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「科学と宗教」で検索してたら辿りついたのですが、読んでみてなるほど、ふーん、頭いいなあと思った。何者だこの人はと、何をやっている人だと、思ったのであります。それからいっぱい本読んでるんだろうなーとか。数学も得意なんですか?
普段から考えているような内容ではあったんですが、こう言えばいいのかあと勉強になりましたよ。
悪い奴をやっつけちゃ駄目よというのも読みました。理屈はわかります。まあ、僕はシンプルなんで殴られたら殴り返します。社会全体から見たら色々な要因が重なって罪を犯すに至ってるので、法律が寛容であるのはまあ良いかもしれませんが、僕という個体は感情もあって、生物だから生存競争みたいなものもあって、子孫残してなんたらかんたらと色々やることが多いので。殺された後は文句は言いませんが、というより言えませんが、殺される前は戦います。それでやっぱり、その悪人という奴が生きていると、この先僕の生存が危うくなるのでやっぱりやっつけちゃえと。
面白いサイトなので定期的に見ようかなと思ってます^^
ではでは。
最近、書き込み頻度が高くなってきたようで有り難いことです。 私はここを見てはいますが、なかなか適宜の反応ができずにおり、 すいません。 Kazuさん、お薦めのジャズピアニストを多数 紹介して戴き、 どうもです。機会を見て少しずつ開拓してみようと思います。
文字化けは、原因調査のため、そのままにしておきます。
キース ジャレットのジャズの即興は、だいぶ前に初期のCDを買って 聞いてみたのですが、私が聞いたものに関する限り、 どうも、クラシックの近現代の無調性音楽のような感じで、 私がクラシックの無調性音楽をあまりいいと思わないのと同じ様な感じで あまりいいとは思えませんでした。 たぶん、もっと違う感じの曲もあるんでしょうが、その後、 特に開拓していません。 チック コリアの初期のピアノ即興は、 モード的な調性感があって割りと気にいりましたが、 それで期待して、チック コリアの中期?のCDを買ったら、そんな感じでも なかったので、その後、開拓してません。
ちなみに、キース ジャレットのクラシックは、ある程度は聞いています。 ショスタコービチの24の前奏曲とフーガは、すごく淡泊な感じ、 というか、キース ジャレット自身、この曲を自分の曲のようだと言っていた とかいう話を友人から聞いてから、キース ジャレットの曲というのは、 私が ショスタコの室内楽をあまりいいとは思わない のと同じような感じの曲かも知れないという偏見を抱いてしまって、 特に開拓してませんでした。 ここ で推薦されていた平均律もかなり淡泊で、 あまりパラパラ した感じがなく、上記のショスタコの印象と重なって、 どうもキース ジャレットのクラシックも敬遠しています。 割りといいと思ったのは、チェンバロでペトリのリコーダーを伴奏しているやつ (ヘンデルとバッハ)でしょうか。
最近、ジャズピアノの即興でいいと思ったのは、 ケーブルテレビのミュージックエアかなんかでやってたやつで、 ハンコックが80年代ぐらいに、 自分のピアノ演奏をパソコンに覚えこませて、 その自分のピアノの自動演奏に合わせてアドリブを入れていくやつです。 曲目はウォーターメロンマンとかだったでしょうか。 なんか、ドビュッシーっぽい響きでもあるんですが、 それにアドリブを重ねていくとなかなか対位的でかっちょいいと 思いました。で、早速、ハンコックのピアノソロでウォーターメロンマンとかの 入ったCDを買ってみたのですが、(まあ、きれいな曲集ではありますが)、 あの、自動演奏にアドリブを重ね合わせるような対位的かっちょよさは 特に感じられませんでした。 という訳で、ハンコックの開拓も一時中止。
