Babilejo (掲示板) (0005)
Id: #keiziban20031204174400
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Date: Thu Dec 04 17:44:00 2003
In-Reply-To: keiziban0005.html#keiziban20031202231756
Name: 後藤文彦
Subject: 少数派な嗜好の消費者用の商品もちゃんと用意してほしい
>登山届の様式に、血液型の記載欄を設けている場合がありますが、
はい、そういう意味では例えば、前立腺癌や子宮癌などの検査を含む診断など、
医療的な必要から、性別(や、年齢や体重や病歴など)の記載欄が設けてある
とかも私は特に問題視はしていません(個人情報の種類によっては、慎重に扱う
べきものも多々あるでしょうが)。
一方で、カード会員の登録とかで性別の記入を必須とすることに、どういう必要性や
正当性があるのかは、ちょっと想像できません。例えば、性別による消費傾向を
統計調査するとか、カード利用者が本人であることを外見から識別する情報として
利用するとかいう程度のことに正当性が認められる(特に問題視されない)とすれば、
同様に体重の記入を必須として、「太った人は脂っこい食品を買う傾向がある」と
いった消費傾向の統計調査に利用したり、「このカード利用者は体重 60kg なのに、
今 使っている人は、どう見ても 100kg ぐらいありそうだ」と外見でカード利用者を
識別する情報として利用したり、といったことをしてもいいってことになるの
ではないだろうか。
>六陽抜きのカレンダーは売り上げが落ちたとかで、またぞろ復活したようですね。
うーん。六曜なしのカレンダーや手帳をウェブ上で宣伝すれば、
(六曜カレンダーや六曜手帳にうんざりしながらも、それしかないから
我慢して使い続けている)私みたいな人たちは、注文してでも買う人が
それなりにいそうだと思うんだけど、そもそも「私みたいな人たち」が
少数派なのかなあ。
#あと、除湿器を電機屋の安売りで買いたいんだけど、軒並み
#「マイナスイオンが出る」ばっかりで、不本意ながらマイナスイオン除湿器を買って
#しまうかも知れない。困ったなあ。マイナスイオンなんて怪しげな製品を
#買いたくない消費者も一定数以上いることをメーカーは認識してるのかな。
野口悠紀雄『「超」整理法』(中公新書)を読んだ『ASCII』編集長が、
野口氏に開発を持ちかけた「超」整理手帳では、
「
六曜は俗信であり、現代のカレンダーとは関係のない運勢暦であるという見解から、このような歴注は合理的な『「超」整理手帳』に似つかわしくないと考え、六曜の記載を中止いたしました
」
ということのようですね。この姿勢を貫き通してほしいけど、最近は
どうなんだろう。
「福岡市から迷信と因習をなくす会」
というのがあるようですね。
「衆議院手帳では87年,参議院手帳では93年から六曜を載せ始めた」
>学研電子ブロックの復刻版が出ていることを最近知り、
復刻版EXを姉の子に買ってやったけど、果たして遊んでくれているんだか。
私は、小学2年の頃に親が買ってきてくれた SR シリーズ
(基盤の上にブロックを並べて、金具で配線する)も
復刻版を作ってほしいです。その後、小学6年になるまでの間に、
ST シリーズも買ってもらったんですが、まあ、形は EX シリーズと同じ
だけど、透明な ST の方が私は「かっちょいい」と感じます。
1970年代中頃?にやっていた電子ブロックのテレビコマーシャル
をもう一回 見たいです(できれば mpeg とかで入手したい)。
散らばっている ST の電子ブロックが集まってきて整列し、
それが、ケースに収まる。そして、
「電子の細胞 電子ブロック」とナレーションが入る。
メカニックなものを「かっちょいい」と感じる子供のフェチ本能?は
完全に射止められました。
#因みに、私が似たような意味で「かっちょいい」と感じるのは、
#1980年代初頭に「初歩のラジオ」で紹介されていたアンプの3次元配線
#(基盤を使わずに、しごいて堅くしたリード線を直角に折り曲げてパーツを
#立体的に整然と密集させて配線していく)とか、管球アンプとか。
