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後藤文彦の頁
Retpaĝo de GOTOU Humihiko

Id: #keiziban20000928214542 (reply, thread)
Date: Thu Sep 28 21:45:42 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000919113158
Name: キホノ
Subject: 分かるも何も…
 ちょっと目をはなしたすきに、またすごいことになってますね。

 たんぽぽさんに、後藤さんが返答してくださっていて、
概ね共感できますが、私に対してコメントされた部分には、
私なりの言葉で返答を試みたいと思います。

たんぽぽさん。

「こんな説明」って……???

>ようするにね、
>「言いわけ」や「責任転嫁」のことは客観的根拠がないけれど、
>どうも経験的に事実らしいと受け入れなければいけないようですよ
>ということなのですよ。

 後藤さんはご自分が「言いわけ」や「責任転嫁」をなさっているとは
お感じになっていないわけですよね。現に、そう感じていない人に、
客観的な根拠を示さず、どうやって、「事実らしい」と「受け入れ」させる
おつもりだったんですか?
 たんぽぽさんのお話を聞いていると感動して、なんだか、たんぽぽさんの
言う通りだという気がしてこないとおかしい、ということですか?
 それとも、「私が言いわけだって言ってんだから、あんたもそう思いなさい」
という命令をしてきたということですか?
 そもそもたんぽぽさんはどういうおつもりで、書きこみをなさってきたのでしょうか?
 誹謗中傷が目的ではないんですよね?(純粋に疑問に感じはじめました。)
 私なりに精一杯善意に解釈すれば、
「後藤さんが間違ったことを考えていて、しかもそのせいで苦しんでいるようだか
ら間違いを正してあげよう」ということなんだろうと思います。
 もしそうなら、親切心はたいへん結構なことだと思いますが、
ご自分の考えの一方的押し付けではなく、
相手をきちんと納得させた上で、その間違いを正そうという気はおありなんですか?
「経験的に事実らしい」なんていうたんぽぽさんの個人的認識を示すだけで、
どうやって相手は納得すればいいのですか?
 現実に全くできている様子がないですし。

>小谷野氏批判の各サイトに出てくる人たちを見ていてもそうですが
>いやしくも恋愛のできた人はだーれも、自分の恋愛ができないのを
>他人や社会のせいにしてよいとは言いませんよね。

 だからなんだというのでしょうか?
 たんぽぽさんがご自分の共感なさっているものを引用して並べているのだから、
たんぽぽさんの主張(というか主観)と一致するのは当たり前ですよね。
 たんぽぽさんが共感するものに、後藤さんを含め他の人たちも共感しなくては
いけない必然性は、今のところ皆無のような気がするんですけど。
 そもそも、あの「小谷野氏批判サイト」を並べることに
何の意味があったんでしょうか?
 ご自分が多数派であることを示せば「自己正当化」できると思ったんですか?

 ちなみに、私はたんぽぽさんご紹介の「小谷野氏批判サイト」?を、
一応読みましたが、彼らは、たんぽぽさんが理解されていないことを、
はるかに理解されている方たちだと感じました。
 たとえば、自分が書いているものは、「批評」ではなくて「感想」だ、
とちゃんと断っている人とか、
 自分が書いているのは「罵倒」だと自覚している人とか…。
 厳密な言い方をすれば、たんぽぽさんが紹介なさったものは、
本当に小谷野氏を「批判」しているのでしょうか?
 彼らは、書店で売っている本を買ってきて読んで、各々個人的な感想を
述べているに過ぎないし(もちろん、そこに何ら悪いところはありません)、
そのことを自覚している、と感じました。まあ、みんながみんなそうだとは
言いませんけど、少なくとも彼らは、小谷野さんに直接ものを
言っているわけではないですよね。
 たんぽぽさんは後藤さんに直接言っているわけですけど。
 直接言って、しかも相手を否定するということは(もし、相手を罵倒することが
目的ではなく、建設的な議論を指向するのであれば)、個人的な感想を
言うこととは全く違うことになります。
 ここ、結構ポイントだと思います。
 人が人にものを言うということがどういうことか、冷静に考えてみることを
おすすめいたします。
 
>自分の恥ずかしい過去、苦い体験、切ない想いを振り返り、
>責任転嫁の無意味さに気が付く...
>どんな合理的理由をつけても、責任転嫁して恋愛がうまくいったためしがない...

 たんぽぽさんがおっしゃる「責任転嫁」が、単なる中傷のために使われている
言葉ではなく、語義通りの「責任転嫁」なのであれば、おっしゃる通りそれは
無意味ですが、合理的理由はつかないはずです(合理的理由のつく「責任転嫁」
なんて矛盾しています)。逆に合理的理由がつくのであれば、
それは、「責任転嫁」ではないはずです。合理的理由のつくものを、
「責任転嫁」とよぶのであれば、それは単なる中傷です。
 もし、後藤さんの議論が、本当に語義通りの「責任転嫁」であるなら、
合理的理由に見える議論は、実は合理的でないはずで、そこのところを、
ちゃんと合理的に指摘しなければ、たんぽぽさんの言うことはいつまでたっても
中傷の域を出ず、言われている方は不愉快なだけで、説得力は全くありません。
 実際、まるで説得できていない様子ですが、この現実を、たんぽぽさんはどう
見られるのでしょうか? まさか「わたしの言うことを分からないのが悪い」なんて
まさに語義通りの「責任転嫁」をするつもりはないですよね?

>「恋愛ができないことを責任転嫁するのは、どんな内容でも単なる言いわけ
>にしかならない」らしいと考えるしかないのだと思います。

 どうでもいいと言えばいいんですが…。
 たんぽぽさんは送信する前にご自分の文章を読まれていますか?
 「責任転嫁するのは言いわけだ」というのは、そんなの当たり前というか、
今までのたんぽぽさんの文章を読んでいると、「責任転嫁」と「言いわけ」
はほとんど同義に使われているようですから、単なる言い換えに過ぎない
じゃないですか。
 たんぽぽさんは、「説明」だの「解説」だの「ああ、やっぱり」だのと、
「わたしは全て分かっているから、分かってないやつに教えてやる」ということを
匂わすような、こけおどしのための修辞を使うことには一生懸命なわりに、
肝心なところで言葉の使い方が杜撰なので困ります。

>「基本的人権を大切にしなくてはいけないのはなぜか、
>客観的な根拠をあげて説明せよ。」と言われてもできないでしょう?

 はい、できません。
 たんぽぽさんのおっしゃる通り、「全人類が幸せになるためには」
どうしたらよいかということを、完全に合理的に考えていくと、唯一
「基本的人権を尊重しなければならない」という答えが出ると仮定します
(「全人類の幸せ」は主観によらない定義付けがされているとします)。
 そうすると、「基本的人権を大切にしなくてはならない」は
「全人類は幸せの方がよい」という主観を前提にしていますから、
「基本的人権を大切にしなくてはならない」も、十分主観的であると言えます。
 まあ、最初にした仮定が現実どこまで正しいか、ということには議論の
余地があるのかもしれませんが、たんぽぽさんのおっしゃる通り、
少なくとも「基本的人権を大切にしなくてはならない」ということに
完全な客観的根拠などないはずです。
 私は「基本的人権は大切にしたほうがよい」と思っておりますが、
これは、私の主観に過ぎないと思います。で、たまたまこの主観は
現在の社会では受け入れてもらいやすい。なかなか幸運なこと
かもしれません。

>どんな合理的理由をつけても、基本的人権を否定してよい社会ができた
>ためしがない...

 「責任転嫁」もそうですが、こういうことを言ってしまうところに、
たんぽぽさんの考え方の間違いが端的に表れているように思います。
 「どんな合理的理由をつけても」ではなく、「合理的理由」を
つけようがないから、基本的人権を否定することができないのではないでしょうか。
 もう少し正確に言うなら、「基本的人権を大切にしなくてはならない」
ということを根本的に支えている主観を、「合理的理由」によって
否定したり肯定したりすることができる、というのはおかしいでしょう。
たとえば「チョコはおいしい」というのを合理的に否定できるでしょうか。

 もっとも、最初にした仮定「全人類が幸せになるためには基本的人権を尊重
しなければならない」が間違っているというのであれば、話は別です。つまり、
「全人類が幸せになるためにはどうしたらいいか」という議論を完全に合理的に
し尽くした結果、「基本的人権を尊重しなければならない」という結果に
ならなかった場合は、合理的に否定できます。たんぽぽさんのおっしゃる
「基本的人権を否定してよい社会ができたためしがない」というのが本当だと
すれば、合理的に議論して、「基本的人権を尊重しなければならない」
という結果以外の結果が、過去において、出たことがなかったということでしょう。

 どちらにしても、たんぽぽさんのおっしゃるような、「合理的理由がついても
否定できない」というのは間違いです。
 これは、たんぽぽさんが、ご自分の考えの中で、客観的事実と、単に主観に
過ぎない部分とをきちんと区別しておらず、ただ正しいと思いこんだことを
「正しい」と言い続けているだけだ、ということがよく分かる間違いだと思います。

 議論というのは、合理的に進められるべきものでしょうが、
その前提となる事項は、議論をする人達の主観の共通する部分から
成立しているはずです。
 たとえば、「基本的人権を大切にしなくてはならない」ということを
前提として、「では、基本的人権を守るためにはどうしたらよいか」
ということを考えるために、「合理的」に議論を進めることは可能ですが、
この前提自体は主観的です。
 で、この議論が議論として成立するためには、議論をする人達全てが、
前提となる「基本的人権を大切にしなくてはならない」という主観の
持ち主であることが必要条件になります。もし、
「基本的人権など踏みにじっても、国が強くなることが重要だ」
という人が混じっていたら、その人とは、けんかはできても議論はできません。
 また、「では、基本的人権を守るためにはどうしたらよいか」に相当する、
議論の方向性のようなことを、全員が把握していることも重要でしょう。
 
 さて、今までの後藤さんとたんぽぽさんの議論(議論になっていないという
ご指摘もあり、私も全くその通りだと感じますが、仮に成立していた
として考えます)において、前提になっていた、お二人に共通の主観とは
どのようなものでしょうか。
 こういった前提ということは、暗黙の了解のようになっていることが
多いように思われますが、お二人の議論も例外ではないようです。
 私なりにそれを言葉にしてみるなら…
「恋愛にあぶれることは苦しいことであり、あぶれて苦しんでいる人は
気の毒なので、できることならなんとかしたい」
…というところでしょうか。
 後藤さんの「二番目」などを読む限り、これを前提にしていることは
まず間違いないと思うのですが、たんぽぽさんも、この前提に共感している
からこそ、議論を持ちかけたはずです。もし、
「恋愛にあぶれるやつなんて、苦しみながら淘汰されてしまえばいい」
という主観の持ち主がいたとすれば、この人とは端から議論はできません。

 ここまではいいとして…。

 私は最初の書きこみで、後藤さんが「二番目」などで目指しているものを、
たんぽぽさんが勝手に取り違えて否定している、ということを指摘しました。
 これは、上述の基本的人権の議論で言えば、「では、基本的人権を守る
ためにはどうしたらよいか」に相当する、議論の方向性が、たんぽぽさんと
後藤さんで違っているということです。ですから、最近の書きこみで後藤さん
も指摘なさっていることですが、後藤さんは端から
「どうすれば恋愛に成功するか」
という議論をしていないのに、たんぽぽさんが恋愛の成功経験によって、いくら
ご自分を正当化なさっても、その内容が正しい正しくない以前に無意味です。
 単純に疑問なんですが、話を理解できていましたか?