といった感じでしたので、色々と開拓しがいのありそうな ジャズピアノ各種を紹介して戴けるのは有り難いです。
先ほどの(下の) 書き込みですが 見事に文字化けしたので、 お手数ですが削除してください。 すいません。 再度書き込みます。 初めまして。プリズムを検索して旅してたら、こちらに辿り着きました。 興味深く読ませてもらいました。クラシックはずぶの素人ですが、 ジャズピアノは結構知っている方だと思っています。 そこで、お勧めのピアニストがいるので興味があれば聴いてみて下さい。 個人的にメルドーより好きなピアニスト達です。 有名なので即に知ってるかもしれませんが、キース・ジャレット。 非常にたくさんの作品があり、どれもそれぞれ良いところがありますが、 とりあえずピアノトリオで「スタンダーズ・ボリューム1」、CD2枚組の 「トリビュート」と「スティル・ライブ」、ソロでは「パリ・コンサート」 や「ソロ・コンサーツ(ブレーメン/ローザンヌ)」。これが気に入れば、 ほとんどの作品が気に入る(箇所がある)と思います。 多くの演奏がホントに即興らしいです。 そういえば、バッハとかクラシックの作品もありますけど、 クラシックファン、ジャズファン双方から賛否両論があるそうです。 演奏中のうなるような?声と、くねくねした動きが面白いです。 DVDもどうぞ。今月、日本でソロコンサートがあります。 次に、エンリコ・ピエラヌンツィ。 バッハ的?なところは見受けられないと思いますが、 ある時からクラシックの影響が感じられる演奏をするようになり、 現在多くの欧州出身ジャズピアニストが彼から何らかの影響を受け ているといわれています(この次のアーティストもそう)。 お勧めは、ジャズ寄りなのが 「ザ・キングダム(マッズ・ヴィンディング名義)」、 「ディープ・ダウン」、「ノー・マンズ・ランド」、「シーワード」 、「チャント・オブ・タイム」、「プレイ・モリコーネ」。 室内楽的なのは、「Trasnoche」、「Racconti mediterranei」 、「Con infinite voci」です。 あとは、ジョバンニ・ミラバッシ。お勧めは、「ダル・ヴィヴォ!」、 全作品です。日本のマイナーレーベル澤野工房からほとんどの作品が 発売されてます。視聴もできます。去年に続き今年も来日。 澤野工房ホームページで発売中。 そして、ヨアヒム・キューン。最強(最高ではなく)のトリオと呼ば れていたダニエル・ユメール、ジャン・フランソワ・ジェニー・ クラークとの作品が圧倒的なテンションがあり良いです。 「Live Theatre De La Ville Paris 1989」、「Easy to Read」、 「From Time To Time Free」。「Collection」はこのトリオでの ベスト盤。他にも、このトリオの作品がありますが、 かなり手に入りにくいです。 その他お勧めは、プリズムに近い感じのジャン・フィリップ・ヴィレ ・トリオ(エデュアール・フェルレ=ピアノ)の「Considerations」、 「Etant Donnes」(澤野工房で視聴可)。 ハンガリーの若手ソルト・カルトネッカーの「In The Beginning There Was The Rhythm 」、「レイニー・フィルムズ」。 ジョン・テイラーの「覚醒」、ゴードン・ベックの「ジャズ・トリオ」 これ以上挙げると、きりがなくなるので、このへんで。 現在E-mailが受信できない状態(原因不明)が続いているため、 メールされても返信が出来ないかもしれません。あしからず。 それと、2ちゃんねるの"超絶技巧なピアニスト"というスレッドが 面白いので是非。クラシックピアノファンVSジャズピアノファン??
