(後藤文彦の頁) (Retpaĝo de GOTOU Humihiko) (暴走しやすいシステムと暴走しにくいシステム)

キルキルへの てがみ

Letero(j?) al Kirukiru

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キルキルの はなし
石巻語詩
石巻語辞典

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一年生で習う漢字80字
二年生で習う漢字80字

小学二ねん生の キルキルへ (五月十八日 火曜かよう〆切しめきり)

キルキルが 手紙てがみ入れ つぐって、とうちゃん さ 手紙てがみ いでけろっつったり、 よる ねる まえに むぎちゃ 入れでけろ っつうのは、 とうちゃん の 愛情あいじょうたしかめたい っつうごど だべな。 そいづ は わがってる。 とうちゃん は ミルミルの ごどは 毎日まいにち めんこがって、 キルキルの ごどは 毎日まいにち おごって ばり いる。 んだがら、キルキルは 心配しんぱいに なって、 ますます とうちゃんの 言うごど がねぐ なんだが しゃね。 とうちゃんが 何回なんかいも 言ってきた ように、 キルキルが すなおに 言うごど ぐ ように なれば、 ミルミルば いじめねぐ なれば、 とうちゃんは、キルキルの ごど おごんねぐ なるし、 もっと もっと めんこがる ように なっぺな。 ほんとだど。 とうちゃん だって、キルキルの ごどば、 おごりてぐ ねえし、ミルミルど おんなじように、 めんこがって だげ いれだら いいべなって おもう。

とうちゃんが キルキル さ おしえてえ ごど は いっぺえ あっけっと、 たぶん キルキル は、すこしずづ いろんな ごど おぼえで いぐべ。 いまは とうちゃんさ 反抗はんこうして、はっぱり とうちゃん の 言うごど いで ねくても、いままで だって、 立体的りったいてきはごがだ どが、 包丁 ほうじょ安全あんぜん使つかがだ どが、 すこしずづ、すこしずづ、 おぼえだように、 果物くだものかわの むぎがだ どが、 ピアノの がだどが、 なして、ちっちゃい子 ば たたいだら あぶねえのが どが、 なして、ちっちゃい子ば いじめで だめなのが どが、 その理由りゆうも わがる ようになっぺ。 わがんねえげっと、たとえば、小学四ねん生どが、 すくなくとも 中学生ちゅうがくせいに なるころには、 いろんな ごどが でぎるように なって、 もしかすっと、 いまの あやとり みでぐ、 とうちゃん よりも うまぐ でぎる ごども ふえで くっぺ。 そして、人が いやがる ごど したり、 人に けが させる ような あぶない ごど すっこどが、 自分じぶんに とって、うんと そんだがら、 そんなごど は しねえほうが いいって、 はっきりど、わがる ように なっぺ。 んだがら、 いまの キルキルが いっそ わりいごど ばり して、 はっぱり 言うごど がねくても、 とうちゃんも キルキルんどご、そんなに おごんねで、 もすこし、のんびり ながめでで みっかなあ どおもう ごども ある。 ただ、 ミルミルに、けが させで しまったら、 たとえば、目え つぶして しまったり、 ドアで ゆび おって しまったり、 ミルミルが 大人おどなに なっても なおらない けが させで しまったら、 そいづ は、とりかえし の つがない たいへん な ごどだ。 んだがら、とうちゃん は、 キルキルが、 多少たしょう、 言うごど がねえで、 ちゃんと 勉強べんきょうしねがったり、 もの こわしたり、よごしたりしても、 そんなに つよぐ は おごんねえ げっと、 ミルミルに あぶない ごど したら、 それだげは、つよおごんねげ ねんだ。 わがったが。

