(後藤文彦の頁) (Retpaĝo de GOTOU Humihiko) (暴走しやすいシステムと暴走しにくいシステム)

ゴルトベルク変奏曲


Variacioj de Goldberg
Se mi de nun devus loĝi en senhoma insulo sed rajtus alporti tien nur unu kompaktan diskon por aŭskulti, tiam mi eble elektus la diskon `J. S. BACH: Variacioj de Goldberg' luditan de Glenn GOULD surbendigitan en 1955.

注意
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al Retpaĝo de GOTOU Humihiko

目次
初めに
ピアノ版
グールド
やっぱり 1955 年版がいい
高橋悠治(05/1/8微更新)
クセナキスでなくてバッハをこそ弾いてほしい
シュタットフェルト
セルゲイ シェプキン(09/8/25)
ガブリロフ
シフ
ケンプ
装飾音をことごとく省いてる
ローゼン
熊本マリ
チェン
チェンバロ版
ロス
ジャコッテ
曽根麻矢子(1999/9/5更新)
コープマン
バルヒャ
チェンバロ特有の「チェンチェン」した高周波成分? がない 現代チェンバロ、ピアノ、古楽器チェンバロ、フォルテピアノ、理想的な楽器は?
ピノック
ギルバート
ランドフスカ
リヒター
レオンハルト(00/11/30追記)
その他
弦楽合奏版
ギター版
ジョン ルイス(ジャズ版)
ジャック ルーシエ(ジャズ版)(00/11/30追記)
続く......

ゴルトベルク変奏曲のスコアと録音をパブリックドメインで提供している キミコ・ダグラス=イシザカによる J.S. Bach: "Open" Goldberg Variations, BWV 988 (Piano) by Kimiko Ishizaka , YouTube楽譜

 ゴルトベルク変奏曲の熱狂的愛好家というのは結構いるようで、 以下の頁などもなかなか凄い。私なんぞはまだまだである。

藤田伊織さんの 「知の音楽 ゴールドベルク変奏曲』
なんと、この頁にはゴルトベルク変奏曲全曲の midi 形式情報が 置いてある。

「Goldberg Variations Maniacs」(日本語)
ここでは、膨大な枚数にのぼる殆どのゴルトベルク変奏曲のCDを網羅的に紹介、解説している。

宮澤淳一さんの from published articles by Junichi Miyazawa
宮澤さんが『ユリイカ』や『文學界』などの雑誌に書いたグールド関係の記事が 読める。私がグールドの項で触れたような新鮮な 発見をさせられたりする。


はじめに

 これから無人島で暮らさなければならなくなり、 但し一枚だけ好きなCDを持っていって聴くことが許されるとしたら、 私はグールドが1955年に録音したバッハのゴルトベルク(ゴールドベルク) 変奏曲を選ぶかも知れません....

一九九四年八月三十日

 数日前、東京へ行った折に秋葉原の石丸電気のCD屋へ立ち寄ってみました。確か、2号館だったでしょうか。ある客が店員に捜しているCDを告げて、奥の棚から在庫を取り出してきてもらっておりました。

 駄目で元々と思いながら私も真似をすることにしました。先日、大学生協に注文したら製造中止になっていた高橋悠治のゴルトベルクであります。

 だいぶ前にFMラジオでやっていたのを聴いて非常に気に入り、早いうちにCDを買っておかなければと思っていたものの、あんな素晴らしい演奏が製造中止とは。

 かたや、熊本マリなんぞのゴルトベルクはどんな小さなCD屋にも並んでいるのだから、西洋古典音楽も「若くて容姿がきれいな演奏家」とかその手の付加価値の方が優先評価項目になってしまったのだろうかと嘆いておりました。

 さて石丸電気ですが、高橋悠治のゴルトベルクは一枚だけ残っていたとのことで、私はめでたく最後の一枚を手に入れることができました。

 時にゴルトベルクは私の最も好きなバッハの鍵盤曲で、自然 私はこの曲をピアノ奏者又はチェンバロ奏者を評価する際の指標の一つにしており、CDで十数枚 所有しています。

 この際? せっかくだから、私の感想をおおよそ私の気に入っている順に列挙してみ ます(以下は 1998/11/14補筆)。

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先ずはピアノの場合。
(ピアノによるバッハとチェンバロによるバッハとでどちらが好きかという ことについては、バルヒャの項で触れる)

1-1 グレン グールド(1955, CBS, MYK38479)

 グールド(YouTube) というと1981年盤の方が世間には広く出回っていて、且つ高く評価されているようですが、私にはこちらの 1955年版(YouTube)の方がノリがよく、断然 好きであります。 パラパラした ノンレガート(伊 音の間を切って演奏すること)が実に軽快で心地よい。

 速さは55年盤の方が全体的に速く38分(繰り返しなし)、81年盤が51分 (繰り返しなし)となっています。55年盤は各変奏間で速さや強弱の設定にむらがなく、軽快で変動の少い淡白な調子が全曲を貫いており、小曲の集合というよりは各変奏が一つの流れの中に繋がった一曲の曲という印象を受けます*。

なお、この同じ音源をSONYでスーパー20-bitサラウンド(SBM)という方式で デジタル処理しなおしたもの(SONY RECORDS, SRCR 8923)や、 コロンビア・レコード?が1968年に疑似ステレオ化したものを Sony Music JapanがCD化したもの(SICC 659)もありますが、 それほど大した違いは私には感じられません。

