれば段階に応じてカセットテープを買って聞くのが いいと思います。以下に聞き取りのやさしい順番にいくつか紹介します。 (尚、値段は1998年現在)
C^u vi parolas Esperante ?, A. Pettyn, JEI
カセット2巻2500円。テキスト(500円)付き。
ワルシャワ放送のアナウンサー数人の吹き込み。
腹式発声であるが極めて明瞭な発音で聞き取りやすい。
喋る速さは、最初の方はゆっくりと後の方へいくに従って徐々に
速くなってくる。テキストも最初の方はやさしい内容で、
後の方にいくに従って段々と難しくなってくる。
話の内容はエスペラントにしか興味のない夫を持つ妻が、
エスペラントの講習で出会った男に惹かれそうになる
といったようなやつで、なかなか面白い。
非常にお勧めである。CD版も出たようだ。
Mallongaj ondoj, W. H. Rosowsky. 西ドイツ,1200円
Gaja movado, W. H. Rosowsky. 西ドイツ, 1200円
Miksita programo, W. H. Rosowsky. 西ドイツ, 1200円
各60分テープ。なぞなぞとか冗談劇とかのお笑い短波放送。
時々音楽も入る。話者は複数。
テキストはないが非常にゆっくり喋っているので、
それなりに聞き取りやすいと思う。
Fonetika interpunkcio kaj aliaj skec^oj, Stefan MacGill, ハンガリー
テキストはない。前出の W. H. Rosowsky のものに比べるとやや喋る
速さは速く、内容もやや難しいかも知れない
(それでも普通のエスペラントに比べたら十分にゆっくりでやさしい内容である)。
内容は最後に落ちのある物語?数編の朗読やエスペラントの句読点(,.:;!?等)の
全てに発音を与えて、耳でも分かるようにしたらどうなるかという試みとか、
なかなか面白い。一人で淡々と朗読しているが、
擬態語とか息の音とかを効果的に駆使?している。エスペラントは明瞭で聞き取りやすい。挿入音楽、背景音楽は一切ない。
お勧めである。
Kumeu~au~a, la filo de la g^angalo, Tibor Selelj. ドイツ
60分カセット3巻。2800円。同名の本(1200円)の朗読。
日本語訳はセケリ著『ジャングルの少年』(福音館書店)(1200円)。
一人で朗読。発音はアクセントが激しい強弱式だが、まあ、それほど
聞き取りにくい訳でもない。話の内容は、ジャングルで立ち往生した舟の
乗客の子供が現地の子供に出会い、ジャングルの中で様々な経験をする
といったもの。エスペラントは非常にやさしい。挿入音楽、背景音楽はない。
La eta princo, A de Saint-Exup'ery. カナダ
70分テープ3巻。3700円。『星の王子様』のエス訳である。
本の方は1500円。品切れだったので私は買っていないが、
知人に聞いたところによると、かなりフランス訛りのエスペラントらしい。
Najtingalo
1巻から4巻までが各1000円、5巻から10巻までが各1250円。
テキストは各250円。
イランに生まれ今は日本に住んでいる Reza さんが編集するカセット雑誌。
内容は、Reza さんが取材した世界各地のエスペランチストへの
インタビューや、アイヌやアボリジニなど先住民族の文化や歴史、言語についてや、
エスペラント語で歌っているロック音楽を初めとする様々な歌や、多岐に渡る
(中には、「人間には霊魂という無限の精神エネルギーがあり、それは
不滅である」みたいなあっちの方の話をする人も出てくるが、
その辺は冒頭の注意書き参照)。
ヨーロッパに限らず、
アジアやアフリカなど様々な地域の人のエスペラントを聞ける。
また、それほど会話のうまくない人のエスペラントも聞ける。
実際にエスペランチストが会話している様子を聞ける。
エスペラントには様々な訛りが存在し、
多少 訛ったエスペラントでも十分に聞き取れることが分かる。
話されているエスペラントは、それほど難しくはない(まあ普通)。
Reza さんのエスペラントは実に明瞭で単語の区切れもはっきりしていて、
日本人にはいい手本になると思います。
非常にお勧めです。歌や音楽が三分の一から半分近くを占める。
Esperanta songazeto, スイス
各60分。2,4,5巻各1800円、1,3,8,11巻各2000円、9,10巻各2200円、6,7巻各2300円。
ラジオ放送風のカセット雑誌。テキストなし。
内容は、(寸)劇やエスペランチストへのインタビューや
エスペラントの歌などの音楽。
解説の人(アナウンサー?)や劇の役者のエスペラントは明瞭な発音であるが、
インタビューなどで話されるエスペラントは結構
ヨーロッパ訛りで聞き取りにくいものもある。一部の寸劇などを除き、
エスペラントは全体的にやや難しい(つまり普通の水準)かも知れません。
(寸)劇はなかなか面白い
(エスペラント検定試験を受ける羽目になった人が、
Mi estis naskata. と言ってしまったら、お前は
at-isto かと言われる話とか、奇天烈で難解なエスペラントもどきを
喋る人の話とか)。
お勧めです。歌や音楽が三分の一から半分を占め、特に確か6巻と7巻だかは
歌ばっかりの特集なので注意。
Kial ne la angla ? ; Lingvaj malavantag^oj de la angla lingvo,
J. C. Wells. フランス:SAT
90分テープ。1000円?。品切れかも。
世界エスペラント協会の会長をしていたこともある音声学者
J. C. Wells
さんの講演の録音。録音は良好。
なぜ国際語に英語が向かないのかを、
特に英語の発音や聞き取りの区別の難しさを実演?しながら説明する。
Wells さんのエスペラントはやや速いかも知れないが、
発音は明瞭で聞き取りやすい。
エスペラントはやさしくはないがそう難しくもない(普通)。
非常にお勧め。当然 背景音楽などはない。