 また、議論をする人達が議論の前提と方向性を受け入れれば、
その後は合理的に議論を進めることができるということは上に示しましたが、
その議論の最中に、客観的根拠のないことを、あたかも事実のように
述べ始める人がいたら、議論の合理性は崩れ、成立しなくなります。。
 こういう人が、まさにたんぽぽさんです。
 条件が整い、いったん議論が始まれば、あとは前提以外のことを、
客観的根拠なしに受け入れる必要はないはずです。
 たんぽぽさんは今までずっと、合理的に議論が進められる場面においてすら、
客観的根拠を示さない断定を連発しています。これは、単に自分の主張を
受け入れろという要求を一方的にしてきたに過ぎません。
 後藤さんにしても私にしても、そんな要求を受け入れる義理はありません。
 地球はたんぽぽさんを中心に回っているのではないのです。

>それでも「そんなものは人権信者の偏った個人的主観的断定にすぎない」
>とか「人権思想がどこに行っても通じるというのは偽善的だ」
>のように言い抜けることはできるわけです。

 「言い抜け」という表現が適切かどうかを別にすれば、その通りでしょうし、
こういった意見が、「基本的人権は大切だ」という主観とは違う主観をもとに
述べられているとすれば、そういう意見を述べる人に向かって、
「基本的人権は大切だ」と、いくら声高に叫んだところで、
その人を納得させることはできません。
 同様に、後藤さんも私も、たんぽぽさんの一方的要求を受け入れることは
できません。

>実際、基本的人権を疑う人は、世の中に少なからずいますよね。
>人権などある程度制限したほうが、よい社会ができるのはないか
>という可能性を、慎重な議論のもとに探る人が...

 たんぽぽさんのおっしゃりたいことというのは、「よい社会」の定義が違う、
つまり、「基本的人権は大切だ」とは違う主観を表明するような人がいる
ということですよね(こんな確認をするのは、合法的に人権が制限される
ということもあったと思うからです。そんなところで突っ込みませんが)。
 当然いるでしょうね。世の中にはいろいろな人がいるものです。
で、私にしてもたんぽぽさんにしても後藤さんにしても、
その「いろいろな人」の一人です。誰か一人がスタンダードだという
わけではありません。

 たんぽぽさんの文章を読んでいると、「基本的人権は大切だ」の完全な
自明性を勝手に作り上げてしまっていることが分かります。これは、
たんぽぽさんが今までも、ただの自分の思いこみを押付けてきていたに
過ぎないということのいい証拠だと思います。なかなか良い例でした。
「基本的人権は大切だ」が、いくら多数派の意見であり、憲法にまで
うたわれていると言っても、違う主観のもとに生きている人達を納得
させることはできないし、その人達が意見を表明することを、即座に
否定することもできません。「基本的人権は大切だ」の自明性など、
その程度のものです。たんぽぽさんは、勝手に完全な自明性を
信じ込んでいますから、私にも当然通用すると思いこみ、それを
利用して(?)、今までの自分の言動の「自己正当化」作戦に出た
ようですが、失敗でしたね。

>あるいは、さらに変なたとえかもしれないけれど、
>最初に設定した公理系みたいなもので、わたしなどの住んでいる恋愛の世界は
>これを前提にしているのですね。

 これは要するに、今までのたんぽぽさんが今まで主張してきた
恋愛観などの自明性は、「私が勝手に与えたものです」、という宣言ですね。
 それを自覚して、あれだけ他人を否定していたのですか?
 たいしたもんです。

>だから、その公理系を否定して、違う公理系を構築することは勝手ではあります。
>でも、それだとうまくいかないらしいことが経験的にわかっている...

 うまくいった経験でご自分の論を正当化するのは、お門違いだということは
上述しました。

 それを承知でさらに話を進めてみましょう。

 あまり言いたくないのですが…。
 たんぽぽさんの思いこみの強さから察するに、たんぽぽさんが思っている
「自分の設定する公理系を採用すると、恋愛がうまくいくということが
経験的に分かっている」
 というのは、実際には
「自分の設定する公理系と、恋愛がうまくいった経験との間に、
勝手な思いこみで因果関係を作り上げている」ということだ、
と考える方が、むしろ自然であるような気さえします。
 少なくとも、たんぽぽさんはまるで客観的な根拠を持たないので、
そうではないと言い切ることはできません。

 極端な例を一つ挙げましょう。
 私が中学生のとき、女の子達の間で、消しゴムに好きな人の名前を
書いておいて使い切ると恋が実る、というおまじないのようなものが
流行っていました。
 このおまじないを信じる女子中学生が、これを実践した後に
その恋が実ったとしましょう。そして、彼女が「おまじないが効いた」と信じて
疑わず、
「このおまじないをすると、恋愛がうまくいくことが経験的にわかっている」
などと言い出したとします。はたして、この主張を鵜呑みにする大人は
どのくらいいるでしょうか。おそらく、ごく少数でしょう。それは、おまじないと
恋愛の成功との間に、科学的な因果関係が見られないからです。
 彼女が自分で信じているだけだったら全く無害で、ほほえましいくらいですが、
他のおまじないのやり方をしている子に向かって、「経験的にそれはおかしい」
などと言い出し、挙句の果てに「そんなやり方するなんてバカじゃないの」
などと言ったら、それを周りから見ている大人からすると
「ちょっと待て、いい加減にしろよ」という気分になることでしょう。

 まあ、これは極端な例で、私個人は別にたんぽぽさんの恋愛観などが、
おまじないと全く同レベルだとは思っていません(そう言われたとしても、
今までの議論のし方では、きちんとした反論はできそうにありませんが)。
しかし、本質的には同種の思いこみが含まれているのではないか、だからこそ、
たんぽぽさんはご自分の論を「客観的根拠のない経験論」などという
言い方をするのではないか、と思います。そう思う一番の理由は、
たんぽぽさんの物言いがあまりに断定的であるからです。きちんとした
論拠の示されない断定ほど、疑わしいものはありません。「自信たっぷりの
態度で押し切っちゃおう」というはったりを感じます。
「相談員」口調だからといって、みんなが納得するわけではありません。
 ましてや、恋愛のように複雑な要素がたくさん絡み合う現象を、
あのような断定で表現し切れるとは到底思えません。
もっといろいろな可能性があるはずです。

 たんぽぽさんの論が恋愛における心構えとして機能する場合はあると思います。
 たとえば、「努力をしなくては恋愛は成功しない」という強い心構えを持つ、
そう強く信じ込むことによって、努力するようになる、その結果恋愛成功率は、
少なくとも何もしないよりは上がる、といことはあるでしょう。
 しかし、だからと言って、「努力をしなくては恋愛は成功しない」が、
一般論として現実を言い当てているといえるか、というと、
それは全く別の話だし、ましてや、「どこへいっても通用する」などというのは、
はっきり言っておごりです。
 たんぽぽさんは、ご自分が採用してきた「心構え」を、あたかも現実を
言い表しているかのように言い続けていただけなのではないでしょうか?

>こんなところで手間取るとは、夢にも思わなかったもので...

 「夢にも思わなかった」というところ、ポイントですね。
 なぜ「夢にも思わなかった」ようなことが起こったのか、
冷静に考えてみることをおすすめいたします。

Id: #keiziban20000928193839 (reply, thread)
Date: Thu Sep 28 19:38:39 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000928161156
Name: GOTOU Humihiko
Subject: Leginte Idon...mi provos respondi kvankam ne Ide


>Me tote ne es kapabla debatar irgo kontre tala erudito.
>Regretinde me es ne-edukito do ne povas skribar bone
>en la Japona, do.....

C^u vere ? Al mi s^ajnas, ke vi estas sufic^e multe pli
`erudita' kaj `edukita' ol mi lau~ jeno:

>me tre facile??? parolas
>Hispane, Portugale, France, Itale, Germane, Nederlande, Angle
>ed en kelka altra lingui

>Kande me skribis la hempagino 国際語IDO, kelka Japoni e specale
>mea kara Profesoro MORITA-Akira Sensei helpis me facar olu.

C^u tio signifas, ke kvankam vi ne sufic^e kapablas japane skribi,
vi iel povis skribi la pag^on japane dank'al helpo de MORITA ?

Se jes, mirinde !

Nu leginte c^i pag^on pri pli-avantag^eco de Ido ol Esperanto,
mi ja havas kelke da konsentetoj kaj pli da kontrau~opinioj.
Se mi havos tempon (kaj emon), mi iam skribos pri tio...

>Anke existas linguo nomata Loglan.
>Amba lingui es extreme desfacila por ordinara personi quala me.

>Do Loglan e Lojban es la lingui di diabli por me, Idioto. (^_^;)

Mi interesig^as pri la kialo, kial/kiel Loglan kaj Lojban estas
malfacilaj por lerni (kompare kun Ido, Esperanto ktp).
C^u vi povas/emas pli detale klarigi pri tio ?


Id: #keiziban20000928161156 (reply, thread)
Date: Thu Sep 28 16:11:56 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000926235706
URL: bebson@primo.co.jp
Name: Bebson Y. TAKATA
Subject: Pri Lojban
Kara Sro 後藤文彦:

Pri Lojban voluntez vizitar la hempagino che...
http://www.egroups.com/group/lojban

Anke existas linguo nomata Loglan.
Amba lingui es extreme desfacila por ordinara personi quala me.
Olim me esforcis lernar Loglan per mea mala cerebro, e do ho ve!,
   me abandonis ganar olu, quankam me tre facile??? parolas
   Hispane, Portugale, France, Itale, Germane, Nederlande, Angle
   ed en kelka altra lingui, quin me ne plus uzas dum kelka yari,
   ed anke tre desfacile en China lingui, en Urdu.....
Do Loglan e Lojban es la lingui di diabli por me, Idioto. (^_^;)

Kande me skribis la hempagino 国際語IDO, kelka Japoni e specale
mea kara Profesoro MORITA-Akira Sensei helpis me facar olu.

sincere vua, B.Y.T., Idiotisto.

Id: #keiziban20000927115610 (reply, thread)
Date: Wed Sep 27 11:56:10 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000926235706
URL: bebson@primo.co.jp
Name: Bebson Y. TAKATA
Subject: Pri derivado.
Kara Sro 後藤文彦:

Semblas ke vua cerebro es multe plu bona e klara kam la mea.
Me tote ne es kapabla debatar irgo kontre tala erudito.
Regretinde me es ne-edukito do ne povas skribar bone
en la Japona, do.....

Voluntez lektar pri "derivation" che...
http://www.geocities.com/Paris/Rue/8009/idolinguo/086_101.htm

sincere vua, B.Y.T. Idiotisto (^_^)

Id: #keiziban20000926235706 (reply, thread)
Date: Tue Sep 26 23:57:06 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000926103508
URL: http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/trmnr.html
Name: GOTOU Humihiko
Subject: pri Ido
>Kara Esperantisto Sro 後藤文彦:

Saluton unuafojan.

>Ka vu ja vizitis la sequanta hempagini?

>Ido-Skolo http://www.geocities.com/Athens/Sparta/6367/

Mi ne sukcesis vidigi la pag^on.
C^u la pag^o estas skribita en Esperanto au~ en Ido ?

>国際語IDO http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/5864/

C^ar la pag^o estas skribita en la japana, mi el g^i iom citante
provas respondi en la japana.

