思い立つまで
エスペラントの実践、海外旅行に慣れる、五万円の旅行券
準備
地球の歩き方、手順書き、云翔賓館の電網頁
飛行機
隣の人が英語で喋ってくる、やっぱ英語は難しい
北京空港到着
タクシーに乗る、メーター使ってけさいん
会場到着 韓国人エスペランチストたちと会話
一日目夜
豪華な食事、「鰐する」
二日目朝
開会式、北京ダック
二日目午後
討論「エスペラントと私」でエスペラントの高級語について意見
二日目夜
外の食堂で食事、余興の夕べ、飲み部屋
三日目朝
Wさんにタクシーのお願い、陶然亭公園で漢字書く
三日目午後
討論「エスペラントと私」続き、エスペラントの性区別とラテン系の高級語、
東洋医学
三日目夜
牛のペニス、「飲む」の反対、北京放送の人、大漁唄い込み
四日目朝
観光に行く人の見送り、閉会式、空港の売店、
世界語は英語じゃない?
おわりに(中締め)
エスペラントは英語に比べると遙かに簡単、ラテン系の高級語がなくなれば更に簡単、
二年もやれば自由に会話も議論もできる
続く
(1) 私は九六年の二月頃から趣味でエスペラントの学習を開始したが、 二年くらいもやっているうちに割と不自由なく喋れるようになってきた (と自分では感じている)ので、外国人との交流に実用しなければ もったいないと思うようになってきた。 国内のエスペラントの諸大会にもそれなりに外国人が参加してくるが、 日本人の参加者に比べて数はずっと少ないので、 今一つ「エスペラントでなければ意志の疎通ができない」という状況ではない。 私は、周りを外国人に囲まれた中でエスペラントによる国際交流を 体験してみたいと強く希望するようになった。
しかし如何せん、私は出不精で方向音痴で乗り物音痴で、未だに 海外に出たことがない。飛行機に乗ったことすらない。 乗り方も分からない。 海外のエスペラントの大会に参加するにしても、 会場に着くまでは残念ながらエスペラントは通じないから、道を尋ねたり 乗り物の乗り方を訊いたりするのに(現地語を少し勉強していくにせよ、 もはやエスペラント会話力に遙かに劣る私の英会話力を必要悪として 利用するにせよ)大いに苦労するだろう。
世界大会(98年度はフランス)に関しては日本エスペラント学会や 東京エスペラントクラブ等が旅行団を結成するので、それに混じれば 私のような旅行音痴も安心して参加できるのだが、世界大会に参加するには 少なくとも二週間前後の長期休暇を取らなければ参加する意味がない。 しかし、私は諸々の事情でそんなにも長い休暇は取りたくない。
そういう意味で、日韓中の青年合同セミナー(98年度は中国の北京)は 距離的にも、期間的にも(セミナーは7/24〜27、観光が28〜29)、 私には魅力的であった。
という訳で、今回の旅行の主要な動機づけの一つは、 エスペラントによる国際交流を実践したいということ なのであるが、他にどうでもいい動機づけが約二つあり、 一応、それについても触れておく。
(2) 巷では数年前に成田離婚という言葉がはやった。 その正確な意味を私は知らないが、新婚旅行において 男側が、飛行機や他の乗り物の乗り方とか 海外での宿泊や食事や買い物の方法を知らず、慣れていないために女を 先導できずに、それを女側に呆れられて成田空港に帰ってきたところで 離婚を申し渡されるというような意味合いも含まれているのではないだろうか。
もし成田離婚がそういう意味だとすると、因みに私は正に成田離婚される ような最も典型的な男ということになりそうである。 尤も私は「男−先導、女−委託」「男−保護、女−被保護」「男−能動、女−受動」 といった関係を嫌悪する人間であるため、 前述のような理由が離婚の動機となり得るような女の人とは、 できるならば結婚したくない (どちらかというと、旅行音痴の私を先導して海外でも何処へでも 「連れてってくれる」旅慣れた人とかと一緒になれたら、私としては 「らく」かも知れない。私には女の人を先導してやりたいという欲求は ほぼ全くない)。
とは言っても私も既にいい年になっており、 今までも悉く恋愛対象の獲得にも結婚対象の獲得にも失敗している 実績?から考えても、男が先導してくれることに憧れるような女の大母集団を 射程圏内から外せるほどの余裕はとてもない???
そんな訳で?(まあ、それだけの理由ではないが)、 今後のために(海外のエスペランチストを訪れるためにも)、 海外旅行に慣れておく必要があると考えたのも小さな動機づけ になった。
(3) そんな中?、私が某クレジット会社で新規にクレジットカードを作った やつで、 抽選で五万円の旅行券が当たってしまった。 当初は誰かにこの旅行券をあげようかとも思ったが、やはり自分で使わなければ もったいない。 しかも国内で五万円分も旅行するのは私には難しい。 そんなこんなで色々と悩んだ?末、結局 中国で行われる青年合同セミナーに参加することにした (しかも観光はせずにセミナーだけに参加して直ぐに帰って くることにした)。
最初は、日本からもそれなりに参加する人たちがいるだろうから、 その人たちと連絡を取って一緒にいけば安心だろうぐらいに考えていたが、 今回は日本からの参加者はあまりおらず(最終的には七人、うち一人は オーストラリア人、因みに韓国からは約二十五人、中国からは約七十人)、 それぞれ予定が違うため、皆 ばらばらの日に ばらばらの便で行くことになってしまった。 つまり、私は初めての海外旅行を一人でこなさなければならなくなって しまったのだ。
まず、パスポートとビザを取り(ここでも、ローマ字名がヘボン式しか 受け付けられなかったとか、話題はあるのだが、先が長いので省略)、 「地球の歩き方」と「エクスプレス中国語」と 小型「日中、中日辞典」を買ってきた。 気の向いた時にほんのちょっと中国語を勉強しながら、 「地球の歩き方」を何回も読み返した。 特に飛行機の乗り降りは難しく、何度 読んでも理解できない。 どうも書いてある手順の順番と時間的順序が矛盾するようにしか 思えない(実は、そうでもないことは、実際に旅行してみて分かった。 つまり、こういう手引き書というのは、プログラムソフトのヘルプと 似たりよったりで、既に多くの予備知識や専門常識?があることを 前提として書かれているため、正にその手引きを必要とするような人には 読んでも理解できないようになっていることが多いと思う。 それでも「地球の歩き方」は大いに役には立ったが)。
そこで、私は飛行機の乗り降りの手順を、時間的順序に矛盾が生じない ように自分なりに修正して、以下のようにまとめてみた (実際には、この手順書きは何箇所か間違っていたが、大いに役に立った)。
行き実際には成田 →北京における手順と北京→成田における手順とでは、 必ずしも順番が同じではなかった。万が一、この手順書きを北京行きに利用 しようとする人がいると困るので、一応、実際に経験した手順を 以下に載せておく。
空港到着
○日本航空のカウンター:航空券とパスポート提出、禁煙席希望→提出物+搭乗券もらう
○空港使用料チケット2040円販売機で購入
チェックイン
○入口:空港使用料チケットを渡す
○手荷物X線検査、ボディーチェック
○出国審査カウンター:カウンター前の出入国カードをもらって記入。パスポート、航空券、搭乗券、出入国カードを提出→出入国カード以外をもらう
○搭乗(出発30分前、放送あり):搭乗券提出→半券もらう
○着陸1時間前:入国カード健康カードを配られ記入(後者は省略もあり)
○到着:入口左手の便所に寄る
○検疫カウンター:健康カードを提出(その場で記入してもよい)
○入国審査カウンター:パスポートと入国カードを提出→前者だけもらう
○出口手前の両替所で両替
チェックアウト
○2階日本航空のカウンター:帰りの便の確認。空港使用料購入場所の確認。搭乗券もらう時に空港使用料のレシート必要かの確認。
帰り
空港到着
○所定のカウンターで空港使用料90元購入し(航空券提示)レシートをもらう
○日本航空のカウンター:航空券とパスポートと空港使用料のレシートを提出、禁煙席希望→提出物+搭乗券もらう
チェックイン
○チェックインカウンターの手前でパスポートと航空券を見せ空港使用料チケットを渡す
○手荷物X線検査、ボディーチェック
○出国審査カウンター:カウンター前の出入国カードをもらって記入。パスポート、航空券、搭乗券、出国カードを提出→出国カード以外をもらう(ここでパスポートに帰国者用カードを付けられるので記入しておく)
○免税店、両替所で元を物か円に替える
○搭乗(出発30分前):搭乗券提出→半券もらう
○入国審査:日本人用のカウンターに並び、パスポート提出→もらう
○税関
チェックアウト
行きさて、日本青年エスペラント連絡会を通じて 中国青年エスペラント協会に参加申し込みをした後、 中国側から送られてきた案内書には、実に簡単な地図 しか描かれておらず、住所すら書かれていない。 会場は北京南部のLa 3-a Ring-vojo(たぶん南三環中路のこと) よりは北で、Yongdingmeng Staci-domo(たぶん 永定門西駅のこと)よりは南にある Yunxiang (ユンシャン?)というホテルのようだ。 「地球の歩き方」にもそんな名前のホテルは載っていない。 これだけの情報では、とてもでないが、現地まで辿り着く自信はない。 私は Alta Vista で 「Yunxiang」を検索してみたら、 幸いにも 「Yunxiang Hotel」 という英語で書かれた頁が ひっかかたった。案内を読んでみる限り、確かにこれが会場のホテル に違いないようだ。しかし、住所が書かれていない。 とにかく私は、この頁を、日本から参加する予定の Nさん(96年日本での合同セミナーの Nさんの報告) に電便で教えてやった。 するとNさんから返事があり、Nさんの電算機は中国語の頁も 読めるようで、中国語の頁に書いてあったという Yunxiang ホテルの漢字「云翔賓館」と 住所(北京市豊台区馬家堡東路……)を教えくれた (この情報は大いに役に立った。今になって思えば、他の日本からの参加者にも 教えてあげておくべきだった)。
空港到着
最寄りにあった日本航空のカウンターに行って航空券を見せたら、 一番 奥のカウンターに行くように言われる。
○日本航空のカウンター:航空券とパスポート提出、禁煙席、窓側希望→ 航空券を取られ、パスポートと搭乗券もらう(この後、航空券は不要)。 次にどこで空港使用料を買い、どこからチェックインすればいいのかを訊く。
○空港使用料チケット2040円販売機で購入
チェックイン
○入口:空港使用料チケットを渡す
○手荷物X線検査。人間は金属探知ゲートをくぐる(ひっかからなかったので ボディーチェックはなし)
○出国審査カウンター:カウンター前の出入国カードをもらって記入。パスポート、搭乗券、出入国カードを提出→出入国カード以外をもらう
食堂で朝飯を喰ったり免税店で日本酒を買ったりして時間を潰す。
○搭乗(出発30分前、放送あり):搭乗券提出→半券を切られずに搭乗券 をそのまま返される。
○着陸1時間前:座席の前の網棚に入っている 入国カードと健康カードに記入(後者は結局 不要だった)
○到着:入口左手の便所に寄る(チェックアウトしてからも便所は あったが、両替に時間が掛かるので、やはりここで用を足しておいた 方がよい)
○検疫カウンター:健康カードを提出せずに素通り
○入国審査カウンター:パスポートと入国カードを提出→ 名前を漢字で書いていたが、「ネーム、イングリッシュ」と言われ ローマ字で記入。パスポートをもらう (ここで帰国者用カードをパスポートに付けられた ような気がする)
○出口手前の両替所で両替 (自動両替機を使えと言われたが、故障した。 本文にて詳述)
チェックアウト
○2階日本航空のカウンター: 無人で「本日の搭乗券をお求めの方は、日本航空旅客部?だかまで来るように」 と書いてあるので行ってみる。 日本語のできる人が応対してくれ、 帰りの便の航空券を見せたら、この券はリコンファームする必要はないと 言われる。 ついでに、空港使用料購入場所を確認。搭乗券もらう時に空港使用料 のレシートが必要であると確認。
帰り
空港到着
○2階入口から入ってすぐの カウンターで空港使用料90元購入し(航空券提示)レシートをもらう
○日本航空旅客部に行ったら、搭乗券は 搭乗の二時間前にチェックインしてから、 中にある日本航空のカウンターでもらうのだと言われる (つまり成田空港とは順番が違う)。
搭乗二時間前になるまで土産店で買い物。
チェックイン
○チェックインカウンターの手前でパスポートと航空券を見せ空港使用料チケットを渡す
日本航空のカウンター :航空券とパスポートと空港使用料のレシートを提出。禁煙席、窓際希望→ 航空券以外の提出物+搭乗券もらう
○出国審査カウンター:カウンター前の出入国カードをもらって記入。パスポート、搭乗券、出国カードを提出→出国カード以外をもらう
○免税店で元で買い物をし、余りを両替所で円に替える
○手荷物X線検査、ボディーチェック (今回はひっかかったのでボディーチェックをされた。 これも出国審査の前にやる成田とは順番が違う)
○搭乗(出発30分前):搭乗券提出→今度は半券だけをもらう
○入国審査:日本人用のカウンターに並び、パスポート提出→もらう
○税関:「申告のものはありますか」とかと訊かれ「いいえ」と 答えたらそのまま素通り。
チェックアウト
ところで、 云翔賓館の頁 を見る限り、 一般的なエスペラントの大会場としては、ちょっと豪華すぎるように 見える。 参加費は三泊四日の宿泊費と食費を含めて、たったの 110 US ドルだった (しかも日本人は韓国人よりも割り増しされていて、 韓国人は 70 US ドルである)。 日本人参加者と韓国人参加者を同数として平均しても 90 US ドル であり、一泊当たり 30 US ドルとなる。「エリアガイド海外 北京」によると 中級ホテルで 50 〜 100 US ドルだそうだから、30 US ドルというのは、 中級以下のホテルということになる。 しかし、先の頁を見る限り、とてもそんな中級以下のホテルのようには 見えない。不思議だ。
先が長いので飛行機に乗ったところまできておく。 座席の前の網棚の中にある 非常時の安全姿勢や救命具の付け方や非常口や 脱出の仕方をよく読む(これについてはスチュワーデスから 後で説明があるのを期待していたが、特に説明はなかった。 帰りは説明があった)。 話には聞いていたが、スチュワーデスは女の人しかいないようだった (何故だろう?)。 私は離陸の瞬間を楽しみにしていた(今までに乗ったどんな 遊園地の乗り物よりも)。 エンジンが全開になると、思ったよりも短い時間で車輪が離れ、 振動がなくなり、あっけなくふわっと浮き上がった。 そこまでの外の景色は、高層ビルから見慣れているものと大して 違わなかったが、やがて、上昇とともに地上の景色がみるみる小さく なっていった。 主翼がかなり振動していて折れたりしないのだろうかと不安になったが、 まあ、その辺はちゃんとシェル構造の有限要素解析とかをしているのだろうから、 大丈夫なのだろうと納得しておいた。 雲の中を潜り、雲の上に出たら静かになり、主翼の振動も収まった。 飛行機もだいたい水平になった。
私は左側の窓際に座っており、私の一つ右となりは空席で もう一つ右隣の席に座っている人は、外見はアジア系だが、 スチュワーデスとは英語で話をし英語の本を読んでいた。 網棚のヘッドホーンをジャックに指してチャンネルを回していたら、 西洋古典音楽の最新録音CDを紹介していて、 ペライヤのバッハ(確かイギリス組曲だったか)をやっていて、 いい暇つぶしになった。
その後、飯を喰ってしばらくしたら、便意を催してきたので、
隣の人に「すみません」と言って席から出させてもらい、
用を足して帰ってきた(結構、時間がかかった)。
すると、隣の席の人が立って待っていてくれた
(今になって思えば、この人は私が便所から出てくるところを見て
席を立っただけかも知れないが、私はてっきり、私が用を足している
間、ずうっと立って待っていたのだと思い込んでしまった)。
私は悪いことをした?と思い
「ああ、どうもすいません」
と言って席に入れてもらった。すると、その人は
「アーユージャーパニーズ?(英語:あんだ日本人すか)」
と訊いてきた。私は
「ああ、はい日本人です」
とゆっくり日本語で答えた。でもその人は、更に英語で
「どごさ行ぐのっしゃ」とか「どっから来たのっしゃ」とか
色々と訊いてきた。
この飛行機は日本から中国へ向かう飛行機だから、私は別に
英語で質問してきた人に
英語で答えてあげる努力をする必要は特にないのだが、
この人を長時間 立たせてしまったことを申し訳なく思う気持ちと
自分の英語力がどれくらい落ちているのかを確認するいい機会である
という気持とから、英語で話をしてみた。
この人はアメリカから来たそうで、成田を中継点として一泊し北京へ
行くそうである(たぶんアジア系のアメリカ人なのだろう)。
私が
「あんだ中国語 喋んのいいのすか?」
と訊くと
「いやあ、全く喋らいん。あんだごそ喋んのいいのすか?」
と訊いてきたので、「エクスプレス中国語」を見せながら、
「んだがら、おいも中国語 喋らいねえがら、今なんぼがでも
勉強してだどごでがす。
なんでも、中国では英語は通じねっつうしなや」
と言うと、
「んだ、んだ。おいも昨日、成田の食堂で日本人さ英語
で喋ったっけ、はっぱり通じねんだっけ」
と面白そうに言うので、
「日本なんだがら、そんなの当だりめでがすぺ」
と雰囲気が険悪にならない程度に言っておいた。
少しして向こうから
「あんだは何処さ行ぐのっしゃ?」
と訊いてきたので
「北京の南の方でがす」
と答えると、
「何しさ行ぐのっしゃ」
と言うもんだがら、
「あんだ、エスペラントって知ってすか」
と訊くと、果たして
「知ゃね。何っしゃ、ほいづ」
と言ってくる。で、
「百年前に人工的に作らいだ国際語でがす。
文法さ例外どがねえがら簡単に覚えんのいんでがす」
と説明すると、何回か訊き返されたが
「ああ、あの単純な(simple)言語すか?」
と言ってくるので
「まあ、単純に覚えんのいい言語でがす」
と言っておいた。
他にも宣伝のために色々と説明したが
(世界で百万人くらいエスペラントを喋る人がいるとか)、
この度、北京でアジア地区の青年エスペランチストの集まりがあり、
それに私も参加するのだと言ったら納得してくれた。そして、
会場はどこだと訊いてくるので、云翔賓館の英語頁を印刷したやつと北京の
地図を見せ、
この住所は電網頁から見つけたやつだとか説明すると、
「ほんとに、その住所は確かなのすか?
