キルキルへの てがみ
Letero(j?) al Kirukiru
一
キルキルが 手紙入れ 作って、とうちゃん さ 手紙 書いでけろっつったり、
夜 ねる 前に むぎ茶 入れでけろ っつうのは、
とうちゃん の 愛情ば 確かめたい っつうごど だべな。
そいづ は わがってる。
とうちゃん は ミルミルの ごどは 毎日 めんこがって、
キルキルの ごどは 毎日 怒って ばり いる。
んだがら、キルキルは 心配に なって、
ますます とうちゃんの 言うごど 聞がねぐ なんだが しゃね。
とうちゃんが 何回も 言ってきた ように、
キルキルが すなおに 言うごど 聞ぐ ように なれば、
ミルミルば いじめねぐ なれば、
とうちゃんは、キルキルの ごど 怒んねぐ なるし、
もっと もっと めんこがる ように なっぺな。
ほんとだど。
とうちゃん だって、キルキルの ごどば、
怒りてぐ ねえし、ミルミルど 同じように、
めんこがって だげ いれだら いいべなって 思う。
二
とうちゃんが キルキル さ 教えてえ ごど は いっぺえ あっけっと、
たぶん キルキル は、少しずづ 色んな ごど 覚えで いぐべ。
今は とうちゃんさ 反抗して、はっぱり とうちゃん の 言うごど
聞いで ねくても、今まで だって、
立体的な 箱の 書ぎ方 どが、
包丁 の 安全な 使い方 どが、
少しずづ、少しずづ、
覚えだように、
果物の 皮の
むぎ方 どが、
ピアノの 弾ぎ方どが、
なして、ちっちゃい子 ば たたいだら 危ねえのが どが、
なして、ちっちゃい子ば いじめで だめなのが どが、
その理由も わがる ようになっぺ。
わがんねえげっと、例えば、小学四年生どが、
少なくとも 中学生に なるころには、
色んな ごどが でぎるように なって、
もしかすっと、
今の あやとり みでぐ、
とうちゃん よりも うまぐ でぎる ごども ふえで くっぺ。
そして、人が いやがる ごど したり、
人に けが させる ような 危ない ごど すっこどが、
自分に とって、うんと 損だがら、
そんなごど は しねえ方が いいって、
はっきりど、わがる ように なっぺ。
んだがら、
今の キルキルが いっそ 悪いごど ばり して、
はっぱり 言うごど 聞がねくても、
とうちゃんも キルキルんどご、そんなに 怒んねで、
も少し、のんびり ながめでで みっかなあ ど思う
ごども ある。
ただ、
ミルミルに、けが させで しまったら、
例えば、目え つぶして しまったり、
ドアで 指 おって しまったり、
ミルミルが 大人に なっても 治らない
けが させで しまったら、
そいづ は、とりかえし の つがない たいへん な ごどだ。
んだがら、とうちゃん は、
キルキルが、
多少、
言うごど 聞がねえで、
ちゃんと 勉強しねがったり、
物 こわしたり、よごしたりしても、
そんなに 強ぐ は 怒んねえ げっと、
ミルミルに 危ない ごど したら、
それだげは、強ぐ 怒んねげ ねんだ。
わがったが。
三
もう一つ。
キルキルが 大人に なって、
自分で 料理したり、
仕事したり して、
大人の社会 の 中で
生きて いげる ように するために、
とうちゃん は、キルキルに いろんな ごど 教えねげね。
んでも、
さっき 書いだ ように、
中学生ぐれえに なるころ には、
キルキルは、いろんな ごど でぎる ようになって、
いろんな ごど わがる ようになって、
今より、
ずっと お利口な 大人に なってっと 思う。
んだがら、
今の 小学二年の キルキルが、
多少、言うごど 聞がない 子で、
多少、
馬鹿な ごど してでも、
まあ、そんでも いいがな どは 思ってる。
ただ、
とうちゃん にとって、
毎日が
楽しぐ 暮らせる ごど も 大事だ。
かあちゃん にとっても、
ミルミルにとっても、
キルキルにとっても、
毎日が 楽しくて、
家族 みんなで、
笑って すごせだ方が いい はずだ。
とうちゃん が、子供の ころ の お話 するように、
とうちゃんに とって、子供の ころ は、
うんと 楽しがった。
キルキルに とっても、
子供 時代は、
毎日が 楽しい 思い出 で いっぱい に してほしい。