1-1a グレン・グールドによるバッハ: ゴールドベルク変奏曲 (1955年)の再創造-Zenph RePerformance (2007, SONY CLASSICAL 88697-03350-3, Amazon)

上記の1955年版のグールドのゴルトベルクの演奏を ソフトウェアでデータ化し、ヤマハのグランドピアノで演奏させたもの。 こういう試み自体は私は大歓迎である。 あわよくば、どんな曲でもグールドっぽく弾いてくれる グールド調の自動演奏ソフトウェアを開発して、 原博の前奏曲とフーガとか、 バッハのオルガン曲や無伴奏器楽曲各種をグールド調で 自動演奏させるとかいった方向へ更に進展させてほしい。 それはともかく、この「再創造」の演奏は、 テンポや装飾音の弾き方やある程度のアーティキュレーションなどに 関しては、グールドの演奏をそれなりに忠実に再現しているのかも 知れないが、グールドの本物の演奏に比べると (ピアノの音はきれいだし、低音も響いているし、 ダイナミックレンジも広いと思うけど)なぜか 躍動感も刺激性もかなり薄れてしまっている (違いが分かりやすいのは、第4変奏や第10変奏とかか。 グールドの本物はあんなに刺激的なのに、 「再創造」はごくありきたりの上品な演奏という感じ)。 まず、グールドの本物の方がアタック音はもっとずっと強く鋭い感じがするし、 音の減衰も速いというか、本物のグールドの 方が、もっと歯切れ良く音を切っているのではないだろうか。 それに、「再創造」の演奏は、ちょっと残響が多すぎて、 ノンレガートを殺している嫌いもあるかも知れない (後半に入っている演奏者の耳の位置のヘドフォンバージョンの方が ややましだが)。 「再創造」を聞いた直後にグールドの本物の演奏を 聞き直してみると、だんぜん本物のグールドの演奏の方が (雑音はあるし、音質も悪いけど) ぜんぜん躍動的で刺激的でノリノリで気持ちいい演奏だ。 グールドの唸り声も躍動感を効果的に演出している。 こうした企画自体は支持するので、 もう少しアタック音の立上りや減衰などを含めて、 よりグールドの演奏を忠実に再現できるように ソフトウェアと自動演奏ピアノのハードウェアを改善した 上で再挑戦してほしい。

1-2 グールド(1959、ザルツブルク演奏会, Music & Arts, CD-677)

 これは録音がかなり悪いですが、演奏は55年盤と大体同じ解釈です。ただ装飾音をところどころ変えているので、また違った味わいがあります。繰り返しもところどころで行っております。テンポは55年盤よりも更に早いかと思います。

1-3 グールド(1981,CD、SONY RECORDS, SRCR 9239)

 こちらは各変奏間で速さや強弱の設定にかなりむらがあり、推敲に推敲を重ねた跡のようなものが感じられます*。

 55年盤が気軽に安心して(ノリながら)聴けるのに対して、81年盤は眉間に皺を寄せて精神を集中して聴かなければならないような印象を受けます。

 突然大きい音がなったりしてびっくりするところが何箇所かありますが、これから聴く人の為に触れないでおきましょう。

* ……などと私は1994年に書いていたようだが、 宮澤淳一さんの 「 拍動の美学——グールドの《ゴルトベルク変奏曲》再録音と「パルスの継続性」について」 を読むと、なんと、81年版でグールドは、一定の 「パルス」(英 脈拍、律動。ここでは、拍子を刻む一定の時間間隔くらいの意) を設定し、全ての変奏において、拍子(を決める音符の音価) がその「パルス」と等価または整数比になるように拍子を刻む速さを設定している のである。 つまり、「客観的には」81年版こそが、「速さにむらがない」のである。 このようにしてグールドは81年版で「全曲を通したパルスの継続性」をねらったにも拘わらず、私には81年版は55年版に比べて「変奏間にむらのある」演奏に 聞こえてしまった。何故だろうか?  (まあ、私の律動感覚が悪いだけかも知れないが)。 81年版では、一つの変奏が終わる直前に「やや減速して、やや静かに」終わる。 そして、次の変奏は設定された「パルス」通りに(つまり、相対的には直前の 変奏の終わりよりは「やや速く」)、やや強く始まる。 これが変奏間の終わりと始めの間に相対的に速さと強弱の差をつくり、 全体を通しての「パルス」の継続性にも拘わらず、私には「むら」を感じさせて しまうのではなかろうか。意識して聞き直してみると、確かに81年版の方が拍子 を刻む速さは 継続しているのが分かる。しかし、81年版は私の好みでは強弱の変化 がつき過ぎていると感じる。 55年版は確かに変奏間で「パルス」は継続していないが、 速いテンポ(伊 演奏速度)の中でどんどん曲が先に進んでいくので、 私には十分に「滑らかに」各変奏が繋がっているように感じる。 先の頁で宮澤さんは81年版の演奏について「 各変奏の拍子とパルスとが一致する場合、特にそれが三拍子の場合、グールドがこれを強調し、躍動感を生み出しているのがわかる。いやむしろ各変奏の拍子とパルスとが一致しない場合の方が、リズムにある種の不安定が生じ、スイングの感覚が現われているかもしれない」と書いているが、 私の場合は、55年版くらいに各変奏の拍子と「パルス」とが「ずれて」いる方が 「ノリ」を感じるということなのかも知れない(1998/11)。