タクシーの運ちゃんさは、Yunxiang Hotel っつうのだげば見せで、
あやふやな住所は下手に見せねえ方いんでがいんか」
などと心配してくれた。私が
「いや、その住所は、中国語コードば読むのいい電算機ば持ってる
友達が云翔賓館の頁の中国語版で見つけだやづだがら、まず間違いねえど
思いす」
と言うと
「同じ頁の中国語版だったらば、大丈夫だべ」
と納得してくれた。
……などなど、私はその人と色々と話をしたのだが、勿論、 ここに書いているようには流暢には話せていない。エスペラントを やるようになってからは、日本国内で英語で話し掛けてくる外国人に英語で 応える必要はない (「英語崇拝の頁」)という態度を取るように なったことも関係し、 ここ数年は、本当に英語を喋っていなかったが、その割には、 つっかかりながらでも、前述のような会話をする程度の英会話力は まだ残っていたようである (尤も、全盛期に比べるとだいぶ、つっかかるようにはなったが)。 そして、かつてエスペラントを初めて間もない頃は、エスペラントで 喋ろうとすると、英語が混じりそうになって困ったものだが、 今や、英語で喋ろうとするとエスペラントが混じりそうになり、 現に混ざっていたと思う(これは必ずしも、エスペラントが日本語よりも 英語に近いせいだけで起きる訳ではないかも知れない。 前に、日本に留学しているエスペラント初心者のドイツ人と話したことが あるが、この人は、エスペラントの中に時々、日本語の単語が混じっていた)。
私はエスペラントを始めてから、一体いつになったら自分の英会話力よりも エスペラント会話力の方が優るようになるだろうかということを楽しみにしていたが、 大体、学習開始から一年半頃には既にエスペラント会話力の方が優っていたの ではないかと思う。 とは言っても、私が最も英語を喋れていた全盛期?(大学のESSや他の英会話 屋で英米人とよく英語を話していた頃)にしても、 それほど流暢に喋れていた訳ではないが、 その全盛期の私の英会話力に比べても、現在の私のエスペラント会話力 (学習開始から二年半)は、余裕で優っている。 文法的な正確さや単語の適切さなどを棚に上げて、単位時間当たりに発する 単語数にのみ着目すれば、今の私のエスペラントでも十分に「流暢」の域に 入れてもらえそうな気はする。
私はエスペラントには色々と不満や疑問もあったから、もし二、三年まじめに学習 /実践 してみて「ペラペラ」になれなかったら、エスペラントを見限ろうと思って いたが、果たして予想以上に早く「ペラペラ」に近い域に達しつつある ように感じている (というか、中級以下のエスペランチストには今の私でも十分に 「ペラペラ」に映るかも知れない)。 これは自分ではとても嬉しいことだが、同時に別の怒りがこみ上げても来る。
私が英語学習に費やした時間と労力は、 私がこの二年半でエスペラント学習に費やした時間と労力の 少なくとも十倍以上はあるような気がする (中学高校大学の授業の英語の他に、毎日テープを聞いて書き取ったり 色々とやった。 「英語崇拝」の頁参照)。 しかも、それでいて「英語がペラペラ」にはなれなかったのである。 確かにエスペラントには、まだまだヨーロッパ語寄りの部分はあり (例えば、 ラテン系の高級語とかは基本語からの造語により改善される余地はある だろう)、手放しで理想的な中立語とは言い切れない面もあるが、 英語と比較する限り、エスペラントの習得が圧倒的に容易であること だけは確かだと思う。
前述の「
手順書き」のような手順に沿って、空港内の両替所に並んだ。
隣に、機械の自動両替機もあったが、故障中のようだった。
係の人が来ていじっていたら直ったようで、日本人らしき人が両替していた。
言葉を交わさなくても済むという意味では、自動両替機にも魅力はあるが、
この手の機械は、とかく故障し勝ちなような気がしたので、
窓口の方に並んで待っていた。
前の方の人の英語らしきやりとりを聞いていたら、窓口の人も
それほど英語ができる訳でもないようだった。
私の番になり、
怪しげな中国語で
「我要換銭」
「20000円→元」
と書いた紙切れを見せたら、
手振りで、隣の自動両替機の方を使ってくれと示された。
仕方なく私は自動両替機の方に並んだ。
前の日本人らしき人たちが色々と苦労しているのを見ながら、
私も使い方は理解した。
つまり、恐らく色々な紙幣を入れられるように挿入口が広めになっており、
真ん中辺に挿入すると紙幣が返却されてしまうが、左端に寄せて入れると、
うまく受け付けてもらえるようだ。
私の番になって、私は慎重に一万円札を左端に寄せて注意深く挿入したが、
引っ張り込む力が強く少し斜めに入ってしまったためか、案の定、
紙幣が引っ掛かってしまい、また「故障中」になってしまった。
面倒なことになった。
私が色んな釦を押して困っていると係の人が来たので、
咄嗟に日本語と英語とで一万円を入れたが戻ってこないと
説明した(こういう状況は事前に想定していなかったので、
これを言い表す中国語表現は用意してなかった)。
係の人は
「一万円すや? ちゃんと入れだのすか?」
と確か英語で言って、
あちこちの釦を押しながら中国語でぶつくさ言っていたが、
対処できないと悟ると、
「チョットマッテ。トウェンティーミニッツ(英語:二十分)」
とか
言って窓口の中に戻ってしまった。
二十分待てとは言っても中国だと更に長く待たされんだろうなと思いつつ、
取り敢えず窓口の方で両替してもらっておくことにした。
窓口に近づくとカーボン紙を挟んだ紙切れをよこされて、
どうやら必要事項を書き込んでおけということらしい。
中国語の漢字と英語が併記してあり、何を書けばいいのかは大体 分かった。
国籍とパスポート番号と氏名と宿泊地名と
両替したい外貨金額を書き、渡したら両替してくれた。
それからしばらく待っていたら、
旅行会社の制服みたいなのを着た人が近づいてきて
私に中国語で何か話し掛けてきた。
私が
「我、我、我不会説……」
と中国語を話せない旨を伝えようとすると、
「ああ、ユーアージャーパニーズ」
と納得して去っていった。
それから更にしばらくして、業者の人みたいなのがやってきて、
自動両替機を分解し始めた。ビデオテープのようなものを持っていて、
恐らく、防犯カメラに映った一万円を詰まらせた人物が私と同一人であるかどうかを
確認するのかも知れない。
しばらくして、窓口の人が手招きをし、私にくしゃくしゃになった
一万円札を返してくれた。結局、一時間以上待たされたのだろうか。
その後、出発用の階である二階に行き、
帰りに混乱しないように、色々と下見した。
一階に戻り、外に出て「ちゃんとした」タクシー乗り場を捜した。
外国人とかが並んでいるところがあり、
ここが「ちゃんとした」タクシー乗り場だと判断した。
前の方でタクシーに乗ろうとしていた白人の外国人に対して、
タクシーの運ちゃんが中国語で怒鳴っており、
怒りながら、その外国人の荷物を外に出そうとしていた。
そのタクシーには既に別の白人の外国人が乗り込んでおり、
その人は動く様子がなかった。
外にいた外国人の方も怒って、自分の荷物を取り出し、
他のタクシーに乗りにいった。
一体 何が問題だったのだろうか。
荷物が多すぎたということだろうか。
それとも、目的地の違う二人の乗客を、
目的地の遠い方の一人分の料金で乗せる訳にはいかない
とかいうことだろうか。
私は段々 怖くなってきた。
タクシーの運ちゃんは黒眼鏡を掛けた怖そうな顔の人が多い。
私の番が回ってきて、案の定、黒眼鏡を掛けた怖そうな運ちゃんの
タクシーに乗らなければならなくなった。
私はまず
「請使用計程表」
と書いた紙を見せ、
メーター(距離計)を使って走るように頼んだ
(そうでないと、後で法外な金額を請求されたりするらしい)。
それから
云翔賓館の住所(馬家堡東路)と地図で大体の位置を示した。
運ちゃんは
「馬家堡東路、馬家堡東路」
と繰り返しながら、
運転し始めた。
メーターのスイッチは押したようだった。
最初の数字は「10.20」(元)になっていたと思う。
しばらく走ってもなかなか数字が「10.20」から変わらないので、
はらはらしていたが、いつのまにか「10.48」とかになっていたので、
ひとまずは安心した。
運ちゃんが
「あー、あー、」
と言いながら、外を指さすので、その方を見てみると、
車がぶつかってつぶれていた。
私も
「あー、あー、」
と答えた。
私が地図を広げながら、外の景色と見比べていると、
運ちゃんは、有名なホテルとかがある度に
「??賓館」とか
「??飯店」とか
言っていたようだった。
大きい道路に出た時に、指を前後に動かしながら
「トンサー*?%$&**」
と繰り返し始めたが、
どうやら「東三館南路」と言っているらしい。
私も
「ああ、トンサー*?%$&**」
と言いながら地図を指して
頷くと、運ちゃんも笑いながら頷いた。
目的地の近くまで行くと「云翔賓館」という看板があり、
運ちゃんが
「ユンシャン、ユンシャン」
と笑いながら指さしたので、
私も指さしながら
「ユンシャン、ユンシャン」
と答えた。
その看板のある方の道に入っていったが云翔賓館は見当たらない。
運ちゃんは車を止め、私に待っているように合図し、
通行人に色々と訊いていた。
車に戻ってくると、私の示した云翔賓館の英語頁の電話番号を見ながら、
中国語で「この番号は云翔賓館の電話と同じか?」と訊いているらしかたったので
頷くと、携帯電話で云翔賓館に電話を掛け、場所を確認したようだ。
また大きい道路に戻って少し進むと、さっきとは別の「云翔賓館」という
看板があり、そこを入っていくと、
云翔賓館の頁
の写真にあったのと同じ
云翔賓館が建っていた。
エスペラントの書かれた紙が貼ってあったので、ここで間違いないとひとまずは
安心した。
タクシーのメーターは106.??とかになっており、
「多少銭?」
と訊くと中国語で何か言われたが、分からないので、
恐らく百六元くらいだろうと思い、百元札一枚と十元札一枚を出すと、
手を横に振って十元札を引っ込めろと言って、一元札を出せと言っている
らしい。
生憎一元札は四枚くらいしかなかったから、四枚だけしかないのを見せて
十元札を取ろうとすると、また手を横に振って、
百元札一枚と一元札二枚だけを取って、後はいらないと言っているらしい。
なかなか良心的な運転手だったようだ。
「シエシエ」
と言って私は降りた。
玄関を入ると、フロントの反対側でエスペランチストが
受付をしていた。
「日本がら来たゴトウフミヒコでがす」
と言うと、
「会費は既に払ってあんのすか」
とか訊かれて、
「その筈だど思うげっと」
と言うと、
「ああ、Nさんがまどめで払ったやづすか」
と言われたので
「んだ」
と答えた。別の人(WJさん)が
「よぐ来たごだ。部屋 教ぇっから、こっちゃあばいん」
と言うので、
フロントの方に行くと、
WJさんがフロントの人と何やら中国語で話し始めた。
それから私の方に向き直って
「こいづが部屋の鍵だっつがら。あど、貴重品どがあっとぎは、
こごさ預げるようにしてけさいんだど」
とエスペラントに訳した。
「わがりすた」
と答えて部屋に荷物を置きにいった。
すると、通路に待機していた給仕が部屋の中に案内してくれて、
何やら中国語で話し掛けてきた。
私は
「我不要説……」
と言いながら紙切れと筆記用具を出し、
書いてくれるように頼んだ。
すると
「貴重品……前……」
みたいなことを書いたので、
恐らく貴重品がある場合にはフロントに預けろということだと理解して、
分かった分かったと頷いた。二人部屋で、もう一人は
まだ来ていないようだった。
荷物を置いてから、また一階に戻った。
他の日本人は着いているのかと訊くと、何人かは
既に着いているが、何処かに行っているようだった。
私は、その辺にいる人(主に韓国人)と話をした。
韓国の大学生S^さんが、
「あんだ、なしてエスペラント始めだのっしゃ」
と訊いてきた。
私は、方言話者に対する「標準」語の強制や英語帝国主義に対する疑問
がきっかけになったと答えた。すると、
S^さんは、
「何と、おいはそのエスペラントに敵対する英語学
なるものば、大学で勉強してんでがすと」
と言って笑っていた。
私が名刺を差し出すと、そこに「
riisto」と書いてあるのを見つけて、