あと、フランスのSATから出ているテープで、 黒のカセットに橙色のラベルが貼ってあるやつは、長時間 聞いていると どうも再生ヘッドを汚してしまうのではないかと私は感じているのですが、 テープによっては、再生ヘッドを汚してしまうものもあるようなので、 音が小さくなったりくぐもってきたら、再生ヘッドを掃除しましょう。
さて、聞き取りにある程度 慣れるまでは、 テキスト付きのやさしい読み物で内容を確認しながら 聞き取るのもいいかも知れません。 このテキストで「読む」の訓練を兼ねるというのもいいでしょう。 ただ、まだ十分に聞き取れないエスペラントを集中して聞くのは なかなか神経が疲れるし、「聞き取り」に慣れるには少しでも 長い時間エスペラントを聞いていた方がいいので、 私は「流し聞き」をするのがいいと思っています。 「流し聞き」というのは、炊事洗濯をしたりとか、風呂に入ったりとか 通勤通学したりしながら、聞くということです。 テキストを読まずに聞くと最初の一回目は一割ぐらいしか分からなかったり (つまり全然わからなかったり)しますが、 同じテープを十回ぐらい聞いていると少しずつ分かってきます。 勿論、それは聞き取り能力だけの問題ではなくて、「読む」や「書く」 の訓練による語彙力の進歩も 聞き取りを助けるという相補的な関係にあります。
テキストを読んでから聞くことには弊害もあり、 人間は内容が完全に分かってしまったものというのは、 繰り返し聞くことに飽きてしまいます。 テキストを読まないで聞くと、聞き取り能力が低いうちは 同じテープを数十回聞いても飽きることはないし、 徐々に一割、二割、三割、と理解できる箇所が増えてくると、 内容を推理する楽しさが出てきて、聞き続けることに張り合いが出て きます。 私は、聞き取り練習のために最初に買った Ĉu vi parolas Esperante ? だけはテキストを読みながら聞きましたが、 その後は、Najtingalo のようなテキストのあるテープもテキストを読まずに 聞き流していました。
さて、Najtingalo や Esperanta Songazeto を「流し聞き」するには、 私にはちょっと問題がありました。 というのは、これらのカセット雑誌は半分近くが歌や音楽なので、 自分の好きな音楽のCDを掛けながら、同時にラジカセでカセット雑誌も 掛けると、カセット雑誌が音楽になったところで二つの音楽が 混在してしまうのです。 それでは、そもそも何故CDを掛けながらカセット雑誌を聞かなければ ならないのかと不思議に思う人もいるかも知れませんが、 私にとっては、西洋古典音楽を「流し聞き」することは、 エスペラント学習のために置き換えたりすることのできない 重要な日課なのです。 そこで、私は Najtingalo と Esperanta Songazeto を編集して、 歌や音楽の部分は切り取り、背景音楽もなくエスペラントで話されている部分だけの テープを作りました。 こうして私は今でも、自分の好きなバッハやベートーベンのCDを背景音楽に、 炊事洗濯や入浴や自家用車通勤をしながら同時にエスペラントをラジカセで 流し聞きしています (最近は、聞き取り能力もある程度ついてきたので、最初から背景音楽などの 一切入っていない講演のテープとかを聞いている)。
ところで、 既に内容が分かってしまった テープにせよ、まだ殆ど聞き取れないテープにせよ、 エスペラントの流し聞きを続けることには、 それなりに幾つかの効用があると思います。 例えば、学習初期段階で 「読める」エス文は一日平均せいぜい数行かも知れないし、 「書ける」エス文は一日平均せいぜい一、二文かも知れません。 一日平均数行の頻度でしかエスペラントに触れないのでは、 せっかく覚えた単語も深く記憶に刻まれる前に忘れていってしまいます。 その点、「流し聞き」は炊事洗濯などの作業中にテープをかけっぱなしに すれば、一日平均合計で一時間くらいエスペラントを聞くこと もそれほど難しくありません。そうすると、一日辺り数百行から数千行に相当する エス文を流し聞きしていることになります。 その数百行から数千行に相当するエス文の中には、 既に覚えている単語がたくさん数百語以上 登場する訳です。 仮に文章全体の意味は分からなくても、分かる単語を聞いた時には、 その単語の意味だけは思い出されて確認されている訳です。 すると、それだけでも、毎日数百語の単語を覚え直していることになり、 少量の「読む」「書く」だけしかしていないのに比べて、 一度覚えた単語を忘れにくくなると私は感じます。
尚、カセット雑誌やラジオ放送のエスペラントが難しくて聞き取り にくいと感じたとしても、大会などの実際の会話の中では、 割と早口の エスペラントでも意外に聞き取れたりするものなので、時間的/経済的余裕があるなら どんどん大会などに参加して実際に話されているエスペラントを 聞いた方がいいと思います。 これには幾つかの理由があると思いますが、 まず、カセット雑誌のエスペラントはインタビューなどを除けば、 書かれたエスペラントの朗読であるということです。 書いた文章というのは、文法的な誤りは殆ど含みませんが、繰り返しを避けるために関係代名詞や分詞を多用した長文になってしまう傾向がある一方、喋っている文章というのは、多少の文法違反は含むけれども、短い文章で、同じことを何度も繰り返す傾向があるので、耳で聞く分には書かれた文章の朗読よりは、実際の会話の方が分かりやすいということがあります。 それから、自分が当事者として会話の中に加わっていると、 何が話題になっているのかが明快で、相手の話していることを推測 できるということもあるし、 表情や手振りから相手の意図を推測できるということもあるし、 「食事をしている」とか「観光地を歩いている」といった 状況の中では いちいち言葉で状況を説明しなくても既に状況が分かっている ということもあるでしょう。 だから、カセットのエスペラントがなかなか聞き取れるようにならなくても、 それほど苦にせずに、どんどん大会などに参加して実際のエスペラントを 聞きましょう。前の大会で会ったときに凄く早口で何を言っているのか 殆ど聞き取れなかった人のエスペラントが、次の大会で会ったときは、 じゅうぶんにゆっくりと聞こえて聞き取れるようになっていたりすると 嬉しいものです。