初めまして。Prysmを検索して旅してたら、こちらに辿り着きました。興味深く読ませてもらいました。クラシックはずぶの素人ですが、ジャズピアノは結構知っている方だと思っています。そこで、お勧めのピアニストがいるので興味があれ???? ?Τa¨?a°? ? ???Υ??"Standards Vol.1C"Tribute"Still Live"Paris Concert"Solo-Concerts Bremen/Lausanne???????Хa°????DV? ? Enrico PieranunzХ???α???? п?α?? "The KingdoMads Vindin","Deep Down","No Man'Land","Seaward","Chant of Time","Play Morricone?Τ"Trasnoche","Racconti mediterranei","Con infinite voci Giovanni Mirabass"Dal Vivo??Υ?????? http://jazz-sawano.com/ ??H Joachim Kuh″???Υ????Daniel Humair, J.F. Jenny-Clar???"Live Theatre De La Ville Paris 1989","Easy to Read","From Time To Time Free"CollectionΥ???Υ?Υ?? Prys??Jean-Philippe Viret<layer src=
以下、特に断り書きのない限り、「本書」とは『話を聞かない男、地図が読めない女(文庫本版)』(主婦の友社)を指します。引用は同書から。また、「著者」とは、アラン・ピーズとバーバラ・ピーズの両氏を指します。
本書を教科書代わりにしておかしなことを覚えこんでしまうと、ちゃんとした科学知識を身につける妨げとなります。性ホルモンの働きについてはここ、脳の働きについてはここ、進化論についてはここあたりから入門しましょう。本書程度のヨタ本と比較すれば、書き手の実力差は歴然としているでしょう。文章を読んで、書き手がどの程度の実力の持ち主かを見極める訓練を積んでおくことは、とても大事です(ヨタ本に騙されないためにも)。
著者は、進化論に対する最も初歩的な誤解である「獲得形質の遺伝」「生物の目的進化」を信じこんでいるふしがあります。「新しい技能を身につければ、遺伝によってそれが子どもにも伝わるはずだ。」(本書38ページ)、「失敗したと思われたくない気持ちを100万年抱きつづけた結果、男は脳のなかにそれをプログラミングしてしまった。」(本書185ページ)。これについてはここの「進化をめぐる誤解」の項目参照(読みづらい!)。
本書には、右脳と左脳の俗説が頻繁に出てきますが、それについてはここ参照。
男性ホルモンは、女性生殖器官の機能や発育を阻害し、逆に女性ホルモンは、男性生殖器官の機能や発育を阻害する働きがあることが知られています。この作用を利用して、ホルモン療法が行われています。副作用として、乳が出なくなる、一時的な不妊(投与量が多ければ永久不妊)、一時的な性的不能(投与量が多ければ永久不能)などの症状があらわれますから、その点については、治療の際に医者からきちんとした説明があるはずです。けど、「ホルモンの副作用であなたの空間能力が向上して地図が読めるようになる」だの、「副作用でコミュニケーション能力が高まる」だの言い出すトンデモ医者がいたら、そんな医者など即刻取り替えるほうが身の安全のためだと思います。
さて、本書の表題にもなっている「地図読み能力」。著者によれば、男性ホルモンの作用によるんだそうです。けれど、百年前は、性別を問わず大抵の人は地図が読めなかったし、現代だって、開発途上国の人は男も女も大抵 地図が読めません。実際、地図読み能力の差は、「性差」なんかより、「時代差(地図が普及した時代/していない時代)」や「地域差(先進国/開発途上国)」のほうがはるかに大きいだろうことぐらい、容易に予測がつきます。「車を運転する人/しない人」、「高所得家庭出身者/低所得家庭出身者」の間にも、歴然とした地図読み能力差が認められるでしょう。要するに、人間を二つのグループに分けた場合、行動範囲が狭かったり、教育課程が低かったりするグループのほうが地図読みが苦手な傾向が出るということです。タイ人は 地図が読めないなんて言う人がいますが、今後もタイが順調に経済発展を遂げ、広範囲を日常的に移動する生活に順応すれば、地図が読めるタイ人