もう一つ。 キルキルが 大人おどなに なって、 自分じぶん料理りょうりしたり、 仕事しごどしたり して、 大人おどな社会しゃかい の 中で 生きて いげる ように するために、 とうちゃん は、キルキルに いろんな ごど おしえねげね。 んでも、 さっき いだ ように、 中学生ぐれえに なるころ には、 キルキルは、いろんな ごど でぎる ようになって、 いろんな ごど わがる ようになって、 いまより、 ずっと お利口りこう大人おどなに なってっと おもう。 んだがら、 いまの 小学二ねんの キルキルが、 多少たしょう、言うごど がない 子で、 多少たしょう馬鹿ばがな ごど してでも、 まあ、そんでも いいがな どは おもってる。 ただ、 とうちゃん にとって、 毎日まいにちたのしぐ らせる ごど も 大事だいじだ。 かあちゃん にとっても、 ミルミルにとっても、 キルキルにとっても、 毎日まいにちたのしくて、 家族かぞぐ みんなで、 わらって すごせだほうが いい はずだ。 とうちゃん が、子供こどもの ころ の おはなし するように、 とうちゃんに とって、子供こどもの ころ は、 うんと たのしがった。 キルキルに とっても、 子供こども 時代じだいは、 毎日まいにちたのしい おもい出 で いっぱい に してほしい。 とうちゃん だって、キルキルの どごば、おごるのは、 たのしぐねえ ごどだ。 んだがら、 なんぼ ミルミルに やきもち やいだって、 なんぼ ミルミルに むかついだって、 ミルミルに いじわる しねで けらいん。 ミルミルに たたかれでも ミルミルに しかえし しねで けらいん。 キルキルだって、ちっちゃい ころ は、 いっぱい もの こわしたし、 とうちゃんの どご たたいたり、けっとばしたり、かっちゃいだり、 したんだがらな。 ミルミルに けが させるような あぶない ごど は、 絶対ぜったいに しねで けらいん。 それだげで、とうちゃん の おご回数かいすうは、 ものすごく へる はずだ。 そして、 毎日まいにちが もっと たのしぐ なる はずだ。

とうちゃん がら

もくじ

小学四年生のキルキルへ

小学二年のキルキルさ手紙 書いでがら、二年ぐれえ たったな。 二年前の手紙に書いだように、 たしかに小学四年のキルキルは くだものの皮もむけるようになったし、 おり紙なんか とうちゃんの おれないような むずかしいやづも いろいろ おれるようになったな。 んでも、とうちゃんが こうなればいいなって ずーっと思いつづげでだごど ―ミルミルにいじわるしなぐなるごど― これは ぜんぜん むり だったな。

とごろで とうちゃんが 「やさしい おねえちゃん ください」の話 考えだきっかげ 教えでやっか。 キルキルに何回も話したように、とうちゃんは おねえちゃん(つまり、キルキルのおばちゃん)が、 なして とうちゃんに いじわるすんのが、ずーっと ふしぎだった。

とうちゃんが今のミルミルぐれえのどぎ、 おねえちゃんが せっちゃんのうぢに行ぐっつうがら、 とうちゃんも つれでってけろって たのんだっけ、 おねえちゃんは
「フミヒコ、ぜったい いい子に でぎねえがら だめだ」
っつうのさ。 んだがら とうちゃん、ぜったい いいこにしてっからって何回も たのんだっけ、
「ぜったい いい子にしてるって やくそくしたらいい」
って やくそく させらいで、せっちゃんの うぢに 行ったのっさ。