#で、当時?、将来 お金を稼ぐようになったら是非 作ってみたいと
#思っていたのは、管球アンプの下側の配線を3次元配線にして、
#ケースの底を覗けるように斜めに鏡を置いてそこに3次元配線が
#ライトアップ?されて写るようなアンプだけど、作ってないなあ
#(そんな暇は当分ない)。
#まあ、三栄無線の管球アンプのキットを3次元配線で作るとこまでは、
#だいぶ前にやったんだけど……
Id: #keiziban20031202231756
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Date: Tue Dec 02 23:17:56 2003
Name: かまだ
Subject: 血液型と六陽
「血液型を書くのはやめましょう」に補足。
登山届の様式に、血液型の記載欄を設けている場合がありますが、これは、滑落して重症を負い、ヘリ救助されて病院へ搬送される事態を想定しているから。性格判断とは、むろん何の関係もありません。
六陽(大安・仏滅・友引等)が差別を助長するということで、カレンダー出版社の間で自主的に六陽記載を廃していこうとする動きが一時期あったようですが、六陽抜きのカレンダーは売り上げが落ちたとかで、またぞろ復活したようですね。健闘しているのが、山と渓谷社が出版している、山岳写真などをあしらったカレンダー・スケジュール帳など。また聞きの未確認情報ではありますが、山と渓谷社が六陽追放に踏み切った理由は、想定される主要購買層である登山愛好家が、「今日は大安だから絶好の登山日和だ」「明日は仏滅だから行動を控えよう」等の判断をしてしまうと、命を落としかねないからだとか。
学研電子ブロックの復刻版が出ていることを最近知り、つい手が出そうになりました。
Id: #keiziban20030916173414
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Date: Tue Sep 16 17:34:14 2003
In-Reply-To: keiziban0005.html#keiziban20030915175216
Name: 後藤文彦
Subject: 実は私はインベンションの耳コピすらできないんです
>私はとても音感が悪く、フーガなんかも、特に3声以上になると、
>各声部の主題がごっちゃになって、聴き分けられなくなります。
>音楽に対しても、別に何も考えずに「ただ何となく心地良いから」
>という聴き方し かできません。(でも、そういう聴き方だって、
>もちろんアリですよね?)
勿論、私も音感(や和音の解析能力)は悪いし、第一に「聴いて心地よい」
かどうかで曲の善し悪しを判断しています。私がバッハや原博の対位的な作品を
「いい」と思うのは、その曲を聴いて「いい」と思えるからに尽きます。
で、音感や和音の解析能力の悪い私なりに、その「良さ」は、複数旋律が
パラパラと独立して動き回っていることだけでは得られないけど
(ショスタコービチのフーガとかの反例から実感されるように)、
複数旋律がパラパラと独立して動き回っていながら(その過酷な条件下で)
機能調性もが巧みに満たされていることに対して自分の音楽感性が感じる
種類の「良さ」だということぐらいは背理法的に読み取れます。
で、そこからの推測(飛躍)として、私の音楽感性が今ひとつと感じてしまう
ムラビンスキーのフーガとか(それよりはだいぶいいとは思うものの
メンデルスゾーンのフーガとか)は、(機能調性下での)対位的な絡みが今ひとつなんではないかと、
適当に論評してるに過ぎません。
そういう意味で、
>そうした複雑さを耳で聞き取る能力は、どうやら 私には欠けているようです。
耳で聴いて「ごちゃごちゃしているなあ」としか聞こえない複雑さを有している曲
(私にとってのクセナキスとか)は、
私の音楽感性に対して取り立てて何らかの「機能」をする規則性を特に持ってない曲で
(たとえその曲が緻密な数学的な計算結果を利用して作曲されていようとも)、
私が耳で聴いて「いい曲だ」と聞こえる曲(バッハとか原博)は、
私の音楽感性に対して明らかに「機能」する適切な規則性を有した
曲なのだと思います。