「あら、あんだ、riisto すか」
と言ってニヤニヤしていた。
私は、
「あら、あんだ、riisto のごど分がんのすか」
と言って、
そこから少し、riismo についての議論をした。
S^さんは、中性代名詞の ri はともかくとして、女性語尾の -ino は
多くの場合、不要だと言った。
例えば、「S^i estas (彼女は)」と言ったら既に女であることは分かって
いるのだから、「student-ino (女子生徒)です」みたいに言う必要はない
ということだ
(尤も私は、
彼女と彼を区別することすら不要だと考えている
のだが)。
それはともかく私はS^さんにエスペラントを始めた動機を訊いた。 そしたら、特に深い動機はなく、父親がエスペランチストだったそうだ。 それでは父親からエスペラントを教わったのかと訊いたら、 父親から教わるのはいやなので、別のエスペラントの先生から教わったそうだ。 そして、いきなり私に煙草を吸うか? と訊いてきた。 吸わないと答えると、 実はS^さんは煙草を吸うが、そのことを親は知らないので、 隠れて吸わなければならないそうだ。 そう言って外に煙草を吸いに行った(知り合いにバレてもまずいそうである)。
次に中年の韓国人でLさんという人と話をした
(
Lさんの頁)。
この人は本業の他に Dankook 大学でエスペラントの講師をしているそうで、
何でも、Dankook 大学ではエスペラントが正規の単位として認められており、
百数十人の受講者がいるのだそうだ
(
日本の大学や高校でエスペラントが正規の単位として認められているところは、
それほど多くはないし、受講者数も少ない)。
ここにも何人か受講生が参加しているのだと言って、
何人かの学生を紹介されたが、エスペラントを初めて
三箇月とか五箇月という人が、それなりのエスペラントを喋っていた
ので関心した。
「お宅の生徒さんは優秀だごだ。
やっぱり先生がいんだべおんねえ」
と言ったらLさんは照れながら否定していた。
それからLさんは携帯電算機(ノートパソコン)を取り出して、
韓国語のウインドーズ95の画面を見せてくれた。
それから電網関係の話をし、私の頁にも海外のエスペランチストが
時折、訪れてきて電便をくれるなどと言った話をした。
(追記:18年8月に20年ぶりにソウルで、Lさんに再開した。)
私が別の人と話していると、最初に私に鍵をくれたWJさんが Lさんを伴ってやってきて鍵をくれと言う。 私の同室者はLさんだった。 私はLさんを部屋に案内し、お茶を飲みながら色々と話をした。 Lさんは、この会場が立派なホテルなので驚いたと言う。 私も、電網頁でこのホテルの頁を見つけた時に、ちょっと変だと 思ったが、実物を見ても確かに立派なので不思議だと答えた。 名刺を交換して、また、例の riismo の話などをして、 夕飯の時間だからということで一階に降りた。
そしたら、夕飯の時間は一時間 延期になっていた。
そこで、また何人かと話をした。
先の Dankook 大学のエスペラントの受講生やその知り合い?の
韓国人たちの輪に入ってみた。
エスペラントを初めて数箇月という人が多かったが、辞書を引きながら、
必死になって喋っていた。
一人が私に
「何歳っしゃ」
と訊いてきた(この質問は、
他の韓国人や中国人からも何回も訊かれた)。
私が三十一歳だと答えると
「外見よりもずいぶん若えごだ」
と言われた
(これも、私が三十一歳と答える度に皆がそういう反応を示した。
これは韓国や中国における社交辞令なのだろうか)。
更にその人は、
「独身すか」
と訊いてきた。
「んだ」
と答えると、
今度は
「恋人はいねえのすか」
ときたので
「いね」
と答えた。
更に
「寂しぐねえのすか」
と訊いてきたので、
「そりゃあ、寂しがすぺ」
と答えた。
今度は、
「なして結婚しねえのっしゃ」
ときた。
私が
「なんぼ結婚してえがらとて結婚でぎるもんでもねんでがすとや。
結婚してえっつうごどど、結婚してっかどうがっつうごどどは別のごどでがすぺ」
と言うと、その辺にいた人たちが、理解できないので
もっと簡単な表現でゆっくり言ってくれと要求してきた。
私はゆっくりと
「おいは誰がど結婚してがす。んだげっと、その誰ががいねんでがす」
と言ったら理解してくれたようだった。
そしたら、話を聞いていた一人が
「おいも友達まだ いねんでがす」
と言ってきた(因みにその人の性別は女)。
普通に考えて「友達がいない」というのは考えにくいから、
これは恐らくヨーロッパ的用法における amiko(友達)という単語の使い方で、
恋愛関係にある男友達のことを言っているのだと理解した。
そうしたら、その人は辞書を引きながら必死に何かを言おうとしている。
一体 何を言おうとしているのかしばらく理解できなかったが、
どうやら、
「おいが、今さっき言ったごどは、大したごどでねえがら、気にしねでけさいん」
ということのようだ。なるほど、私は
「ああ、大丈夫、大丈夫、そんたらごど気にしねえがら、気にしすな」
と
言っておいた(もし私が
そんなことを真に受けて「この人おいさ気いあんでねが」などと
思えるくらいにお目出度い人だったら、
とっくの昔に「あっち側」の世界の住人になっていたことであろう??)。
そのうちに飯の時間になり我々は食堂に行った。
食べ物は、非常においしい本場の中華料理が次から次へと大皿で
出てきた。回転卓に乗り切らなくなると、皿と皿を寄せてその上に更に
皿を乗せた。
私が座った卓には、数人の中国人、韓国人とポーランド人、在中オーストラリア人が
座った。
ポーランド人のFさんは箸が使えないらしく、周りの人に訊きながら、
必死になって箸の練習をしていた。
私は鳥の足(指まであるやつ)を面白がって食べていたが、
この食べ物は何故か人気がなかった。
一人ずつ自己紹介をしていって、私が日本の宮城県の仙台から来たというと、
中国人のWさんが、自分も仙台に行ったことがあり、仙台にはたくさん
友達がいるという。
名前を訊くと、私も知っている仙台のエスペランチストで、今も文通を
しているそうだ。
食事をしながらビールも飲んだが、燕京卑酒とかいうビールで、あっさりしていて
飲みやすく、非常に美味しいビールだった。
誰かが「krokodili(鰐する)」の由来は何かという話を始めた
(「krokodili」というのはエスペラントの俗語で、
エスペラントの大会など、エスペラントを使うべき場所で
民族語で喋ることを言う)。
私は日本人のエスペランチストに聞いた俗説を披露した。
「あるヨーロッパ人、たぶんイギリス人だがのエスペランチストが
日本さ来たんだど。その人は日本語の『ありがとう』っつう言葉ば、
覚えだんだと。そんどぎに『aligatoro(アメリカ鰐)』ど似だ発音
だど思って覚えだんだど。
さて、その人が日本ば発づ時に、日本語で
『ありがとう』っつうべど思ったんだげっと、
確か「鰐」ど似た発音だったなあど思い出しながら、
『krokodilo(鰐)』っつってしまったんだど。
そいづば聞いた日本人はキョトンどしてだんだど。」
この話は結構 受けた。
またある人の話では、
エスペラント界には「aligatori(アメリカ鰐する)」という俗語もあり、
エスペラントを使うべき場で、自分の母語以外の
民族語で喋ることを言うのだそうだ
(例えば日本人と中国人が英語で喋るとか)。
皆が適当に酔ってきたところで、Wさんが、
「この卓は、ながなが国際的だごだ。
中国、韓国、日本、ポーランド、オーストラリア、の五ヶ国がら人が
集まって、一つの言葉で意志の疎通してんだどや。素晴らしいごだ。」
とか言っていた。
そのうちに食事が終わり、
場所を変えて、催し物(互いに知り合うための夕べ)の会場へと移った。
日本人らしき人がいて、前に電話で話したことのあるKさんではないかと
思って、
「もしかして、Kさんでがいんか?」
と訊いたら、やっぱりKさんだった
(因みに、以下 特に断りがない限り日本人どうしでも会話はエスペラント)
。
「ちゃんと、こごまで辿り着ぐのいがったのすか」
と訊いたら、やっぱりタクシーの運ちゃんに騙されたらしい。
メーターを使わせなかったために、
私が払った金額の約五倍の五、六百元くらい払わされたそうだ。
Kさんは運ちゃんと格闘して、車の番号を覚えてきたそうだが、
その後どうなったか私は知らない。
しばらくして、催しものが始まった。 一人ずつ自己紹介していって(といっても百人近くいるので結構時間が 掛かったが)その後、 各国の代表が「出し物」を披露していった。 日本人も何か出せと言われて、 「夕焼け小焼けの赤とんぼ」をエスペラントで歌った。 その後、何があったかよく覚えていないが、輪になって、 一分間ずつ、違う人と自己紹介し合った。
よく覚えていないが、若者たちで一階に降りていった。
玄関の脇で酒を飲みながら、皆で騒いだ。
夜の一時過ぎまで騒いでいたが、玄関前の監視?(警備?)や
フロントの人も眉を顰めながら我々を眺めていた。
私もはらはらしながら一緒になって騒いでいたが、
一時頃になって皆 寝るというので私も寝た。
エスペラント関係の合宿としては、
一時に寝るというのは、実に早い方だ。
同室者のLさんは疲れたと言って既に寝ていた。
前の日、酒もあまり飲まずに割と早く寝たお陰で、 旅の疲れもとれ、二日目は朝から快調であった。 朝食は夕食ほど豪華ではないにしても、十分に色々なものが 出てきた。 私の隣には香港青年世界語協会 会長のBさんが座り 色々と話をした(因みに中国語では エスペラントのことを世界語と言う)。 沖縄の豆腐よう(字?)とそっくりな非常にしょっぱい 食べ物が出てきて、それをお粥(朝食には必ずお粥が出てた) に入れて食べると旨かった。 それを見ていたBさんは、そんなしょっぱいものがよく喰えるなあと 驚いていたので、 日本の北部に住む人たちはしょっぱいものを好むのだと 答えておいた。 やっとお粥がなくなったと思ったら、給仕がまたお粥のお代わりを 運んできて、笑いながら中国語でBさんに何かをまくしたてていた。 私がBさんに何て言っていたのだと訊くと、まるで分からない と言われた。Bさんは北京語は分からないのであった。
「開会式」まで時間があるので、一階の長椅子に座って ボーっとしていた。 隣の方で何人かが「そんでも、あんだはエスペラントが ヨーロッパ寄りの言葉だど思いすか?」 みたいな如何にも私の興味を引きそうな話をしているのが 耳に入ったので、 私もその輪に割り込んでいった。 そして私も、 「使いたくないエスペラント単語集」の頁 に書いているような話をした。 すると、国際農業エスペラント協会とかいう機関誌の 編集主任だかをやっているHさんという中年の中国人が、 私の意見に賛同してきた。 Hさんは、特に科学の分野で使われるラテン系の高級語を 是非とも基本語による造語に置き換えていくべきでだと主張した。 何でも、自分の機関誌に難しいラテン系の高級語を散りばめて 書いてきた原稿は、分かりやすい単語に書き換えさせている とも言っていた。
そのうちに開会式が始まった。
「遠いどご、よぐ来てけだごだ」とか
「これがらはアジアの活動ば盛んにすっぺし」
どが、その手の挨拶があった(
エスペラント関係の催しに限らず、開会式の挨拶というやつは
一般的に私には退屈なことが多い)。
Lさんも挨拶をした。
確か
「中国人のエスペランチストは中国報道雑誌社がら国際的なエスペラント雑誌
(
El Popola C^inio、ここでも読める)ば世界さ向げで発行してだり、
北京放送で毎日エスペラント短波放送(7170KHz、日本時間20:00、
ここでも聴ける)
して盛んにエスペラントの宣伝活動してっぺし、
日本人のエスペランチストは
色んな組織だの行事ば運営したり企画したりすんのが非常にうまい。
んでは、我々韓国人エスペランチストには何が取り柄があっかっつうど、
韓国人は うんと情熱的で活動的だ。
こいな我々それぞれの取り柄ばお互いに生かし会って
協力し会っていげば、アジアのエスペラント活動は
よりうまぐ機能すんでねえべが」
みたいな話だったと思う。
日本青年エスペラント連絡会代表のNさんは、確か
「親交ば深めすぺ」みでえな言葉ば
エスペラントど中国語ど韓国語ど日本語で書いた
模造紙ば示しながら、