15/5/5追記:映画「そして父になる」では、81年版のゴルトベルクから アリアと第9変奏、パルティータから第2番サラバンドが使われている。

1-4 グールド(1981、ビデオ、ソニー、YouTube

 演奏は1981年版のCDの演奏とそっくりですが、完全に同じ音源という訳でも ないようです。グールドがゴルトベルクを演奏している姿をビデオ映像として 見れるというのは実に有り難いことです。 ヘンレ版の楽譜とかでは左手で弾くように指示されている主題を 右手で弾いていたり(逆もか)とか、意外な発見があります。

1-5 グールド(1954/6/21、カナダ放送のCD化、CBC Records / Les disques SRC, PSCD 2007)

 グールドのゴルトベルクの演奏の中では最も「普通な」演奏に近い 演奏かも知れません(それでも既に十分にグールドの演奏だが。55年版よりは やや遅い、42分)。 1955年版のゴルトベルクに至る直前の演奏という意味で興味深い演奏です。 同じカナダ放送(CBC)のCDで、1952年録音のグールドのバッハの鍵盤曲が 数曲 聴けますが、グールドがいつごろから あの 「パラパラした」 弾き方を するようになったかを考える参考になります。

1-6 グールド(1957、モスクワ独奏会、抜粋、ビクター、VICC-2104)

 これは、1957年にモスクワで開かれた独奏会のCD化で、ゴルトベルクから 第3, 18, 9, 24, 10, 30変奏だけを続けて一つの作品のように弾いています。 30変奏で指がもつれてるようなところもありますが、興味深い演奏です。 私はこのCDに入っていた「フーガの技法」(第1, 4, 2曲、静寂に ゆっくりと演奏される)を聴いてから、それまでは馴染みにくく感じていた フーガの技法が非常に好きになりました。

番外編:アラウ、テュレックなど(0010/12/1)

最近は、YouTubeのおかげで、 なかなか聞く機会のなかった巨匠たちの演奏も気軽に試聴できるようになった (場合によっては、動画で!)。 例えばアラウのゴルトベルクは、 Kyushima's Home Pageで、 「グールド以前にこのようなグールド的アプローチでバッハを弾いていたことに驚いたという文章を岡田敦子が書いていた」 みたいに紹介されていたので、いつか聞いてみようと思いつつ、 CDも買わずにいたが、ふと、 YouTubeで検索してみたら、 いっぱい出てくる。 なるほど、確かにグールドみたいだ。 速度やノンレガートはグールドほど極端ではないが。 また、グールドが最も影響を受けたと言っている テューレック (Kyushima's Home Pageにも紹介あり) のバッハもYouTubeで、 動画がいっぱい出てくる。 グールドに比べれば、テンポはだいぶゆっくりだが、 でも、音をちゃんと切っていてノンレガートであり、 確かにグールドを連想させる。 ついでに、だいぶ前にCDを買って、なかなかグールドっぽいと思った もののCDを紛失してしまった リパッティのパルティータ。ああ、確かにこんな感じだった。

2 高橋悠治(1976年の最初期のDDD, DENON COCO-7964)

 現存のピアノ奏者でバッハを対位的に且つノンレガート でパラパラと弾いてくれるのは、高橋悠治(や後述のガブリロフもか) ぐらいではないでしょうか。尤も、高橋悠治は各声部を完全に均等な 強さにしている訳ではなくて、ほんの僅か主声部の方を強めに弾いてはいますが、 それで対位性が失われるということもなく、絶妙な釣り合いだと思います。

 あと、グールドのノンレガートはスタッカート(伊 音と音を続けずに切り離して 演奏すること) に近いが、高橋悠治のノンレガートはレガート(伊 音の間を切れ目なく演奏すること) に近い(つまり、ほんのちょっとだけ切る) 気がします。その為かグールドのバッハは弾んだような感じがするが、高橋悠治のは寧ろ鋭利で輪郭がくっきりしているように思えます。

 また、高橋悠治は装飾音が特徴的で(18世紀の装飾稿を使っているらしいが)、実に新鮮な感じを与えます。

 最近、シフがグールドの後に現れたバッハ弾きとして持てはやされていますが、私の感覚では高橋悠治(あるいはガブリロフ やリチャード グード)の方がよっぽどグールドに近く感じられます。

 高橋悠治は他にもバッハのパルティータやインベンションやフーガの技法などを 録音していますが、どれも実に素晴らしいと思います。 特に「フーガの技法」(電子楽器版の方ではなくピアノ版の方)は、 流れるような演奏で、圧巻です。高橋悠治は世界で高橋悠治しか弾けないようなクセナキスとかの現代音楽の超難曲を弾いたりしていますが (YouTube)、 正直に言うと私には クセナキスとかのピアノは、子供がデタラメに滅茶苦茶にピアノを弾いている (YouTube) ような印象しか受けません。 高橋悠治がせっかく超人的な技巧を駆使して弾いた曲が、 子供がデタラメに滅茶苦茶に弾いているようにしか 聞こえないのでは(少なくとも私には)、とてももったいないような気がします (まあ、世の中には高橋悠治のクセナキスを絶賛している人たちも 確かにいるのだが、私には高橋悠治のバッハこそが素晴らしいし、 バッハをこそ演奏、録音してほしいと個人的には思う)*。