因みに全音から出ていた原博の「ピアノのための24の前奏曲とフーガ」は
数年前から絶版ではないかと思いますが、
主題や対唱、対主題(反行形かどうか)などを記号で表していて、
対位的な絡みの構造が分かりやすいように工夫してあります。
>秋山邦晴? という音楽評論家が、長文の原博評を書いていたのを
>どこかで読んだ記憶があるような。
情報提供 ありがとうございます。
いずれ機会があったら調べてみます。
Id: #keiziban20030916173304
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Date: Tue Sep 16 17:33:04 2003
In-Reply-To: keiziban0005.html#keiziban20030912182057
Name: 後藤文彦
Subject: お願い(たまには趣向を変えて)
楠本さんに類する人達は、刺激しないように無視し続けるのが
一番と思ってましたが、「これからも気が向いたら、来るかも知れませんね」
みたいな迷惑なことを言っているので、(逆効果かも知れませんが)率直に書きます。
楠本さんは、この掲示板上で何らかの主張をしようとすることはやめて下さい。
私があなたの議論に応じていない以上、私に対して何かを主張したいのなら、
ご自分のウェブページ上で思う存分やって下さい。
楠本さんが、自分のウェブページとして紹介した
http://www1.ocn.ne.jp/~jesus/
は既に存在しないようなので、
自分のウェブページのアドレスを1回書き込むことだけは認めます。
その際、要旨なども書かないで下さい。
「楠本のウェブページはここです」だけでいいです。
実は私は、楠本さんには要旨を書く能力すらないと見積もっています
(
私が
ここ
に書いた言いつけを守ってくれない楠本さんが、
以上の私のお願いを理解してくれるといいんですが)。
一応、私が、楠本さんの書き込みをどう思っているかを率直に書くと
- 議論以前の問題として、基本的な日本語によるコミュニケーションの能力
が欠けていると見受けられる。
- 上記の結果であろうが、
批判の対象としているらしい主張の殆どは、私が主張していないことである。
- 上記を措くとしても、主張の内容があまりに陳腐で、
私が頁上で既に批判している典型的な意見の変種でしかない。
このような特徴を持った「楠本さんに類する人達」と議論を試みても、
(私の考えの問題点を指摘してもらえて目から鱗が落ちるような
ワクワクして楽しい有意義な)議論なんて成立しないであろうことが
私には予想されるので、申し訳ありませんが、楠本さんの書き込みは今後も
無視され続けます。
他の人もこの掲示板上で楠本さんを相手にすることはやめて下さい。
実際、私からすると、ちょっと文章を読めば
こういう人だと
すぐに分かるから、まず誰も相手にしないだろうと見積もっていたのですが、
KILLさん
とかいう(別な意味で困った)人が現れて、
まるで子供のケンカじみた悪態(と言っては子供に対して失礼だが)を
楠本さんに浴びせたりをやってくれました。この掲示板上で
議論を指向せずに他人に悪態をつくのは迷惑なのでやめて下さい
(だいたい、大人の世界で、
「
氏ね死ね死ね
」なんて言っておきながら、
「
かなり頭にきていたので、つい乱暴な言い方をしてしまいました
」では済まされないでしょう、普通)。
尚、
楠本さんは、
KILLさんの誹謗中傷掲示を放置する私の神経が信じられない
といったことを書いてますが、
私の感覚では、楠本さんの私に対する言いがかりの方が誹謗中傷としては
タチが悪いぐらいだと感じています。
私としては、
「後藤は性差はないと主張している」だの
「後藤は漢字を廃止せよと主張している」だのというデマを流されることの方が、
「後藤はウザイ、氏ね死ね死ね」などと言われるよりもよっぽど人聞きが悪いです。
まあ、いずれにせよ、私の感覚では、
この程度の誹謗中傷は、
プライバシーの観点や、誰かの日常生活を脅かすかという観点から、
緊急な削除が必要だとは(今のところ)思わないので放置してます。
内容的にも、書き込んだ本人の品位を疑わせる程度のものしかないし。
さて、私が楠本さんを