「我々には、それぞれにこいな民族の言葉があっけっとも、
こごでは一つの言葉エスペラントば使いすぺ。
鰐すんのはやめすぺ」
のようなことを言ったと思う
(「鰐する」については
「一日目夜」参照)。
アルゼンチン人が挨拶を頼まれたが、まだエスペラント初心者で
「こんにちわ」程度しか言えないでいたら、
オーストラリア人のPさんが自分がエスペラントに訳してやるから、
と言って英語で喋ってもらった。
私はそのエスペラント訳の方を聞いて理解したが、確か
「おいもアルゼンチンの方言ば母語どして育って、
英語 覚えんのに うんと苦労したがら、
こごにいる皆さんがエスペラントが必要だっつう理由は
非常によぐ分がる」
とか言っていたと思う。
開会式の後、ホテルの玄関前で記念写真を撮った。
その後、昼飯となった。色々な料理が運ばれてきたが、
細切りのネギとキュウリと甘辛味噌が出てきた
(あるいはこれは夕飯の時だったかも知れない)。
私は、このネギとキュウリに味噌を付けたのを肴にしてビールを飲んでいた。
しばらくしてから、鳥の主に皮の部分を切り刻んだものと、
餃子の皮の大きいような奴が出てきた。
これはもしかすると北京ダックという食べ物かも知れない。
中国人の一人が、これの喰い方が分かるか、と我々(非中国人)に
訊いてきたので、知らないと答えると、食べ方を実演してくれた。
まず餃子の皮の大きいようなやつに、鳥の皮肉を数枚のせ、
更にネギとキュウリに味噌を付けて数本のせ、
それを包んで食べるのだった(つまり、細切りのネギとキュウリは
このためのものだったのだ)。
私も、そのようにして食べてみたが、なかなか旨かった。遠慮なく
たくさん喰ったが、それでも余ってしまった。勿体ない。
午後からは幾つかの部会があって、
1.討論「エスペラントと私」
2.討論「アジアにおける財政危機」
3.中国語講習
4.初心者エスペラント講習
5.中国古典小説のお話
とかがあった。Nさんが私に、どの部会に出るのかと訊いてきたので、
「エスペラントと私」に出ると言ったら、
中国人、韓国人、日本人の一人ずつが、講演をしなければならないので、
何か講演してくれと頼んできた。
勿論、私には私の言葉関係の頁で書いているように色々と話したいネタは
あるが、「講演」するために準備してきている訳でもないから、
せいぜい意見を提示するくらいしかできないが、それでいいのかと訊くと、
それで構わないとNさんは言う。
とにかく、討論の会場へ行った。
中国青年世界語協会常務理事のXさんの司会で、まず
韓国のMさん(中年の人)が
「エスペラントと私」について長々と発表した
(Mさんの頁)。
Mさんは四つくらいの項目に分けて、順序立てて発表していったが、
私は自分の発表の番になったら何を言ったらいいだろうかということを
考えていて、やや上の空だったので、
どういう項目だったか忘れた
(確か「エスペラントとの出会い」「エスペラントが私に何を与えたか」
「?」「エスペラントと私のこれから?」とかだったろうか)。
Mさんはエスペラントと出会って自分の人生は大いに影響を受けたと述べ、
もしエスペラントと出会っていなかったら、今のような自分は
なかったであろうと言った。
なんでも、MさんもLさんと同じく Dankook 大学でエスペラントの
講師をしており、現在の状況などについても詳しく説明した。
Mさんの発表の後、色々と質問がされて答えていた。
あるいはこれはMさんの発表の中で言っていたことかも知れないが、
「人さエスペラントやってんでがすっつうど、何ほいづ? ど訊がいる。
国際語でがすって答えっと、国際語は英語でねえのすか? ど訊がいる。
そんで、一がらエスペラントについで説明しねげねぐなる」
というようなことを言っていたと思う。
それに対してだったと思うが、
L2さんという中国人(かなり年輩の人)が突然
べらべらと喋りだした。確か、
「一般的な中国人だの(日本人だの韓国人も?)は、
十数年も英語 勉強すっけっと、結局は英語ば十分に
喋らいるようにはなんねえ。んでも、
エスペラントの場合、
二年がそごら勉強しただげで問題ねぐ会話でぎるようになる
実例ば おいもいっぺえ目にしてきした。
こいづは正にエスペラントだがらこそ可能なごどなんでがすと。
エスペラントは十分に簡単な言葉でがす。んでも、我々はそいづば何さ
使ってんのっしゃ。大会どがで集まって会話するためにすか。
まあ、そいづはそいっていがす。
んでも、エスペラントの真価ば発揮するためには、今後、
もっと科学分野どがの専門分野でごそ、エスペラントば実用して
いがねげ分がんね。
それがら今は電算機、電網情報の時代だがら、電便だの電網頁だのば、
じゃんじゃん使ったらいがんべ。既にエスペランチストで電便 使ってる
人は、おいの知ってる電便住所録でも既に何千ど登録さいでっぺし、
この数は今、どんどん増えでる最中でがす」
のようなことを中心に他にも色々と延々と話していたと思う。
「科学分野で云々」については私も意見を言いたかったが、
なかなか割って入れなかった。
Pさんが
「電算機の恩恵ば受げんのいいのは、一部の裕福なエスペランチスト
だげだべ」
と批判し、L2さんは
「そいづは勿論その通りだげっとも、
今、電算機ば使える環境さあるエスペランチストは、
是非とも、その媒体ば利用したらいがんべし利用すべぎだべ」
のように答えた。
隙を見て、ようやく私も発言した。
「今のL2さんの話によっと、エスペラントは簡単な言葉だがら、
大会だので会話すんのさばり使ってんでねくて、科学どがの専門分野で
使ってごそ、その真価ば発揮するっつうごどでがした。
確かにおいも こいな会話能力の習得っつうごどに関しては
エスペラントは本当に簡単な言語だど思うし、
おい自身、現に二年ちょっとで、この程度のエスペラント
喋らいるようになりした。
んだげっとも、エスペラントば科学どがの専門分野で実用しても簡単な
言語たり得っかっつうど、
正直 言って、まだまだ色々な問題が横たわってっと思うんでがす。
その一づどして、
エスペラントの専門用語には、ラテン系の実に難しい単語がうじゃうじゃど
ありすぺ。
例えば、鳥の科学どが昆虫の科学どが子供看る医者のごどば言い表すのに、
エスペラントの辞書の中には、すんげえ難しいラテン系の単語で
レロレロ-ologioどが、かんちゃら-ologioどが、その手の単語がうじゃうじゃど
ありすぺ
(この時、L2さんやPさんが私が「れろれろ-ologio」と言うのに答えて
「ornitologio(鳥類学)」とか「entomologio(昆虫学)」と教えてくれた)。
こいな難しいラテン系の単語は二年やそごらエスペラント勉強したぐれえでは、
分がんねがすと。
おいは今、自分の考えば、それなりに、この程度のエスペラントで割と
自由に喋っこどはでぎっけっとも、
エスペラントで書がいだ科学専門書どが、更には世界エスペラント協会
の機関誌ですら、ラテン系の語彙の頻出のせいで、
辞書なしでスラスラどは読めねんでがすと。
もし、あのラテン系の高級語が
『birdo-scienco(鳥−科学)』どが『insekto-scienco(昆虫−科学)』
どが『infan-kuracisto(子供−医者)』どが
ど表現してあったらば今のおいでも十分に理解でぎっぺし、
そいな造語表現は十分にエスペラント規則でも許容さいでんのに、
なしてエスペランチスト、特にヨーロッパのエスペランチストは
ラテン系の高級語ば使いてがんだいな」
のようなことを、実際にはもう少し回りくどい表現で私が言うと、
L2さんは、その通りだと頷いて、
この度、自分たちは中国医学の専門用語のエスペラント辞典を
出版したが、その際に、用語はなるべく簡単な造語で表現する
ように努めたとかと語った。
この話題については私個人的にはもっと色々と話し合いたかったが、
既に時間が三十分も超過して二時間近く経っていたので、
取り敢えず今日のところはお開きになった。
部屋に戻ってからLさんと少し話をした。 Lさんは記念だと言って、Dankook 大学で使っている ハングルで書かれたエスペラントの教科書をくれた。
この日は皆でバスに乗り外の食堂に食事に行った。
バスで私の隣に、先の部会で司会をしていたXさんが座った。
名刺を交換すると、Xさんは私の名刺に色々と注意書きがしてあるのを
見つけて、
「あんだは、おもしい人だねえや」
と言ってきた。因みに私の名刺には
「私 riisto は『s^i(彼女)』と『li(彼)』の代わりに『ri』を使う。
私は、ヨーロッパ的な高級語の使用は避ける」などと書いてある。
そのことについても少し話したが、
Xさんは
「今日の討論部会に就いで、なじょに思いす?」
と訊いてきた。私は、
「二、三人の人が一方的に延々と喋るばり喋って、
討論っつう形にはなんねがった。
おいも色々ど言いでえごど
あったげっとも、L2さんは一端 喋り出すど止まんねぐなって
他人さ喋らせる間あ与えねえべし、
結局 言いでえごども言えねがったないや」
と率直に述べた。
Xさんは
「んだ、んだ。そいづもだげっとも、
二、三人の年寄りばりが喋ってで、若い人だぢがさっぱり発言
でぎねがったのはいぐねえ。
この合同セミナーは青年のためのセミナーなんだがら、
若い人さ発言の場ば与えねげ分がんね」
と言った。
着いた食堂は、ホテルの食堂よりも少し上品そうな食堂で、 ホテルの料理よりも少し上品そうな料理が、ホテルの食堂と同じように 大量に次から次へと運び込まれ、回転卓にのり切らなくなると、 やっぱり皿と皿を寄せてその上に次の皿をのせた。
ホテルに戻ってから「余興の夕べ」というのがあり、中国、韓国、日本から 一人ずつ司会を出せと言われて、 私が日本人代表の司会をやらされることになった。 各国から民族舞踊や歌などが披露された。 日本からは、折り紙を紹介した。 Nさんが、その辺で拾ってきた新聞紙を一枚ずつ皆に配り、 折り鶴を折ってもらった。 一通り、出し物が終わってから、 その会場がそのままデスコ(ロック音楽舞踏場?)になった。 しばらくして、Lさんが「飲み部屋」の番号を教えてくれたので、 私も抜け出してそちらへ行くことにした。 若い連中はまだまだ熱狂的に踊りまくっていた。
「飲み部屋」は韓国人(性別は女)が泊まっていた二人部屋で、
洗面所の脇に化粧品を置く棚のようなのがあったりして、
我々の部屋とは部屋の構造がちょっと違っていた。
Lさんは
「女部屋は男部屋どは構造が違うんだっちゃ」
とか言っていた。
私は今までホテルの部屋に女部屋と男部屋の区別があるなどという
話は聞いたことがないが、ひょっとして、
日本のホテルにもそんな区別があったりするのだろうか。
A1さんが通りで買ってきたらしい、桃と林檎の小さいやつを
持ってきた。
Jさんが、刃渡り一寸位の十徳ナイフで皮を剥こうとして、
うまくいかないので、皮のついたまま切り分けようとしていた。
私は果物や野菜の皮を剥くのは比較的 得意なので、
ちょっと待てと言って、そのナイフを借りて、桃二個と林檎二個の
皮を剥いて切り分けた。
Jさん(性別は男)だかが食べようとすると、
Lさんが駄目、駄目と言って
「まずは、女の人だぢに最初に食べでもらいすぺ」
と言うので、私も
「あらー、ほいづは悪い習慣だなや。
女でも男でも喰いてえ人が喰ったらいっちゃ」
と言っておいた。
A1さんが持ってきたアルコール50度ぐらいの韓国の焼酎を飲んでいた
Jさんが
「mang^-vojo(食べる道)が熱っくて焼げるようだ」
と言った。私にはそれが「食道」のことだと分かったが、
Lさんは、それは「ezofago(食道)」と言うのだと言った。私は
「mang^-vojo の方がいい言葉だ。現に、おい 今日 初めで mang^-vojo っつう
言葉 聞いだげっとも、ちゃんと意味 分がったげっとも、
もし、その ezofago だがっつわいでも、辞書 引がねげ意味
分がんねがすとや」
と言った。
そしたらNさんだかが
「mang^-vojo では食堂街みでえだがら、mang^-tubo(食べる管)の方いい表現
でねえすか」
とか言った。
その後、色々な話が出た。例えば
韓国人のA2さんが、「恋人獲得」みたいな
韓国のテレビ番組に出演したそうだ。
その番組は、男数人と女数人が出演して、
それぞれが(あるいは男側だけか?)