とうちゃん だって、キルキルの どごば、怒るのは、
楽しぐねえ ごどだ。
んだがら、
なんぼ ミルミルに やきもち やいだって、
なんぼ ミルミルに むかついだって、
ミルミルに いじわる しねで けらいん。
ミルミルに たたかれでも ミルミルに しかえし しねで けらいん。
キルキルだって、ちっちゃい ころ は、
いっぱい 物 こわしたし、
とうちゃんの どご たたいたり、けっとばしたり、かっちゃいだり、
したんだがらな。
ミルミルに けが させるような 危ない ごど は、
絶対に しねで けらいん。
それだげで、とうちゃん の 怒る 回数は、
ものすごく へる はずだ。
そして、
毎日が もっと 楽しぐ なる はずだ。
小学二年のキルキルさ手紙 書いでがら、二年ぐれえ たったな。
二年前の手紙に書いだように、
たしかに小学四年のキルキルは くだものの皮もむけるようになったし、
おり紙なんか とうちゃんの おれないような むずかしいやづも
いろいろ おれるようになったな。
んでも、とうちゃんが こうなればいいなって ずーっと思いつづげでだごど
―ミルミルにいじわるしなぐなるごど―
これは ぜんぜん むり だったな。
とごろで とうちゃんが
「やさしい おねえちゃん ください」の話 考えだきっかげ 教えでやっか。
キルキルに何回も話したように、とうちゃんは
おねえちゃん(つまり、キルキルのおばちゃん)が、
なして とうちゃんに いじわるすんのが、ずーっと ふしぎだった。
とうちゃんが今のミルミルぐれえのどぎ、
おねえちゃんが せっちゃんのうぢに行ぐっつうがら、
とうちゃんも つれでってけろって たのんだっけ、
おねえちゃんは
「フミヒコ、ぜったい いい子に でぎねえがら だめだ」
っつうのさ。
んだがら とうちゃん、ぜったい いいこにしてっからって何回も
たのんだっけ、
「ぜったい いい子にしてるって やくそくしたらいい」
って やくそく させらいで、せっちゃんの うぢに 行ったのっさ。
とうちゃんは わるいごど しないように きんちょうして、
うんと 気をつけで、せっちゃんどおねえちゃんど トランプして
遊んでだのっさ。
せっちゃんが こだづの台どふとんの間にトランプ かぐして、
手品みでえなごどやってみせだがら、
とうちゃんも そいづ まねして、こだづの台どふとんの間に
トランプ かぐしたりしてだんだな。
しばらぐして、そのごど思い出したとうちゃんは、
急に かくしたトランプば たしかめたぐなって、
こだづの台ば 持ち上げでみだんだでば。
そしたっけ、台の上においてあったガラスの入れ物がたおれて、
ガラスがわれて水がこぼれてしまったのっさ。
おねえちゃんは かんかんになって おごるのっさ。
「フミヒコっ! いい子にしてるって、何回もやくそくしたべっ!
もう ぜったいに つれでこないがらなっ!」
せっちゃんは、おねえちゃんより二才ぐれえ年下だったげっと、
とうちゃんがトランプ 見ようどしたごど わがってで、
とうちゃんのごど かばってくれるんだな。
「フミヒコちゃん、トランプ見だがっただけだもんね。
いいよ、いいよ。けがしなかった? だいじょうぶ?」
みでぐ。せっちゃんのほうが よっぽどおとなだな。
子どもが ガラスわったら、まずは けが してねえがどうが たしかめるのが
一番 大事だ。
うぢに帰ってがらも おねえちゃんは、
おかあさん(つまり いしのまぎばあば)に
「きょう、フミヒコだら、せっちゃんのうぢで ガラス わったんだよ。
いい子にしてらいんって やくそくしたのに。
もう やんだぐなる。もう ぜったい フミヒコなんか つれでいがね」
みでぐ、いっしょけんめいになって とうちゃんが わるいごど したって 言うんだな。
いしのまぎ ばあばも、
「あら、けがしねがったのすか」
どが、せっちゃんど同じようなごど言うだげで、
とうちゃんのごど べづに おごんねんだな。
なんか、今のキルキルどミルミルの かんけい ど そっくりだな。
とうちゃんは 子どもだったげっと、
おねえちゃんが、とうちゃんのごど きらいなんだっつうごどは、
ちゃんと わがってだ。
しかも、せっちゃんだの いしのまぎ ばあば だの ほがの人は、