ここに書いたような人であると見なした
判断材料のごく一部を
(楠本さん以外の人への)
参考までにいくつか挙げておきます。
-
まずは読解力の問題です。
私は色々なところで性差より個人差の方が大きいという議論をしてはいますが、
私は「性差はない」という主張はしていないし、
「性差はある」ことを(科学的に)示すことで性差別が正当化される
かのような陳腐で典型的な勘違い
に対して、あちこちで釘を刺してもいます
(というか、
「
男女に統計差があるなら役割分担すべきか
」
という題目を見ただけで、私が統計的な性差自体を否定していないことは
分かると思うのですが……
)。
ところが楠本さんは、私が「性差はない」と主張していると思い込んでいるようで、
その仮想敵に対して、
「『性差はない』という主張は間違っている」
「それ故に性差別も正当化される」という陳腐で典型的な勘違い
と似たり寄ったりの内容のことを脈絡のない文章で連想任せにダラダラと
繰り返し書いています
(
これ以降の一連の書き込み
)。
-
更に如実な例は、私を
漢字廃止論者と勘違いしているらしい
ことでです。
「
漢字廃止論への疑問
」
という題目を見ただけでも、私が漢字廃止論にどういう立場を取っているかは、
一目瞭然だと思うし、題目だけで確信が持てなくても、
ちょっと斜め読みしただけですぐに確認できそうなことだと思うのですが。
-
楠本さんは引用をしないので、
(仮に私が楠本さんが批判している通りの主張をしているのだとしても)、
いったいどこでそんな主張をしている
(と楠本さんに思わせてしまった)
のかが分かりにくいところが多々あります。
私の原文を睨めながら批判文を推敲しているふうな跡は伺えず、
どうも、斜め読みから得られた微かな個人的な印象の中だけで
勝手に仮想敵を構築して、
あとは連想任せに脈絡なくダラダラと書いているようです。
というか「引用」すらも、
原文を参照せずに微かな印象だけから適当に構築してしまうようです。
例えば、
ここ
で、楠本さんが私の「HP内の女性作家の引用」として引用しているのが、
どこからの引用なのか私には分かりません。
>最後に、いい加減疲れて来たので、HP内の女性作家の引用を批評して終わります。
> 確かに現象は確認された、だが、それをこれから続けて行くという事とは関係ない。
>男は戦場、女は家事育児という事を繰り返して結果、ジェンダーは出来た。
もしかして、
ここ
の長谷川眞理子の引用を自分なりに要約した引用だとすると
(他にそれらしいところがちょっと見つからないのですが)、
見事なまでに長谷川眞理子の主張を理解できていないことが分かります。
-
参考までに、
ここで楠本さんが自分の頁として紹介している頁には、
一体どんな文章が書かれているのだろうかと思ったのですが、
既に存在していないようなので、
web.archive.org
で検索してみましたが、小説らしきものが書かれているようです。
しかし、話の中身が私にはさっぱり理解できません。
わざと訳が分からない文章を装った実験小説という可能性もなくはないですが、
自分が空想したことを
(その空想を共有していない他人にも理解できるようにする説明を付加することなく)
脈絡なく連想されるままに
ダラダラと書き殴っているような印象を受けました。
-
細かいことではありますが、態度が周期的にガラッと変わったりすることが
あるのも、
楠本さん
に類する人達
の典型的な特徴だと私は感じています。
強い調子で私に言いがかりをつけていたかと思うと、
急にその態度を反省して、
「
興奮した余り、人格攻撃的になってしまいました。
申し訳ありません。 冷静に読んでみるとかなり客観的に書いてありますね
」と素直に謝ったり、
その後、態度が改まるのかと思っていたら、また元の調子に戻ったりします。
もう最後の書き込みにするだのもう書き込まないだのと宣言しておきながら、
言い訳をしながら書き込みを繰り返し、挙げ句
「これからも気が向いたら、来るかも知れませんね」ときたもんだ。
やれやれ
Id: #keiziban20030915175216
(reply,
thread)
Date: Mon Sep 15 17:52:16 2003