自己宣伝して、気に入った異性を選んで、
うまく組み合えば、賞品か何かがもらえるみたいな
やつだそうだ。
A2さん(性別は男で年は二十五、六か)はまずエスペラントで自己紹介し、
自分は韓国青年エスペラント会?だかの会長?だかをやっている
と説明して、歌ったり踊ったりして自己宣伝し、
気に入った女の人を選択(ボタンを押す?)したら、
うまく組み合ったそうだ。
その女の人は外見はとても「きれいな」人で、
番組の後も
三回ほど会ってみたのだそうだが、
会う度に髪型や服装が極端に変わり、
どうもA2さんの感覚とはだいぶずれがあったようで、
その後は会わなくなったのだそうだ。
……とか、色々と話した。
この日も一時頃にはお開きになった。
朝食の前か後にWさんと話をした。
Wさんが
「いづ帰んのっしゃ」
と訊いてきたので、
「明日の午後の飛行機で帰るつもりなんだげっともさ、
そんで ちょっと頼みでえごどあんでがす」
と私は切り出した。
「明日の午後に、こっから空港までタクシーさ乗りでんだげっともっさ、
タクシーば予めホテルさ予約しておいでもらう訳にいがねんだいが」
「別に、タクシーだらば通りさ出で拾えば大丈夫でがすと」
「そいづは、そうなんだげっとも、タクシーにも 良いタクシーど悪いタクシー
どありすぺ。
ちゃんとメーターば使ってけるタクシーだらば問題ねんだげっとも、
現に日本がら来たKさんも騙さいで五倍ぐれえの料金 取らいだごどだし、
不安なんだでば」
「いがす、んで、今ちょっと訊いでみっから」
と言ってWさんはフロントの人と中国語で話していたが、
「なんだが、こごのホテルではタクシーの予約はしてけねみでだな。
んでも、大丈夫だがら。タクシーは通りで拾えっし、現に おいだぢ
中国人はそうやって使ってんだがら、大丈夫、大丈夫。
もし不安だごって、おいが拾って交渉してやっから」
ということになって、
いざという時?にはWさんにタクシーを拾ってもらうことにした。
朝食の後、皆で近くにある陶然亭公園というところへ行った。
入口を入ってすぐの広場で、初老の人が海綿で作った巨大な筆に水を染み込ませて、
コンクリートの地面に何やら漢字で書き綴っていた。
何人かで覗き込んでいると、その人は筆を我々の方に差し出して、
何か書けと言っているようだった。
我々(主に中国人と日本人)は色々な文字を書き殴っていった
(「世界語」とか「日中友好」とか単に「花」とか「氷」とか)。
私が「鬱」という字を書いてみせると、傍らで見ていた普通の
中国人(非エスペランチスト、割と初老の人)が喜んで、私に
中国語だの英語だので、どこから来たとか訊いているようだった。
私が、紙に「我是世界語的人」「日本人」とか書くと、納得して
私の紙を取り、「研究話文」と書いてから、
色々と難しい漢字
(「辛力辛」を一字にしたような字とか、「興」の下に「焚」を付けた
ような字とか、「こざとへん」の「こぶ」が三つある「へん」に「乍」の下に「図」
を付けた「つくり」を配し、更にその下に「皿」を置いたような字とか)
を書いてきた。
公園内は非常に広いところで、沼(湖?)で小舟を貸していたり、
ジェットコースターの小さいようなやつがあったりした。
適当に歩き回って戻ってくると、
入口の近くで、さっきの初老の人が、まだ漢字を書いていた。
我々は、また幾つかの字を書いた。
私は今度は「籤」の別の字(門構えの古い字(「日」の部分が「王」になっている
やつ)の中に「亀」の古い字が入るやつ)を書いたら、
その初老の人は喜んでいた。
それを見ていたらしいGさん(日本の大学に留学している
オーストラリア人)が
ホテルへの帰り道で、
「あんだ、漢字 好ぎなのすか」
と訊いてきた。
「いやあ、高校の頃に難しい漢字に少し凝っただげで、
別に今は漢字が特に好ぎな訳でも知ってる訳でもねがす」
と答えると、Gさんは漢字が好きなのだそうで、
「あんだの一番お気に入りの漢字ば教ぇでけらいん。
さっき書いでだ字すか」
と言ってきた。
「んー、特にお気に入りっつうのはねえげっとも、
画数が多いっつう意味では、こいな字もありすと」
と言って私は紙に
「鹿」三つ(上に一つ下に二つ)を一字にした漢字に
「い」という送り仮名をふり、
「この字、読めすか」
と訊いたら、
「こいな字あんのすかや。まるで分がんねがす」
と言ってGさんは喜んだ。私は
「確か、こいづは『あらい』ど読んで『粗い』っつう意味だったど
思いす。ちょっと自信ねえげっとも、
『塵』っつう字どがども似でっから、関係あっか知ゃねな」
などと説明した。
昼飯の時にポーランド人のFさんが、
「Malinowski」という自分の名前を漢字ではどう書けばいいのか
と日本人のKさんに訊いていた。
私もあまりいい当て字は思いつかなかったが、
香港人のBさんが「普通はこう書く」
と言って「馬里(「ノ」は忘れた)夫斯基」みたいなのを書いて
よこした。
我々はFさんに一つ一つの漢字の意味を教えていたが、
Fさんは「これは字ではない、模様だ」と言って驚いていた。
午後からは部会が始まった。
1.討論「エスペラントと私」
2.様々な文化を知り、知らせる
3.中国語講習
4.初心者のためのエスペラント講習
5.中国古典詩についての講演
私は1.の部会(昨日の続き)に出た。
始まる前にXさんが私のところへやってきて、中国報道雑誌の
国際雑誌(
El Popola C^inio)に
日本の若者についての記事を書いてくれないかと頼んできた。
私は典型的な日本人とは言えないし、もはや若者でもなくなってきている
から、そういう記事を書くのに相応しくないのではないかと言ったが、
別に私の思ったところを書いてくれればいいと言う。
特に期限は設けないし、私が気の向いた時に書いて送ってくれても、
気が向かなければ書かなくてもいいと言うので、一応 了解しておいた。
部会が始まり、司会のXさんが、まず日本人の私が
何か発表するようにと言った。で、私が話し始めた。
「
エスペランチストにはエスペラントば褒めでばりいる人が多いげっとも、
おいのエスペラントに対する態度は、そいな人だぢどはちょっと違うが知ゃね。
エスペラント始める前がら、おいには色々ど言語に対する葛藤がありすた。
例えば、おいは日本の北の方の海の近ぐさ生まれで、
そごの方言ば母語どして育った訳だげっとも、
大学さ入ってがら、『標準』日本語ば練習したもんでがす。
『標準』日本語っつうのは東京方言のごどでがす。
ほんで、大学で おいが一所懸命なって努力して東京方言ば喋ってんのに、
東京だの都会だので生まれだ人だぢは、
何の苦労もしねえで、自分だぢの母語ばそのまま喋ってる訳っしゃ。
こいづは何か不平等でねえがいや、ど先ず思った訳っしゃ。
あるいは、大学 入ってがら、おいはイギリス人だのアメリカ人だのど会う
機会も多がったんだげっとも、その人だぢは、何のためらいもねぐ、自分だぢの母語である英語で、話し掛げでくんのっしゃ、しかも日本で日本人に対して。
こいづも不平等だなあど、おいは思った訳っしゃ。
そんで色々ど考えで、おいは確かに中立な橋渡し語っつうものが必要だっつう
結論には達っした訳っしゃ。
んだげっとも、その時は、
その中立な橋渡し語どして果たしてエスペラントが相応しいがっつうごどに対して、
大いに疑問があったんでがす。
つまり、エスペラントは本当に中立な言語なのが? 本当に
簡単に覚えんのいいのが? 本当に覚えるだげの価値ある言語なのが?
おいは大いに疑ってだんでがす。
まず、エスペラントはヨーロッパ寄りの言語だいっちゃ。
こいづに就いでは後で説明すっけっとも。
あど、エスペラントは主要なヨーロッパ語ど同じように、常に性の区別ば
強要する言語なのっしゃ。
例えば、li(彼)どs^i(彼女)は常に区別しねげねえべし、
女に言及すっ時だげは amik-ino(女友達)みでぐ、中性名詞に女性語尾ば
つける傾向あったりする。
尤も、この点に関しては、おいはエスペラントになんぼが希望 持ってんでがす。
例えば、エスペラント界内部には
riismo っつう運動があって、
エスペラントの性区別ばねぐすべしって運動してんだげっとも、
おいも、そいづば支持してんでがす
(言語の性区別の頁)。
簡単に言うど、li ど s^i の代わりに中性の代名詞 ri ば使うべし、
特に性の区別が必要でねえ時には、女さばり女性語尾 -ino くっつけだ名詞
使うんでねくて、中性名詞ば使うべし、
特に性の区別が必要な時には、女性語尾 -ino ど対称に男性語尾 -ic^o ば
使うべし、っつうような提案なんでがす」
Xさんだかが
「その riismo っつうのは、あんだが提案したのすか」
と訊いてきたので、
「いや、イギリスのケンブリッジのエスペラント会で提案したんでがす
(ケンブリッジ
エスペラント会の頁)。
おいは、ただ支持してるだげでがす」
と答えた。
確かポーランド人のFさん辺りが、
「男女区別すっこどど、ヨーロッパ寄りっつうごどど何か
関係あんのすか」
みでえなごどを言ってきたと思う。私は
「性の区別は別にヨーロッパだげに限った話ではねえげっとも、
ヨーロッパ語以外の色んな言語では、例えば中国語どが、昔の日本語どが
は、『彼』どが『彼女』は区別してねんでがすと。んでがすぺ?」
と言ってXさんに確認すると、Xさんは
「んだ。中国語ではそいな区別ねがす」
と答えた。私が
「現代の日本語で『彼』どが『彼女』どがば区別するようになったのも……」
と言うと、Xさんが
「んだ、んだ、ヨーロッパ語の影響だ」
と続けた。
私は
「んだ。たぶんヨーロッパ文学の翻訳の際に、女性語尾の-ino に相当するような
言葉が、じゃんじゃん日本語の中さも作らいでいったんでがす」
と言った。
オーストラリア人のPさんが、
「性差別っつうのは人間の精神の問題であって、言葉の問題ではねんでがいんか」
と訊いてきた。私は答えた、
「いや、言葉の性区別的な構造が性差別ば再生産するっつうごどが問題なんでがす。
まず、amiko ど amikino みでえな非対称な性区別に就いで言うど、
男さ言及すっ時は、中性の名詞 使うのに、女さ言及すっ時ばり女性語尾ば
付けで区別してっと、
男が常に標準で女は例外だっつう考えに慣れでしまうがも知ゃねっちゃ。
勿論、こいづは非対称な区別だがら問題だっつうごどではがいん。
例えば、
『彼は白人エスペランチストでがす』どが『おいは黄人エスペランチストでがす』
っつうのば常に区別しねげねがったらば、
すんげぐおがしい話だど思わねすか。
エスペラントっつうのは、言語差別ば解決するための言語なのに、
その差別ば解決するための言語が他の差別ば助長すんでは、おがしいべっちゃ」
S^さんが
「『彼女は』っつったらば、少なくとも amiko には女性語尾はいらね。
っつうのは『彼女』の部分さもう『女』だっつう情報が入ってっから」
と言い、W2さんが
「んでも、実際問題どして、女ど男が区別できた方が便利だいっちゃ」
と言ってきた。
私が
「今の世の中では、確かに男女が区別できた方が便利だが知ゃね。
んでも、そのうぢに男女の区別すっこど自体に意味がねぐなっかも知ゃねえよ。
尤も、そうなったらば言語の男女区別なんか自然にねぐなっぺげっとも。
例えば、もう少し未来に、
男の外見した女がいっぺえ現れるようなって、女の外見した男がいっぺえ
現れるようになったらば、もはや外見で男女ば区別する意味なんてねぐなっぺねえ」
と言うと大いに受けたが、
Xさんは笑いながらも
「んでねえ、んでねえ」
と否定していた。
国際農業世界語協会のHさんが
「おいは、エスペラントで手紙のやりとりすっ時に、
相手が男なのが女なのが分がんねくて、
s-ro (男に対する『……さん』)ど書いだらいいのが s-ino (女に対する『……さん』)ど書いだらいいのがで、しょっちゅう困んでがす」
と言った。
この悩みは他の人たちも共有しているようだった。
私が
「おいは、実は自分の電網頁上さも、こいな意見ば書いでっから、
時々 海外のエスペランチストがら電便きて議論すっこどあんだげっと、
おいは、しょっちゅうその相手の性別ば知ゃねえまま議論してっし、
恐らぐ相手だって おいの性別のごど知ゃねえで議論してんでねんだいが」
と言うと、Xさんが、
「確かに、議論すんのに相手の性別 知る必要ねえおんな」
と言った。
私は話題を変えた、
「まあ、性区別の問題に関しては、riismo みでえな解決案も既に
エスペラント内部で提案さいでっから、おいは、この問題に関しては、
なんぼが明るい希望ば持ってんでがす。
んだげっとも、この他に、昨日も言ったげっとも
エスペラントにはもっと重大な問題があるど、
おいは思ってんでがす。
おいは、さっきも言ったように、エスペラント始める前に既に、
エスペラントには色々ど疑問ありした。
んでも、とにかく学習してみっこどにしたんでがす。
そん時、おいは、まず二、三年まじめにエスペラント
学習してみで、十分に流暢にエスペラントば喋らいるようになんねがったらば、
『エスペラントは簡単に覚えらいる言語ではねえ』ど結論して
エスペラントば見限っぺど考えでだんでがす。
とごろが、幸が不幸が、二年ど数ヶ月も続げでだらば、
この程度には喋んのいいようになった訳っしゃ。
んだがら、幸が不幸が今もエスペラント続でる訳だげっとも
(ここで誰かが「幸運にもだ、幸運にもだ」とか言っていた)。
確かにエスペラントは、この程度の会話能力ば獲得するまでは、
うんと簡単に覚えらいる言語だったどは思いす。
んだげっとも、おいは今、エスペラントの別の難しさのせいで
苦労してんでがす。
例えば、おいは、それなりに自由に、こいなぐ自分の考えでっこどば、
エスペラントで喋って表現すっこどはでぎっかす。
あるいは、今ここで、あんだだぢが喋ってるエスペラントば聞いで
理解すっこどもでぎっかす。
んだげっとも、おいは、
エスペラントで書がいだ専門書、特に科学書だの、
あるいは世界エスペラント協会の機関誌ですら、
辞書なしでスラスラどは読むのは難しんでがすと。
何でがっつうど、昨日も言ったげっとも、
そいな文章さは、ラテン系の難しい高級語がいっぺえ含まい
でっからでがす(使いたくないエスペラント単語集)。
例えば、bird-scienco(鳥−科学)どが insekt-scienco (昆虫−科学)
ど表現さいでだらば、おいだって何のごどが分がっし、
実に明快に理解でぎる表現だど思いす。
そいづなのに、なしてわざわざ、多くのエスペランチストは、
特にヨーロッパ人のエスペランチストは、こいづば
レロレロ-ologio みでえなラテン系の難しい単語で表現してがんだいな。
こいなラテン系の単語の中には、
更に馬鹿みでえな、実に紛らわしいやづも多い。
例えば、homogena(均質な)っつう単語がありす。
こいづは、どうやら、『あらゆる場所で質が等しい」っつうような意味
のようだげっとも、homo(人間)-gena(遺伝子の)どは、どういう意味っしゃ。
『人間の遺伝子』っつう意味すか。
更には、monoteismo(一神論)っつう単語もあっけっとも、
mono(お金)-te(お茶)-ismo(主義)どは、どういう意味っしゃ。
unu(一)-di(神)-ismo なら意味は分がるよ。んだげっとも、
mono(お金)-te(お茶)-ismo では何のごどだが、はっぱり分がんね
(この二つの例は結構、受けて笑ってもらった)。
こいなぐ、エスペラントの中のラテン系の高級語は、
単に難しいだげでねくて、紛らわしくて混乱すら招ぐんでねえすかいや」
ポーランド人のFさんが口を開いた、
「あんだの言うごどには同意でぎね。あんだは、さっきっから
『難しい』『難しい』つってっけっとも、ヨーロッパ語源のものなら
何でも難しいのすか。んだごって
ボラピュク(エスペラントよりちょっと前に考案された国際人工語。
「使いたくないエス単語集」参照)
なんかは、ヨーロッパ語の語幹どは全然 別に単語 造ってった訳だげっとも、
ボラピュクだごって簡単だっつうのすか」
私は答えた、
「おいは別にエスペラントの語幹の大部分がヨーロッパ語だがら
難しんだなんて言ってる訳ではがいん。別にエスペラントの語幹の
大部分がヨーロッパ語がら選ばれでるどしても、
まあ、そいづ自体はおっきな問題ではがいん。
問題なのは、覚えねげねえ語幹の数でがす。
おいは、今、いってえ何個の語幹ば自分のものどしてっぺ。
数千個だいが? 五千個? 四千個? (この辺でS^さんが、
そんなにあんのかっていう反応を示したので、更に減らした)
三千個? 二千個? たぶん三千個前後の語幹ば
おいは自分のものどしてんでねんだいが。
そのたった三千個前後の語幹だげで、おいは、この程度に
エスペラントで自分の考えば喋っこどでぎる。
んだげっと、専門分野で頻出するレロレロ-ologio みでえな単語は、
この三千個前後の語幹の中には、到底、含まいでね。
そいな、ラテン系の高級語の語幹ば含めだらば、語幹の数は万どが十万っつう
数になっぺな。
例えばあんだだぢは(と言って私は若者の方に向きながら)、
ornitologio だの entomologio っつわいで何のごどだが分がりすか?