ぜんぜん はらをたてないごどに、
おねえちゃんだげが、うんと はらをたてで ものすごぐ おごるのは、
よっぽど、とうちゃんを にくたらしぐ 思ってる っつうごどだ。
それが何でなのが、
とうちゃんには ずーっと なぞだった。
これも何回もキルキルに言ってきたごどだげっと、
キルキルがミルミルにいじわるするのを見で、
ようやぐ とうちゃんは なぞが とけだ。
キルキルは、とうちゃんには そうぞう でぎねえぐれえ、
よっぽど ミルミルが にくたらしいんだべな。
ミルミルが まだちっちゃくてキルキルど いっしょに 遊んだり でぎないころ、
キルキルは
「とうちゃんど、かあちゃんど、キルキルど、さんにんだげで くらしてだ どぎ
のほう、いがったなあ」
だの
「とうちゃん、ミルミルば かわに すてできて」
だの言ってだげっと、
もし、ミルミルが生まれでねくて、
ほんとに とうちゃんど かあちゃんど キルキルの三人だげで くらしてだら、
どうなってだべな。
とうちゃんも かあちゃんも キルキルだげを かわいがって、
もしかすっと キルキルは、
よその ちっちゃい子にやさしくて、
今より よっぽど いい子に そだってだがも しゃねな。
そして、とうちゃんも かあちゃんも、キルキルのごど 今みだいに おごんなくても すんでだがも しゃねな。
今のキルキルは、ミルミルにばがなごど言って わらわせだり、
ミルミルど いっしょに ばがなごど やって、かあちゃんだの とうちゃんに
おごられだり、
ミルミルに なんぼ いじわるしても
「おねえちゃん、あれやって」「おねえちゃん、これやって」
って つきまとわれで勉強もじゃまされて、
ミルミルがいる おかげで 楽しぐ くらしてっぺ。
今、ミルミルが いねぐなったら、って そうぞう してみろ。
そいづが、なんぼ さびしいごどが。
こないだ、ミルミルど おふろに 入ってだら、
ミルミルが
「おとうさんの たからもの なに?」
って きいで きたんだな。んだがら、
「んだなあ。ミルミルどキルキルどかあちゃんがなあ。
んで、ミルミルの たからもの なにや?」
って きいで みだのさ。そしたっけ
「おねえちゃん」
って言ったんだど。いじわるされても おねえちゃんが たからもの なんだど。
んだがら とうちゃん「やさしい おねえちゃん ください」の話 考えだんだ。
とうちゃんがら
キルキルは、「大人になったらどうやって仕事すればいいの」
っつうごど
心配してっけっと、
とうちゃんは
そいなごど 別に
心配してね。
かあちゃんだのとうちゃんは 今まで、
キルキルさ いろんなごど教えてきたべし、
キルキルはそのいろんなごどバ いっぺえ
吸収
してきたど思う。
リンゴの皮の
むぎ方どが お風呂の
洗い方どが 将来の生活の役に立つがもしゃね いろんな
技術バ。
そいな中で かあちゃんどとうちゃんは、
「危ないごど すんな」どが、
「他人がいやがるごど すんな」どが、
「勉強バさっさと終わらせてがら好ぎなごどした方いい」どが、
毎日 同じごどばり 何回も何回も、
キルキルが やんだぐなるぐれえ、くり返して言い続げできた
―
「そうした方 あんだにとっても得なんだど」
っつう
理由バ説明すれば
わかるはずだべど。
とうちゃんだのかあちゃんは、
ながなが
言う事に従わねえキルキルに対して、
「素直に従った方 自分にとっても
得なのに なして わがんねんだべ」
って、
ついイライラしてしまって、
ますます強ぐ怒ったりしてしまうんだげっと、
実は、
キルキルも とうちゃんだのかあちゃんの言う事に従った方 自分にとって得なんだっつうごどは、
十分に理解してんだがもしゃね。
んでも、自分にとって得なごど 知ってっけっと、
自分バその通りに行動させられっかどうがは、
実は大人にとっても難しいごどだ。
さっさど勉強 終わらせてがら遊んだ方 得なのはわがってっけっと、
今やってるゲーム やめらいね、
弟さ やさしぐした方 得なのは わかってっけっと、
弟に自分の大事なもの 壊さいだ怒りがおさまんね、
ハサミ 床に置いだら
自分もふんづげでしまうがもしゃねのは わがっけっと、
素直に従うのは 腹立づ、
そんなどごだべど思う。
とうちゃん 子供のころ、