Name: かまだ
Subject: 原博氏のこと
>対位的な絡みが今ひとつ。こういうのを聴くと、改めて原博のフーガは確かにいいと思ってしまいます。
ということで、原博の「前奏曲とフーガ」の楽譜を引っ張り出して見直してみました。確かに、素養のない私の目にも、各声部の絡まりの緻密さは見て取れます。ひゃあ、今まで気付かずにいたなんて。認識不足でした。
私はとても音感が悪く、フーガなんかも、特に3声以上になると、各声部の主題がごっちゃになって、聴き分けられなくなります。音楽に対しても、別に何も考えずに「ただ何となく心地良いから」という聴き方しかできません。(でも、そういう聴き方だって、もちろんアリですよね?) 楽譜だと、曲構造が目で追えるので、改めて原博の腕前のすごさを知ったわけですが、そうした複雑さを耳で聞き取る能力は、どうやら私には欠けているようです。
で、原博のことを書いていて、不意に思い出したのですが、かなり昔(20年くらい前?)に、秋山邦晴?という音楽評論家が、長文の原博評を書いていたのをどこかで読んだ記憶があるような。好意的だったのか否定的だったのかも忘れましたが、かなり詳細な論評だったと思います。この秋山?さんという人、(後藤さんの嫌いな)クセナキスに好意的な論評文を書いていたように思うのですが、なにぶんおぼろな記憶なので、確信がもてません。昔のあやふやな記憶が甦ると、どうも気になってしまうものですね。
Id: #keiziban20030912182057
(reply,
thread)
Date: Fri Sep 12 18:20:57 2003
Name: 楠本 広和
Subject: 永遠に来ないと言っておいてなんなんですが(^^;
こんにちは。
刺激的なのは確かですね。
しかし、それは、言ってみれば、単に過激な意見を言っているからであって、特に目新しい意見ではないんですよね。
というのは、如何にも、それ風のパターンにはまった意見に過ぎないから。
フェミニズム一般の意見を、見事なまでになそっているだけなんですよね。
後藤さんの意見って。
普通人間って、ある思想を信奉していたとしても(例えばそれが右翼でも)、ある程度の年齢になれば、それに完全には、はまる事なく、自分独自の意見というものも持つものなんですが。
後藤さんの場合、見事なまでに、それがない。個性というものが微塵もないんですよ。
右翼でも、例えば、昔、神風とか大和魂とかいう根拠だけで戦ったのは、非理性的で馬鹿な行為だったとか、そういう客観性をやがては持つ人が結構いるんですけど。
後藤さんの場合、フェミニズム教本通りで、なにも自分独自の意見とか、客観性がないんです(笑)。
私、この人程、画一的で、型にはまった人って見た事ないんですよ。正直(^^;
自分の気に入らない事は一切否定して、自分の意見に矛盾する、反する事実は特殊なバイアスをかけて回避するというのも思想系(宗教系)の人間の画一的パターン通りだし。
言ってみれば、それは、市販の激カラスパイスを入れただけであって、工夫もなければ、ひねった所もない。
つまり、ネタとして読む場合にも、すぐにパターンが読めて、飽きがきて、全く面白くなくなるんです(善悪に綺麗に分かれている幼児番組みたいに)。
面白いのは、本人が、それに気づかないで、延々と同じパターンを繰り返している所です。
普通、どうも、同じ主張ばかりで詰まらないな、とか自分で気付くものなんですけど。
うーむ。大体、こんな所かな。
これからも気が向いたら、来るかも知れませんね。
まあ、もう二度と来ないかも知れないけど。
では。
ま、一つの意見として聞いて頂ければ、幸いです(絶対に聞かないとは思うし、我ながらなんで、忙しい時期に、こんな挑発するような意見を他人のHPに書いているのか、良く分からないんですが)。
Id: #keiziban20030910221704
(reply,
thread)
Date: Wed Sep 10 22:17:04 2003
In-Reply-To: keiziban0005.html#keiziban20030908222410
Name: かまだ
Subject: まずは取り急ぎ。
後藤さん、お忙しい中、とても丁寧なお返事、ありがとうございます。畏れ多くて、緊張しております。