様々な「訛り」に十分に慣れてくると、「聞き取り」能力は最終的には 語彙力に依存するようになってくるかと思います。 特に講演などでは難しい高級語や専門語が頻出したりします。 私は 基本語からの造語で十分に言い表せることにわざわざ ラテン系の高級語を用いることには 強い反感を抱いているので(エスペラントの高級語)、 ラテン系の高級語の頻出のせいで聞き取りにくく(理解しにくく) なっているような エスペラントまで聞き取れるようにならなくてもいいのではないかという気 がしています。 ラテン系の高級語が分からなくても、 日韓中青年エスペラント合宿 などでは十分に会話も議論もできます。
さて?、話が逸れましたが、「聞く」材料に関してもそれなりに エスペラントのテープとかラジオ放送とかがあるので、何とかなる訳です。
さて、以上の「読む」「書く」「聞く」に関しては、一人でその訓練ができるし、 そのための材料も十分にある訳です。しかし「話す」は語学の習得の上で 最も重要な訓練でありながら、「相手」がいないことには話せないと 多くの人は思っているから、「話す」の訓練を普段はしていない人が多いのだと 思います。だから読み書きはそこそこできるけども会話は苦手という人が 多いのだと推測します。
私が語学の学習において「話す」の訓練が極めて重要だと悟ったのは、 大学時代にESSという英語部に入部した時です。 私は大学入試を辛うじて通過する程度の英語力はあった(つもり)ですが、 ESS入部当初、英語は全く喋れませんでした。 正確に言うと、自分が「読み書き」できる程度の簡単な英語すらが、 まるで口から出てきませんでした。 つまり、当時は日本語で思考しながら「読み書き」をしていたし、 日本語に訳しながら「読み書き」をしていたこともあり、 言い表したい表象とか概念が咄嗟に適切な英語の単語や 更にはその単語を適切な文法規則で組み合わせた英語の文章に する「回路」というか「回線」のようなものが、頭の中にまるで 用意されていなかったのです。 思い浮かんだ表象を一旦 日本語の単語に訳してから対応する英語の単語を 思い出すのでは時間が掛かるし、 ある状況を表現する英語の文章を組み立てるのに、 文法構造を論理的に確認しながら組み立てていたのでは、これまた 時間が掛かってしまう訳です。 だから、思い浮かんだ表象が直ぐに英語の単語に結びつき、 それらを適切に組み合わせる作業がいちいち文法構造を論理的に確認しなくても 無意識的にできてしまうような「回線」「回路」を作る必要があったのです。
そういう「回線」「回路」を作るには、結局は「慣れ」しかないのだと 思います。私は毎昼休みに部員と三十分ぐらい英語で会話するという訓練を 続けました。そうしたら、二、三ヶ月くらいで、自分が「読み書き」できる 程度の簡単な英語は、それなりに口をついて出てくるようになったとは思います (文法的にはかなりくだけていたでしょうが)。 それに味を占めた私は、もっと少しでも英語を話す機会を作りたいと思うように なりました。そんな折り、自分で思いついたのか人から聞いたのか、 私はアパートの部屋の中で英語で「独り言」を言うという訓練をやり始めました。 もともと私は「独り言」を言う方なので、 それを英語で言う訳です。 それなりに英語部で英語を話す機会もあった当時は、 この「独り言」という訓練方法がどれほど効果を示していたのかは分かりません。 その後、私の「英語熱」も覚め「独り言」訓練法のことも忘れていました。
さて、それから何年もしてエスペラントを始めた私は、 かつて自分が英会話練習に用いたのと同じ方法をエスペラントにも適用すれば よいのだと考えました。 ところがエスペラントの場合、英語とかに比べてそう簡単に話し相手が 見つからない訳です。 数ヶ月に一回の頻度で国内各地の大会などに参加した時にしかエスペラントを 話さないのではあまりにも会話練習の頻度が少なすぎるし、 週に一度の地方会の例会に参加しても、日本語で話す雰囲気があったり、 共通の話題がなかったりして、十分にエスペラントの会話ができなかったりします。 仮に地方会の例会で週に一度はエスペラントによる会話ができたとしても、 かつてのESS時代の体験から考えると、それでも会話能力の向上のためには 会話練習の頻度が少なすぎるような気もします。
そこで私は当然の如く、部屋の中や通勤時の車の中で「独り言」をエスペラント で呟くようにしました。 まあ、言っていることは大したことではありません。 「今日の夕飯、何 作っぺなあ。卵 余ってだっけがや。 あの卵 使ってが? んでも疲れだがら作んのもやんだなあ」 とか、あるいはテレビを見ていて出演者の発言に腹が立った時に テレビに向かって反論したりとか。 独り言だから余り込み入ったことは言わないし、 たわいもない短文の断片みたいなもんです。 だから、その程度の「独り言」が果たして、会話能力の上達にどれくらい 有効なのか不安もありましたが、それでも、それなりにというか十分に 機能してきたような気が自分ではしています。 勿論、こういうことは五十人ぐらいの集団を二つ作って片方には「独り言」 会話練習をやってもらい、片方には特にやらないでもらって、 どの程度の有意差が出るのかを調べてみなければはっきりとしたことは言えません。 だから、これは私の全くの個人的な感想ですが、 「独り言」以外に特に会話らしい会話をしていないにも拘わらず、 大会に参加して実際にエスペラントを喋ってみると数ヶ月前よりもだいぶ 流暢になっているということを何回か経験すると、 「独り言」練習がそれなりに機能しているのだと実感してしまいます。 勿論、「読む」「書く」「聞く」の訓練によって語彙力や聞き取り能力が 向上したことも相補的に会話能力を向上させているのだと思います。 そういう意味では、ひょっとすると「独り言」は既に獲得した会話能力を少なくとも 現状維持するだけの効果はあるということなのかも知れません (仮にそうだとしても十分な効果だと私は思いますが)。