* 1999/9/5 実に興味深い頁 (midi が鳴るので注意)を見つけたので追記。 私とかだと、仮に超人的な超絶技巧の実演をこそ鑑賞するにしても、 ここにあるような、リストを超高速で弾くとかの方にむしろ興味をそそられる。

 似たような話があって、私は昔、西洋近代絵画の好きな知人に向かって抽象絵画なんて子供の落書きにしか 見えないと言ったことがありますが、 その知人によると、 抽象絵画を描くのにも絵の基本はできていなければならないし、 高度な技巧が必要とされるから子供や素人が滅茶苦茶に描いて真似できるような ものではないと怒られました。 高度な技巧を駆使しているにも拘わらず滅茶苦茶にしか感じられない 絵や音楽よりも、 特に技巧を要しなくても見て、聴いて「いい」と思える絵や音楽を鑑賞したい と私は思うのです。 尤も、 私には滅茶苦茶にしか思えない絵や音楽に、 私がバッハの音楽に感じる以上の緻密な秩序を感じ取った上で、 私がバッハを「いい」と感じるのと同じように心から本心で手放しで 「いい」と思っている人たちの「需要」に芸術家たちが応えているだけの話なら それはそれでいいのですが、鑑賞者の需要と芸術家の供給とが どうも釣り合っていないように感じるのです (特に西洋古典音楽(作曲)界の場合。 これについては「原博」の頁参照)。

05/1/8追記:高橋悠治のゴルトベルクの2004年の録音のCD (AVCL-25026)を買った。 上記の1976年版は、演奏時間が36分42秒と あのグールドの1955年デビュー版の 38分25秒よりもさりげなく速い技巧的で個性的な演奏なのに対して、 2004年版は、42分47秒のそれよりはゆったりとした(割と普通?に近い) 演奏になっている。 うーん、私はグールドも1955年版の高速で攻める流れるような演奏の方が圧倒的に 好きだが、それと同じような意味で高橋悠治も 1976年版の高速で攻める技巧的で流れるような演奏の 方が圧倒的に好きかも (でも、高橋悠治が、今でも現役でバッハを演奏してくれているようで 安心?した)。

3 マルティン   シュタットフェルト (2005, ASIN: B000BNM8MYASIN, Amazon , YouTube)

電網上で「グールドを彷彿とさせる」と話題になっていたので 買ってみたが、 確かに期待を裏切らないグールドを彷彿とさせるようなパラパラした演奏だ。 旋律をオクターブずらしてみたりといった遊びも、 シフなんかよりも絶妙で成功しているんではないだろうか。 ただ、(シフのバッハの録音ほどではないにせよ)、 どうも残響が多くて、それがせっかくのノンレガートを やや殺してしまっているような感じもする。 最近のミニコンポ(とか、もしかして オーディオプレーヤーとかもか)は、 デジタルサラウンドみたいな残響付加の機能のついているものが 多くなってきているだろうし、 残響の多いのが好みの人はそういうので調整してもらうことにして、 CD録音の音質は、残響を少なめにしておいてほしいと 思うのだが (甘みの少ないあんこに砂糖を足すのは簡単だが、甘だるいあんこから甘みを抜くのは難しいように)。 残響の少ない録音に残響を付加するのは比較的 簡単だけど、 残響の多すぎる録音から残響を取り除くのは困難な訳だし。 それはともかく、シュタットフェルトは、 他にもバッハを色々と録音し(始め?)ているようだし、 グールドや高橋悠治以外に、ほぼ手放しで パラパラ感に期待して CDを買って大丈夫なバッハ弾きが現れたことは、 なかなか嬉しい。

4 セルゲイ シェプキン (2008, ASIN: B0010L0RUQ, Amazon )

 FMでパラパラしたゴルトベルクが流れているのを聞いて、 グールドともシュタットフェルトとも違うこの演奏は誰だろうと 思ったら、シェプキンという人だそうで。 アマゾン で試聴できるが、品切れ状態で、まだ買っていない。 それほど刺激的ではないが、 軽やかで面白い演奏だ。シェプキンとかと同様、 旋律をオクターブずらしたり色々やってる。 アマゾンのレビューによると、シュタットフェルトのゴルトベルク(2003)より 8年前の録音だそうで。 バッハの録音は他にも色々とあるようなので、ゆくゆく聴いていきたい。 ただ、シュタットフェルトと全く同様に残響が多すぎるのが せっかくのパラパラ感を殺してしまっている。 今時の音楽再生装置はサラウンドとかいくらでも残響付加は 簡単にできるので、CD録音は残響を最低限に抑えてほしい。

5 アンドレイ ガブリロフ(1992)
 ガブリロフも対位的に且つノンレガートでパラパラと弾いてくれます。 グールドや高橋悠治は表情過多になることを避けて、テンポ(伊 演奏速度) や強弱を固定した中で パラパラと軽快に弾いているのに対して、ガブリロフはやや「表情豊か」になってしまっているように感じます (尤もガブリロフも一変奏の中ではテンポを揺らしたりはしないが)。 打鍵はかなり強く、トッカータ(伊 即興的で技巧的な鍵盤曲) 的な変奏では異常なほどに早く(グールドよりも) 弾いたりしていて、なかなか刺激的です。 ただ、このように各変奏で速さや強弱の設定に「むら」があるために、 グールドの項で書いたような「全曲を通しての継続性」 のようなものは、私には感じにくい。 2002年頃、スカパーの番組で、ガブリロフがバッハの平均律を弾いていたが、 ゴルトベルクほどは刺激的でもパラパラでもなかった。
6 アンドラーシュ シフ(1982)
 グールドや高橋悠治が鋭利で輪郭のはっきりした「生々しい」感じがするのに対し、シフは寧ろ柔らかいといった感じがします。