(何人かが分からないという反応を示した) 分がんねすぺ。
んだげっとも、bird-scienco (鳥−科学)どが insekt-scienco (昆虫−科学)
っつったらば、明確に何の意味だが分がりすぺ。
この birdo どが scienco どが insekto みでえな基礎単語は、十二分に
三千語前後の語幹の中に含まいでんでがす。
三千語前後の基本語の組み合わせで十二分に言い表せる単語ば、
なして わざわざ万どが十万語っつうラテン系の高級語ば借用して
表さねげねんだいな。まるで馬鹿げでるどしか、おいには思えねがす」
Pさんは
「なるほど、こいづはエスペラントにとって非常に重要な問題だ。
新たに新しい概念ば表す言葉ば
エスペラントさ導入すっ時、どうやってその言葉ば造ったらいいがっつう
新語法の問題でもあんな」
とか言っていた。他にも色々と言っていたと思うが、忘れた。
確かこの辺でFさんが
「日常会話程度なら、基本語だげでも十分だべげっとも、
専門分野どが科学の分野ではそういう訳にもいがねべ」
と言ってきたのだと思う。
これに対して、Hさん(既に二日目朝に
この問題に対する私の意見を支持していた人)が反論した、
「いや、いや、ほでね。正に科学だのの専門の分野でごそ、
基本語がらの造語だげで表現すべぎだ。
これまでのエスペラントの専門書だの科学書だのが、
如何にラテン系の高級語のせいで読みにぐいものだったごどが。
おいは、国際農業世界語協会の機関誌の編集長やってっけっとも、
ラテン系の高級語ば散りばめで書いできた原稿は、
簡単な表現で書ぐように書ぎ直させでんでがす。
ラテン系の高級語がら借用してきてる科学の専門用語は、
基本語がらの造語に置き換えるべぎでがす。
我々は、新しい専門用語の辞書ば作んねげね」
この他にもHさんは色々と主張していたが、忘れた。
他にも色々とやりとりがあって、
私がこう言った、
「エスペラントが出来て間もない頃は、主にヨーロッパの人だぢがエスペラントば
使ってだんでがすぺ。そして、その人だぢは、中国語だの日本語みでぐ 基本語がら
高級語ば造語する言葉ば知ゃねがったがら、
安直にラテン系の高級語の語幹ば借用してエスペラントさ取り入れでしまったん
だいっちゃ。
その意味で おいは、エスペラントっつうのは、まだ国際化の途上にあんだど
捉えでんでがす。
おいは、おいだぢアジア人のエスペランチストが、
今後、なんぼがでもエスペラントば より中立化、より国際化すっこどに
期待してえど思ってっかす」
以上の私が提起した題材のせいで、結構 長い時間を費やしてしまい、 次の中国人が発表する時間を短くしてしまった。悪いことをした。 次に、ある中国人が発表した。 確か、自分は病気で数年間入院していたが、その時にエスペラントを 学習したことによって世界が開け、人生が変わったとかいう話だったと思う。
休憩を挟んで次の部会となった。
「様々な文化を知り、知らせる」という題目で話し合う会だった。
Xさんの司会進行で、最初のうちは割とたわいもないことを話していた。
例えば、
中国や韓国では他人に年を訊くのは失礼ではないが、
日本では憚られるとか。
最近は中国でも若い女に年を訊くのは失礼だと考えられるように
なってきたが、昔は、女は男から年を訊かれたら
答えなければならなかったとか。
その後どう話が展開したのか覚えていないが、
各国の女性の社会進出の話とかになり、
中国とかでも最近は女性が外で働くようになってきて
いるが、まだまだ差別(法的なやつとか?)があり、
条件が悪く、外で働きたくてもなかなか難しいとか。
そういう流れで、
「日本ではなじょなのっしゃ」
と私に振られた。
私は、
「法的な性差別は段々と ねぐなりつづはあんだげっとも、
現状では、法的な平等化が別の問題ば起ごしてしまうんでがす。
例えば、日本では女の人の深夜労働は法律で禁止さいでんだげっとも、
女の人も深夜労働でぎるようになっこどは、確かに
男女の平等化っつう意味ではいいごどなんだげっとも、
現状では、まだまだ賃金差別があって、パートどがの女の人は
安い賃金で働がせんのいいがら、
企業は、安い賃金で女の人さ深夜労働させっぺどするっつう
問題あんでがす」
などの話をした。
Hさん(男の人)だかが、中国では、妻が外で働く家庭では、
家事や育児などをする人がいなくなるということが問題に
なっているというような話をした。これに対して
ある中国人(女の人)が、
妻が外で働く家庭では、夫が家事や育児をすることだって
できるではないか、どうして女だけに家事や育児が義務づけられ
なければならないのかと反論した。
私も同意して、
「こいづは社会制度にも問題あっと思うんでがす。
現状の世の中で、夫婦のうぢの一方が金 稼ぐための労働だげに
従事して、もう一方が、家事だげに従事するっつうのは、
一づには労働時間の問題だども思うんでがす。
もし、賃金労働者の労働時間が今の半分になったどしすぺ。
そしたらば、例えば妻は午前中は うぢの外で働いで、午後は
家事して、一方、夫は午前中は家事して、午後は うぢの外で働ぐ
っつうごどだってでぎっかすぺ。
そしたらば、ほんとに男女平等でがいんか」
と言ったら、なかなか受けた。
それからどう話が流れたのか覚えていないが、
Pさんが突然 関係のない話を始めた、
「もし、飲酒運転で自分の子供ば殺さいだらば、
法律で酒ば禁止すべぎだど思いすか」
とかいう話だったと思う。
S^さんが反対したら、Pさんは
「そいづは実際に自分の子供ば失ってねえがらだ」
とか言っていた。
Oさんだかが、
「法律で禁止したって、他の環境が整備さいでねげ駄目でがす。
例えば、日本では飲酒運転は法律で禁止さいでっけっとも、
そんでも飲酒運転する人いっぺえいんでがす。
こいな人だぢに飲酒運転させねえためには、例えば
運転代行みでえなのば、もっと充実させるごどの
方が法律ば厳しぐすっこどよりも重要だど思いす」
のようなことを言った。誰かが、ドイツだかでは、既に
運転者の呼気からアルコールを検知すると
エンジンがかからない車ができていると言った。
その辺りからL2さんが入ってきて聞いていたと思う。
「法律の問題ではなく個人の心の問題だ」という流れからだったか、
あるいは全然 別の話からだったか、L2さんが話を始めた、
「数年前に日本では、オーム真理教っつうとんでもねえ宗教が
毒 撒いで殺人事件 起ごしたんでがす。
なんでも、この宗教の考え方によっと、人間は生きてっと悪いごどしてしまう
がら、人間が悪いごどでぎねえように、殺してあげっこどが、
いいごどなんだっつおん。
そんで更に驚ぐごどには、このとんでもねえ宗教の信者には、
理工系の優秀な大学院の学生もいっぺえいだんだど。
今 日本では、新興宗教が大流行なんだど。
確かに科学の進歩のお陰で物質的には生活は豊かになったげっとも、
現代人の精神は すさんでんでがす。んだがら宗教が流行んのっしゃ。
科学文明のお陰で我々はこいな快適で綺麗な部屋で、議論したりすっこども
でぎるようになった訳だげっとも、
科学文明の中で暮らすごどは、便利な反面、うんとストレスば伴うもんでも
あんでがす。
んだごって科学文明ば捨てでしまえっつう訳にいぎすか?
いがねがすぺ」
私はL2さんが宗教必要論を説くのではないかとハラハラして聞いていたが、
そういう訳でもないようだった。
詳細を覚えていないので話の筋が繋がらないが、L2さんは
確かこんなことも言っていた、
「おい自身は宗教は信じでねんでがす。ただ、おいの母親(おばさんだったろうか?)
は敬虔なカトリック教徒なんでがす。
んだがら おいは宗教ば否定はしねがす。
おいは他にも敬虔なキリスト教徒の科学者もいっぺえ知ってっかす。
信仰っつうのは個人の自由だがら、
その人が宗教 信じで幸せになれるっつんだごって、
おいは別にそいづば非難しねえべし、
尊重すっかす」
Pさんが口を挟もうとしたらL2さんはそれを遮って、
「いや、いや、おいは別にこごで宗教論争なんかするつもりはがいん。
信仰は個人の自由でがす。宗教の中身に就いでの議論なんかしねがす」
とか言って、また話を始めた。
どういう話の流れだったか忘れたが、
「科学だけでは不十分だ」かまたは「科学で分かっていないことは
まだまだある」のような話になり、私はまたハラハラしながら聞いていたが、
果たしてL2さんは予感した通りの体験談を話し始めた、
「おいは子供の頃、目え悪くて、まぶしいもの見らいねがったんだでば。
そんで、ある東洋医のどごさ行ったらば、蝋燭さ火い灯ってで、まぶしいなあ
ど思って見でだのさ。そしたっけ、その東洋医は、やおらその蝋燭ば取って、
おいの目の前さ押し付けだんだおん。まぶしいごだ、まぶしいごだ。
そしたっけ次の瞬間、もう火い見でもまぶしぐねぐなってだのっしゃ。
こいづが一づ目の話。次の話は、おいの知ってるある小学生なんだげっとも、
近眼になって、ある東洋医のどごさ行ったんだど。そしたっけ、耳の周りさ
鍼 刺さいだんだど。そしたっけ、近眼が治ったんだど。こいづが二っつ目の話。
最後の話は、おい(知り合いの子供だったか?)が子供のどぎのごどだげっとも、
右腕が痛ぐなって持ち上がんねぐなったのっしゃ。そんで、ある東洋医のどごさ
行ったっけ、左腕ば出せっつわいだんだでば。んだがら、痛えのは右腕でがすと
っつったっけ、いいがら左腕 出せっつわいで左腕に鍼 刺さいだんだでば。
そしたっけ、右腕の痛みがねぐなったんだでば。なんでも、こいづは
左右の均衡の問題なんだど。以上の話は科学では説明でぎねえごどでがす。
んでも、おいは東洋医学ば信じでんでがす」
私は困った。正に私が批判対象にしているような典型的な意見に出会って
しまった。しかし、ここで私が強く批判して雰囲気が険悪になるのもまずい。
しかも、中国人が結構いるから、東洋医学に関わっている人も多いかも
知れない。それでも私はちょっとだけ言った、
「あんだ、さっきオーム真理教ば批判したいっちゃ。そして、その後
自分自身は宗教ば信じでねっつったいっちゃ。
んだげっとも、あんだの東洋医学の信じ方っつうのは、
宗教の信じ方どそっくりでねすかいや。
勿論、あんだが個人的に東洋医学ば信じでるだげで他人に強制したり
しねえ限りにおいでは、宗教の信仰の自由ど同じだがら別に構わねがす。
んだげっとも、今のたった三つ個人的体験だげば根拠に、
東洋医学が効ぐっつうごどば一般化したり科学的事実だど主張すっこどは
でぎねんでがすと。
科学の分野で、ある治療方法が効いだっつうごどば示すためには、
何百どが何千っつう膨大な回数ど人数で試験だの実験ばしてみで、
そんでやっと統計的に効ぐどが効がねえどが言えんでがすと。
んだがら、東洋医学でそいなぐちゃんと膨大な数のデータで、
統計的に治療効果ば確かめでんだらば、おいは別に文句 言わねんでがす。
んだげっと、あんだの言ったたかが三つの例は、
東洋医学ば信じるには、あまりにも不十分でがす。
もし、おいがあんだど同じ体験したどしても、おいはそんでも東洋医学
ば信じねえがも知ゃねよ。
例えばプラシーボ効果っつうのもあっこどだべし」
私はうっかり「la efiko プラシーボ」と言ってしまったが、Pさんが
「pseu~do-medikamento(偽薬)」と言い換えてくれた。
L2さんは、私の言ったことについては「んだ、んだ、その通りだ」と
同意したので、なんだか拍子抜けした。
この部会が終わってからNさんが私のところへ来て、
「あんだだらば、自分の電網頁さ書いでっこどば、一通り喋った
んでがいんか」
と揶揄?してきた。まあ、確かにそうだ。
部屋に戻るとL2さんがいて、Lさんと話し込んでいた。
私が風呂に入って、あがってしばらく休んでいると夕飯の時間になったが、
二人はまだ話し込んでいた。というか、L2さんの止まらない話をLさんが
聞いているという感じだった。私がLさんに夕飯の時間だと告げると、
Lさんは後から行くと言って、L2さんの話を聞き続けていた。
私は先に食堂に行った。
今日は、中国人ばっかりの席に座った。
二、三人の初心者を除いては十二分にエスペラントで喋れる人たちなのだが、
皆さん中国語で「鰐して」いて
(「鰐する」については「一日目夜」参照)、
私はちょっと当惑してしまった。
日本の大会などに出席した外国人が、「鰐している」日本人に囲まれた時
というのは、こういうふうな感じなのかと思って、まあ、いい経験かも知れない
と考えることにした。
右隣の人がビールと炭酸飲料(スプライトみたいなやつ)を混ぜて飲んでいた
ので、
「なにすや。あんだ本気で混ぜでんのすか」
と訊いたら、その辺にいた皆が
「うめえがら、あんだもやってみさいん」
と言ってきた。私も試しに混ぜて飲んでみたが、
それほど旨いとも思えなかった。そのうち、向かいのXさんと、
その隣のA3さんが、なにやら中国語で喋りながら笑っていた。
A3さんは私に向かって
「おいだぢ何 喋ってっか知りでえすか。どれ、んで、あんだの
ためにエスペラントさ訳してけっから」
と言ってから、Xさんに向かって
「あんだ、今 話してだごどば、彼(私のこと)に言わいてぐねえが」
と言ったら、Xさんは別に構わないと答えた
(参考までにA3さんは中年の男、Xさんは若い女)。
そこでA3さんは話し始めた、
「中国ではっしゃ、動物の体のある部分ば食べだら、食べだ人の体の同じ部分さ
効ぐっつう考えあんでがす。例えば、牛(豚だったか?)の胃い喰ったらば胃さいい
だの、肝臓 喰ったらば肝臓さいいだの、脳 喰ったらば脳さいいだのっしゃ。
そんで更には同じ理由でペニスまで喰うんだでば。おいもペニス喰ってみだげっとも、
はっぱり味しねえべし、さっぱり旨えもんではねがす。
日本ではペニスなんか喰ぁねすぺ」
私は、
「確かに牛だののペニスは喰ぁねげっとも、
魚の精巣は喰いすと」
と言おうとしたが、「精巣」という単語が分からなかったので、
「mal-ovo(卵の反対)」と言って、「メスの持ってんのが ovo だったらば、
オスの持ってる方でがす」と説明したらば通じたようなので、
「尤も、別に精巣 喰ったら精巣にいいがらどがっつうごどどは関係ねぐ、
純粋に味が旨えっつう理由がら喰ってるだげでがす」
と付け加えた。
さっきの右隣の人(若い男)が、