尚、エスペラントで「独り言」を呟くのに慣れてきて、 また大体のことは表現できる程度の語彙力が身に付いてくると、 そのうち、頭の中でエスペラントで物を考えたりすることもできるように なってきます。 そうなると、例えば街の中でだろうが、職場でだろうがエスペラント 「会話」?の練習ができることになってしまう訳です。 勿論、音声言語を母語にする人間が常に音声言語だけで思考している訳では ないし、思い浮かんだ表象を最も適切に正確に言語化しやすい言語は、 私にとっては母語の石巻語です。 だから私は、頭の中で音声言語で思考する必要のある場合は、 普通は石巻語で思考しています。 エスペラントで思考するのは一種の気分転換みたいなものです。 もし一日の中で五分もエスペラントで独り言を呟くか エスペラントで思考するかしたら、エスペラント会話の訓練 としては十分なのではないかと思います (個人的感想以上の根拠はありませんが)。
* 以上は、私が一人だけで「話す」の訓練をするために実践してきた方法を 書きましたが、会話独習の方法をもっと具体的に手引き的に詳しく説明している 本があります。
KRIZANTEMO著『エスペランティストのための会話独習法入門』 (日本エスペラント図書刊行会、七百円)
です。私は、ある程度 自分なりの 会話独習法を編み出して?からこの本を見つけたために、自分なりの方法を 続けましたが、この本には実に会話習得のヒントとなることが書かれており 非常に参考になります。 例えば「ひとりごと」を言うのなら料理しながら「Tio estas ほうちょう.」 とか「Mi ovon わる.」のように自分のやっている動作を、分からない単語は 日本語のままで表現してみるとか、「ひとりごと」は「演説」にまで 発展させることができるとかです。推薦図書です。 尚、私はエスペラントを初めて一年ちょっとぐらいの時期に、 全国合宿、仙台合宿、林間学校、東北大会、と半年の間に四回ぐらい連続して、 この KRIZANTEMO こと菊島和子さんの講習に参加しましたが、 非常に良い発話能力の訓練になったと思っています。 例えば、単語が書いてあるカードを渡されて、そこに書いてある 単語に関連する話を今すぐ三分間喋りなさいとか、 丸とか四角とか三角の組み合わされた 図形の描かれた紙を渡されて、その図形がどんな図形かを 他の人に説明しなさいとか、 ある日本人の職場に外国からエスペランチストの客が数人 訪れたという 設定で、エスペランチストからの質問と、その日本人との答えとを 通訳しなさいとか、実践にも直結する実に役立つ講習でした*。 菊島さんが東北大会の挨拶で言った言葉が今でも 印象に残っています。ちょっと表現が違ったかも知れませんが確か、
Lernu Esperanton ne por lerni sed por uzi.
(学ぶためにではなく使うためにエスペラントを学びなさい)
のような言葉だったと思います。以来、 私もこの言葉で自分を励ましています。 英語のような言葉はいつまで学び続けても会話や議論に使えるようには なかなかならないものですが(私は結局 諦めた)、 エスペラントはちゃんと学べば短期間で(二、三年で) 会話や議論に使えるようにまでなると思います( 勿論、エスペラント学習に避ける時間や熱意は人それぞれだろうから、 もっとのんびりと時間を掛けてエスペラントを習得したいという人が いても構いませんが)。 尤も菊島さんはボスニア紛争後に現地に訪れてエスペラントで 取材してきたりする人だから(例えば 「ボスニア、そしてボスニア人 大セルビア国家思想に追われた祖国 (シェフィク・リズヴァノヴィッチ/聞き手 菊島和子 (週刊金曜日91号 )」)、エスペラントを「使う」という意味は、 私などが想定しているものよりも、もっと規模の大きい、高い次元での話 かも知れません。
さて、また脱線してしまいましたが、 エスペラントの会話をする相手がいるのなら、 そういう機会が作れるのなら、相手がいる「会話」の方が「独り言」 よりも会話の練習になるのは言うまでもありません。 そういう貴重な機会を無駄にしないことが、とても重要だと思います。 国内外の大会などに参加したら、積極的にエスペラントを話すことだと思います。 大会ではエスペラントを喋らずに 「鰐する」人たちもいることは事実です。 勿論、エスペラントをやる目的は人それぞれだろうから、 仮に、海外文通と読書さえできれば十分だという人がいても、 「エスペラント学習」にかこつけて温泉に入って酒が飲めるだけで 十分だという人がいても構わないと思います。 例えば老後の趣味としてエスペラントを始めた人とかが、大会で ちょっとだけ学習をして後は温泉に浸かってのんびりしていたとしても、 それはそれで微笑ましいことだと思います。 ただ、エスペラントで会話ができるようになりたい人は、 エスペラントで喋る人たちの輪に積極的に入っていかなければ、 せっかく旅費と宿泊費を掛けて休暇を取って大会に参加しているのに 勿体ないことだと私は思います。
最寄りに地方のエスペラント会があり、週に一回とか月に二回とか例会が ある場合には、そういう例会に参加して少しでもエスペラントを喋るように したらいいと思います。 エスペランチストが集まって「会話ができる」という貴重な機会である例会に、 よりによって「輪読」とかの勉強会をしている地方会もあるようですが、 私の価値観では貴重な機会の無駄遣いだとしか思えません。 本を読んだり勉強したりは一人でも十分にできることです。 一人で本を読んだり勉強したりしていて分からないことは、 例会の時に個人的に上級者に聞けば済むことです。 みんなで揃って本を読んだり勉強したりすることの意味がないとは 言いませんが、「話す」機会が悉く少ないという状況においては 例会を何に使うかの優先順位を明らかに間違えていると私は思います。