 浪漫派的な表情を抑えて対位的に演奏するという意味では前二者と同様に評価しますが、強烈な個性の持ち主という訳でもなく当たり障りのない演奏をする人という印象を 私は受けます。

 全曲 繰り返しを省略しておらず、繰り返しの時は最初と装飾音を変えたり、オクターブ上げて弾いたりといった工夫を凝らしています。

録音のせいか、残響が多すぎてノンレガートを殺しているような気もします (これは、シフの他のバッハの録音でもそうなので、残響を多くするのが 好きなのかも知れない)。

この頁を読むと、シフを「バロック期の『演奏習慣』を完全に身につけている人」 と評している人もいるようですが、私にはグールドや高橋悠治のパラパラした 弾き方のほうがよりチェンバロっぽく感じます (もしかすると、残響を少なくするとシフももう少しパラパラなのかも知れませんが) 。ところで、私はシフのシューベルトとかは好きです。

7 ウイルヘルム ケンプ(1969、DEUTSCHE GRAMMOPHON)
 私はケンプのベートベンが好きなもので(シューベルトもいいが) 、その付加価値によってゴルトベルクのCDを買いました。まず装飾音に散りばめられたような曲である 冒頭のアリアでは、なんと装飾音を全て省いて速めに弾いて おり、まるで別の曲に聞こえます。実に新鮮でした。

 その他の変奏でも特に装飾音が小フーガの主題になっているようなものを除き、大体 装飾音は省いて演奏しています。ケンプは巧妙な装飾音の入れ方をするピアノ奏者だと思っていただけに、敢えて悉く装飾音をはずして弾いてみせられると、流石だと思ってしまいます。

 演奏自体は柔らかいケンプらしいもので、多少、和声的ですが、決してロマン派的にはならず、中庸に弾いております。

8 チャールズ ローゼン(1967)
 ローゼンは rec.music.classical(西洋古典音楽の電網ニュース、英語) で、しばしばピアノによるゴルトベルクの一番人気として紹介されていたので、 CDを買わない訳にはいかなくなりました。

 多くの人がグールドよりも良いと言っておりましたので期待して聴いてみましたが、どうやらこれはグールドや高橋悠治とは完全に対極を成す「レガート的でピアノ曲的に 表情豊か で和声的な」バッハ演奏の典型のようです。

 かといって表情の付け方なども中庸で、ピアノ的な方のバッハを好む人にとっては格別なのでしょう。私は「パラパラ」の方が好みですが。

9 熊本マリ (1993、)
 私にもみーはーなところはあるので、結局このCDを買ってしまいました (そしたら、松島だかで撮ったという熊本マリの生写真が付いてきた。 「Mari」という署名入り)。 演奏はどちらかというと「ピアノ曲」的な方の部類に属し、なかなか艶のあるきらきらした響きには感じます。ただ、装飾音などでときどき粒が揃わないような気もします。 テンポを揺らしたりはしていませんが、強弱の変化はそれなりにつけています。
10 チェン・ピ・シェン(名前?)
 NAXOSの980円CDです。和声的な演奏ですが、淡白です。 繰り返しは確か全曲行っていたと思います。

続く……

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次にチェンバロの場合。

 私がチェンバロによるバッハとピアノによるバッハとでどちらが好きかという ことについては、「バルヒャ」のところで触れますが、 ピアノでもチェンバロでも私が好きなのはノンレガートで 「パラパラ」していて 軽快で速くてノリのいい演奏です(人によっては、こういう演奏を「ジャズっぽい」 と表現したりもするようだが、確かにジャズの「スイング」とも共通する ものがあるのかも知れない)。

 さて、打鍵した音が持続して響き続ける ピアノの場合は、十六分音符のような早い音符群をすらノンレガートに しないとなかなか「パラパラ」とは聞こえませんが、 打鍵した音の減衰が速いチェンバロの場合は、 八分音符だけをノンレガートにしただけでも、割と「パラパラ」と 聞こえるようになります。だから、速くて残響も多い演奏 の中で十六分音符の方もノンレガートで弾いているのか どうかはピアノのように明快には判別できません (尤も、実際には旋律に応じてレガートもノンレガートも併用したりも している訳ですが)。 だから、以下はそういう曖昧な意味において「パラパラ」という表現を 使っています。

1 スコット ロス(1985、演奏会録音)