が増えてくることぐらい予想できます。性ホルモンなど持ち出す必要もないのですが。
「地図を回すのは方向音痴の証拠」なんていうのも、地図が読めない著者の勝手な思い込みです。地図読みに長けた人なら、逆に、高度な地図読み能力を発揮しなければならない場面になるほど、地図を回す必要が生じると言うでしょう。主要幹線道路を車で漫然と走っている時にはわざわざ地図を回さなくても、複雑な路地を何度も右左折していく時には、地図を回すでしょう。ちなみに登山におけるルートファインディングには、非常に高度な地図読み能力が必要とされますが、「地図回し/体回し」は必須のテクニックです。
本書は全篇ツッコミどころだらけすぎて、いちいち挙げていくときりがないので、このへんでやめときます。参考までに、本書を批判する記事として、こちらを紹介しておきましょう。このページのネタ元のひとつとなっている、大和久将志氏が「AERA]に掲載した記事は、残念ながら私は未読なのでコメントできません。ただ、引用されている《言っては悪いが、これだけ聞けば「酒場の与太話」である。……脳科学の成果は「与太話」に結実したということか》とか、《「脳科学ではこうなる」というのを集めると、ものすごく陳腐な人間像ができるわけです》なんてのは、非常に痛烈です。「女のほうが脳梁が太い」(本書78ページ)なんて巷でよく言われていますが、本書によって広められた都市伝説にすぎないのかも。
駄本を読んで頭痛と目まいを起こしたあとは、まともな文章でも読んで目を休めましょう。「人間の能力を不正確に測り、結果を差別に利用する」という著者とは対極の立場に立つ人・ビネー(知能テストの創始者)の試行錯誤の足取りが書かれています。「人間の能力をできるだけ正確に測り、結果を適切なサポートを与えるために利用する」というビネーの理想こそが、もっと世に広められる価値があるのではないでしょうか。
(おわり)
以下、特に断り書きのない限り、「本書」とは『話を聞かない男、地図が読めない女(文庫本版)』(主婦の友社)を指します。引用は同書から。また、「著者」とは、アラン・ピーズとバーバラ・ピーズの両氏を指します。
本書が疑似科学書であることを指摘すると、「これは人間関係についての本だ」と言って弁護しようとする人がいます。けど、本書から疑似科学的こじつけを取り除けば、いったい何が残るというのでしょうか。百歩譲って人間関係の本だとしても、やっぱりトンデモ本であることに変わりはありませんから薮蛇です。
人間の騙されやすさを論じる際に、よくバーナム効果という言葉が使われます。この心理を利用すれば、デタラメな心理分析がぴたりと的中します。
以上のことを念頭に置いて、ここに引用されている「ボブがスーたちの会話を理解できないわけ」を考えてみましょう。 余談 : ひとたびお喋りに夢中になると他のことが見えなくなり、ボブに対する配慮が全くできなくなるスーは、物事の並行処理能力やコミュニケーション能力が著しく低い人であることがわかります。また、「相手の話が理解できないから」などという訳のわからない理由でキレるボブは、冷静な状況分析能力や総合的な判断能力が著しく低い人であることもわかります。そう、種明かしはこうです。
「趣味嗜好や関心領域の異なる人たちの会話は、全く理解できない」
10代の連中が談笑している中に70代の人が混じっている場合とか、ガンダムファンの会合に、ガンダムなど知らない人が紛れ込んだ場合とかを考えればわかります。性差など持ち出すまでもないことですが、脳の性差にこじつけて説明付けると、あたかも男の本質・女の本質をぴたりと言い当てているかのように信じこんでしまいます。本書に紹介されている他のケーススタディも、こんな調子です。
本書には繰り返しこんな意味のことが書いてあります。
「男女間にトラブルが起こるのは、男脳と女脳が根本的に違うからだ」
もう、おわかりでしょう。
「人間関係がこじれるのは、「私脳」と「あの人脳」が根本的に違うからだ」
って言うか、別に脳なんか持ち出すまでもないことです。
「人間関係にトラブルはつきものである」
「人それぞれ考えが違う」
なんだ、当たり前すぎてくだらねー。
著者の男脳・女脳理論では、嗜好も能力も近い同性間で起こる激しい対立が説明できません。著者は、「男も女も、自分と同じようにふるまうことを無意識のうちに相手に期待している。だから二人の関係がおかしくなってしまうのだ。」(本書19ページ)と言いますが、著者の理想とする「完全な性別役割分業制度で、男女が同じであることを期待しない社会」になったところで、やっぱり男女関係はもめるだろうに。あと、脳が一人一人異なることがわかったところで、人間関係の悩みなど解決しません。これも当たり前ですが。