という訳で、上記の頁で展開されているイド(エスペラントを改造した
国際語)のエスペラントに対する優位性の議論について、私の意見を
日本語で以下に述べます。


>鈴木孝夫先生がかって言われた様に、エスペラント語であれ何語であれ、文字通りの
>国際語と言うのはあり得ないと言うのは不愉快な事ですが、厳密に科学的な事実です。

「文字通りの国際語」の定義が「厳密に科学的」に示されていないので、
「文字通りの国際語と言うのはあり得ない」という命題の真偽が科学的に
判定できるものなのかどうかが分かりません。
まあ、この辺の前置きは修辞だと思うので置いておくとして、

>エスペラントの様に中立な国際共通語などと嘘を付かずに、

「エスペラントは、中立性を標榜する割にはヨーロッパ寄りだ」
という意味であれば、私もそう思うし、
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/nutrlg.html
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/trmnr.html
現行のエスペラントの枠組みでも、もっと中立化する方法はある
と思います。

>最後に筆者は B.Y.T.です。エスペランチストの怨念が恐ろしいのとメール爆弾を避け
>たいので残念ながら、メール宛て先は記載しておりません。御免なさい。(^_^;;)

因みに、
「国際語エスペラント運動に関するプラハ宣言」
(http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/manifestoprago.html)
では、
 「エスペラントは、他の言語と同様に、完全ではないが、平等な全世界的
  コミュニケーションという領域では、どの競合する言語に比べてもはるかに
  まさっている」
という立場を取っております。エスペランチストの大部分は、別に
エスペラント原理主義者でもなければ、エスペラントを完全無欠の
唯一の国際共通語だと神聖視している訳でもないと思います。

エスペラントがヨーロッパ寄りであることや性差別的であることは、
私自身、自分の頁上や、エスペランチストが参加する dissend-listo(メーリングリスト)
上でさんざん議論しているので、それに対する反論や賛同の電便が
来ることはありますが、今のところエスペラント原理主義者からの
誹謗中傷やメール爆弾が届いたことはありません。


>正直に申し上げてイド語が通用する範囲は現在は殆どヨーロッパのみです。残念。

因みに、イド語を流暢に話せる人は世界に何人ぐらいいるのでしょうか?
#非常に興味があります。
#ついでに、ボラピュクやロチュバンの話者数にも興味がある。


>エスペラント語は特殊な文字を6つも持っており、これらは他のどの言語にも
>無い特殊な活字であるために、貴方が何かを印刷したい時には特別のお金が掛か
>る事になります。またインターネット上でLatin3という活字を使えばお金
>はかかりませんが、今度は貴方が乱雑な情報を並べ替えしたい時に、高いお金を

英語文字表記を前提に普及してしまった「現行の」各種文字媒体に関しては、
その通りでしょうが、エスペラント文字を表記できる活字(Latin3 であれ
ユニコードであれ)が普及してくれば、また事情が変わってくると思います。

イドは「現行で」普及している英語文字媒体をそのまま利用できるという利点は
ありますが、「c^」に代わって「ch」や「ks」に代わって「x」などを導入
したために「一字一音、一音一字」という対応が崩れているという欠点を
伴います。

#私はそもそも、ラテン文字による表音表記は(字上符などの飾りがあろうが
#なかろうが)単語を横に細長くしてしまい、視覚的に図柄として認識するのを
#困難にするのではないかという考えを持っているので、
# http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/kanzi.html#tuiki
#もっと合理的な表音表記(例えばハングルのような?)を考案してはどうだろうか
#とすら感じています。


>また発音は、ジャ−ジ−ジュとヂャ−ヂ−ヂュの区別が無い等とエスペラント
>より更に易しくなっており、エスペラントが幾分、独語的にゴツゴツした感じに

私も「g^」と「j^」の区別はなくていいと感じています。
というか、区別しないで発音してもそのせいで通じないことはまずありません。
これを区別しないことで同音異義語になってしまう単語というと
「ag^o(年)」と「aj^o(物)」ぐらいですかね。

#「r」と「l」を区別しないと、さすがに同音異義語だらけになりますが、
#(libelo, libero, livero, ribelo, rivelo, rivero とか) 
#それですら、通じるものです(笑)。


>エスペラント語では形容詞の語尾は名詞と歩調を合わせる必要があり、
>ドイツ語を学習する時の様な難しさが認められます。しかしながら英語同様
>イド語では形容詞の語尾は名詞と歩調を合わせる必要がありません。

形容詞がどの名詞を修飾しているかを明確にするために、エスペラントでは
語順に制約を設けない代わりに、形容詞語尾を名詞語尾と一致させることにし、
イドでは、形容詞語尾を名詞語尾と一致させない代わりに、語順に制約を設けた
のではないでしょうか。だとすれば、どちらも一長一短で、イド語がその点に関して
飛躍的に優れているとも思えません。

#イドでは、形容詞が名詞の後ろから形容することはできるのですか?

形容詞に対格語尾(「……を」)が付かない英語のような言語を母語とする
人は、イド語の方がいいと思うかも知れませんが、「赤いのを下さい」
みたいに形容詞に語尾を付けて名詞を省略できる言語を母語とする人は、

Rug^an donu. (赤いを 与えろ)

みたいにできるエスペラントの方がいいと思うかも知れません。

>Unu matenon la knabino vidis katojn chasantajn plurajn malgrandajn ratojn.

「ある朝、その少女はいくつかの小さい鼠を追いかけている猫を見た」
という意味ですよね。だったら、そんなふうに作為的に分詞節を重苦しく
したような表現を使わなくても、例えば、

Iumatene la knabino vidis katojn c^asi kelke da malgrandaj ratoj.
とか
Iumatene la knabino vidis, ke katoj c^asas malgrandajn ratojn.
みたいに表現することもできますよね。

イドでは、こういう「vidi+目的語+不定詞」とか「vidi+接続詞+主語+動詞」
みたいな表現はできるんでしょうか。


>また語順を英語と同様に定めているので、目的語をどうしても動詞の前に出す必要が
>ある時にエスペラント語と同様に−nを使う以外には、対格語尾を必要としません。

これも、
イ)対格がない代わりに語順に制約がある
のと
エ)語順に制約がない代わりに対格がある
のとどちらがいいかの問題であって、どちらかが如実に優れている
とも思えません。
格助詞があり、語順が英語とは違う言語である日本語を母語とする私の場合、
イ)よりもエ)の方が馴染みやすいように思います。


>またエスペラントでは電話口にて聞き間違い易い言葉が幾つか認められます。
>例えば代名詞のmiとniや数詞のsesとsep等です。
>これらは雑音に満ち溢れている環境では容易には聞き取り判別し難いものです。イド語
>ではこれらはmeとni更にsisとsepになっております。何だ大した違いは無い
>だろうと思われるかも知れませんが、急いで緊急の用件を電話口で伝えるのには実際に

mi と ni はよしんば区別しなくてもいいくらいだと私は思っていますが、
ses(数字の6)とsep(数字の7)は確かに紛らわしいですね。


>は大変大きな違いとなって現れて参ります。また彼でも彼女でも無く唯、三人称で示し
>たい時にはluという代名詞を持っております。

この点に関してはイドを評価します。
# 三人称代名詞が lu 「だけ」だったら、もっと魅力的ですが。
エスペラント界でも「riismo」
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/riismoj.html
のような性区別をしない向きがもっと広まればいいと個人的には思います。


>エスペラントでは男性名詞から女性名詞を作りますので、男性中心主義です。

これは、
patro(お父さん) patrino(お母さん)
frato(男の兄弟) fratino(女の兄弟)
knabo(男の少年) knabino(少女)
など、家族などを表す約20個の単語については当てはまりますが、それ以外の

>例えばpiloto、amiko、dentisto、kuzo、kato等は総て男性であり、これに女性語尾の

piloto(操縦士)
dentisto(歯医者)
kato(猫)
などの一般の名詞は、(riismo ではない)正統的なエスペラントにおいても中性です。

尤も、男性名詞/女性名詞を区別する言語を母語とする一部のヨーロッパの
エスペランチストの中には、一般の名詞をも男性のみの意味で使う人もいますが、
それはエスペラントの単語の意味を間違って使っていることになると私は解釈します。

ただ、(riismo ではない)正統的なエスペラントの場合、

>inを付けて女性を作ります。即ち女性語尾inの無い名詞は男性である訳です。
>イド語では職業に関する名詞は総て中性で、これらに男性語尾のulと女性語尾のinを付
>けてそれぞれの名詞を作ります。ですから下の様なフェミニストの大好きな言語ですよ。
>piloto   男性のパイロットでも女性のパイロットでも良い、只のパイロットです。
>pilotulo 男性のパイロット pilotino 女性パイロット   スッキリしてるでしょ。

ご指摘のように、女性接辞に対応する男性接辞がないという非対称性はあります。
riismo では -in と対称に -ic^ という男性接辞を導入することを提案しています。
尤も、それはあくまで性別を明示することが必要なときに使えるということであって、
接辞によって名詞の性別を常に明示しろと言っている訳ではありません(念のため)。

私の場合、性別を明示する必要があるのなら、接辞ではなく、形容詞で
「ina piloto」とか「ic^a(vira)piloto」のように
明示する方が自然だと感じています。というのは、人種とか国籍とか、
人の様々な属性を明示する必要がある場合、そういう属性は通常は形容詞で
「flavula piloto(黄色人種の操縦士)」とか「japana piloto(日本人の操縦士)」
のように明示するのだから、「性別」という属性だけを特別扱いして接辞で明示する
必要はないと思うからです。
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/skssm.html#kubetu


>またエスペラント語では重要な場面での多義語が幾つか認められ、意味が不明確です。

エスペラントは民族語と比べて、非常に多義語の少ない言語ですが、
イドは、エスペラントよりも更に多義語が少ないのでしょうか。
例えばエスペラントには、publik-igi(公にする)という単語がありますが、
この単語は「出版する」という意味まで拡張されて用いられることはあります。
仮にイドがその程度の意味の拡張すら認めない言語だとすると逆に不便なような
気もします。

二木紘三『国際共通語の夢』(筑摩書房、95頁)によると、
ハパックス(一定の長さの文章中に一度しか出現しない単語)の比率は、
自然言語では 46〜48%の間に収まるが、ピジン語だと三十数%、
ベーシック イングリッシュだと 38%と低く、一方 エスペラントだと
63%と高いのだとか。イドのハパックス比率は更に高いのでしょうか?