 この演奏を聴くまでは次項のジャコッテの演奏が一番 好きでしたが、 ロスの演奏を聴いてからは、順位付けが難しくなりました。 私が今までに聴いたことのあるチェンバロによるゴルトベルクの演奏としては、 最も軽快でノリのいい演奏だと思います。 割と速めに流れるようにパラパラと弾いています。 これが演奏会録音というから大したものです (そのせいか、残響がやや多い)。 楽器の音も繊細で軽く、軽快な演奏を効果的にしています。 ロスによるパルティータのCDも聴きましたが、やはり同じように軽快でノリの いいバッハです(これも残響が多い。ロスの好みか)。 このようなチェンバロ弾きが三十八、九歳の若さで病死してしまったことは 実に惜しい話です。ロスは主にスカルラッテを録音していたようだが、 個人的にはバッハももっと録音してほしかった。 ブルージュ国際チェンバロ・コンクールの審査員だったロスの 目にとまり、指導を受けた 曽根麻矢子 の今後に期待したいところでもあります (尤も、ある演奏者の演奏が、師事していた演奏家の演奏と似ていることは 稀だが)。
2 クリスティアーヌ ジャコッテ(ジャコテ)
 ロスの演奏を聴くまでは、群を抜いてジャコッテの演奏が一番 好きでした。

 ジャコッテはPILZの980円CDからゴルトベルク、平均律上下巻、インベンションとシンホニア、トッカータを出しており、これらは買ったのですが、アルファレコードから出ていた上記を含むバッハの鍵盤曲の殆ど(パルティータ、イギリス、フランス組曲等)が全て製造中止になってしまったので、現在、大手のCD会社からは通奏低音などの端役のものしか手に入りません。

 しかもPILZの980円シリーズはNAXOSに押された為か、タワーレコードなどの店頭からは殆ど姿を消し、いわゆる名曲ばかりを組み合わせて編集し直したような日本語表紙の500円ぐらいのいかがわしいCDとなって、貸しビデオ屋のようなところに置いてあるようです。

 PILZの方が音質、演奏者の質ともにNAXOSよりもいいと思っていただけに嘆かわしいことです(1997年頃、どこかの輸入盤でジャコッテのゴルトベルク、イタリヤ協奏曲、 イギリス組曲が出ていたので、迷わず買った) 。

 ところでジャコッテの演奏ですが、音符の切り方や速さの設定が実に中庸で適切であり、装飾音にも変な癖がなく非常に素直な自然な感じがします。 最も安心して聞けます。 それほど速い訳ではないですが、私が聴いている限りのチェンバロ奏者の中では 最も音をちゃんと切っているので、十分に「パラパラ」と聞こえます。 そこが好きです。

3 曽根麻矢子
 曽根さんのチェンバロ演奏は何回か聴いたことがあり、 お話をしたこともあるので、 ゴルトベルクのCD録音は楽しみにしておりました。 なるほど、スコット ロスほど如実ではないにしても、 実に軽やかで流れるような演奏です。 楽器のせいもあるかも知れませんが、多かれ少なかれ師ロスの演奏を意識している のではないでしょうか。今後の活躍に期待したいところです (曽根氏本人による解説)。
4 トン コープマン(1987)
 以前、コープマンによるバッハのオルガンを何曲か聴いたことがあるのですが、 装飾音に非常に癖があり、例えばトッカータとフーガ二短調の 出だしのモルデント(英 二度下の音との間を急速に往復する装飾音) が、お決まりの「タララー」ではなく確か 「ターラータリラリラー」のようになっていたような気がします。 そんな訳で、私はコープマンは癖が強いので敬遠しておりましたが、 試しにチェンバロのゴルトベルクを買ってみました。

 確かに装飾音は、ちょっと変わっていて「あらっ?」と思います。 しかし、全体的には早くて軽快でノリのいい演奏で、 その中に出てくるちょっと変わった装飾音もまた面白みがあります。 正統的なゴルトベルクの演奏に飽きた頃にコープマンのゴルトベルクを 聴くと新鮮に聞こえるかも知れません (ただ、コープマンによるオルガンのバッハには、まだ抵抗があります。 そのうち、また試してみますが)。

5 ヘルムート バルヒャ(1961、現代チェンバロ)
 バルヒャはアンマーチェンバロという現代チェンバロを弾いており、これは非常に甘い艶やかなオルゴールのような響きのするもので、私は個人的に好きです。

 しかし古楽愛好家にとっては現代チェンバロなどは邪道なのだそうで、専ら 古楽器またはせめて複製による繊細で花車な響きしか評価されなくなってきているの かも知れません。

 正直な話、私は最初はチェンバロの音は「チェンチェン」した耳障りな高周波成分 (可聴帯域低周波における相対的に高周波な成分)を含むので、あまり好きになれなかったものの、バッハの鍵盤曲が好きなので義務として我慢して聴いておりました(実際、 バロック音楽を特に聴かない知人や友人にチェンバロのCDを聴かせると、 「この音は耳障りだ」などと評する人も結構いるのです)。 特に、バッハやビバルデ作曲バッハ編曲の二台、三台、四台のチェンバロのための 協奏曲などは、その「チェンチェン」した高周波成分が混じり合って 「ザンザン」という感じの雑音成分が発生し、 個々の旋律がよく聞き取れなくなったりします (尤も、バッロク室内楽の通奏低音として用いられるチェンバロは、その 「チェンチェン」した成分こそが他の管楽器や弦楽器の音を絶妙に 引き立てているとも感じますが)。

 ところが、バルヒャの弾く現代 チェンバロはそうした「チェンチェン」した成分を殆ど含まないので (どちらかというと「ギンギン?」した感じ)、 非常に聞き心地が良いので、邪道である現代チェンバロの響きが皮肉にも 古楽器や複製チェンバロを好きになるきっかけになってしまいました (バルヒャの演奏自体は実に真面目で癖はないが、 十分に生き生きと感じる)。