とは言っても、若い初心者とかが一人でエスペラントを喋りたいと思っても 大勢が「鰐する」雰囲気であれば、なかなかエスペラントを喋り出せないし、 エスペラントで会話する状況を作り出すのは難しい というのは私もよく分かります。 せめて他に一人でもエスペラントで話そうとする人がいればいいのですが、 上級者からが率先して?「鰐している」ような状況もあるでしょう。 また、それなりに会員がエスペラントを喋る会でも、 世代の違いなどでなかなか共通の話題が持てないということもあるでしょう。 ところで、 話題がなくても会話または発話ができるようなゲームというのは色々とあります*。 一人が「昔々ある所におじいさんとおばあさんがいました」と話を始めたら 次の人が「おじいさんは川に洗濯に、おばあさんは家で寝てました」とかと 続けていくやつとか、 一人がある物とか歴史上の人物とかになって、 質問と応答を繰り返しながらその人が何か/誰かを当てるやつとか、 一人が観光地とか過去とか惑星とかの案内人になって、 他の人(観光客とか)からの質問「ここには生物はいるのですか」とか 「その生物は何を食べるのですか」とかに咄嗟に答えるやつとか…… 色々とあるとは思います。しかし、こういうゲームというのは、 それなりにエスペラントの会話練習をしたいと思っている人が大勢を占めない ことにはやろうという雰囲気にならないということも分かります。
つまり、最寄りの地方会がエスペラントを話すような雰囲気ではなかったり、 最寄りに地方会がなかったりした場合、数ヶ月に一回参加できるかどうかの 大会くらいでしか、エスペラントで会話ができないというのでは、 本当に「独り言」でしか「話す」の訓練ができなくなってしまうし、 それでは、あまりに心許ないと思います。
私の場合、仙台のエスペラント会の人たちはそれなりにエスペラントでも 喋るし、私自身はエスペラントで喋るようにしていますが、それでも、 なかなか共通の話題を作ることは難しいと感じています。 私の友人のエスペランチストは、最寄りに地方会がないので、 数人のエスペランチストに電話をしてエスペラントで話している という話を聞いて、私もその友人と時々 電話でエスペラントを 話すことにしました(但し長距離なので長電話は禁物ですが)。 エスペラントの会話練習をこそしたい人にとって、 エスペラントを「話す」機会がないということは切実な問題だと 思います。
あと、アマチュア無線を使って世界のエスペランチストととの会話を楽しんでいる EKAROJ という団体だかもありますが、 既に無線の機械と免許を持っている人には恰好のエスペラント会話実践の 方法かも知れませんね。そう言えば、 中国に行ったときも、 数人の中国人が無線でエスペラント交信をしていると言っていました。
私は、2002年の3月頃に仙台から秋田に引っ越してきたのですが、 秋田には、エスペラントの地方会がないので (日本エスペラント学会の会員は何人かいるようですが)、 仙台にいたときのように(せめて週に一回程度すら)、 エスペラントで誰かと会話する機会を作ることは 諦めざるを得なくなったかと半ば諦めかけていたおり、 ブラジルのエスペランチストが Paltalk というソフトを利用した音声チャットのグループの中にエスペラントで会話するグループも立ち上げたということを知りました。 まず、 ここから、Paltalk をインストールして (日本語版はなかったので、私は英語版をインストールしましたが)、 マイクの調整などが済んだら、 ここ に書いてあるように、 「By Language / Nationality / Other」というカテゴリーの中の、 「Esperanto Internacia」というグループを選べば、それが エスペラントの音声チャットグループです。 但し、この「Esperanto Internacia」の部屋を空ける「鍵」(パスワード) を知っている 誰かが 部屋を空けないと、 「Esperanto Internacia」は、 「By Language / Nationality / Other」のカテゴリーに表示されません (ここ で登録すれば、誰でも鍵番号を得ることができます)。 私も夜に時々、覗いてみて、数人以上がチャットしているようだったら、 チャットに加わったりしています。 私は、64kbps のISDN でつないでいますが、なかなか良好に 会話できます。 今のところ、ブラジルやヨーロッパのエスペランチストが多いようです。 Paltalk は文章チャットも同時にできるようになっているので、 音声でうまく伝わらない部分を文章で補うこともできます (例えば、そろそろ「さよなら」を言ってぬけようかと思っている時に 誰かと誰かが長々と話し込んでいて話に割り込めない際に、 文章で「もう寝るからぬける」とか書いてぬけるとか)。 エスペラントの会話練習をしたいけど、周りに話す相手がいないという 人には、非常にお薦めです。 このような音声チャットは、 エスペラントに限らず、 今まで「話す相手」を見つけることが困難だった 少数言語の話者とかにとっても、なかなか画期的なシステムかも知れません。 あるいは、会話練習の機会を作ることが日本では困難だった様々な外国語 (ハンガリー語とかタガログ語とか)の会話練習としても、大いに 役立つかも知れません。
エスペラントの(特に地方会の)例会や講習会や合宿や大会では、 エスペラントの発話練習に置く比重があまりにも小さすぎると私は 感じていてる。 勿論、エスペラント学習者が「エスペラントを話せるようになりたい」と 思う気持ちの強さは人それぞれだから、 エスペラントと関わりながら、温泉に入ったり酒を飲んだりを楽しめれば、 一生エスペラントを話せるようにはならなくても別に構わないという人がいても良い。 しかし、本当に「エスペラントを話せるようになりたい」という強い 気持ちを持った人が、せっかく 例会や講習会や合宿や大会に参加しても、 なかなかエスペラントの発話練習の場が用意されていないとすれば、 それは非常に問題である。 現に私も、学習開始してからの最初の一年ぐらいは、 「エスペラントを話せるようになりたい」という強い気持ちを持って 例会や講習会や合宿や大会に参加したが、 発話練習の場を見つけるのにはなかなか苦労した。 その中で、全国合宿や地方会の合宿における 菊島和子さんの講習では、 前述したように、実に効果的な発話訓練を経験した。 このような発話訓練の方法は、多くの例会や講習会でも是非とも 取り入れて利用すべきものではないかと私は感じている。