>antau   場所の前(avan)、時間の前(ante)

こういう区別を増やしていけば、確かに厳密な表現ができる
ようになってはいくでしょうが、厳格さが増すぶんだけ言語の
習得や運用は難しくなっていくと思うので、厳密な区別が増えれば
増えるほどいいということにはならないと思います。

例えば、
「……のまえ」を「場所の前」と「時間の前」とで区別しない日本語を母語と
している私の場合、これらを区別しないエスペラントの方が馴染み
やすく感じます(現に日本語でも、それらを区別しないで用が足りて
いる訳ですから)。

他方、エスペラントでは、
frua(早い)と rapida(速い)を区別しますが、
これらを話し言葉では区別しない私は、しばしばこの区別で迷います。


>de  de(of) da(by) de(from)
>エスペラントではde一語で済ます所を、意味の区別を明確にする。
>  libro di Dro Zamenhof ザメンホフ博士が所有する本
>  libro de Dro Zamenhof ザメンホフ博士から借りた本
>  libro da Dro Zamenhof ザメンホフ博士が書いた本

確かに、「……から」と「……の」の両方が de で済まされているのは、
私も不満です。尤も、時間的な起点を示す「……から」には「ekde」を
使ったり、場所的な出所を示す「……から」には「el」を使う程度の
区別は現行のエスペラントでもなされています。

あと、受動態の「……によって」を「far」で表す向きもエスペラント界の
一部にはあるようです。


>atendas  期待する(expektas)、待つ(vartas)

atendi は「待つ」が基本ではないでしょうか。それが文脈によって
「期待する」に拡張されるのは、日本語の「待ちに待った」とか「待たれる」
とかと比較してもそんなに不自然な発想だとは思いません。
それに、「希望する」なら esperi とか、「希望しながら待つ」なら
esperante atendi とか、必要に応じて他の表現はいくらでもできるかと
思います。

>eble   可能な(posible)、多分(forsan)

ebla の基本的な意味は「可能な、起こり得る」だと思います。
これを副詞形 eble にすると「起こり得るように」になり、
「たぶん」の意に転じるのだと思います。
そういう意味では、「eble」は、日本語の「たぶん」よりは、
「起こり得ますよ」という意味合いが濃いのではないかと思います。
「本当かどうか分からないけど、そうらしい」という意味での
「たぶん」であれば、ver-s^ajne の方がその意味に近いのではないかと
思います。

>neebla  否定出来る(negebla)、不可能な(neposibla)

-ebl- は「……され得る」を示す接辞です。
ne(否定の副詞)を動詞化した nei(否定する)に、
-ebla を付けて、nei-ebla とすると「否定され得る」の意味になります。
「否定できる」の意味にするには、povi(……できる)という動詞を繋げて、
nei-povi、その形容詞形は nei-pova となるでしょう。
動詞語尾の -i を入れなければ、ne は否定の副詞と見なされるので、
ne-ebla は「起こり得ない、不可能な」
ne-pova は「できない」
の意味になるかと思います。

#因みに、能力を表す -iv- という接辞もありますが、私は
#基本語の -pov- を使えば十分だと考えています。

>povas   能力的に出来る(povas)、許可されて出来る(darfas)

「この券で何回でも入場できます」
みたいに「……する権利がある」ことを表現する場合、エスペラントでは
rajti を使えます。「……することを許可されている」と言いたければ、
そのまま
esti permesita -i
みたいに言えばよいかと思います。もっと短く言いたければ
permesiti -i
と言うことも不可能ではないでしょう。


>エスペラント語では、スラブ語の影響の下に非論理的な言い方が是とされます。
>Kelke da serpentoj manghas kun granda apetito kelke da bufoj.
>
>kelkeは副詞であるにも拘らず、名詞と同じ様に主語や目的語になってしまいます。

これはある意味では確かにそうですが、量や程度を表す「いっぱい」「たくさん」
「ちょっと」「少し(だけ)」「ほとんど」などの単語を、副詞的にも名詞的にも使う
日本語を母語としている私には、その方が馴染みやすい面もあります。

#「きのうの受験者は、ほとんどがちょっとしか解けなかった」とか。

因みに、エスペラントでは量などを表す副詞が名詞的に使われること「も」ある
ということであって、常にそうするのが「是」とされている訳ではないでしょう。
例えば、

>大きな蟇蛙は蛇をムシャムシャ食べているとも考えられる文であります。

主語も目的語も共に量を表す副詞にしたら、確かにどっちが主語でどっちが
目的語か分からなくなる場合があるので、そういう時こそ目的語の方に対格をつければ
済むだけのことだと思います。例えば、kelke da bufoj が目的語である
ことを示したいときこそ、kelkajn bufojn とすればいいし、形容詞と名詞の
両方に -jn を付けるのが煩わしければ、kelkon da bufoj のようにやること
だってできます。


>エスペラントでは語尾を換えて造語しますが、基本の語から派生した語の意味は
>それぞれの単語で別々に覚えなければならない事を御存じでしたか。この様な状態を
>派生の輪が回らないと言います。イド語では派生の輪はとても奇麗に回ります。

それは非常に興味がありますね。「派生の輪がとても綺麗に回る」イド単語の
派生例を紹介して戴けないでしょうか。

>次の幾つかの単語の派生例はエスペラント語のものですが、かなり非論理的であるの
>を御覧になって見て下さい。単語の派生後の意味はヨーロッパの言語ごとに少しずつ
>ズレますので、もとになるヨーロッパ語に通じていなければ、エスペラント派生語の
>意味は推理または理解出来ないとも申せましょうか。  何? 辞書に書いてある?
>それはね、辞書に書いてあるのではなくて、ヨーロッパ人の脳味噌の歴史に書かれて
>いるのですよ。1+1=3だってね。 ハハハハッ、フム! 違いますか?
>
>krono     王冠          にiを付けて動詞にすると
>kroni     王冠を被るではなく   王冠を被せる(王に任ずる)です。
>kroni    王冠を被せる        にoを付けて名詞にすると
>krono    戴冠式ではなく     王冠と言う意味です。
>
>profeto   予言者         にiを付けて動詞にすると
>profeti  予言者に任ずるではなく 予言するです。
>profeti  予言する        にoを付けて名詞にすると
>profeto   予言ではなく       予言者 と言う意味です。
>
>gasto     客           にiを付けて動詞にすると
>gasti     客を迎えるではなく   客になるです。
>gasti    客になる        にoを付けて名詞にすると
>gasto   訪問ではなく       客と言う意味です。
>
>fripono   ペテン師        にiを付けて動詞にすると
>friponi   ペテン師になるではなく ペテンにかけるです。
>friponi  ペテンにかける     にoを付けて名詞にすると
>fripono  詐欺行為ではなく     ペテン師と言う意味です。
>
>oro       金           にiを付けて動詞にすると
>ori       錬金術を行うではなく  金処理(メッキ)するです。
>ori    金処理する       にoを付けて名詞にすると
>oro    金処理ではなく      金と言う意味です。
>
>salo      塩           にiを付けて動詞にすると
>sali      塩化させるではなく   塩を入れるです。
>sali   塩を入れる       にoを付けて名詞にすると
>salo   塩の混入ではなく    塩と言う意味です。
>
>vesto     着物          にiを付けて動詞にすると
>vesti     着物を着るではなく   着せるです。
>vesti   着せる         にoを付けて名詞にすると
>vesto     着付けではなく     着物と言う意味です。

ここに挙げられている例からは、論者が期待している「派生の輪が回る」
という意味がよく分かりません。例えば、A-o という名詞があった場合、
これを A-i という動詞に派生した場合に、kroni, gasti, vesti に関しては
「(……に)A を何かする」という意味になることを期待しているかと思えば、
sali に関しては「(……を)A にする」という意味になることを期待しており、
friponi に関しては「A になる」という意味になることを期待しているようです。
#ori (直訳的には「金する」)に「錬金術を行う」の意味を期待する理由は
#ましてや謎です。

因みにエスペラントでは、A-o という名詞があった場合、
A-ig^i は「A になる」
A-igi  は「(……を)A にする」
の意味になります。例えば、

gasto 客
gastig^i 客になる
gastigi  (……を)客にする(人をもてなす)
gastig^o 客になること
gastigo  客にすること(もてなし)

salo 塩
salig^i 塩になる、塩化する(sala + ig^i と考えれば「しょっぱくなる」)
saligi  (……を)塩にする、塩化させる(sala +igi と考えれば「しょっぱくする」)
salig^o 塩になること、塩化すること、しょっぱくなること
saligo  塩にすること、塩化させること、しょっぱくすること

また、A-a という形容詞があった場合、
A-i は esti A-a つまり「A (な状態)である」
A-ig^i は「A(な状態)になる」
A-igi  は「A(な状態)にする」
の意味になります。例えば、

varma 暖かい
varmi 暖かい(状態である)
varmig^i 暖かくなる
varmigi  暖かくする

で、(そういうふうに A-a の形容詞では普通は使われないような純然たる)
A-o という名詞を A-i という動詞にしたら、どういう意味になるか
ということですが、それは、せいぜい「A する」ぐらいの意味しか持たない
と私は捉えています。

例えば、
teo(お茶)→ tei(お茶する)とか
biciklo(自転車)→ bicikli(自転車する)とか
ぐらいだったら、「お茶を飲む」とか「自転車に乗る、自転車に乗って行く」
ぐらいの意味で通じてくれるのではないかと思いますが、

hundo(犬)→ hundi(犬する)とか
horlog^o(時計)→ horlog^i(時計する)とか
だと、誰にでもすぐに通じる意味はなかなか成立しにくいように思います。

その辺の事情はイドではどうなっているのでしょう?
どんな名詞だろうが、一義的に動詞化され得るのでしょうか?
だとすると、非常に不思議ですね。

>イド語では、この様な不明確さを巧みに処理して誤解を避けています。つまり派生語の
>意味を元の単語の意味が分かれば正確に類推出来ると言う事になります。(^_^)

この辺の具体例をぜひ示して戴きたいですね。興味がありますので。

ところで、ここ
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/5864/ija.html
に示されているイドの単語を見ると、
エスペラントと同じようにラテン系の高級語群
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/trmnr.html
がたくさん採用されているんですね。


現時点での私の感想を述べると、代名詞や名詞の性区別をしないで済む点に
関してはイドの方が(riismo ではない)正統的なエスペラントよりも魅力的ですが、
その他の表記法や文法や語彙に関しては、取り立ててエスペラントよりも習得容易
に「改良されている」とは思えません。

そういう意味では、1300語の基本語からの造語を徹底しているらしい
lojban (ロチュバン?)とかいう人工語
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/keizi/keizi992.html#51
とかの方が(エスペラントとはかなり違うエスペラント以外の国際語
という意味では)やや興味があります。


Id: #keiziban20000926103508 (reply, thread)
Date: Tue Sep 26 10:35:08 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000907162014
URL: bebson@primo.co.jp
Name: Bebson Y. TAKATA
Subject: Riismo? (^_^;;;)
Kara Esperantisto Sro 後藤文彦:
 
Ka vu ja vizitis la sequanta hempagini?
 
Ido-Skolo http://www.geocities.com/Athens/Sparta/6367/
 
国際語IDO http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/5864/
 
sincere vua,
                          Bebson Y. TAKATA
                                        bebson@primo.co.jp


Id: #keiziban20000919194504 (reply, thread)
Date: Tue Sep 19 19:45:04 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000919113158
Name: 後藤文彦
Subject: 「こんな説明ならわかるでしょうか?」
>自分の恥ずかしい過去、苦い体験、切ない想いを振り返り、
>責任転嫁の無意味さに気が付く...
>どんな合理的理由をつけても、責任転嫁して恋愛がうまくいったためしがない...

なんか、初っ端から たんぽぽさんは大きな勘違いをしているようなのですが、
(既に他の人が何度かその勘違いを質そうとしていますが)
件の私の「二番目」の頁では、
「私が恋愛でうまくいかない合理的理由を分析することによって、
私(や他人)が恋愛でうまくいく方法を提案することを目的とする」
なんてことは、どこでも言ってないですよね。

だから、
「後藤さんのように恋愛できないのを社会のせいにしたところで、
恋愛なんてできる訳ない。そんなの責任転嫁で自己正当化だ」
といくら執拗に批判?されたところで、そもそも私は、
「私は自分が恋愛できないのを社会のせいにすることによって、
恋愛で成功することを目的とする」
なんてことは、最初からどこでも言ってはいないですよね。

#尤も、私は、人がある目的を達成しようとしていたとして
#うまくいかないことの要因を、自分だけに捜そうとするの
#ではなく、自分を含めたあらゆる要因(社会通念とかも含めて)を
#分析すること自体は、その目的を達成する上でも十二分に有効になる
#場合もあるだろうと考えこそすれ、それが責任転嫁で無意味でしかない
#などとは考えません(念のため)。



>うまいたとえでないかもしれないけれど、
>「基本的人権を大切にしなくてはいけないのはなぜか、
>客観的な根拠をあげて説明せよ。」と言われてもできないでしょう?