 兎に角、チェンバロの音に馴染めなかった人にはバルヒャを聴いてみることをお勧めします。時々、大学生協とか街の書店とかで売られている980円CDにバルヒャの平均律の抜粋とかフランス組曲の抜粋とかがあったと思うので、試聴用にはいいでしょう。

 砂糖なしコーヒーを苦いと思いながらもコーヒー通を自負する関係上、我慢して砂糖なしで飲み続けざるを得ない人がいるのと同様、バロック鍵盤曲愛好家の中には 古楽器や複製チェンバロの「チェンチェン」成分を我慢して聴いている人もいるのではないか知ら。

 実は、こういう葛藤は実はチェンバロ特有のものではなくて、 私の友人では、リュートの音よりも現代ギターの音の方が好きだという人も います。私は、リコーダーやトラベルソに関しては古楽器の方が好きですが、 古楽器も現代楽器もそれぞれに長短があるとは思います。 価値観の問題ではありますが、私自身はどちらか一方を手放しで好きだとは 言えません。

 チェンバロの項の冒頭にも書いたように、 私はピアノで弾かれるバッハでもチェンバロで弾かれるバッハでも 「パラパラ」した演奏の方が好きです。 ピアノはノンレガートにしないとなかなかパラパラにはなりませんが、 チェンバロはレガートで弾いたとしてもそれなりにパラパラしています。 つまり、グールドとか高橋悠治のような徹底的なノンレガート奏法を施した 演奏でもない限り、音の「減衰曲線」に関しては私はピアノよりもチェンバロの ようにすぐに減衰する鍵盤楽器の方が好きです。

 しかし、チェンバロ特有の「チェンチェン」した高周波成分にやや抵抗がある ことも確かで(最近は慣れて気にならなくなったが)、 「音色」に関しては、やはり私はピアノの方に魅力を感じます (尤も疲れているときは、チェンバロの枯れた音を聴きたくなるが)。

 その意味では私にとっては、ピアノのような音色でチェンバロのような減衰曲線 を有する楽器こそが理想の楽器ということになる訳ですが、実はそれに近い楽器が ない訳でもなく、最初期のピアノであるフォルテピアノやピアノフォルテの中には それに近い音を出すものもあるように感じます。 ただ、減衰曲線がチェンバロに近いフォルテピアノは、音色の方もチェンバロに 近くなってしまうので、減衰曲線がチェンバロで音色がピアノという楽器は なかなかないような気がします (そう言えばだいぶ前に、マルコム ビルソンだかがフォルテピアノで弾いているベートーベンの月光をラジオで聴いたことがあるが、あれは弾むような実に軽快な 演奏だったのを思い出す)。

 グールドのピアノによるバッハがこれだけ多くの人に受けているということは (下手をするとチェンバロによるバッハのCDよりもグールドのバッハのCD の方が売れていたりするのではないだろうか)、 多くの人が実はピアノの音色で「パラパラ」と音が切れる ような鍵盤楽器の音が好きだということもあるような気もするのですが、 どうして今までにそういう鍵盤楽器が作られることはなかったのでしょうか (フォルテピアノは現代のピアノに取って代わられてしまった)。

 まあ、やろうと思えば、今の時代は電子楽器でそのような「私の理想とする」 鍵盤楽器の音を実現することなど簡単なのでしょうが、 そういうことを試みてくれる楽器会社はないでしょうね (例えば、電子ピアノとかに「グールド調」というボタンがついていて、 これを押すと、普通にレガートで弾いてもパラパラとノンレガートっぽく 聞こえるなんて機能があったら、一部のグールド好きの素人ピアノ弾き には受けると思うのだが.......)

現代チェンバロと思われるYouTube動画: リヒターランドフスカ

疲れてきたので、以下 簡単に.....

6 トレバー ピノック(1980)
 中庸で変な癖がない。あまり速くはない。 チェンバロの音のせいでもあるが軽くてあっさりしている。
7 ケネス ギルバート
 ややゆっくりめ。この人も軽くてあっさり。 あまり音は切らない。
8 ワンダ ランドフスカ
 ラジオでやっていたのをテープに録音したが、 1930年の録音なのか1945年の録音なのか分からない。 音からすると現代チェンバロのようだ。 ややゆっくりめで真面目に弾いている。 録音の古さの割にはそれほど音質も悪くはない。 奇を衒うことなく実に落ち着いている。