とうちゃんは わるいごど しないように きんちょうして、 うんと 気をつけで、せっちゃんどおねえちゃんど トランプして 遊んでだのっさ。 せっちゃんが こだづの台どふとんの間にトランプ かぐして、 手品みでえなごどやってみせだがら、 とうちゃんも そいづ まねして、こだづの台どふとんの間に トランプ かぐしたりしてだんだな。 しばらぐして、そのごど思い出したとうちゃんは、 急に かくしたトランプば たしかめたぐなって、 こだづの台ば 持ち上げでみだんだでば。 そしたっけ、台の上においてあったガラスの入れ物がたおれて、 ガラスがわれて水がこぼれてしまったのっさ。 おねえちゃんは かんかんになって おごるのっさ。
「フミヒコっ! いい子にしてるって、何回もやくそくしたべっ!  もう ぜったいに つれでこないがらなっ!」
せっちゃんは、おねえちゃんより二才ぐれえ年下だったげっと、 とうちゃんがトランプ 見ようどしたごど わがってで、 とうちゃんのごど かばってくれるんだな。
「フミヒコちゃん、トランプ見だがっただけだもんね。 いいよ、いいよ。けがしなかった? だいじょうぶ?」
みでぐ。せっちゃんのほうが よっぽどおとなだな。 子どもが ガラスわったら、まずは けが してねえがどうが たしかめるのが 一番 大事だ。

うぢに帰ってがらも おねえちゃんは、 おかあさん(つまり いしのまぎばあば)に
「きょう、フミヒコだら、せっちゃんのうぢで ガラス わったんだよ。 いい子にしてらいんって やくそくしたのに。 もう やんだぐなる。もう ぜったい フミヒコなんか つれでいがね」
みでぐ、いっしょけんめいになって とうちゃんが わるいごど したって 言うんだな。 いしのまぎ ばあばも、
「あら、けがしねがったのすか」
どが、せっちゃんど同じようなごど言うだげで、 とうちゃんのごど べづに おごんねんだな。 なんか、今のキルキルどミルミルの かんけい ど そっくりだな。 とうちゃんは 子どもだったげっと、 おねえちゃんが、とうちゃんのごど きらいなんだっつうごどは、 ちゃんと わがってだ。 しかも、せっちゃんだの いしのまぎ ばあば だの ほがの人は、 ぜんぜん はらをたてないごどに、 おねえちゃんだげが、うんと はらをたてで ものすごぐ おごるのは、 よっぽど、とうちゃんを にくたらしぐ 思ってる っつうごどだ。 それが何でなのが、 とうちゃんには ずーっと なぞだった。

これも何回もキルキルに言ってきたごどだげっと、 キルキルがミルミルにいじわるするのを見で、 ようやぐ とうちゃんは なぞが とけだ。 キルキルは、とうちゃんには そうぞう でぎねえぐれえ、 よっぽど ミルミルが にくたらしいんだべな。

ミルミルが まだちっちゃくてキルキルど いっしょに 遊んだり でぎないころ、 キルキルは
「とうちゃんど、かあちゃんど、キルキルど、さんにんだげで くらしてだ どぎ のほう、いがったなあ」
だの
「とうちゃん、ミルミルば かわに すてできて」
だの言ってだげっと、 もし、ミルミルが生まれでねくて、 ほんとに とうちゃんど かあちゃんど キルキルの三人だげで くらしてだら、 どうなってだべな。 とうちゃんも かあちゃんも キルキルだげを かわいがって、 もしかすっと キルキルは、 よその ちっちゃい子にやさしくて、 今より よっぽど いい子に そだってだがも しゃねな。 そして、とうちゃんも かあちゃんも、キルキルのごど 今みだいに おごんなくても すんでだがも しゃねな。

今のキルキルは、ミルミルにばがなごど言って わらわせだり、 ミルミルど いっしょに ばがなごど やって、かあちゃんだの とうちゃんに おごられだり、 ミルミルに なんぼ いじわるしても 「おねえちゃん、あれやって」「おねえちゃん、これやって」 って つきまとわれで勉強もじゃまされて、 ミルミルがいる おかげで 楽しぐ くらしてっぺ。 今、ミルミルが いねぐなったら、って そうぞう してみろ。 そいづが、なんぼ さびしいごどが。