はい、これは たんぽぽさんの勘違いを分かりやすく示す
恰好のたとえだと思います。

まず、簡単のため「基本的人権」という用語自体は割と客観的に
定義されているものとします。しかし、
「Xを大切にしなくてはいけない」
という命題は、「X」が何であれ価値観に依存する命題です。

現に たんぽぽさんも例示しているように「基本的人権を大切に
しなくてもよい」という価値観を持った人も世の中にはいます。

「国民の平和のためには基本的人権を大切にして(例えば言論の自由を
認めて)民主的な国家にした方がいい」という考えを持った人が、
「国民の平和のためには基本的人権を制限して(例えば言論の自由を
制限して)全体主義的な国家にした方がいい」という自分とは相容れない
考えを「信じる」人と議論することによって、どちらの考えがおかしいかを
確かめようとする場合、

「基本的人権は大切にしなければいけないから、言論の自由を
制限してはいけない」

のように、真偽が価値観に依存する命題を提示しても、双方が自分の
価値観でその命題を一方は真と他方は偽と判定し続けるだけで、議論は
平行線を辿るだけでしょう。一方、例えば、

「言論の自由が制限された全体主義国家では、体制の維持のために
国民の虐殺行為が行われてきた」

というような命題であれば、事実と照らし合わせることによって、
その命題の真偽を、双方の価値観とは関係なく、割と客観的に、
実証的に確認することができます。その結果、

「言論の自由が制限された全体主義国家では、体制の維持のために
国民の虐殺行為が行われてきた」

という命題が真であることが提示できたとします。すると、
「国民の平和のためには基本的人権を制限して(例えば言論の自由を
制限して)全体主義的な国家にした方がいい」という考えを持っていた
人に、「もしかしたら、国民の平和のためには言論の自由を制限しない
方がうまくいくのかも知れない」という「疑い」を生み出すことに成功
するかも知れません。

だから、価値観の異なる人と議論する場合は、
自分の価値観にとっての「正義」を延々と繰り返すのではなく、
双方の価値観に依存しないような、少しでも客観的/実証的な
事実を提示することが重要なのではないですかと何度も言って
いる訳です。

#これでも分からないでしょうか。


>これも、革命、戦争、といった流血を含む幾多の悲惨な経験の上に
>「全人類が幸せになるためには、基本的人権を尊重しなければならない」
>らしいと考えるしかないと、結論しているわけです。
>そう、祖先たちの涙と血と悲痛な叫び声の上に...
>どんな合理的理由をつけても、基本的人権を否定してよい社会ができた
>ためしがない...

部分的にはいいですが、全体的にはおかしいような気がします。
「基本的人権を制限したことによって過去に幾多の悲劇が生み出された」
という「事実」をもとに、
「それなら、基本的人権を制限しない社会の方がうまくいくかも知れない」
と判断するのは、じゅうぶんに「合理的な理由」であると思います。
そして、「基本的人権を制限しない社会がうまくいくかどうか」は、
正に現代の様々な国家で実験中なのだと思います。

参考:その辺に関する私の考え方
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/kinyou.html#genron
http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/religio.html#katimeidai


>それでも「そんなものは人権信者の偏った個人的主観的断定にすぎない」
>とか「人権思想がどこに行っても通じるというのは偽善的だ」
>のように言い抜けることはできるわけです。

価値観に依存する「正義」に立脚した人権思想を偽善的だと主張することは、
別に「言い抜け」だとは思いません。

(参考までに、
「人権思想は、それが持っていなければならない普遍性が、人間の主観的
思い込みというきわめて非普遍的なものによって支えられているという
自己矛盾に陥っている」という考察をしている人もいます:
http://www.j-world.com/usr/sakura/japan/humanrights.html
尤も、この人の言う「人権思想」というのは「基本的人権」のことではありませんが。
http://www.j-world.com/usr/sakura/japan/rights.html
念のため)



>あるいは、さらに変なたとえかもしれないけれど、
>最初に設定した公理系みたいなもので、わたしなどの住んでいる恋愛の世界は
>これを前提にしているのですね。

「公理」というのは、ある理論体系の出発点として、証明抜きで
導入した仮定のことだと思うんですが、たんぽぽさんは、どのような
仮定をし、それらの仮定から、どのような理論を導き出したのでしょう。

>だから、その公理系を否定して、違う公理系を構築することは勝手ではあります。

そんなの当たり前でしょう。
「たんぽぽさんが勝手に設定した公理のもとに導かれる理論以外のものは
何であれ一切認めない」というのであれば、それこそ「基本的人権」を
著しく侵害する非民主的な態度であり、自分の理論への反証を拒否する
非科学的な態度だと思います。

>でも、それだとうまくいかないらしいことが経験的にわかっている...

だから、その「経験的にわかっている」というのは、どの程度
客観的/実証的に確かめられることなのですかということを
しつこく質している訳です。

たんぽぽさんの個人的「経験」や、「恋愛系のサイト」における
「恋愛相談」とやら程度を根拠に、

>「どこに行っても通じると思われること」というのは、こういうことなのです。
>主観とも違うと思うのですが...

などと言っているのだとしたら、ちょっと傲慢ではと思います。
例えば、たんぽぽさんとは価値観の異なる私が、
私の個人的「経験」や、友人たちとの恋愛談義や、私の頁を読んで
電便を出してくる人の告白などなどを根拠に、たんぽぽさんが提示した
命題の大部分が「間違っていることは経験的にわかっている」と
主張することだってできるのですから。

>それでも、客観的根拠がないことに違いはないのだから、
>やはり、たんぽぽの個人的主観にすぎないとおっしゃるなら...
>そうですね...それでもいいですよ。

はい、個人的主観以上のものであることを示すのであれば、
異なる主観を持つ個人でも納得せざるを得ないような
客観的根拠を示す必要があると思います。


Id: #keiziban20000919120252 (reply, thread)
Date: Tue Sep 19 12:02:52 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000918082413
Name: たんぽぽ
Subject: おわかりにならない?
後藤さま

たんぽぽの言いたいことなら、山ほどありますよ。
でも、それを全部言うと時間がいくらあってもたりません。
だから不本意だけど、責任転嫁のこととか、話題を限ってお話しているのです。
あとは、資料をお見せするから、ご自身で考えてみてねというわけです。

お話の進めかたは、わたしが自分の考えを紹介して少し議論して
先へ行くくらいに考えていたのですが、
少しどころか泥沼になってしまいましたね。


>私の論と小谷野氏の論とはかなり違います

後藤さまが、小谷野氏の主張のうち
性別役割を肯定しているところに同意していないことは
わかっておりますよ。

|私はこの本の主張の全てに手放しで賛同する訳ではありませんが 
|(性別役割分業を完全には否定し切ってないようなところとか)、 

|小谷野氏は性別役割を擁護しているようなところがあるが(*1)、
|私はそういう点では小谷野氏を支持しない。

わたしは「批判サイト紹介」では、いままでのお話の流れがそうだったので、
「責任転嫁」と「若いころの愚痴」を中心に解説したつもりでした。
これらは、小谷野氏個人に限ったことではなく、
一般論として結論していることはわかりますよね。
(「的外れ」のあたりなどは小谷野氏個人のことでしょうけれど。)

もちろん、わたしも、あなたと小谷野氏が同じだとは思いません。
あなたは「性別役割」に、小谷野氏は「世の中の恋愛至上主義」に
もてないことの原因を見出した、たしかに違いますよ。

でも、矛先は違っても、もてないことを外部のせいにしていることは
かわりないでしょう?それで、「批判サイト紹介」の小谷野氏への批判の中にも
そっくり後藤さまにもあてはまることがいくつかあると思ったのです。


だけど、こんなものはぜんぜん納得できないというわけですね?
ご自分の考えておられる、世の中のジェンダーのせいで
もてない人がいるとしてそれを分析すること、
これは(小谷野氏と違って?)建設的であり、責任転嫁ではないと
思っているわけですね?

ですから、たとえば、
「自分がいかにもてないかを普遍化しようとする努力に、呆れるほど感心した。
無駄な努力だけどね。」といったような批判は、ご自身にはあてはまらない
と思っている。(小谷野氏にもあてはまらないと思ってる?)
こういうことですよね?


ところで、「批判サイト紹介」では、ジェンダーのことは触れていませんよ。
だのに、そのお答えが、ジェンダーの見解が違うから、
自分の主張と小谷野氏のそれとは、かなり違います...??
どういうことでしょう??

それに「かなり違います」って、あたかもほとんど別物に近いかのような
言いかたですが、あなたと小谷野氏とで共通しているところは
本当にほとんどない(と思っている)のですか?
すこたん日記や西村さまのページに反論しているくらいだし、
重なっているところもある程度はあるとは思っていたのですが、違うんですか?


あと、前の「恋愛白書」の引用はですね、

>「心を開いて自分から女性をリードすれば、恋愛に対して前向きな男らしい
>人だという好印象を相手に与えて魅力が出てきてモテるようになる」

というのが、ジェンダー役割を使いまくったテクニックが重要なのかと
お聞きになっているように見えたので、そうじゃなくて

|出会った頃の彼は、駆け引きが下手で、でもほんとに一生懸命で、
|だからこそ誠実で、 とても魅力的に見えました。 
|人間的な魅力を感じるためには、恋愛の経験やテクニックなんていらないと思います。 

ということを教えてあげたかったのです。
相手に対して誠実であること、これにジェンダーは関係ないでしょう。


告白なら、何度もではないけれど、わたしも死ぬ思いでしたことがありますよ。
告白されたことは残念ながらないですね。

勇気に関しては、わたしは人見知りが強いので、相手の性別を問わず
ただ話しかけるだけでもなかなかできません。

イナイ暦は10年くらい軽く経験しておりますよ。

Id: #keiziban20000919113158 (reply, thread)
Date: Tue Sep 19 11:31:58 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000917011130
Name: たんぽぽ
Subject: こんな説明ならわかるでしょうか?
キホノさま

ああ、やっぱり、というか...うーん...

ようするにね、
「言いわけ」や「責任転嫁」のことは客観的根拠がないけれど、
どうも経験的に事実らしいと受け入れなければいけないようですよ
ということなのですよ。

小谷野氏批判の各サイトに出てくる人たちを見ていてもそうですが
いやしくも恋愛のできた人はだーれも、自分の恋愛ができないのを
他人や社会のせいにしてよいとは言いませんよね。
自分の恥ずかしい過去、苦い体験、切ない想いを振り返り、
責任転嫁の無意味さに気が付く...
どんな合理的理由をつけても、責任転嫁して恋愛がうまくいったためしがない...

ですから、これは、
「恋愛ができないことを責任転嫁するのは、どんな内容でも単なる言いわけ
にしかならない」らしいと考えるしかないのだと思います。
たいていの恋愛論が「言いわけにすぎません」でおしまいにして、
それ以上の説明がないのはそういうことではないかと思います。


うまいたとえでないかもしれないけれど、
「基本的人権を大切にしなくてはいけないのはなぜか、
客観的な根拠をあげて説明せよ。」と言われてもできないでしょう?

これも、革命、戦争、といった流血を含む幾多の悲惨な経験の上に
「全人類が幸せになるためには、基本的人権を尊重しなければならない」
らしいと考えるしかないと、結論しているわけです。
そう、祖先たちの涙と血と悲痛な叫び声の上に...
どんな合理的理由をつけても、基本的人権を否定してよい社会ができた
ためしがない...

それでも「そんなものは人権信者の偏った個人的主観的断定にすぎない」
とか「人権思想がどこに行っても通じるというのは偽善的だ」
のように言い抜けることはできるわけです。
実際、基本的人権を疑う人は、世の中に少なからずいますよね。
人権などある程度制限したほうが、よい社会ができるのはないか
という可能性を、慎重な議論のもとに探る人が...