2chによると、 ランドフスカが 現代チェンバロを発明したそうな。

現代チェンバロと思われるYouTube動画: リヒターランドフスカ

9 カール リヒター(1972)
 これも現代チェンバロのようだ。 ストップ(英 連動装置)を駆使して様々に音色を変えて弾いているが、 あまりに音が「ギンギン」していて力強 かったりして(華奢な古楽器の音とは対照的に)、 私にはバルヒャの現代チェンバロの音の方が「甘くて」聴きやすい。
10 グスタフ レオンハルト (1975、deutsche harmonia mundi BMG)
 ゆっっくりとした演奏。そのためもあるのかモルデントとかも独特の装飾に飾られて 多めに入ったりする。 私の好きな「速くて軽快でノリがいい」バッハではなく、 極めて正統的で真面目な演奏である。 バッハ当時の演奏は、正にこういう感じだったのかも知れない (レオンハルトはそういう研究を最も真面目にやっている人だろう)。 そういう意味での価値は大いにあると思う(一方、 バルヒャやリヒターやランドフスカの演奏も真面目で正統的ではあるが、 使用楽器も古楽器ではないだろうし、弾き方もバッハ当時のやり方とは 違うだろうから、バッハ当時の演奏の忠実な再現ではない)。 ちなみに、レオンハルトの『フーガの技法』は「枯れて」いてなかなか気に入った。 あと、無伴奏バイオリンや無伴奏チェロの一部を編曲してチェンバロで 録音してくれたことには大いに感謝している。 まるでバッハの曲ではないようなゴドフスキーによるピアノ編曲や ゴドフスキーほど奇抜ではないまでも十分に ピアノの楽器性能を駆使した「ピアノ曲」的な ブゾーニによるピアノ編曲 などとは全く違い、 レオンハルトのチェンバロ編曲は、なかなか「バッハのチェンバロ曲っぽい」編曲で非常に好感が持てる。 誰か、この編曲をそのままノンレガートのピアノでパラパラと演奏して録音してくれ ないだろうか。

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その他

シトコベツキー他 弦楽三重奏

 実に表情豊かで奥行きのあるゴルトベルクである。 私はムジカ アンテクワ ケルンのカノン(BWV1072-1078)を聴いて以来、 弦楽合奏(大合奏でなく数重奏程度の室内合奏)によるバッハも捨てがたい と思うようになり、ムジカ アンテクワ ケルンのフーガの技法を聴いたら、 これも良かったので、その流れで?この弦楽三重奏のゴルトベルクを買った。 勿論、これは鍵盤楽器による「パラパラした」バッハとは全く違うが、 弦楽合奏ならではの柔らかい味わいがある。
カート ラダーマー(ギター多重録音)
 これまた、ギターならではの「甘く」柔らかい郷愁漂う音である。 なんでも、ゴルトベルクを熱愛するラダーマーは、 22フレット(英 弦楽器の弦を押さえる部分の線上の突起)と24フレットの ギター(通常のギターは19フレット)を特注して多重録音に臨んだようだ。 そういう意味でも興味深い演奏である。
ジョン ルイス、ミリヤナ ルイス(1987、ジャズ即興)
 まず、ミリヤナ ルイスがチェンバロで普通に一つの変奏を弾くと、 その後にジョン ルイスがそれをネタに少しずつ崩しながら即興演奏していく。 ジョン ルイスの即興 は奇を衒うことのない、静かでゆっくりとした演奏で郷愁を誘う。 私は、このCDでジョン ルイスが気に入り、平均律をネタにした即興演奏 (ベースや弦楽器も入るやつ)を何枚か買ったが、なかなかいい。 「バッハのインベンションのような曲を即興演奏できるようになりたい」 というのは 私の究極の夢(妄想)だが、 「バッハの既存の曲をネタにジョン ルイスのようなジャズ即興ができるようになりたい」 というのは、最近の夢である。

追記(01/8/6):そういう訳?で、 頭に思い浮かんだ二声ぐらいの旋律(まあ、この思い浮かぶようになる域に 達するのが難しいのはひとまず措くとして)を、 ピアノの鍵盤を叩いて適切に再現する能力を養おうかと思い立って、 インベンションの耳コピ練習を始めてみていたのだが これがしんどい。最初はグールドや高橋悠治のCDで耳コピしようとしていたけど、 速すぎて(独特の装飾音があって)、なかなか苦しい。 で、電網上から midi ファイルを落としてきて、数倍ぐらいの遅さで再生して、 それで耳コピの練習をしていたのだけど、 一番、二番をどうにか耳コピし終えて、楽譜で確認して、三番をやり始めていたときに、 挫折して、もうちょっと、 私の聴き取り能力にとって負荷の小さい練習に切り替えようと思った。 で、 ジョン ルイスのゴルトベルクのジャズ編曲のCDを、 ゴルトベルクの原曲の楽譜を見ながら耳コピする練習をしてみようかと思い立った (もしかすると、これは、ジョン ルイスのジャズ即興の真似の練習?にも なるかも知れないし)。で、 その成果(実状):公開停止中。 ついでに、 私自身によるゴルトベルク変造曲も参考までに。
ジャック ルーシエ(トリオ、1999、ジャズ編曲、TELARC, PHCD-1593)
 私はジャズはあまり聴かないが、ジョン ルイスをきっかけに、 ジャズ風に編曲/即興したバッハに興味を持ち、 知人に教えてもらった、ジャック ルーシエの「プレイ バッハ」や オイゲン キケロの「ジャズ バッハ」なども聴いてみた。 なるほど、こういうのも面白い。 特にジャック ルーシエの速弾きとかはなかなか刺激的ですらある。 グールドとかの「パラパラ」とはまた別の意味でノリがいい。 こっちの方面も少しずつ開拓していきたいと思う。

 と思っていたら、ジャック ルーシエのゴルトベルクが出た。 スタッカートなども心地よく面白い演奏だ。 個人的には、ゴルトベルクよりも、 リズムをずらしたイタリア協奏曲や平均律の早弾きとかの方が刺激的で 好きである。

続く。

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鍵語: khmhtg ゴールドベルク ゴールトベルク ゴールドベルグ ゴルドベルグ ゴルトベルグ ヴァリエーション バリエーション