こないだ、ミルミルど おふろに 入ってだら、 ミルミルが
「おとうさんの たからもの なに?」
って きいで きたんだな。んだがら、
「んだなあ。ミルミルどキルキルどかあちゃんがなあ。 んで、ミルミルの たからもの なにや?」
って きいで みだのさ。そしたっけ
「おねえちゃん」
って言ったんだど。いじわるされても おねえちゃんが たからもの なんだど。 んだがら とうちゃん「やさしい おねえちゃん ください」の話 考えだんだ。

とうちゃん がら

もくじ

十才になったキルキルへ

とうちゃんがら

キルキルは、「大人おとなになったらどうやって仕事すればいいの」 っつうごど 心配しんぱいしてっけっと、 とうちゃんは そいなごど べづに 心配してね。 かあちゃんだのとうちゃんは 今まで、 キルキルさ いろんなごど教えてきたべし、 キルキルはそのいろんなごどバ いっぺえ 吸収きゅうしゅう してきたど思う。 リンゴのかわの むぎ方どが お風呂ふろの 洗い方どが 将来しょうらいの生活の役に立つがもしゃね いろんな 技術ぎじゅつバ。 そいな中で かあちゃんどとうちゃんは、 「危ないごど すんな」どが、 「他人がいやがるごど すんな」どが、 「勉強バさっさと終わらせてがら好ぎなごどした方いい」どが、 毎日 同じごどばり 何回も何回も、 キルキルが やんだぐなるぐれえ、くり返して言い続げできた ― 「そうした方 あんだにとってもとぐなんだど」 っつう 理由りゆう説明せつめいすれば わかるはずだべど。 とうちゃんだのかあちゃんは、 ながなが 言う事にしたがわねえキルキルに対して、 「素直すなおしたがった方 自分にとっても 得なのに なして わがんねんだべ」 って、 ついイライラしてしまって、 ますます強ぐおごったりしてしまうんだげっと、 実は、 キルキルも とうちゃんだのかあちゃんの言う事にしたがった方 自分にとって得なんだっつうごどは、 十分じゅうぶん理解りかいしてんだがもしゃね。 んでも、自分にとって得なごど 知ってっけっと、 自分バその通りに行動こうどうさせられっかどうがは、 実は大人にとってもむずがしいごどだ。 さっさど勉強 終わらせてがら遊んだ方 得なのはわがってっけっと、 今やってるゲーム やめらいね、 弟さ やさしぐした方 得なのは わかってっけっと、 弟に自分の大事なもの こわさいだいかりがおさまんね、 ハサミ ゆかに置いだら 自分もふんづげでしまうがもしゃねのは わがっけっと、 素直すなおしたがうのは 腹立づ、 そんなどごだべど思う。

とうちゃん 子供のころ、 石巻ばあば だの石巻じいじ うんと おっかねがった。 悪いごどすっと怒鳴どならいだし、 ただがいだし、 おはがてでこらいだ ごどももあった。 んだがら、十才ころのとうちゃんは、今のキルキルにくらべれば、 よっぽど親の言う事さ素直すなおしたがってだど思う。 んでも そいづは、親の言うやり方に従った方 自分にとって 得だがらっつうごど ちゃんと理解してだがら従ってだんでねくて、 たんに 親がおっかねがったがら、 従ってだだげだべど思う。 きびしぐ育でらいだ とうちゃんだのかあちゃんの 時代じだいの大人だぢは、 仕事どがで 立場たぢばの上の人がら 言わいだごどさ 素直にしたがうのは得意とぐいだげっと、 立場の上の人が おがしいごど言ったどぎに反対意見はんたいいけん 言うのは ながなが苦手にがてだ。 大人の社会では、おがしいど思った時に反対意見 言えるごども大事な能力のうりょぐの一づだ。 とうちゃんだのかあちゃんがら言わいだごどさ納得なっとぐでぎねえど、 必死ひっしさからうべどするキルキルば おごってっとぎ、 とうちゃんは、キルキルが「素直すなおでねえなあ」ど思いながら、 同時どうじに 「実は そいづも まんざら悪いごどばりで ねえがもしゃね」ども 思ってる。