「中国では男は女ば先導して酒っこ勧めねげねんだど」
と言って、私に左隣の女の人たちに酒を勧めるように言ってきた。
私は、
「そすかあ。日本では男だろうが女だろうが酒 飲みてえ人は勝手に飲むし、
飲みてぐねえ人は別に飲まねんでがすと」
と言ってみた。すると、右隣の人は、
「こごは中国なんだがら、中国の習慣さ従わいんや」
と言ってきた。私は面倒な人の隣に座ってしまったと思った。
私は自分のコップにビールを注ぐついでに、
一応、左隣の人たちにビールを勧めてみたら、いらないということだったので、
自分のコップにだけビールを注いで、それを飲みながらしらばっくれていた。
やがて右隣の人はいなくなってくれたので、気が楽になった。
A3さんはA3さんで頻りに女の人たちにビールを注ごうとしていた。
しかし、A3さんからビールを勧められた人たちは悉くそれを拒んでいた。
するとA3さんは私に対して、
「日本では、女が男の勧める酒ば拒んだら何が起ごりす?」
と訊いてきた。私が、
「んー、別に何も起ぎねんでね」
と答えるとA3さんは、
「何す! 何も起ぎねってすや」
ととても期待外れだとういう表情をしていたが、A3さんに酒を勧められていた
女の人たちは喜んでいた。
もう既に一時間以上経っていたと思うが、今日は最終日ということもあってか、
他の卓でも賑やかに騒いでいた。酔いも結構 回っているようだった。
隣の卓では肩を組んで円陣を組みながら歌を歌ったりしていて特に
騒がしかった。
エスペランチスト以外の一般客が迷惑そうに眉を顰めて眺めていた。
それに気づいた私はハラハラしながらビールを飲んでいたが、
やがて、賑やかだった卓もお開きになったので一安心した。
我々の卓は微妙に人が入れ代わりながらも、まだまだ宴たけなわだった。
そのうち、Lさんがやってきて、まだ食事はできるかと聞いてきたので、
勿論だと答えて我々の卓に迎え入れた。
Lさんは今までL2さんの話を聞かされていたのだ。
Lさん(韓国人)が来てくれたお陰で、
使用言語はエスペラントが主流になり、私も酔いが回ってきて実に
快適な環境?になった。
そのうちに、A3さんが mal-trinki(「飲む」の反対)してくると言って、
便所に行った。なるほど、前に津田幸男編『英語支配への異論』(第三書館)の
中で、水野義明氏がフランスで「小用を足す」の意味で mal-trinki が使われた
のを聞いて驚いたり感心したりしたと書いていたのを読んだが、
この表現はそれなりに使われているのかも知れない。特にビールをがぶ飲みしている
ような状況においては「『飲む』の反対」は実に的確な表現とすら言える。
L3さんは mal-trinki という表現を反芻しながら笑っていたが、
意味が分からないでいたエスペラント初心者のA4さんに中国語で説明していた。
私の右隣に新たに来て飲み喰いしていたWJさんが、
「んだごって、mal-mang^i(「食べる」の反対)っつうのもあんだいが」
と言っていたが、それを聞いたL3さんは さも嬉しそうに怒っていた。
因みに
水野氏も前掲書では、美意識に逆らうという理由で mal-mang^i への言及は避けていた。私は、
「いんでねえの。urini(小便する)だの feki(大便する)みでえな単語は
難しいがら、mal-trinki だの mal-mang^i みでえな基本語の組み合わせの方
がいい表現だがも知ゃねど」
と言った。
そのうちに北京放送の話になった(
因みに北京放送のエスペラント短波放送は毎日、日本時間20:00、7170KHz。
ここでも聴ける)。
誰だかが私に
「あんだ、C^ina Radio Internacia(中国国際)ラジオ聞いだごどありすか」
と訊いてきたので、私が「ソ’ーソ’ラ’レ’ード’ード'ラレ’ー」
と北京放送の出だしの音楽を唄うと、
そこにいた中国人たちが喜んでくれた。
私が続けて
「C^ina Radio Internacia parolas en Pekino(中国国際ラジオが北京で語る)」
と冒頭の文句を真似すると、L3さんが
「あんだ、あの放送で喋ってる人 誰だが分がってんのすか」
と訊いてきた。私が
「分がんねがす」
と答えると、L3さんは、
「なんだい、さっき、あそごさ居だ人だよ」
と言ってきた。そのうちに、その北京放送で喋ってる人がやってきたので、
一緒に写真を撮ってもらった。
そのうちにA3さんが
「あんだ、どいな酒 好ぎなのっしゃ」
と私に訊いてきた。私は深く考えずに
「やっぱり sakeo(日本酒)だいが」
と言ったら、A3さんがその辺の給仕を呼び止めて中国語で何やら話し始めた。
私はA3さんが日本酒を注文しようとしているのだと悟り、
「いや、今は要らねがすと。もう飲まいねがら、頼まねでけさいよ」
と言ったが、聞き入れる様子がない。私はL3さんとかに、
もしA3さんが日本酒を注文しようとしているのだったら、やめさせてくれ
と頼んだ。L3さんは中国語で給仕に話しだし、どうやらA3さんの方が
譲歩したようだった。
それでもA3さんは上機嫌にビールを次から次へと注文していた。
そろそろ夜の催し(国際的な夕べ)があるので二時間近くも続いた飲み喰いは
お開きになったが、この日の夕食?はなかなか楽しかった。
「国際的な夕べ」では、各国から何か出し物を出すことになっていた。
我々 日本人は最初、単語当てゲームみたいなのをやったが、韓国人や
中国人は民族固有の歌や踊り、遊びなどを披露していた。そこで我々もゲームとか
ではなく何か日本に固有のものを披露した方がいいということになったが、
あまりいい芸は思いつかなかった。
私は、私が大学生時代に見た芸を提案してみた。
一人が舟になり、一人が櫂になり、一人が船頭になりその櫂になった人を
掴んで漕ぎながら「えんりゃーどっとー、えんりゃーどっとー」と叫び
続ける。それを囃子?としとして私が大漁唄い込み(斎太郎節)を歌う。
他にいい案がないので、これでいいということになり、ぶっつけ本番で
実演した。まあ、まあ受けてもらえたのではないだろうか。
「国際的な夕べ」が終わってから、またデスコとかが始まったようだが、
私は青年役員たちの話し合いに参加してみた
(因みに私は何の役職にも就いていない)。
まず、今回のセミナーの企画、段取りを行った中国の青年役員が、
今回のセミナーの問題点を遠慮なく挙げていってくれと言ってきた。
そこで私は遠慮なく言った
「会場の詳細な地図ど住所が是非とも必用だったないや。
おいどNさんはたまたま、こごのホテルの電網頁がら
予め住所が分がってだがら、
かろうじで辿り着ぐのいがったげっと、Oさんなんかは
こご見つけるまで三時間も歩ぎ回ったっつうし、Kさんだってタクシー
の運ちゃんがさんざん電話しまぐって、ようやぐこの場所 分がった
っつうしっさ」
Nさんだか誰かが
「あど、ホテルど住所はローマ字表記だげでねくて、漢字表記も是非とも
必用だでば」
と言ったので、私も
「っつうが、例えば合同セミナーが韓国で開催さいっとすれば、
そん時は是非ともハングル表記も必用だべなや」
と言ったら、中国側の代表のYさんが
「なるほど、会場名は現地表記も書ぐごどにするっつうごどだな」
と応えた。
他にも色々と言ったと思うが、私は、
「あど、毎晩の夕べで各国がら何が出し物ださいんって急に言わいで、
戸惑ったげっとも、そいなごどは事前に言ってでもらえば何ぼがでも
準備も出来たんでねえがども思うんだげっと」
と言ったら、Nさんが、
「ほでねの、ほでねの。毎晩、各国がら出し物 出すっつうのは、
合同セミナーの伝統なのっしゃ」
と言った。私が
「んで、準備しねがったのは、おいだぢが悪い(Estas nia kulpo)
っつうごどすか」
と言うと、Nさんは
「んだ、んだ、おいだぢが悪いんだ」
と言った。この後、この「おいだぢが悪い」という言葉は流行り文句になって、
例えば、Kさんが
「申し込んでがら、最終的な案内が届ぐのがあまりにも
遅すぎだんでねえすか」
とか言ったら、Nさんが
「ほでねの。中国がらは十分に早ぐ東京の青年連絡会の方さ案内
届いでだんだげっとも、おいだぢが、そいづば発送すんのが遅れだんでがす。
おいだぢが悪いんでがす」
と答えたりとか。また、
Xさんが
「討論部会では司会のおいがちゃんと仕切らいねがったがら、
年寄りばりが延々ど喋って若者があんまり喋らいねがった。
こいづはおいが悪いんでがす」
と言って、私が
「いやあ、おいも結構 喋ってしまったがらな、
おいも悪いがも知ゃねな」
と言うと、Xさんは
「いや、あんだは若者なんだがら喋っていんでがす。
やっぱり、おいが悪いんでがす」
と言ったりとか。
やがて、今回の反省点の一つは、中国、韓国、日本の三国間で十分に密に
連絡が行われなかったことだということになった。
私は
「せっかく電便 持ってる人だぢ 結構いんだがら、今こごで紙こ回して、
電便住所 書いでもらうべし」
と言ってNさんからもらった紙を回した。
その辺で私はちょっと用があって一旦 席を外した。
戻ってくると、Bさんが構想してきたらしい
JAM(Junulara Azia Movado、青年アジア運動)というのの
準備委員会を結成するべく、その決議文の文面を推敲していた。
例えば、「アジアの国々の青年エスペラント運動を」
「より活性化させる(plivigligi)」という表現にするか、
「推進する(antau~enpus^i)」という表現にするかで揉めたりしていた
(最終的には「antau~enpus^i」の方になった)。
このJAM構想の是非については後で色々と論議を呼ぶことになったが
(各国の青年団体を代表するものかどうか不明、
今までも辛うじて開催してきた日韓中合同セミナーを更に
他の国々にまで拡大しようとするのか、等々)、
私はそうした事情をよく分かっていなかったこともあり、また
午前二時近くなっていて眠かったこともあり、その決議文に署名した。
あと、もう一つの重要な話題は、来年度の合同セミナー(日本)をいつどこで
開催するかということについてだった(あるいは、こっちを先に
話したのかも知れない)。
場所については、中国や韓国から船で来れる南の方(例えば神戸とか)がいいだろう
ということになり、
時期については七月下旬頃だろうが、世界大会の時期とずらすとか
日本大会の時期とぶつけるとかを吟味する必要があるし、
九月の中旬だかまでに詳細を決めて、各国の青年団体に案内を送るという
ことになった。
あと、中国人が日本へ旅行するための最大の問題はビザ(査証)が取れない
ことであり、日本エスペラント学会の方から公式の推薦状とかを出してもら
えればビザが取りやすくなるといったことも検討項目となった。
まあ、色々とあって寝るのは四時頃だったかも知れない
(私は時計を日本時間のまま使っていたので、あるいは三時頃だったろうか)。
Nさんは、その後も中国側に渡す文書
(「来年度の合同セミナーについては、七月下旬頃に神戸辺りを考えているが、
詳細な案内は九月中旬までに送るようにする」みたいなやつ)を作成していたので、
更に寝るのは遅くなったろう(寝たのだろうか?)。
私も部屋に戻って横になったが、あまり眠れなかった。
二時間も寝たか寝ないかして起きてシャワーを浴びた。
Lさんが起きてきて、
「あんだ、昨日まだ ずいぶんと遅ぐけってきたごだ」
と言った。私は
「んだがら、色々どあってっしゃ」
と色々と説明した。
寝不足で疲れていたこともあり、あまり食欲もなかった。
それを察してか(そんな訳はないが)、朝食はそう麺みたいな
やつが出てきた。
朝食の後、A3さんと少し話した。
「こごのホテルは何『星』なのっしゃ」
と私は訊いた。A3さんは私をフロントの方に連れていき、
「確かに、こごのホテルさは何星だが書いでねえげっとも、
あそごさ政府公認なんたらかんたらって書いであっちゃ。
つまり、思うに、今 星 取っぺどして政府ど交渉中なんでねえべが。
まあ、このけのホテルだごって二っつ星っつうどごだべな。
二つ星って分がるすか。まあ、そう高級でもねえげっとも低級でもねえ、
中級っつうどごだな」
と答えた。私は更に訊いた、
「なにすや。二っつ星にしては、こごは安すぎんでねえのすかいや」
「んだ。一づには団体で泊まっと団体割引になるっつうごどだな。
たぶん半額ぐれえになってんでねえべが」
ということもあったようだが、この他にもホテルが市街地にあるということや、
更にはホテルの経営者だかその知り合いだか
にエスペランチストがいたということもあって、かなり宿代が安かったのである。
その後、韓国人と日本人の大部分が二日間の観光旅行(天安門、万里の長城とか) に出発するバスを見送った。 一気に人が減った。
少ない人数(二十〜三十人、大部分は中国人)で閉会式が開かれた。
私は来年度の合同セミナー(日本)についての報告をすることになっていたが、
飛行機の関係で私の報告は前の方にさせてもらった。
「いやー、今回の合同セミナーは、こいな贅沢な会場で 毎日
うんめえ中華料理ば大量にごっつぉうになりながら、うんと快適に過ご
させでもらいした。まずは、幹事の人だぢ、世話役の人だっつぁ感謝しねげねな。
とごろで次回の合同セミナーの件だげっともっさ、ほんとえば
日本人の青年会の方で事前にちゃんと決めでくるべぎだったんだが知ゃねげっと、
その辺が準備不足だったごどは申し訳ねがす。
次回の会場ど日取りについでは九月中旬までに決めで 案内 送るようにすっから。
んで、日本青年エスペラント連絡会代表のNの置いでった伝言ば読むがら」
そう言って私はNさんから渡されていた文書
「来年度の合同セミナーについては、七月下旬頃に神戸辺りを考えているが、
詳細な案内は九月中旬までに送るようにする」
というような内容に前置きと終わりの挨拶を加えたものを読み上げた。
その後、私はまだ時間的に少し(三十分ぐらい)余裕があったので、
ぎりぎりまでいることにした。
いろんな人が今回のセミナーについて色々と報告していた。
BさんはJAM構想委員会が発足したことを報告した。
Xさんは、討論部会で年寄りばかりが発言し若者があまり発言できなかったのは
『Estis mia kulpo.(おいが悪がったんでがす)』と言っていた。
私の隣にはWさんが座っていたので、