注意深い読者なら、「男脳と女脳は根本的に違う」のスローガンは、いさかいの真の原因を理解しようとせず、具体的な対処法も示さずにごまかすだけの便利な言い草だと気づくでしょう。ある種の「割り切り」は、有用な処世術の一つではありますが、常に有効だというわけではないでしょう。どのみち価値観も、負ってきた経験も異なる人間同士のつきあいです。時には衝突を覚悟で葛藤しなければならないことだってあるでしょうに。夫婦間ならなおさらそうでしょう。価値観の異なる人間同士が折り合いをつけ、程良い妥協点を見出していくには、とことん話し合うことだって必要です。「男と女は違う」の一言で逃げてばかりいていいのでしょうか。
当たり前のことを当たり前に述べていればいいものを、こじつけのヘンテコ理論やら、最新の研究成果と称する珍説やらでぐちゃぐちゃにして、さんざん電波を飛ばしまくっているだけの本書。人間関係指南書としても、完全にダメ本です。
『話を聞かない男、地図が読めない女』書評 その4.各論 に続く。
以下、特に断り書きのない限り、「本書」とは『話を聞かない男、地図が読めない女(文庫本版)』(主婦の友社)を指します。引用は同書から。また、「著者」とは、アラン・ピーズとバーバラ・ピーズの両氏を指します。
優れた疑似科学批判はすでにたくさんあるので、改めてここで繰り返す必要はないでしょう。疑似科学についてはここ参照。下の方に関連ページがいろいろ紹介されています。本書は典型的な疑似科学本です。
本書の著者については、ここに紹介があります。著者は、自身が主催する怪しげなセミナーの講師。専攻について触れられてもいないことからして、二人の著者のうちいずれもが、脳科学をきちんと学んだわけではないらしい。科学の素養があるかどうかも怪しい。著者の能力の程度は、本書を読めば一目瞭然です。ちなみに本書の半分くらいは下ネタ話で占められています。くだらない。
本書の特徴を挙げておきましょう。
この手の稚拙な文章は、疑似科学本一般によくみられます。自分の意見をきちんと論理的に述べる能力がないからこそ、科学の威を借りたがるのでしょう。
著者は、「男の脳と女の脳は根本的に違う」と執拗に繰り返し続けます。けれど時たま、取って付けたように(批判された場合に備えてのセコイ逃げ道を用意し、かつ自分は人格者であることを誇示しようとして?)こう言います。
男女は生まれつき異なる行動を「しがち」だということにすぎない。男女のどちらかが、かならず特定の行動を取る、あるいは取るべきだと決めつけるつもりは毛頭ない。
(本書29ページより)
著者の主張を要約すると、こうなります。
「男の脳と女の脳は根本的に違う。男の脳と女の脳は根本的に違う。男の脳と女の脳は根本的に違うわけではない。男の脳と女の脳は根本的に違う。男の脳と女の脳は根本的に違う。・・・・・・」
完全にギャグです。
「男は道に迷わない」と繰り返し書いたかと思えば、「男はしょっちゅう道に迷う」(本書171〜172ページ)と書く。教育現場で相手の尊重や協力・寛容を教えることを「教育の女性化」(本書335ページ)と怖気をふるっていたかと思えば、今どきの男には相手への尊重を教えようとしない(本書337ページ)と嘆いてみせる。「男は感情を高ぶらせることなく、論理や言葉を操り(左脳)、立体的な思考で解決策を見いだす(右脳の前部)ことができる。」(本書180ページ)と言った舌の根も渇かぬ次ページで、「男の脳は機能ごとの区分けがはっきりしているため、感情への処しかたは下等な動物レベルでしかなく、言ってみれば敵を反射的に攻撃するワニ並みだという。」(本書181ページ)と言う。男は空間能力が優れているだの言語能力が劣るだのとさんざん書いておきながら、自ら自説を覆します。
男の場合、冷蔵庫をのぞきこむときに脳が探しているのはバターそのものではなく、「バター」と書かれた文字だという研究結果もある。
(本書45ページより)
なるほど、男は「バター」の文字を読み取る言語能力はあるが、空間内の物の配置はわからないわけか。
ひどい健忘ぶりです。同じことばかり繰り返すのも、前に書いたことを忘れてしまうのが原因かもしれません。著者によれば、「エストロゲンは記憶を助ける働きもある。」(本書214ページ)そうですから、脳にエストロゲンを注射したほうがよいでしょう。その場の気分次第でコロコロ変わるようなことを「科学的事実」とは言いません。ただの思いつきです。