原博さんは、確かに、もっと注目されていい作曲家ですよね。
Id: #keiziban20030908222410
(reply,
thread)
Date: Mon Sep 08 22:24:10 2003
In-Reply-To: keiziban0005.html#keiziban20030907231147
Name: 後藤文彦
Subject: 返:ナメクジ爆弾、塩コンセント、骨ガタ
>哀調を帯びているように聞こえてしまって、そこがまた、いい。
私が推敲時に無意識にそういう音符を選んでしまっているのだとしたら、
そう言われると嬉しい?ですが、実際には、たまたまそう聞こえるという
ことではないかと思います。原曲と変造曲の楽譜を見比べてもらうと
分かりますが、私がやってることはぜんぜん大したことではありません。
思いつきさえすれば誰でもできそうなことだし、音楽の素養のある人には、
もっとずっとうまくできるでしょう。だから、私の意図している
(パラパラして躍動的な)方向性で、もっと凝ったバッハのジャズ編曲を
してくれる人が現れることを私は期待しているのですが、なかなか。
先日、東京に用があって行った時に、
グルダのエクササイズのCDとかはないかと
探してみたんですが、出てないようで、
グルダの「前奏曲とフーガ」なんてのもCDがあったけど、
今は廃盤みたいですね。
ムラビンスキー自作自演の「前奏曲と7つのフーガ」とかいう
CDを見つけて買ったんですが、これが面白い。旋律的には
なかなかかっこよさそうなんだけど、対位的な絡みが今ひとつ。
こういうのを聴くと、改めて原博のフーガは確かにいいと
思ってしまいます。
>ぜひ、後藤さんの生演奏を、聴いてみたいような。
いや、私はあの速さでは弾けません。
MIDI様々です。
>後藤さんと 田崎晴明さんのファンです。
田崎さんと並べられると光栄ですが、せっかくの機会?なので
この辺にでもリンクを張っておきますか。
>実は私も昔、(手違いで)両側コンセントを作ったことがあります。
両側コンセント
もなつかしい話題ですね。
取り敢えず、今回はこの辺で。
最近の virtualave の広告バナーの種類によっては、スタイルシートを
無効にされて(表示がちょっと乱れて)しまうことがあるようですが、
そのうち対処法を考えます。
Id: #keiziban20030907231147
(reply,
thread)
Date: Sun Sep 07 23:11:47 2003
Name: 鎌田しげみ
Subject: ナメクジ爆弾、塩コンセント、骨ガタ
はじめまして。
後藤さんの頁は、賛同できない部分もいろいろあるものの、刺激的な論考に満ちていて、読み応えがあります。
後藤さんの ゴルトベルク変造曲は、お気に入りです。あれほど軽やかでノリのいい仕上がりなのに、私にはなぜか、(バッハの原曲には感じられない)哀調を帯びているように聞こえてしまって、そこがまた、いい。ぜひ、後藤さんの生演奏を、聴いてみたいような。
なお、私は1966年の早生まれ、後藤さんと 田崎晴明さんのファンです。大昔にピアノをかじってはいたのですが、全音の ソナチネ2教本で挫折して以来、20年以上 弾いていません。自己紹介代わりになるような、自分のサイト一つ持たぬ身なので、分際をわきまえて、ROMに徹するつもりでいたのですが、ここのところ掲示板が荒れ気味なので、気分直しに おバカな話でも書き込もうかと思い至った次第です。初期の頃は、和やかでのんびりした会話が交わされていただけに、とても残念です。
実は私も昔、(手違いで)両側コンセントを作ったことがあります。二つに一つのロシアンルーレット以外に 使い道も無さそうだったのですが(実は結構、使い道があるんですねえ。びっくり)、「ナメクジに通電すると、爆発する」と真顔で言う友人がいたので、試してみることにしました。とは言え、本当にナメクジが爆発したらかわいそうだし、私自身イヤなので、ナメクジに似た性質の?羊羹(ウイロウだったかも)を用意し、両側コンセントの片側の電極を突き刺し、通電してみました。しばらく様子を見ていても、何も起きませんでした。爆発の話、本当でしょうかねえ。局所的な温度上昇により、突沸が起こるとか???