最近、私も仙台の地方会の合宿などで、講師を頼まれたりするように なってきたが、菊島さんの発話練習法(を私なりに変形したもの)や、 (それにヒントを得て)私が独自に考案した発話練習法を取り入れて 発話訓練重視の講習を試みている。 そうした中から、例会や講習会で手軽に楽しみながら 「ゲーム感覚」で行える発話練習法をここに紹介していきたい。 だいだい難易度の順に並べてあるので、 下の方に行くほど上級者向きとなる。
机を細長く並べて、二人ずつが向かい合って座れるように 椅子を並べる(机はなくてもいい)。 まず、向かい合った人どうしで3分間おしゃべりしてもらう (別に3分でなくても何分でもよい)。 3分経つとベルが鳴るようなタイマーやストップウォッチを使うと 効果的かも知れない。 3分間たったら、おしゃべりをやめてもらい、 全員が一つ右となりの席に移る(一番右端の人は向かい側の席に移る。 左周りでも構わないが)。 そして、新たに向かい合った人どうしで、また3分間おしゃべりをする ……という具合に相手を変えながらおしゃべりをしていく。 会話能力の水準に大きなばらつきがあるような場合でも使える。
上の「3分おしゃべり」と同じやり方だが、 おしゃべりを始める前に、向かい合った二人一組に一枚ずつ 単語の書かれたカードを(単語の書かれた面を下にして)配る。 カードには、kuirado(料理)、 viando(肉)、muziko(音楽)、hobio(趣味)、memoro(思い出) などの単語が書かれていて、おしゃべり開始の合図とともに、 カードをひっくり返して、そこに書いてあることを話題にして おしゃべりする。3分間が終了したらカードを回収し、別のカードを配る。
輪になって座り、一人に一枚ずつカードを配って一人ずつ、そのカードに 書かれたことを主題にして3分演説をしてもらうというやり方もあるが、 これだと単位時間当たりに一人が発話する量が減るので、「3分演説」は むしろ部屋の中で一人でやるのに適した練習法であろう。
一人が頭の中で、自分がある物(「便器」とか、「水」とか、「動物」とか)や 有名な人物や更に抽象的なものごと(「音楽」とか、「不幸」とか、「恨み」とか) を演じることに決める。 他の人たちがその人に一人ずつ、 「あなたは食べ物ですか」とか「この部屋にもあなたはありますか」とか 色々と質問をしていき、その人は、 「食べようと思えば食べれないこともないかも知れません」 とか 「今はこの部屋にはありませんが、さっきまではありました」 とかと答えていき、「その人は何か」を当てるという遊び。
輪になって座り、一人が「昔、昔、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました」とかと話を切り出したら、 隣の席の人がそれに続けて 「おじいさんは川に洗濯に、おばあさんは家で寝てました」 みたいに、一人が一文ぐらいずつ順番に話を作りながら繋げていく。
○や□や△など、割と簡単な幾何学図形で構成された 簡単な図形の描かれたカードを用意する。 全員に紙と筆記用具を配る。 一人に、図形の描かれたカードを配り、 どのような図形が描かれているかをエスペラントで説明してもらう。 他の人は、その説明を聞きながら、 その図形を紙に描いていく。 説明がよく分からない時は、質問していい。 みんなが紙に描かいた図形を見て、図形の説明が的確に伝わったかどうかを 見る。
全員に紙と筆記用具を配る。 黒板(白板)に簡単な地図を描く (真ん中ら辺に出口のいっぱいある駅を置き、 橋や川やトンネルなどの目印を適当に配置する)。 全員が同じ地図を自分の紙に写す(最初から地図の絵を 複写して人数ぶん用意すれば、この手間は省ける)。 一人が、自分の地図上の何処かに、他の人に分からないように、 自分の家を記す。 他の人たちは、たった今、駅に着いたばかりという設定で、 駅からその家の住人に電話をして家の場所を教えてもらう。 初級編としては、東西南北が分かるようにした方がいいだろうが、 方角が不明で目印だけで誘導しなければならなくなると、難しくなる。
歴史的な遺跡の写真集とか、 自然の景色の写真集とか、 なんでもいいからできるだけ様々な場所が載っている写真集や画集を 用意する。輪になって座り、 その写真集(画集)の中の適当な一頁を開く。 一人が、その頁に描かれた場所の案内人となり、 他の人たちはその場所を訪れた観光客となる。 案内人はその場所について何でも知っていなければならず、 観光客からの質問には全て瞬時に的確に答えなければならない。 勿論、案内人はいくらでも嘘を言っていい。 例えば、写真の中の場所が本当はローマの遺跡だとしても、 核戦争後の地球にタイムマシンで訪れてきたのだという設定にしてもいいし、 海底都市とか他の惑星ということにしてもいい。 観光客たちは間をおかずに次から次へと出来るだけ 返答に困るような質問をする。 「ここには生物はいるのですか」 「はい地底人が住んでいます」 「地底人は何語を喋るんですか」 「地底人語を喋ります」 みたいに進んでいって、 「その地底人の間で流行っている歌を地底人語で歌って下さい」 と言われたら案内人は、ちゃんと歌わなければならない。
輪になって座り、一人がエスペラントを話せない日本人労働者、 一人がエスペラント−日本語間の熟練通訳、他の人たちは、 日本人労働者の職場を訪れた外国人エスペランチストになる。 外国人は「あなたの仕事は何ですか」とか 「何人ぐらいの人がここで働いているのですか」とかエスペラントで質問し、 その度に熟練通訳はそれを日本語に訳して労働者に伝える。 労働者は、自分の現実の職場のこと(学生なら学校のこと)でもいいし、 架空の職業をでっちあげてもいいから日本語で返答する。 熟練通訳はそれをエスペラントに訳して外国人に伝える。 熟練通訳は「熟練」なので、分からないエスペラントの単語や エス訳できない日本語の単語とかがあっても、 適当にごまかし切らなければならない。