あるいは、さらに変なたとえかもしれないけれど、
最初に設定した公理系みたいなもので、わたしなどの住んでいる恋愛の世界は
これを前提にしているのですね。
だから、その公理系を否定して、違う公理系を構築することは勝手ではあります。
でも、それだとうまくいかないらしいことが経験的にわかっている...

お話を恋愛談義のことに戻しますが、
「どこに行っても通じると思われること」というのは、こういうことなのです。
主観とも違うと思うのですが...

それでも、客観的根拠がないことに違いはないのだから、
やはり、たんぽぽの個人的主観にすぎないとおっしゃるなら...
そうですね...それでもいいですよ。


>特に、恋愛に関してなど、その人の実存に深く結びついているような
>デリケートな部分で他人を否定するときは、細心の注意を払わないと、
>場合によってはひどい侮辱になってしまいます。

...ごめんなさい。
それはじゅうぶん承知してはいるのですが...
こんなところで手間取るとは、夢にも思わなかったもので...

Id: #keiziban20000919025058 (reply, thread)
Date: Tue Sep 19 02:50:58 2000
URL: noiz@ad.il24.net
Name: noiz
Subject: あらら、
ちょっと掲示板を拝見していなかったのですが、
「恋愛論」を介してのやりとり (議論にはなっていないが) 続いていたんですね。

まず個別に返されたものへの返信。

> 恋愛ができない原因を社会のせいにしてよいかという
> お話をしていたのではありませんか?

ぼくはそういう話が、今回の後藤さんの論を契機にして、主観論的恋愛論
を展開するには的外れだと思ったからああいう書き方をしました。主観論的
などと書きましたが、ぼくは、それは実は同時に没主体でもあると思っています。
関係論なき主体も何もないと考えているわけです。

それと、後藤さんが掲載されている論考いかんにかかわらず、「してよいかどうか」
という価値判断をすること自体に意味がないと思っていて、それで単純に異を唱えて
みたつもりでもありましたが伝わりませんでしたね。これは、自分の言葉のまずさを
認識する機会となりました。しかし、べき論から何か見出せると思ったら裏切られる
ことが多いんじゃないのかなーなどと思います。

> 後藤さまの主旨は「恋愛ができない原因が社会にある」であって
> 「その人個人を知る上で、背景の社会も見る必要がある」
> ではないのでは?

ぼくはむしろ恋愛から社会を照射する論考として後藤さんの一連の論を読んで
いましたが。なぜそうではないかの論理展開の一片も示さずに独り合点でやっつけた
気分になるのではなくて、きちんと反証を展開していただけると理解がより深められる
機会になるかもしれません。少なくともぼくの理解が、ですが。

非礼を押して書きますが、たんぽぽさんの一連の書き込みを見ていて、ファッショ
的体質を感じます。あくまで自分と違うものに対する調伏してやろうというかのごとき
物言いだな〜と感じるのです。当たり前ですが、議論は相手を屈服させるために
やるのではないのです。すでにある命題をこれあり幸いと補強するためにやるのでも
勿論なく、あくまで理解の進展をはかる (それはときに自らの考えを変えることにも
つながる) ためにやるわけです。このことに留意しない全体主義的な態度は、議論とは
何ら関係のない非生産的な振る舞いとして存在することをお忘れなく。

ここまで断言してみたのも、キホノさんがすでに議論の仕方についてのご配慮を
示されているのにもかかわらず、URI の提示のみで以てこたえる (提示が今回の一連の
書き込みにどういう意味を持つのかの抜本的な説明を与えない)、その振舞いに目眩が
したからです。断っておきますが、自分の意見と異なるものを見たくないからこんな
ことを書いているのではありません (小谷野某がどうであろうと議論の本質に影響を
及ぼすことがらだとも思えないし、何よりぼくは知らないし興味もないです)。
とまあ、予防線をわざわざ書いていますが、逆になぜたんぽぽさんが提示したものの
説明を省略するという、議論にとってはありがたくもない行為をとるのかを聞きたい
です。時間が十分に取れないとか、気分がのらないとかの理由が存在していたので
あれば、むしろ、返信の省略と抱き合わせに他人の意見を提示をするだけという
非生産的な行為よりも、ただ単に書き込みを先延ばしにしていればよかったのでは
ないかと思います。「ごめんなさい」とは何をか況んやと言いたくなります。
言葉の意味を無化するかのような感覚については共有できません...

Id: #keiziban20000918082413 (reply, thread)
Date: Mon Sep 18 08:24:13 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000917164640
URL: http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/
Name: 後藤文彦
Subject: どうでもいいんですが、ちょっとだけ。
たんぽぽさんが、しゃかりきになってここに書き込みをしている
意図も目的も相変わらず不明です。

「小谷野氏批判のサイト」を紹介するのはいいのですが、それで
何が言いたいのでしょう。

たんぽぽさんは、初っ端から、私の論と小谷野氏の論とを一緒くたに
扱っていますが、私の論と小谷野氏の論とはかなり違います(私の頁と
小谷野氏の著作を仮にも読んでいるなら分かる筈だと思うんですが)。
まず第一に、私は「性別役割はなくなった方がいい」(恋愛に限らず)
という主張をしていますが、小谷野氏は性別役割を擁護するような発言
をしています。その意味では、
私の主張してきた恋愛における性別役割論は、小谷野氏の論とは最も
共通しない部分です。


 何人かの方が、ここでたんぽぽさんをまともな議論に誘導すべく、
良心的で分かりやすい助け船を出していますが、たんぽぽさんは、
作為的にか(あるいは本当に読解していないのか)、意図不明のまま
(議論を志向しているのか、単に個人的感想を述べたいだけなのか
をはっきりせずに)、「たんぽぽ節」で暴走しているようです。


>たいへんきついことを言ってしまってもうしわけないのですが
>さすがにこれでは「コミュニケーションスキル」が足りない
>と言わざるをえません。


Id: #keiziban20000917164640 (reply, thread)
Date: Sun Sep 17 16:46:40 2000
Name: たんぽぽ
Subject: 小谷野氏批判のサイト
わたしは、み〜らさまではないですよ。


今回はレスをお休みして(ごめんなさい)、
小谷野氏の「もてない男」の批判を、いくつか紹介しますね。
こんなのをお見せしたら、また「二番目」に反論をお書きになるのかな?
それとも、すでにご存知のもある?


まずはこれ。
http://member.nifty.ne.jp/live/books/nonfiction/a-otanino.htm

|私怨でこれだけ書き自分がいかにもてないかを普遍化しようとする努
|力に、呆れるほど感心した。無駄な努力だけどね。

|「恋愛」が出来ない自分を憐憫し、自己防御にはしっているに過ぎない。

とあり、恋愛ができないことを社会問題化というか
普遍化することは無意味であり、
そしてそれは、自分の正当化にすぎないというわけですね。


つぎはこれ。
http://www.bekkoame.ne.jp/~taka_no6/dokusyo/moten.html
この人のホームは、ここ
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/2665/no_2.html

|本当に俺より7つも年上なのか?思考レベルが10年前の俺と一緒だぞ。
|すなわち17年間の人生の無駄(恋愛において)があるぞ。

と、こんなものは若いころの愚痴だと言っていますね。

これの大筋についてはだいたい同意できますが、
細部については、わたしにはいくらか異論もないこともないです。
たとえば「源氏物語」を研究することは、
今でもけっして無駄ではないと思いますよ。
恋愛感情というのは、今も昔もたいして変わらないのではないかと思います。

もっとも「源氏物語絵巻」が「おかず」に使われたか
なんて勘ぐるのは無意味そうですけどね。


それからこれ。
http://wwwhs.cias.osakafu-u.ac.jp/~ksaito/essay13.html

|小谷野氏が「もてない」のは,彼が女性を「好き」になったことがないからです.
|彼が好きなのは彼自身なのです.

なんてありますよ。
もっと詳しく説明したいところですが、先へ行きます。


そして最後に、わたしがいちばんよく書けていると思うのがこれ。
わたしも、これをずいぶんと参考にしました。
わかると思いますが、上から順番に見ていくのですよ。

でも、こんなのも勝手に悪口言い合っているだけくらいにしか
思ってくれないのかな?
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20232.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20288.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20299.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20327.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20344.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20347.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20419.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20505.html

小谷野氏は全体の要旨がまったくつかめず部分しか理解できない人、
つまり「木を見て森を見ない」人の典型なのですね。
だから的外ればっかりやっている...
わたしでも、おかしいことがわかっちゃうとこがあるくらいですからね。

「もてない男」の第5回の妾論は、初出は「漱石研究」のようですね。
(よくこんなものが載ったよなあ...)

それから、上のサイトの人たちは「もてない男」を読んで共感した人は、
読者の3分の1だというようなお話をしています。
わたしは、もっと多いのではという気がしていますが。

それはともかく、ここでも

|小谷野はこの本で、世の中のことを書いているつもりらしいが、 
|じつは、自分が他者と向かい合うことができないまま歳をとってしまって苦しいという 
|彼個人の病理を書いているにすぎない。

と言われていますね。そして、みなさん

|10代のころの人間なんて、みんなそうなのにね。
|みんなに筒抜けなのは、みんなが通ってきた道だから、つまり、 
|だれのなかにも、「小谷野」はいる

|僕も、恋愛に初めて成功するまではあまり大差ない状況でしたから。 
|そういう時に、えてして「通っている学校のせいだ」とか、「家庭環境のせいだ」 
|というように責任転嫁してしまうんですよね。 

|ひとつ間違えば、自分も小谷野みたいになっていたかもしれ 
|ない、という危機感がどこかにあるのかもしれません。 

|誰でも、そうやって「人のせいにする」時期はあるのではないでしょうか。 
|ただ、それではいけないというか、大事なのは自分がどうするか、 
|どうすべきかだ、というのに気が付くものだと思います。 

のようにおっしゃっております。

それから、また「罵倒」だなんて叱られそうですが、
こんなことも言っていますよ。

|彼等が、引用やデータや事例にこだわるのは、
|それだけが彼等の「支え」なんじゃないですかね。

Id: #keiziban20000917112233 (reply, thread)
Date: Sun Sep 17 11:22:33 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000917011130
URL: http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/himitu/2banme.html#yuuki
Name: 後藤文彦
Subject: たんぽぽさん関係
>たんぽぽが断定するときは、だいたいどこへ行っても通じそうなこと
>を書いているつもりです。たんぽぽが断定を避けているときは、
>人によって意見が別れそうなことを書いています。
>わたしでも、これを区別することくらいは知っていますよ。
>うまくないかもしれませんが

 私が私の「二番目」の頁で言ってきたことは、恋愛に関しては、
「どこへ行っても通じそうなこと」とされてきている常套句
(「それは勇気がないからだ」「殻に閉じこもってちゃだめだ」等々)が
如何に偽善的であるかを論じようとしたものなので、それを
「それは、だいたいどこへ行っても通じそうなこととは違う」
という論拠で否定するのは無意味だし、堂々巡りにしかなりません
(この辺は、キホノさんが、より分かりやすく説明しているので
繰り返しませんが)。

#尚、どんなに多くの人に「通じそうなこと」であれ、「猫はかわいい」
#のような価値観に依存する命題は主観的意見だと私は言います。


キホノさんの書き込みを読んで思ったのですが、
確かに、たんぽぽさんが自分の体験に基づく主観的な意見を
表明すること自体は私も問題にはしていないし、それはそれで
一つの個人の意見として興味があります。