コンセントと言えば、以前、海で釣ってきた ベラを飼っていたのですが、水槽に入れたエアストーン(いわゆる「ブクブク」)や 泳ぎ回る魚のせいで、海水が散って、水槽の照明灯の差込口あたりに、析出した塩がいっぱい付いていました。で、コンセント穴からプラグを引き抜こうとするたびに......
あと、200ボルト線(昔のクーラーとかに使われてたやつ)を、我慢して一瞬以上 触っていたら、手の骨がガタガタ震え出すとか。
Id: #keiziban20030830220448
(reply,
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Date: Sat Aug 30 22:04:48 2003
Name: 楠本 広和
Subject: ちょっと思うんですけど。
久しぶりに来てみて更に思ったんですけど。
後藤さんに類する人達に対して−もうちょっと自己の意見に客観性を持ったらいかがでしょうか。
漢字廃止論にしても、何にしても、きちんと社会生活を営んでいるものなら自然に理解出来る事を認識出来ない、認識障害としか私には思えないんですよ。
インターネットや色々な本を読んで、本当に見識を広めているのなら、決して恥ずかしくて言えないような事を平気で言っているし。
第一に、私の名を出して、それに対して誹謗中傷をしているのに、その書き込みに対して対処をしないというあなたの神経がちょっと信じられないのですよ。
私の書き込みも変質的ですが、あなたもかなりまともではないですね。
管理上、難しくて出来ないという理由なら納得もいくのですが、『面倒くさいから』。これが、平等論や人権を振りかざしている人間の態度なのですか?
KILLさんにしてもそうですが。私は別に差別主義者ではないのですが。
平等主義の人というものは、きちんとした社会的常識とか礼儀を知らないのではないでしょうか(辻本議員等もろにそうでしたしね。相手が悪人なら、さんざん人権を蹂躙して良いのですか? 平等・人権を訴える立場の人が、かなり変な言動をしていたと思います)。
要するに、あなたがたは、自分たちの人権、あるいは、自分たちの感情に触る事に対しては敏感なのですが、他人の人権や、他人の感情に対しては全く鈍感で、思いやる事すら出来ない人間なんでしょうね(男女が合同でオリンピックなんかしたら女選手から死人が出ますよ。本当に相手を思いやっているとは全く思えません)。
例えば、漢字を使用しない事を提言する権利を誰があなたがたに与えたのですか?
私から言わせれば、そういう事を本気で考えている人間こそが、一部の人間の管理で世界を変えてやろうとするエリート主義者であり、誇大妄想家だと思いますけどね。
根拠が男女差別だからというのがちょっとあったが、上記してみせたように、あなたがたには、本当に他人や、差別されているモノに対する思いやりなんて微塵もありませんよ。
はっきり言って悪いのですけど。
今回も長くなりそうで、申し訳ないのですが、多分、これが最後の書き込みになると思うので、もう少し付き合って下さい。
はっきり言ってなんですが、文章と言語は文化であって、単なる記号でも、便宜的に物事を伝える為に生み出された、無駄や情感を排した軍隊のコミュニュケーション手段でもありませんよ。豊かな表現があるから、文学も、映画も、恋文さえも、きちんと、思いや「心」のあるものとして表現できるんです。
人間は機械ではありません。簡素で分かりやすければ良い、等という考えは、根本的に通用しませんよ。
実際に、人間というもの、人間社会というものを理解されていますか?
あなたがたは、実は、自分たちの都合によっては、人間というものそのものを徹底的に蔑視しているのではないでしょうか?