遺伝決定論を振りかざして差別を正当化する人が、都合次第で瞬時に文化決定論者に豹変するのはよくあること。著者もまた、立場を二転三転させます。本書334〜335ページあたりを読むと、もはや性別役割というものは、絶えず教育を施し、刷り込み続けていなければ、維持も継承もできないかのようです。著者はこう言いたいのでしょうか。
「人間の思考や行動は、生まれた時から決まっており、文化や教育によって変化することはない。しかし、近年になって文化や教育が変化したせいで、人間の思考や行動は変化してしまった。よって文化や教育を変化させ、人間の思考や行動が変化しないように人間の思考や行動を変化させるべきである」
もう無茶苦茶です。著者は自分がいったい何を信じているのか理解する能力すらないのでしょうか。科学云々以前に、著者は基本的な論理能力に問題があることがわかります。
疑似科学者は、批判を受けても、誤りを認めたり自説を再検証し直したりすることはまずありません。かわりに、その場しのぎの仮説(アドホックな仮説)を繰り出してくる場合があります。その場しのぎの仮説は、しばしば反証不能であったり、未知の作用機構を持ち出していたり、疑似科学者のそれまでの理論とは完全に矛盾していたりします。トンデモさんの理論はツッコミどころだらけ。ツッコマれるたびにその場しのぎを繰り返すたびに、トンデモさんの理論は、全く辻褄の合わない支離滅裂な内容になっていきます。本書に対する以下の数々のツッコミ(というより、著者の論法を逆手に取ったパロディや皮肉)に対して、著者がどんな苦し紛れのその場しのぎをひねくり出すか、なかなか楽しみです。
トンデモ説支持者は、批判を受けると、しばしばトンデモ説に含まれる部分真理を強調することで、トンデモ説全体を擁護しようとします。自論に都合のよい事例ばかりを寄せ集めてつぎはぎし、部分真理をすさまじいまでに拡大解釈したり誇張したりして誤誘導を狙うのは、疑似科学者の常套手段。こうした疑似科学説を痛烈に皮肉った有名なパロディに、「DHMOの恐怖」というのがあります。まんまと騙されてしまった人も、最後にオチを聞けば、「な〜んだ」でしょう。でも、種明かしを受けてもいっこうに目を覚まさず、「DHMOによって多くの人が死んでいるのは事実だ」などと言い張り続ける人たちが相手では、もはや完全にお手上げです。
本書のトンデモっぷりをどれだけ聞かされようが支持をやめない人たちがいかにも言いそうな台詞はこうでしょう。
「でもやっぱり、男と女は違う」
だ〜か〜ら〜。そういう問題じゃないって。
『話を聞かない男、地図が読めない女』書評 その3.人間関係 に続く。
以下、特に断り書きのない限り、「本書」とは『話を聞かない男、地図が読めない女(文庫本版)』(主婦の友社)を指します。引用は同書から。また、「著者」とは、アラン・ピーズとバーバラ・ピーズの両氏を指します。
この問題の根本的な原因は、男と女はちがうという単純な事実に尽きる。どちらが良い悪いではなく、ただちがうのである。これは科学者、人類学者、社会生物学者には常識でありながら、あえて世間には知らせてこなかった事実だ。というのも、人種や性別、年齢などで人間を差別しない、つまり「政治的に正しい(ポリティカリー・コレクト)」ことをめざす社会では、そんなことを口にするとつまはじきにされるからだ。いまの世の中では、技能や適性、能力において、男女差はないことになっている−−だが、その前提が完全な誤りであることは、科学の世界では以前から知られていた。
(本書16ページより)
[問1] 血液像には、このように性差があることが知られている。血中に含まれる性ホルモン量も、性別により大きな差が存在する。にもかかわらず、血液学の教科書は、「男血液・女血液」という分類は一切していない。「男血液と女血液は根本的に違う」と世に言い広める科学者も存在しない。その理由として適切なものを次のうちから選べ。
a.「政治的に正しい」ことをめざす社会でつまはじきにされることを恐れているから。
b.あえて世間には知らせたくないから。
c.バカバカしいから。
[問2] 次の文章は、歴史学に対する根本的な無知と誤解に基づいて書かれている。ツッコミを入れよ。
いまの世の中では、人を殺さないことが「法律的に正しい」ことだとされている−−だが、その前提が完全な誤りであることは、歴史学の世界では以前から知られていた。(以下、歴史上のさまざまな虐殺や残虐事件の数々を並べ立てる) このように、殺人が普通に行われてきたことを、歴史学者たちは明らかにしてきた。ゆえに、どんどん人を殺してもよい。