子供ほしいど思った かあちゃんどとうちゃんにとって、 キルキルは初めでの子供だ。 かあちゃんだのとうちゃんは、 自分だぢがきびしぐ 育でらいだやり方よりは、もっといいやり方で 子供 育てでえど思ってきた。 んだから、かあちゃんだのとうちゃんの言う事さ従った方 こいなぐ 得なんだどっつう 理由バちゃんと説明して納得なっとぐさせっこど でぎれば、 そんなにおこんねくても 子供は素直すなおに親の言う事さ従うようになっかやど 思ってだっけ、こいづが ながなが うまぐいがね。 子育てはほんとに難しい。 とうちゃんもかあちゃんも完璧かんぺきな人間でねえ。 十年たって、キルキルは十才になった。 もう半分ぐれえまで出来上でぎあがってしまった。 んでも、そう悪い出来でぎではねえど思う。 あど十年ぐれえでのごり半分の仕上しあげになる。 子育でっつうのは、 コンピューターのプログラムどでる。 むずがしい計算のやり方ばプログラムに組みんでやれば、 コンピューターは人間にでぎねえような 複雑ふぐざづむずがしい計算も 素直すなおにさくさくど やれるようになる。 んでも、人間にはコンピューターよりもすごい能力のうりょぐある。 自分に組み込まいだプログラムの悪い点バ自分で修正しゅうせいしてぐごどでぎんだ。 現在げんざいのコンピューターでもそいなごどはまだでぎね。 かあちゃんどとうちゃんは、これがらの十年ぐれえの間に、キルキルが 大人どして生活してぐのに必要ひつようのごりのごど教える仕上しあげ作業に ってぐげっと、 かあちゃんだのとうちゃんのやり方は完璧かんぺきではねえべ。 キルキルは自分 の中の悪い点バ修正しゅうせいしながら、 自分にとって得なごどバ判断はんだんして、 その通りに自分バ行動こうどうさせらいるような 大人に成長せいちょうしてってほしい。 たぶん、大丈夫だいじょうぶだべ。

もくじ

もうすぐ中学生になるキルキルへ

とうちゃんがら

とうちゃんは、子供ど一緒いっしょに遊ぶのが夢だったし、 現に、今までキルキルだのミルミルどごしてきた毎日はうんと楽しがった。 子供は子供だっつうだげで純粋じゅんすいにおもしいげっと、 だんだん成長してくっと、 それぞれの人間の個性こせいが出でくる。 そごにはまだ別の次元じげんのおもしろさ ある。 とうちゃんは、子供ど共通の趣味しゅみ 持でだら、 子供だぢが成長し始めでがらも、一緒に楽しめんでねえがっつう 「下心したごころいだいで、 キルキルにピアノ 習わせだり 筒井康隆つつい やすたかだの星新一だののSFば読み聞かせしてやったり、 スキー 教えだり、 とうちゃんの趣味さ 誘導ゆうどう すっぺどしてみだげっと、 キルキルはキルキルの興味あるごどにしか、興味 持だね。 当だり前のごどだし、そんでいいど思う。

ちなみに、とうちゃんが音楽に興味 持ってピアノ 弾ぎ始めだのは 中学の時がらだし、 筒井康隆だの星新一に興味 持って読み始めだのも中学の時がらだ。 子供が、親がらの勧めすすめ (っつうが干渉かんしょう) ば 無視むしして、 自分のやりてえごどば自発的じはつてき追求ついきゅうするようになんのは、 中学ぐれえがらでねえがや。 とうちゃんは、これがらも自分がおもしいど思うネタ (例えば、かあちゃんのいない日に庭でバーベキューすっぺ どが)は、 キルキルさ提案ていあんだの紹介しょうかい していぐべど思うげっと、 キルキルはキルキルで、自分が興味 持ったごどばどんどん開拓かいたくしてってほしい。



























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