漢字が英語が先にあったからという理由ではなく、人間が感情や思いを持ち(あなただって相当強い感情を持っているでしょう?)、そして漢字や英語が、誰の手にも寄らず、限られた研究者の思惑ではなく、長い間に生み出された豊かな文化的な言語表現だから多くの人々が使っているのだと思いますけどね。
根本的な所を、あなたがたは読み違えていますよ。
合理的というのは、一見、理性的に思えるのですが、実は、この世界の色だの、現実だのを知らない、子供の理屈、究極の不合理だと私は思いますね。
だって自分の考えと知識の範囲内に全てを押し込めようとする究極的にまで幼稚な価値観ですから。
だから、東大生が一番詐欺にあいやすいそうですね(笑)。
私は、あなたがた程、不合理で、感情的で、主観的な人間を知りません(人権主義とか平等主義とか、その逆の右翼とかは大抵あなたがたと同じ部類だと思いますが)。
実は私は、平等にしろ、差別にしろ、主義というものは、同じものだと考えています。
即ち、現実が見えず、人を思いやる事もせず、自分の考えだけで世の中の全てを無理やり規定しようとする事(だから、一時程、人権思想をやかましくいわなくなりましたね。マスコミでも)。
要するに、私には、あなたがたが、自分の狭い価値観を絶対視して、世界がそれに同意すると勘違いして、壮大で滑稽な改革的思想を妄想している、良くあるカルト宗教の信者にしか見えないのですよ(これは前にも指摘したと思うのですが)。
そんなあなたが、宗教を幼稚だとか、非理性的だとか批評している事自体が、ちゃんちゃらおかしいし(失礼な表現で申し訳ないのですが、これ以外の表現を思いつきませんでした)。
他者を批評する前に、もうちょっとご自分を見つめ直してみたらいかがでしょうか。
自分の意見は本当に正しいのか、自分の思い込みの、狭い、マイナーな了見に陥っていないのか(不思議な事に沢山本を読んだり、専門知識を持っているような人間がもっとも偏狭で幼稚な事が多いんですけど)。
正直言って、男性の能動性と女性の受動性を表す、かつての少年漫画の描写を、曲解に曲解を重ねて、コミュニュケーション障害にしてしまうくだりは、余りに主観的で、危ない宗教特有の異常さが見え過ぎて(中世のキリスト教徒やオウムみたいな感じがモロにしましたね)、背筋に寒気を覚えました。
まともな神経ならこんな事は恥ずかしくていえないというのは、この部分で特にそう思った事です。
私の言いたいのは、これだけです。では、本当に永遠にさよなら。
Id: #keiziban20030512222105
(reply,
thread)
Date: Mon May 12 22:21:05 2003
Name: 後藤文彦
Subject: 試験書込
長らく書込がないので、書込不能になってないかどうかの確認。
緋さん、アクセント位置についてのいろいろは、いつでもどうぞ。
私もすぐには反応できないかも知れませんが。
Id: #keiziban20030212212849
(reply,
thread)
Date: Wed Feb 12 21:28:49 2003
In-Reply-To: keiziban0004.html#keiziban20030211114038
Name: 後藤文彦
色々と立て込んでいてなかなか反応できずにおりすいません。
エスペラント(またはその他の言語一般)の文字表記についてですが、
私は、ラテン文字による表音表記は、単語を横方向に細長くしてしまうので、
図柄としての認識に適さないのではないかという印象を持っています
(こことか)。
だから、私はエスペラントの表記も、ラテン文字よりももっと効率的に
学習・利用できる表記方法を考案して導入した方がいいのではないかという
考えすら持っています(因みに、既に普及・定着しているラテン文字表記を使う
方がいいのだという考えは、既に普及・定着している英語を使えばいいのだと
いう考えと同じですよね)。
そんな私ですから、小文字だけでよいという意見には方向的に同意しますが、
小文字の他に大文字も覚えなければならない学習労力なんかよりも、
ラテン・ギリシャ系の高級語を覚えなければならない学習労力の方が遙かに大きな
というか深刻な問題だと思います。
それはともかく、確か、いとうかんじさんが、エスペラントを小文字だけ
で表記する主義だったかも知れません
(こことかを見ても、historieto de esperanto とか書いてあるし
(かなもじ主義者でもあるかも)。
zorganto: GOTOU Humihiko (管理者:後藤文彦)
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