参加者の水準に応じて、幼児向けの童話などの絵本を用意する。 多くの場合、 一頁に数行ずつ、ひらがなだけで書かれている 四歳児以下向けのものとかが適している。 輪になって座り、 「ももたろう」とか「いっすんぼうし」とかの絵本を一人 一頁ずつ口頭でエスペラントに訳していってもらう。 このとき、 輪の中心に、四歳児ぐらいのデナスカ(生まれながらの)エスペランチスト がいるという想定で、難しい単語は通じないということにしておくのも いいかも知れない。 というのも、人によっては「家来」とか「赤ずきん」とかを、 そのまま日エス辞典で引いて、 vasalo とか rug^-kufo などという難しい単語を使ってしまうからだ。 四歳児には(大人のエスペラントの中級者にも)こんな難しい単語は通じない。 例えば「家来」だったら、文脈に応じて serv-isto(仕える人)とか akompan-anto (同伴する人)とか 更には labor-isto(働く人)とかいくらでも言い換えることはできるし、 「赤ずきん」にしても rug^a kap-kovrilo(赤い頭の覆い)とか ruĝ-ĉapo(赤帽子)とか ruĝa kap-sako(赤い頭の袋)とか いくらでも言い換えることはできる。 こういうふうに簡単な表現に言い換える訓練は、 やたらと難解なラテン系の単語 を使いたがる上級のエスペランチスト にこそ必要かも知れない。 この翻訳練習は部屋の中で一人ででもできる。
続く……
以上、書いてきた通り、私はそれほどエスペラント学習に 時間を割いてきたとは思っていません。 一日辺り「読む」が0分〜30分、「書く」が0分〜30分 (「読む」「書く」合わせて30分くらい)、 「聞く」が0分〜60分(但し炊事などをしながらの「流し聞き」) 、「話す」が0分〜10分(但し「独り言」)程度です。 その程度のやり方で続けていたら、学習開始二年くらいで、 それなりの会話や議論もできるようになってきたと感じています (「中国旅行記」)。 エスペラント学習に私よりも多くの時間と熱意を割ける人なら、 私なんかよりも、もっと短期間でも今の私以上にエスペラントが上達 することでしょう。
以前、あるエスペランチストの方から、 エスペラントにおいては、「書く」が一番 難しく、順に 「話す」、「聞く」と続いて、「読む」が一番 簡単だという話を聞いた ことがありますが、私はそうは思いません。 以上、述べてきたような方法でエスペラントを学習してきた現在の 私にとっては、 「話す」が一番 簡単で、順に「書く」、「聞く」と続いて、「読む」が 一番 難しいと感じています。 「話す」分には自分の知っている単語だけを使えばいいし、 エスペラントの場合は その手持ちの駒で幾らでも好きなように造語表現ができるから、 二千数百も語幹を覚えれば、ほぼ不自由なく何でも言いたいことが 言えるようになると思います。 勿論、いくら語彙を知っていても発話に慣れなければ、それを使いこなせる ようにはなりません。発話に慣れるために要する時間と労力(部屋で 独り言を喋るとか例会で会話するとか)は、 語彙を増やすために要する時間と労力(本を読んで 辞書を引いたり)と比べて、ぜんぜん大したことではないと私は思います (三歳くらいの子供が実に少ない語彙で 饒舌に話すことを考えても、発話の流暢さと語彙数とは別の問題である)。
話し言葉をそのまま書くのであれば、「書く」も「話す」と同じくらいに 簡単でしょう。 ただ、その場の思い付きを短文で羅列していったような文章ではなくて、 一つ一つの文が論理的に前後で筋が通るように、しかも文法的間違いを 含まないように、言わば「書き言葉」を書く分には、 「話す」よりも頭と時間を使うでしょう(これは日本語でも同じ)。 それでも、自分が「話せる」程度の内容は「書ける」ものです。
エスペラントを「聞きとる」には様々な訛りに慣れる必要があるので、 「聞く」には「話す」や「書く」 とは違った難しさがあります。早口のエスペラントを聞き取って咄嗟に理解する のにも慣れが必要ですが、 ある程度の速さで 「話せる」ようになってくると、 少なくとも自分と同じくらいの速さで話されるエスペラントは聞き取れるようになってきて、更に慣れてくると、自分のエスペラントより早く話されるエスペラントも聞き取れるようになってきます (一般にエスペラントを話す速さは、 その人が母語を話す速さに対応するものだろう)。 どちらかというと、聞き取りを難しくするのは「速さ」よりも「訛り」だと 私は感じていて、特にヨーロッパ人の腹式発声による強弱アクセントと、 単語どうしをねっぱしてしまうリエゾンが私には苦手です。 また、ラテン系の高級語の頻出するしかも書き言葉調の講演 を一方的に聞くという状況では、明瞭なエスペラントでも聞き取って理解する のは非常に難しいものですが、 面と向かって会話するような状況では、多少 訛った早口のエスペラント でも割と聞き取れるものです。
さて、自分が「話したり」「書いたり」しているのと、 同じ程度の「分かりやすい」エスペラントを「読む」分には、 エスペラントを「読む」ことは少しも難しくありません。 ところが、エスペラント界に存在する膨大な著作物の多くは、 ラテン系の高級語をふんだんにちりばめて書かれているので、 二千数百語程度の語彙力では辞書なしでスラスラと読むことが できないのです。 エスペラントでほぼ不自由なく会話や議論ができるようになり、 自分の言いたいことを不自由なく文章に書けるようになってきた私にとって、 「読む」は最後の最大の壁だと感じています。 仮に「ラテン系の高級語群を使わないと、難しい主題について エスペラントで論じ得ない」のであれば、 それは仕方のないことだと諦めもつきますが、 現に、ラテン系の高級語を避けて、難しい主題について分かりやすく論じている エス文も存在しているのです (ザメンホフの文章とか、El Popola Ĉinio の文章とか。 「読む」参照)。 そういうエス文は、二千数百の語幹しか知らない私でも、 それほど辞書を引かずにスラスラと読めて理解できます。 ザメンホフの文章や El Popola Ĉinio の文章がスラスラと読める くらいの「読む」能力が身に付いたら、それで十二分だと私は思います。 それだけの「読む」能力をもってしても読めないような、 ラテン系の高級語や詩語をちりばめた文学作品とかは、 「誰もが簡単に習得できて使える」ことを志向する エスペラントの目的を満たすものだとは私は思いません。 だから、私はラテン系の高級語や詩語をちりばめたようなエスペラント「文学」 を読んでみようとは思いません (エスペラントからラテン系の高級語がなくなったら更に輪を掛けて エスペラントは簡単になるだろうに、という私の意見を 「中国旅行記」(おわりに)に書いた)。