で、お訊きしたいのですが、
たんぽぽさんは、私に勇気がないと力説するからには、
そう痛感するほどには、たんぽぽさん自身には相当な
勇気があるのでしょうか。

私は、私の頁上で、告白する勇気に比べたら、駅前の雑踏で
奇声を発して踊り狂うことなどなんでもない——つまり、
告白するには、私には文字通り死ぬほどの勇気が必要である
と述べており、更にそのぐらいの死ぬ思いで何回か告白もして
いると書いております。

その程度の私の格闘を「勇気がないのを責任転嫁している」と
評するからには、たんぽぽさん自身が、
(察するに、異性愛の女性のようですが、恋愛における性別役割を
否定するなら尚更のこと)
今までに何度も何度も死ぬ思いで自分からの告白を繰り返してきて
いるのでしょうか。

また、たんぽぽさんは「女だって苦労している」といいますが、
(自分と重ね合わせて言っているのだとしたら、尚のこと)
そんなふうに何度も告白したにもかかわらず、振られ続けて
(それこそ努力が報いられずに)
何年間も(できることなら十年以上とか)恋愛にあぶれ続けて
苦しんだりした経験があるのでしょうか。

 というのは、たんぽぽさんの意見が、
「(後藤さんの書いているのを読んで)
私以上の努力もせず、私以上に苦しみもせず、そんなふうに
嘆いているのでは、まだまだ甘い(と私は思った)」
という主観的意見の表明に過ぎないのであれば、それはそれで、
なるほどと聴けなくもないですから。



あと、引用していた「恋愛白書」とかいう頁ですが、
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/
どういう意味で引用しているのか、ちょっと分かりませんでした。
ここに出てくる「み〜ら」さんと言う人がたんぽぽさんで、
ここで、「恋愛相談員」をやっていたということでしょうか。


Id: #keiziban20000917011130 (reply, thread)
Date: Sun Sep 17 01:11:30 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000911193117
Name: キホノ
Subject: どこへいっても通じそうなこと???
たんぽぽさん

 基本的に前言を覆すつもりはないものの、この間の書き込みには、
たんぽぽさんに対して、余計な失礼な一言もあったかなと、ちょっと反省
していたところ、まともにコメントしていただいてありがとうございました。
 ただ、先日のたんぽぽさんの書き込みを見る限り、私の言いたかったことは
何一つ伝わっておらず、また同じような議論を繰り返されようとしている
ようなので、その点については残念に思います。
 (相変わらずのたんぽぽ節が炸裂してますね(笑)。)
 もっとも、これはたんぽぽさんのせいばかりでなく、私の国語力にも
問題があったようにも思えます。つまり、前回の私の書きこみに、
勘違いを生むような表現があったように思うわけです。
 
 私は前回の書きこみで、たんぽぽさんの恋愛観や恋愛に対する認識、また
後藤さんの社会的主張などの、内容そのものの是非を議論したつもりは
ありません。
 ですから…

>結局、社会的視点から書いているなどと言っても、
>自分の内面の問題によって変わってしまうと思いませんか?

 私は、後藤さんとたんぽぽさんの視点が違うことを指摘したに過ぎず、
「社会的視点から書く」こと自体の是非も議論したつもりはありません。
このご質問から察するに、私が「社会的視点から書く」ことを支持しているように
錯覚されたようですが。
(ちなみに、このご質問に対して、私の「主観的」な感想によりお答えするなら、
「おっしゃる通りのこともあると思いますし、そうでないこともあると思います」
ということになりますが、この答え自体は私の言いたいこととは特に
関係しませんし、もちろん「社会的視点から書く」ことを否定する
根拠にはなり得ません。)
 
>だからわたしは最後まで「それはたんぽぽの主観ですね」
>と言われ続けるのかもしれないけれどね。

 同様に、「たんぽぽさんの意見が主観的であること」自体を
批判したつもりもありません。
 では何を言いたかったかというと、
「主観的断定によって、後藤さんを否定した」ことは良くない、
と言いたかったのです。
 
  恋愛観とか、
「一般的に恋愛ってこんなふうにされている」
「こういうとき、女(男)の人は普通こういうふうにするものだ」
といった恋愛に対する認識みたいなものは、
個人がそれぞれ勝手に持つもので、
「どれが一つの真実」みたいなことはなかなか言えないと思います。
 そういった恋愛観や恋愛に対する認識などは、たいていの人が
今までの自分の人生の中で、経験したことや見聞きしたことを基に、
自然と持つに至るものでしょう。恋愛経験の多い少ないは、
人によってかなり差があるでしょうが、それでも一人の人間の
経験できることなんて限られていますから、たいていの人が
偏った恋愛観を持っていると言えるわけで、少なくとも誰にでも
通用するような恋愛観なんてないだろうと思います。
 で、私はそのような本人にしか通用しない偏った恋愛観というものは、
それぞれそれなりに貴重なもので、偏っていて大いに結構だと思っています。
 というか、恋愛に関してあまりに客観的な事実のみで語ろうとしたら、
たんぽぽさんのおっしゃる通り、

>でも、それだとそこで止まってしまいます。

 ということになると、私も思います。
 つまり、何にも言えなくなっちゃう。
 そんなのつまんないですよね。
 単に主観を示すだけなら、何も悪いことはないと思います。

 しかし、では、その本質的に主観的でしかありえない個人的な恋愛観
などを基に(あたかもそれが客観的事実であるかのような断定をしながら)、
他人を否定していいのでしょうか?
 それは議論のし方としてとんでもない間違いであるというだけでなく、
相手に対してたいへん失礼なことだと私は思います。
 特に、恋愛に関してなど、その人の実存に深く結びついているような
デリケートな部分で他人を否定するときは、細心の注意を払わないと、
場合によってはひどい侮辱になってしまいます。

 もちろん、まともな議論をしようと思えば、相手を否定する場面も
あるでしょうが、その場合は、きちんと客観的な証拠を示して否定
すべきです(もちろん、その場合でも、相手を必要以上に
誹謗するような表現は避けるべきですが)。
 今までのたんぽぽさんの書きこみを拝見するに、後藤さんに対して
「言いわけ」「責任転嫁」などという否定的なことを言いながら、
その根拠として並べられているのは個人的な認識ばかりです。
 その上で、

>ほとんど納得していただけなかったようですが。

 というのは、私には当然のことのように思われます。

 ですから…

>簡単に言うと、後藤さまは、自分が告白する勇気がないので、
>女から告白しないのが悪いということにして、
>その背後に性別役割があるとした。

 …うんぬん…などという、客観的な根拠のない単なる推測は
(これ、まさに私が前回の書きこみで危惧を示した「言いがかり」ですね)、
ご自分の心にとどめておく分には勝手ですが、それをもとに後藤さん
を否定するような論(ですらない中傷?)を展開することとか、

>たんぽぽが断定するときは、だいたいどこへ行っても通じそうなこと
>を書いているつもりです。たんぽぽが断定を避けているときは、
>人によって意見が別れそうなことを書いています。
>わたしでも、これを区別することくらいは知っていますよ。

 「どこへいっても通じそうなこと」なんていうのは、
まさにたんぽぽさんの主観的な認識でしかなく、
そういう区別をご自分でなさり、それに基づいてご自分の行動を
決断されることなどは、やはり勝手ですが、その区別に他人を
巻き込むこととか
には、私は大いに疑問を感じます。
 たんぽぽさんは、
「私はこう思うけど、あなたはそう思うんだ。
ふーん、私とずいぶん違うんだね。」
くらいにとどめておくことが許せないようですが、
どうしてなんでしょうね。
(たんぽぽさんこそ「攻撃的」な方だと
私なんかは思ってしまうんですが…。)

 もう既にだいぶ長くなりましたが、もうすこしだけ。

 私は以前の書きこみで、「後藤さんの議論は客観的」
という書き方をしましたが、これが一番たんぽぽさんの誤解を
生むような不適切な表現でした。すみませんでした。

>でも、実際には自分の内面の問題と個人的な人間観を、
>延々と書いているだけにすぎない。

 「二番目」などにおける後藤さんの議論のもとになっているものの多くは、
たしかに、後藤さんが今まで生きてこられた中で持つに至った認識、
つまり主観的なものに過ぎないとは思います。
 私は、「後藤さんの議論が客観的な事実にのみ基づいている」と
言ったつもりはなかったのです。
(そういう誤解を生みやすい表現でした。すみません。)
 では、私は、「後藤さんの議論は客観的」という表現で
何を示したかったかというと…
 まず、後藤さんは議論のもとになっているご自分の認識が
個人的なものであることを自覚なさっている。
 そして、それをきちんと示されています。
 また、そこからされる議論についても、ご自分の考え以外のことが
ある可能性に常に注意を払っていて、たんぽぽさんのような、
全てがそうであるかのような断定をされていません。
(おそらく、きちんと納得いく形で示された反論があったときは、
ご自分の考えを訂正する気構えもお持ちなのではないでしょうか)。
 つまり、後藤さんの議論は慎重であり、いろいろな可能性を無視せず
されていて、たんぽぽさんとはまるで違う、
ということを言いたかったのです。

 私は専ら議論のし方について書いていたわけです。

 きちんとした論拠もなく、相手を否定してしまったら、
それは単なる誹謗以上の意味を持ちません。
 たしかに、単なる誹謗が目的の書きこみがされる
掲示板も、世の中にはたくさんあるようですが、
私は、後藤さんのところの掲示板がそのようになることを
望まない、というだけです。

Id: #keiziban20000915172000 (reply, thread)
Date: Fri Sep 15 17:20:00 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000913004042
Name: たんぽぽ
Subject: お遊びならそうかもしれないけど...
とおみさま

>果敢に猪突猛進

んん?
もしかして、わたしは身のほど知らずなことをやってる??


>「朴訥な男性(と不器量な女性)は、恋愛に不利だ」

お遊びでやる恋愛ゲームみたいなものなら、そうかもしれませんね。
でも、わたしはそんなの恋愛だとは思いませんし、
やっても時間の無駄だと思います。

そうではなくて、
たがいに相手と深く関わり合い、愛し愛されるということをしたいのなら、
そんな表面的なことは、ほとんど関係ないと思います。

前に「勝手にしやがれ」という映画のお話をしましたが、
女ったらしのパリっ子でも、心底ほれてしまった人の前では小心者です。
ふだんが朴訥だろうと大胆だろうと、どちらもほとんど違いありませんよ。

ルックスもそう。
これも前に書いたけれど、
お遊びでなく、まじめな恋愛対象として考えるなら、人を見る目がある人は
内面を重視します。外見にこだわるのは人生経験が浅く、
人を見る目が未熟なうちのこと。

もちろん、いくつになってもルックスにこだわる人もいるでしょう。
でも、そんな人は「ああ、わかっていないな」と思って、こっちから願い下げ
にすればいい。いや、願い下げにしたほうがいいでしょう。
そんな人の人間性はたかが知れているでしょうし、
付き合ってもいいことは少ないでしょうから...


で、まあ、

|陽動行為 掛げできた個々人の朴訥性に応じて修正係数ば吟味する余地ある
|なんつごどさは思い至ってさえけねのっしゃ

|あの人だぢはただ待ってさえいればいい。
|いい人が動いでくんの待ってで選択しさえすればいんだ。

というような、ご自分の内面や人間観を正当化していると、
わたしなどは思うわけですよ。
あからさまにそうは書かないし、書くわけないけれど。

もちろん、後藤さまはこれが正しい現状分析として「社会的視点」から
裏付けをしているつもりなのでしょうけれどね。

このあたりは、小谷野氏もそうなんだけれど...