石巻ばあば だの石巻じいじ うんと おっかねがった。
悪いごどすっと怒鳴らいだし、
叩がいだし、
お墓さ
捨てでこらいだ
ごどももあった。
んだがら、十才ころのとうちゃんは、今のキルキルにくらべれば、
よっぽど親の言う事さ素直に従ってだど思う。
んでも そいづは、親の言うやり方に従った方 自分にとって
得だがらっつうごど ちゃんと理解してだがら従ってだんでねくて、
単に
親がおっかねがったがら、
従ってだだげだべど思う。
厳しぐ育でらいだ
とうちゃんだのかあちゃんの
時代の大人だぢは、
仕事どがで
立場の上の人がら
言わいだごどさ
素直に従うのは得意だげっと、
立場の上の人が
おがしいごど言ったどぎに反対意見 言うのは ながなが苦手だ。
大人の社会では、おがしいど思った時に反対意見 言えるごども大事な能力の一づだ。
とうちゃんだのかあちゃんがら言わいだごどさ納得でぎねえど、
必死に逆らうべどするキルキルば
怒ってっとぎ、
とうちゃんは、キルキルが「素直でねえなあ」ど思いながら、
同時に
「実は
そいづも
まんざら悪いごどばりで ねえがもしゃね」ども
思ってる。
子供ほしいど思った かあちゃんどとうちゃんにとって、
キルキルは初めでの子供だ。
かあちゃんだのとうちゃんは、
自分だぢが厳しぐ
育でらいだやり方よりは、もっといいやり方で
子供 育てでえど思ってきた。
んだから、かあちゃんだのとうちゃんの言う事さ従った方 こいなぐ
得なんだどっつう
理由バちゃんと説明して納得させっこど でぎれば、
そんなに怒んねくても
子供は素直に親の言う事さ従うようになっかやど
思ってだっけ、こいづが ながなが うまぐいがね。
子育てはほんとに難しい。
とうちゃんもかあちゃんも完璧な人間でねえ。
十年たって、キルキルは十才になった。
もう半分ぐれえまで出来上がってしまった。
んでも、そう悪い出来ではねえど思う。
あど十年ぐれえで残り半分の仕上げになる。
子育でっつうのは、
コンピューターのプログラムど似でる。
難しい計算のやり方ばプログラムに組み込んでやれば、
コンピューターは人間にでぎねえような
複雑で難しい計算も
素直にさくさくど やれるようになる。
んでも、人間にはコンピューターよりもすごい能力ある。
自分に組み込まいだプログラムの悪い点バ自分で修正してぐごどでぎんだ。
現在のコンピューターでもそいなごどはまだでぎね。
かあちゃんどとうちゃんは、これがらの十年ぐれえの間に、キルキルが
大人どして生活してぐのに必要な
残りのごど教える仕上げ作業に
入ってぐげっと、
かあちゃんだのとうちゃんのやり方は完璧ではねえべ。
キルキルは自分
の中の悪い点バ修正しながら、
自分にとって得なごどバ判断して、
その通りに自分バ行動させらいるような
大人に成長してってほしい。
たぶん、大丈夫だべ。
とうちゃんがら
とうちゃんは、子供ど一緒に遊ぶのが夢だったし、
現に、今までキルキルだのミルミルど過ごしてきた毎日はうんと楽しがった。
子供は子供だっつうだげで純粋におもしいげっと、
だんだん成長してくっと、
それぞれの人間の個性が出でくる。
そごにはまだ別の次元のおもしろさ ある。
とうちゃんは、子供ど共通の趣味 持でだら、
子供だぢが成長し始めでがらも、一緒に楽しめんでねえがっつう
「下心」抱いで、
キルキルにピアノ 習わせだり、
筒井康隆だの星新一だののSFば読み聞かせしてやったり、
スキー 教えだり、
とうちゃんの趣味さ
誘導
すっぺどしてみだげっと、
キルキルはキルキルの興味あるごどにしか、興味 持だね。
当だり前のごどだし、そんでいいど思う。
ちなみに、とうちゃんが音楽に興味 持ってピアノ 弾ぎ始めだのは
中学の時がらだし、
筒井康隆だの星新一に興味 持って読み始めだのも中学の時がらだ。
子供が、親がらの勧め
(っつうが干渉)
ば
無視して、
自分のやりてえごどば自発的に
追求するようになんのは、
中学ぐれえがらでねえがや。
とうちゃんは、これがらも自分がおもしいど思うネタ
(例えば、かあちゃんのいない日に庭でバーベキューすっぺ どが)は、
キルキルさ提案だの紹介
していぐべど思うげっと、
キルキルはキルキルで、自分が興味 持ったごどばどんどん開拓してってほしい。
khmhtg