まあ、これは価値観の問題でもありますが、私にはエスペラントの本を 「読む」ことよりも、外国人とエスペラントで「話す」ことの方が遙かに 楽しく感じます。 そして、ラテン系の高級語や詩語をちりばめた エスペラント「文学」をスラスラと読めるようになるのに要する 時間と労力に比べれば、 外国人とエスペラントでペラペラと話せるようになるのに要する 時間と労力は、ごくごく僅かで済むと思います。 たぶん日本では、 「読む」の訓練ばかりをやっていて、「話す」の訓練をまるでしていない人 というのが実に多いのではないかと私は邪推します。 ラテン系の高級語がある限り、「読む」は最も「報いられない」訓練だと 私は思います。 「話す」「書く」「聞く」が十分にできるようになってきた私にとってすら、 「読む」は最後の最大の壁なのです。 それに比べて「話す」は学習の成果がすぐに反映される最も「報いられる」 訓練だと私は思います。 「話す」技量が少しでも上達すれば、その分だけ「話す」ことが楽しくなり、 「話す」訓練に身が入るので相乗効果的に「話せる」ようになっていくものだ と思うのですが、教育的立場にあるエスペランチストたちには、 もっと会話の場を設ける努力や工夫をしてほしいものだと思います。 地方会の例会という会話の訓練の絶好の機会に「輪読」などをしていたのでは、 「喋れるエスペランチスト」はそうそう排出されないでしょう。
念のため、繰り返し書きますが、エスペラントに割ける時間や熱意は人によって 様々だと思います。だから、ゆっくりと時間を掛けてエスペラントを 習得したいという人がいてもいいと思います。 それ自体は、少しも構わないことだと私は思います。 ただ、それなりに自由に海外文通をしたり「本を読んだり」できるほどの語彙力、 文章力まで身につけていながら、 会話能力の習得の方は保留し続けているような態度は、 私にはどうも戴けません。 勿論、「海外文通や読書こそが楽しいので、会話にはまるで興味も未練もない」 と言い切れるような価値観の人ならそれでも別に構わないのですが、 実際のところは「読み書きの習得と違って、会話の習得は難しい」 と半ば諦めたり開き直ったりしているような人が多いのではないかと 私は邪推するのです。 「読み書きの習得と違って、会話の習得が難しい」のは、 単にその人が読み書きの訓練に比べて会話の訓練をしてこなかった だけのことだと私は思います (私からすると、ラテン系の高級語や詩語の頻出する文学作品を スラスラ読めるだけの語彙力を習得することに比べれば、 ペラペラの会話力を習得することの方が圧倒的に簡単だと思う)。 既に読み書きが十分にできている人の場合、 ほんのちょっと会話の訓練をするだけで 「自分が読み書きできている程度の」エスペラントは 聞き取り、話すことができるようになると思います。 私の個人的な意見として、 エスペラントは会話ができるようになるほど楽しくなり、 またエスペラントの世界がその分だけ何倍にも広がると思います。 既に十分な読み書き能力を身につけながらそれをしないでいるのは、 非常に勿体ないことだと個人的には思います。
エスペラント界という共同体の一つの大きな特徴は、 構成員(つまりエスペランチスト)が非常に低い密度で 非常に広範囲に(つまり浅く広く)分布していることだと思う。 これには良い面と悪い面とがある。 世界を股に掛けていながら、 隣近所づきあいのような「内輪」が形成されやすいのは、 ある意味では良いことかも知れない。 他方で、 通常の社会では 科学者やジャーナリストやマスコミや大衆の批判を受けて 主流にはならないであろう少数派や異端の団体が、 十分な批判の働かない、少しでも仲間を増やしたいエスペラント界では、 忽ち世界的に有名になったりするという「弊害」もあると私は感じている (この辺は、 週刊金曜日や本多勝一が、少数派というだけでオカルトを擁護する現象にも似ているかも知れない)。 念のため断っておくと、私が「問題」だと感じているのは、 エスペラント界では世界的に有名になってしまった国内の某宗教団体とかの ことではない。 私が問題視しているのは、例えば、 科学的には間違っていることが既に実証されている カイロプラクチックの思想を東洋医学に応用したと思われる国内の ある代替医療の実践団体とかのことである。 代替医療が代替医療のできる範囲のこと に留まっているのであればことさらに文句は言わない。 しかし、癌や筋ジスなども治る可能性があるかのような希望を患者に抱かせる ことは極めて有害であると私は思う。まず、 適切な西洋医学の処置を受ければ治っていた筈の患者が、 こうした代替医療の偽薬(プラシーボ)効果によって症状が緩和されてしまい、 いよいよ偽薬効果でも症状をごまかし切れなくなったときには、既に 手遅れになってしまうことだって起こり得る。 また、死に直結しない難病であっても、少しでも何かに縋りたい 患者に「治る」と信じ込ませ、 残された人生で もっと有効に使うことのできた筈の時間やお金を、 実際には偽薬効果以上の効果のない治療に 注ぎ込ませることだって十分に詐欺行為だと思う(私の価値観では)。
エスペラント界という「浅く広く」構成員が分布する「市場」の特殊性を 利用して、そこに乗り込んでくるこうした団体に対して、 「エスペラントを実用している国際団体!」などと持ち上げたりするのは、 エスペラントの普及にとっては逆効果だと私は考えている。 エスペラントというのは言葉であって、それを実用する個人や団体の 活動内容がまともかどうかということとは関係がないのだから、 「エスペラントを使っている」ということで、批判を杜撰にして 持ち上げたりしてはいけないと思う。
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