自然主義的誤謬については、ここやここを参照のこと。ただし、最初の提唱者ムアの自然主義的誤謬批判は、ちょっとおかしな主張だったようです。
他の生物個体から食物を盗んだり奪ったりする行為は、動物界でごく普通にみられる当たり前の行動です。自分で食物を探したり、獲物を捕えたりするにはかなりのエネルギーを費やすことを考えれば、これは最小限のエネルギー消費で食物を得る効率的方法として説明がつきます。より巧みに盗みを働く個体が生き残りやすくなるような淘汰圧も働くでしょう。人類の歴史を見ても、より大規模な略奪行為をする者が大いに栄えてきたことがわかります。では、人間は盗みを働くよう遺伝的に決定していることが科学的に証明されれば、窃盗や強盗が正当化できるでしょうか。人間の脳は、相手の隙を見て金品を失敬することにかけては優れた適性を示すけれども、ε-δ 論法を理解することにかけては絶望的なほど適していないことが科学的に証明されれば、学校で数学を教えるのは廃止して、かわりに万引のテクニックを教えたほうがよいのでしょうか。
人類のありとあらゆる文化圏で、ほんのつい近代に至るまで、政治は、占いや神がかり的な託宣に基づいて執り行われてきました。おそらく、それが人間の自然な本能というものでしょう(現に政教分離を建前とする国だって、あまりうまくいっているとは言い難い)。では、これからも政治は、占いや神託で動かしていくべきでしょうか。
さて、冒頭に引用した著者の文章、どうもどこかで見覚えがあると思ったら、ありました。疑似科学批判の古典『奇妙な論理』(ハヤカワ文庫NF)の中で、ガードナーは、ナチスのユダヤ人迫害を正当化したユリウス・シュトライヒャーの次の言葉を引用しています。
「ユダヤ人の血球はゲルマン人の血球とは完全にちがっている。これまで人は、この事実が顕微鏡による検査によって証明されるのを妨げてきた。」
(マーチン・ガードナー『奇妙な論理』 「憎悪を煽る人々」の章より)
ナチス時代には遺伝子は未発見、脳の働きもまだ一般にはあまり知られておらず、血の違いこそが人の優劣を決めると信じられていた点に注意。シュトライヒャーの文と著者の文は、半世紀以上を経て全く独立に書かれたものとは思えないくらいそっくりです。「顕微鏡による検査」などと(当時としては)最新の科学が事実を明らかにしたかのように演出する手口と、CTスキャンやらMRIやらを持ち出す著者の手口も同じ。差異を示すことによって差別を正当化する試みは、さまざまな人たちによって繰り返し行われてきました。普段は猛烈に反科学な人たちが、差別を正当化する疑似科学を前にしたとたん、態度を一転させて「お科学さまっ!」とひれ伏してくるのは実に不気味です。
OECD諸国間で科学的常識の理解度を国別に調査したことがあります。私はこの調査に疑問を持っていますが、それはひとまず脇に置く。この調査結果を、科学能力の「国差」と名付けることにしましょう。見てのとおり、日本人の科学能力は、先進国の中ではほぼ最下位であることが判明しました。よって、日本人は科学に関係する職業(理系の研究者、技術者、理科の教師などなど)に就くべきではありません。日本の科学教育は即刻廃止しましょう。日本人の脳は科学に適していないことは明らかだからです。国差を否定してはいけません。違いを認め合いましょう。え? じゃあ、日本人はどうすればいいかって? 簡単です。さまざまな能力の国差を調べれば、日本人に適した分野がおのずと見つかります。
極めつけに、「ピーズ差」も徹底的に調査しましょう。人間を、ピーズ人(本書を支持する人。「ピーズ脳」の人)と反ピーズ人(本書に批判的な人。「反ピーズ脳」の人)に分類します。両者の読解力・文章力・論理構成能力・科学能力などの能力差(ピーズ差)を比較調査しましょう。結果はあまりにも容易に予測がつきます。有意なピーズ差が認められれば、日常生活のありとあらゆる場面で、ピーズ人と反ピーズ人を徹底的に区別し、事あるごとにピーズ差を強調しましょう。「ピーズ脳と反ピーズ脳は根本的に違う」が合言葉です。何度も繰り返し唱えましょう。
また、最新の脳科学研究によって、ピーズ差が生じる原因を解明しましょう。ピーズ人と反ピーズ人の脳のCT像を比較するもよし、MR像を比較するもよし。脳血流イメージングやら脳シンチやらPETやら、ありとあらゆる手段を総動員して、ピーズ差の解明に努めましょう。人間の脳は空白の石板ではありませんから、ピーズ差が生じるのも先天的な脳構造の差に原因があるはずです。期待しましょう。
『話を聞かない男、地図が読めない女』書評 その2.疑似科学 に続く。
ちょっと試験書き込み。