Id: #keiziban20000913004042 (reply, thread)
Date: Wed Sep 13 00:40:42 2000
URL: tormi@nov.email.ne.jp
Name: とおみ
Subject: たんぽぽさんへ
はじめまして。
「猛者」と云うのは、たんぽぽさんが果敢に猪突猛進なさっているので
そうたとえさせていただいたまでで、それ以上の意味はないですよ。

えっと、ちょっと気になったので、また書き込みします。

>後藤さまは、社会のことを書いて前向きでいるつもりなのでしょう。
>でも、実際には自分の内面の問題と個人的な人間観を、
>延々と書いているだけにすぎない。
>わたしみたいなのには、そうしか考えられないのです。

ということですが、私はそうは思いません。
後藤さんが「自分の内面の問題」について具体的に言及した部分はみつけられませんでした。

後藤さんがまず云いたいことというのは、
「朴訥な男性(と不器量な女性)は、恋愛に不利だ」
という現状分析であって、それ以上でもそれ以下でもありません。

>後藤さんが「自分が」告白する勇気がないので、
>女から告白しないのが「悪い」ということにして、
(カギ括弧は私が追加しました)
というようなことは、たんぽぽさんが行間を読みすぎているような気がします。

で、後藤さんが提示した、現状であるところの
「朴訥な男性(と不器量な女性)は、恋愛に不利だ」についてですが、
確かに、そういう傾向はあるように、私は思います。

これについて、たんぽぽさんはいかがお考えですか?

Id: #keiziban20000911193446 (reply, thread)
Date: Mon Sep 11 19:34:46 2000
Name: たんぽぽ
Subject: ご期待には沿えません
うーん、ようするに、秋山仁ではないけれど
「努力は報われず、正義は滅びる」が、後藤さまは嫌なのですか?

でもね、世の中なんてそんなものですよ。
だれが悪いとか加害者がいるわけではなくても、
努力が報われないことはいくらでもありますよ。
とくに恋愛においては...

たしかに一生懸命努力しても、報われないかもしれない。
でも、一生懸命やれば、何かが自分に残っているはず。
恋愛に失敗したとき、それを振り返って、
自分のどこがまずかったか考える。
そして、そこから得たものをこれからに生かしていく。

こうして、経験は心の糧となり、人は恋愛で成長していくのですね。


それからね、恋愛に関したデータなんてないですよ、きっと。
いや、よく探せば何かあるのかもしれませんが。
あっても、たいして興味を引かないでしょう。

恋愛は経験主義...

一度でも真剣に人を愛したことがあって、
あちこちぶつけて傷ついたり傷つけられたりをしたことがあるならば、
いろいろな人の体験談を聞いているうちに、
だいたいこうすればうまくいくだろう、というのが見えてくるでしょう。
直接経験したことがなくても共感ができて、
どういうことか察することができるでしょう。

データのたぐいはほとんどありません。
恋愛でそれを要求するのはないものねだりです。
ご期待には沿えそうにありません。

だからわたしは最後まで「それはたんぽぽの主観ですね」と
言われ続けるのかもしれないけれどね。

あんまり説得力ないかもしれないけど
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20162.html


たんぽぽが断定するときは、だいたいどこへ行っても通じそうなこと
を書いているつもりです。たんぽぽが断定を避けているときは、
人によって意見が別れそうなことを書いています。
わたしでも、これを区別することくらいは知っていますよ。
うまくないかもしれませんが。

それでも疑おうと思えば、いくらでも疑えてしまう。
たしかに例外も多いし。

でも、それだとそこで止まってしまいます。

心を開くことは、信じるということ...
裏切られ、傷つくことを恐れずに...

そんなことできない、と言われてしまえばそれまでですが。


まあ、先へ行きましょう。

>いじめであれ、犯罪であれ、殺人であれ、就職であれ、恋愛であれ、

どうか、ここへ恋愛を並べるのはおやめになってください。
同列には扱えません。
いじめっ子や差別した企業は加害者です。
でも、振り向いてくれない恋人は加害者ですか?違いますよね?

去りゆく恋人に対してはあきらめてあげるのも、また愛するということ。
振られたからと言って、相手や世の中を逆恨みするのは
相手を愛していないということですよ。
単に自分がかわいいだけ。


>心を開いて前向きの思考をすると表情などに自然と内面から魅力が
>滲み出てきてモテるようになる」とか
>「プラス思考をするだけで自然に運が向いてくる」

これ、わたしでなくても、だれでも言うと思います。

気持ちの持ちようっていうんですか、楽観していると
「心の余裕」が出てきて、そのほうがうまくいく。
なぜか、ほかのことに熱中していて、
恋愛のことを忘れたころに新しい恋を見つけたりするのですね。

あせってしまって、心の余裕がないと、
どういうわけか、いつまでたってもうまくいかない。
「恋人欲しい」なんて常々思っていると、かえって見つからない。

たぶん、外見にその人の心の持ちかたが現れるからでしょう。

こんなのトンデモだから受け入れられない、と言われればそれまでですが。


>「心を開いて自分から女性をリードすれば、恋愛に対して前向きな男らしい
>人だという好印象を相手に与えて魅力が出てきてモテるようになる」

いや、こんな小手先の技術はどうでもいいのですよ。
大切なのは心...相手を愛する気持ち...
上手にリードしようが、下手だろうが、あなたが逆に女性に引っ張られようが、
そんなことは枝葉末端のささいなことに過ぎません。

下手なリードは、たしかにぎこちなくておかしいでしょう。
でも、相手を想って一生懸命やれば、それで誠実さは伝わるのです。

上手にリードしても愛する気持ちがなければ、誠実ではない...
それも伝わってしまう...
いや、恋愛ずれしている人なら駆け引きやっているのをごまかせるのかも
しれませんが、それはむなしいだけ...

何か大事なものが忘れられている...
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/19970.html
http://cgi.biwa.ne.jp/hakusho/hakusho7/message/20151.html

Id: #keiziban20000911193117 (reply, thread)
Date: Mon Sep 11 19:31:17 2000
Name: たんぽぽ
Subject: わたしって、猛者なの...?
とおみさま はじめまして

わたしって、猛者なんですか?

たんぽぽは「ライオンの歯」ですからね。
結構おっかないのかもしれませんね。


noizさま

>それと同時にその当事者の人間性を判断するのに社会性を
>見ないわけにはいかないと思います.これぬきで人のことって
>判断できるものでしょうか.

だれにも、その人を作った過去、そして背景というものがあります。
その一つとして、その人が住んでいる社会があるわけです。
人を理解する上で、その社会まで考えることが必要になることも
あるでしょう。

それはいいのですが、そうじゃなくて
恋愛ができない原因を社会のせいにしてよいかという
お話をしていたのではありませんか?

後藤さまの主旨は「恋愛ができない原因が社会にある」であって
「その人個人を知る上で、背景の社会も見る必要がある」
ではないのでは?

問題を取り違えているような...??


キホノさま はじめまして

簡単に言うと、後藤さまは、自分が告白する勇気がないので、
女から告白しないのが悪いということにして、
その背後に性別役割があるとした。
おともだちを見ていると、それでソツなくやっているように見えるから
そうに違いない。だからこれを自分の恋愛ができない理由にした。
こういうこと(これで全部じゃないけれど)だと思うのです。

後藤さまは、社会のことを書いて前向きでいるつもりなのでしょう。
でも、実際には自分の内面の問題と個人的な人間観を、
延々と書いているだけにすぎない。
わたしみたいなのには、そうしか考えられないのです。

それとも、後藤さまは、性別役割がなければ自分は女からどんどん
コクられているはずの、もてもてくんだと思っているのかな?


たとえばね、後藤さまが金持ちのぼんぼんに恋人を取られたりしたら
世の中の拝金主義がいけないと言って、経済理論と結び付けていた
ところではないかと思うのですよ。

結局、社会的視点から書いているなどと言っても、
自分の内面の問題によって変わってしまうと思いませんか?
それは、客観的でも普遍的でもない、それこそ主観的なものにしかならない。

そしてそれは、
自分自身や他者と向き合わずに、外部に責任転嫁しているにすぎない。
そのほうが自分が努力をするより簡単だから、
努力しないことの言いわけをしている...

...と、わたしみたいなのは考えているわけですよ。

自分がもてないことなど、どうやっても個人の問題で
社会問題にはなりえない、ということです。


>一番最初の書きこみ「悲しいです」なんてすごいですよね。

...おどかして、ごめんなさい。
そんなつもりではなかったのですが...
それくらい、わたしもびっくりしてしまったのです。


後藤さま

>私には、「努力しないで報いられている人」なんていくらでも
>いるように観察されますが。

おともだちを見ていると、苦労していないように見えるかもしれない。
でもそれは単に表に表わさないだけ。

きょう、あたかも何ごともなかったかのように仕事をしていても、
ゆうべは身を切られるような、大失恋をしていたかもしれないのです。


恋愛は、おのれの都合のいい姿しか、表にはさらさないらしい。

恋愛は二重人格...

人目に触れないところで、恋愛はその残酷な本性をむき出しにして、
失恋した恋人たちを何日も何ヶ月も襲い続ける...

ある者は、食事が喉に通らなくなって何キロもやせ、
ある者は、口から血たんを吐き、
ある者は、目が赤くなるまで泣き明かし、
ある者は、暗い夜道をあてどもなくさまよい、
ある者は、朝が来るたびに絶望を覚え、
ある者は、仕事も手につかなくなり、
ある者は、精神的におかしくなって苦しみ、
ある者は、自殺の誘惑に何度となくかられる。

そして、ある者は、ほんとうに自殺してしまう...

Id: #keiziban20000911080307 (reply, thread)
Date: Mon Sep 11 08:03:07 2000
In-Reply-To: keiziban0000.html#keiziban20000910153523
URL: http://plaza22.mbn.or.jp/~gthmhk/isnmg.html
Name: 後藤文彦
Subject: 返:はじめまして
とおみ さん、はじめまして。

>私は既婚・女ですが、後藤さんの意見にはかなり共感するものが有りました。

そう言って下さる方もいらっしゃると安心します。


>私の配偶者も、役割分担等に関して、後藤さんのような思考の持ち主なので、

それは何より(?)ですねえ。


Id: #keiziban20000910153523 (reply, thread)
Date: Sun Sep 10 15:35:23 2000
URL: tormi@nov.email.ne.jp
Name: とおみ
Subject: はじめまして
掲示板には初めて書き込みます。
懐疑論のコンテンツを辿っているうちに、ここにたどり着きました。

いや、恋愛論の*猛者*と議論なさっているのを読んで、
後藤さんの応援をしたくなったのですが、
他の方が見事なフォローをなさっているので、個人的な感想を述べますね。

私は既婚・女ですが、後藤さんの意見にはかなり共感するものが有りました。
たんぽぽさんの云うネガティブな印象は、あまり受けなかったです。

私の配偶者も、役割分担等に関して、後藤さんのような思考の持ち主なので、
余計に肩入れしてしまっているかもしれませんが。

ああ、なんだか良く分からない書き込みでスミマセン。
それではまた。

Id: #keiziban20000909155753 (reply, thread)
Date: Sat Sep 09 15:57:53 2000
URL: noiz@ad.il24.net
Name: noiz
Subject: 姓名のローマ字表記
こんにちは.
国語審議会が,姓名のローマ字表記について,
姓が先,名が後,というのが好ましいとする
判断に踏み切ったみたいですね.
しかも姓は全部大文字,というのを推称だとか.
ようやく現状に追い付いたというべきでしょうか :-)

zorganto: GOTOU Humihiko (管理者:後藤文彦) (Web Site)
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