私は「請使用計程表」「北京都市机場」と書いた紙切れを見せ
「この中国語は当だってるすかや」
と訊くと、Wさんは
「だいじょぶ、だいじょぶ」
と言っていた。
さて、閉会式は終わりに近づき、今回のセミナーの感想を一人ずつ言っていった。
私の番になった。
「改めで皆さんに感謝すっから。とごろで残念ながら、おい もう行がねげ
ねんでがす。んで、来年、日本の合同セミナーで、是非まだ会うべし。んで、まだ。
どうも」
そう言って私は、部屋を出た。私がホテルの玄関を出て、
通りに出ようとしていると、Wさんが走って追いかけてきた。
私が
「あら、わりいごだ、どうも、どうも」
というと、Wさんは
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、すぐ捕まっから」
と言って私を大通りへ誘導した。そして、その辺を走っているタクシーを
停めると、私を乗せて運ちゃんと中国語で何やら話をつけた。
私がWさんに
「ほんとに、どうも。んで、まだ」
と挨拶し終えるとタクシーは走り出した。
どうやらメーターも使っているようだったし、大丈夫なタクシーのようだ。
北京空港についたが、搭乗までだいぶ時間があったので三階の売店をうろうろ
した。店員が「こんにちわー」とか「日本人?」とか話し掛けてきた。
ある店員が
「中国語 分かりますか?」
と日本語で話し掛けてきたので
「我不会説han語」
と言ったら、
「中国語 どこで勉強しますか? 学校ですか」
と訊いてきた。
「いや、ちょっとだけ自分で勉強しました」
と言うと、
「中国語 難しいですか」
と訊いてきた。
「難しいです」
と答えると、店員は残念そうな顔をしたが、実は私は中国語が難しいか
どうかを判断できるほど勉強した訳ではないので、あわてて
「でも、英語の方がもっと難しいです」
と答えておいた。高級語の覚えやすさ(
「エスペラントの高級語」)とかを考えれば、
満更 嘘でもないだろう
(尤も発音に関しては中国語も英語も非常に
難しいと思うが)。
別の方をうろうろしていると、他の店員がやはり「日本人?」と訊いてきた。
その店員は
「お土産 買わない?」
「筆 買わない?」
「茶碗 買わない?」
とか日本語で言いながら、いろんなものを出してきた。その度に私は、
「ああ、そういうのは、いらないねー」
と答えた。店員は諦めず、木の皮に絵を書いたような栞を出してきた。
これは私の興味を引いた。私は友人のIさん
(Iさんの頁)
に何か土産を買おうとは思っていたが、
読書家のIさんには栞はそれなりに重宝するかも知れない。
「これは中国の歴史的なものの絵が色々 書いてあるから
お土産にいいよ。
ほら、いい匂いもするよ」
とか店員が言っていた。私は
「ああ、匂いはいらないんだげっと、三国志の絵のやつある?」
と訊いた。店員は、
「え? 三国志がいいの? あるけど....」
と意外そうな顔をして、三国志の絵入りの栞(数枚入り)を出してきた。
私が
「私の友達で三国志が好きな人 いるから」
と言って、
「いくら?」
と訊くと、店員は
「ええっ! 一つしか買わないの? 他に友達はいないの?」
と訊いてきた。私が
「いるけども、お土産は買わなくていいの」
と言うと、
「女の友達はいないの?」
と訊いてきた(因みに店員は若い女)。私が
「ああ、女の友達はいないねえ」
と言うと、
「妹とか弟はいない?」
と訊いてきた。私は
「妹とか弟もいないねえ」
と答えながら、店員が気の毒に?なってきたので、
「じゃあ、水滸伝のやつはある?」
と訊いて、三国志と水滸伝の栞をIさんの土産にすることにした。
それでも店員は、
「えー、二つしか買わないの?」
と言ってきた。まあ、確かに私もいろんな本を同時進行的に読むから、
栞はいっぱいあるに越したことはない。結局 私は
中国の歴史的な名所の絵の栞を含む三組を買うことにした。
店員は
「何しに中国に来たんですか」
と訊いてきた。私が
「エスペラントって分かりますか」
と訊くと、案の定
「分からない」
と言うので、
「中国語では世界語って言うんだけど」
と言うと、
「世界語は英語でしょ」
と言ってきた。中国人も若い人は「世界語」という言葉自体を
知らないようだ。私は
「世界語は英語じゃないよ」
と言いながら、大学書林の中国語小辞典(中日辞典)の
「[世界] shi'jie (1) 世界.[〜語] エスペラント」の項を見せた。店員は
「世界語は英語じゃないの?」
と言いながら怪訝そうにしていた。私は、
「英語は不規則とかがいっぱいあって、難しいでしょ。
エスペラントは不規則がないから、とても覚えやすいの」
とか説明しながら、今回の青年セミナーの参加申込書
(「我邂逅世界語的交流」とか書いてあるやつ)
を見せて、これに参加するために北京の南の方に行ってきたと
言った。店員が不思議そうな顔をしてその申込書(中国語と日本語と
エスペラントが書いてあるやつ)を眺めているので、
「それはもういらないから あげます」
と言った(今 思えば、
中国報道雑誌社
のビラとか
をあげた方がよかったのかも知れない)。
それはともかく、私が
「再見」
と言うと、店員も
「再見」
と言ってから、
「何時の飛行機に乗りますか」
と訊いてきた。私が
「二時の飛行機ですけど」
と言うと
「遅れると乗れなくなるから、遅れられないようにね」
と言ってくれた。実はなかなかいい人だったのかも知れない。
たった四日間のことをダラダラと書いているうちに 随分と長くなってしまったので、取り敢えずこの辺で「中締め」を しておく(この後ももしかすると続くかも知れない)。 さて、今回の青年セミナーに参加してみて、私は、 四日間ほぼエスペラントだけで生活することができ、 常時エスペラントを喋り続けることができ、 エスペラントでそれなりに込み入った話題について議論することができた という意味で非常に有意義だったと思っている。 ある言語を、その言語で議論ができるようになる水準まで習得するという ことは、私にとっては一つの夢であり、かつては英語でそれを実現しようと したが、とても無理だと痛感して挫折した ( ESSなどの英語部でデベートができる程度 の英語の水準と、現地人と 同じ土俵で議論ができる程度の英語の水準とには更に雲泥の差があると私は 思っている。まあ英語部の水準にもよるが)。 しかし、私にはエスペラントでなら、込み入った議論ができる水準に達する ことも十二分に実現可能であることがだいぶ見渡せてきたように感じている。 勿論、私のエスペラント能力はまだ完璧ではないし (そもそも言語能力に完璧などというものはないが)、特に ラテン系の高級語の語彙数はまだまだ足りないと 思う。しかし、今回のセミナーで感じたことは、ラテン系の高級語なんか 知らなくても、基本語による造語を駆使すれば、十二分に自分の言いたいことを 表現できるということを実感したし、中国人や韓国人もラテン系の高級語よりは 基本語からの造語を駆使する傾向があるように思えた (その意味ではヨーロッパ辺りが開催地になることが多い世界大会や世界青年大会 に参加していたら、もしかすると、もう少しエスペラントが通じにくかった のかも知れない。現に今回もポーランド人のFさんのエスペラントはちょっと 分かりにくかった。尤もこれも語彙のせいというよりは、発音が強弱アクセントで リエゾンを多用するせいだとは思う。他方、オーストラリア人のPさんは、 英語訛り特有の強弱アクセントやリエゾンはなく、 ゆっくりと明瞭に話すので非常に聞き取りやすかった。 つまり、個人が自分の母語の訛りや語彙的な癖を自覚しているかどうかの 問題だろう。例えば、あるヨーロッパ語では日常語の語幹でもエスペラントでは 高級語だったり、違う意味だったりすることは多々ある。)。
また、「入り用」になった単語をその場で咄嗟に作れる エスペラントの造語力の実例を幾つも垣間見ることができた (mang^-vojo で「食道」とか mal-trinki で「おしっこする」とか。 私自身も「折り紙」を表現するために fald-aj^o と言ったり、咄嗟に 色んな造語をしたと思う)。 議論の部会に参加した時は、私は自分が3000語程度の語幹は覚えている つもりになっていて、 そう発言していたが、 帰国してから、 4700語幹の電子辞典から適当に選んだ100語に対して、 何語 分かるかを調べてみたら、約半分強しか分からなかったので、 どうやら私は二千数百の語幹しか覚えていなかったことになる。 ということは、エスペラントというのは、実は二千数百も語幹を覚えれば、 あとはこれらの造語によって、今回のセミナーで私が議論してきた程度の ことは十二分に言い表せる言語なのではないかと思える(*)。 しかも、前述の4700語幹には、 kartavi(r音をのどで発音する)とか hekatombo(百頭の牛のいけにえ)のような 覚える必用のない特殊用語も多数 含まれていることを考えると、 エスペラントは3000語幹も覚えれば、もう十二分過ぎるのではないかという気が ますますする (大体において、kartavi とか hekatombo とかいう単語を使ったところで、 これを理解できるエスペランチストはごく限られるだろう。 それだったら、gorg^e(のどで)elparoli(発音する)r-sonon(r-音を)とか、 ofera^jo(捧げもの)de(〜の)100 bovoj(牛)などと、文字通りに説明 した方がよっぽど「国際的に」広く通じる表現だと思う)。
* 私は、高校二年だか三年だかの時 学校で、 英語の語彙力検査というのを受けさせられたことがある。 その時の検査結果では、確か私の英語語彙数は四千語だったと思う。 そして、大学受験のためには五千語の英単語を覚えなければならないと言われた。 その後、大学に入ってからも私は ESSという英語部などで 英語や英会話の勉強/練習を続けたから、 私が最も英語を話せていた時というのは、少なくとも五千語以上の英単語は 覚えていたことになるのではないかと思う。 それでも、今の私が二千数百語の「語幹」で喋るエスペラント会話力に比べたら、 私が最も英語を話せていた時の英会話力ですら、その数分の一以下でしかない。 それは、英語の文法的な難しさもさることながら、しばしば、表現したい 言葉に相当する英単語が思いつかないために発話が中断することも 大きな要因であった。 英会話においては、五千語以上もの「単語」を覚えていてすら、 しばしば単語が思いつかずに発話が中断するのに、 エスペラントでは二千数百語の「語幹」で言いたいことが殆ど言える というのは、エスペラントの文法的な簡単さもさることながら、 やはりエスペラントの「造語能力」のお陰だとは思う。自分からの発話は勿論のこととして、 相手もラテン系の高級語を使わずに二千数百から三千語幹の造語のみによって エスペラントを使うのであれば(つまり今回、私が経験した日韓中青年合同 セミナーのように)、 「エスペラントは、二年もやれば込み入った議論も 自由に出来るようになる」と言えると私は思う。 今回、 二千数百の語幹でも十二分に議論ができることを実感した以上、 ますますエスペラントの ラテン系の高級語がエスペラントの容易性、 合理性、中立性を妨げていると嘆息するとともに、 非ヨーロッパ人が分かりやすいエスペラントを使いこなしていることに 期待を抱く。 勿論、私はこれまでも国内の大会などで 在日欧米人や来日した欧米人のエスペランチスト と会話してきたが、それがことさらに韓国人や中国人のエスペラントよりも わかりにくいとは思わない。 それは、一つには会話中では特に高級語が頻出しないからだと思う。 その意味では、書かれた文章においては、やはり欧米人の文章の方が ラテン系の高級語を使いたがる傾向が強いと感じる (この辺の事情は、英語を母語としない人の科学論文の方が英語を母語とする人の 科学論文よりもずっと読みやすいという現象によく似ている。また、 非欧米人でも、語彙力がついてきたり、既にヨーロッパ語の高級語の知識が あったりすると、やたらとラテン系の高級語を使いたがる人もいるが、 そういう人はそもそもエスペラントがなぜ必要なのかを理解していないのだと私は 思う)。 実際、 EL POPOLA C^INIO(中国報道雑誌) のエスペラントの方が、 世界エスペラント協会の機関誌 『ESPERANTO』 のエスペラントよりもずっと読みやすいと思う (『ESPERANTO』は、内容が運動を扱っているせいもあるが、 十分に高級語が頻出し、今の私には辞書なしで内容を理解するのはなかなか 困難である)。例えばエスペラントでは 「高級語代替案 一覧」 の左側 見出しに示したような高級語を、その場で咄嗟に 二千数百語幹の手持ちの駒で右側に示すような基本語からの造語で 表すことが実に容易にできる。 これは一つには、エスペラントでは 接頭辞、接尾辞が例外なくどの語幹にも付けることができ、 また、品詞語尾によって品詞が何なのかを例外なく明示できるためでもあろう。 例えば、「depress(意気消沈させる)」という英単語が思いつかないからといって、 「元気をなくさせる」 という意味で「no-energy-ize」のような動詞を咄嗟に基本語から造語したりすることは 英語においてはなされないし、仮にやってみたとしても咄嗟には理解してもらえない。 一方、エスペラントにおいては「sen-energi-igi(エネルギーをなくさせる)」 「sen-kurag^-igi(勇気をなくさせる)」「 mal-vigl-igi(快活の反対の状態 にさせる)」といった基本語から造語は普通のことなので、 咄嗟に思いついた適当な基本語を組み合わせて造語をしても十二分に通じる。
また、 英語で「等価な」と言おうとして高級語の「equivalent」が思いつかずに 「same value」と言ったとしても、これでは「同じ価値」という「形容詞+名詞」 なので、必ずしも「same-value(同じ価値の)」という形容詞としては受け取って もらえないかも知れない。一方、エスペラントでは「sam-valor-a」と言えば、語尾 が「a」なので「同じ価値の」という形容詞であることが分かる。 こうしたことから考えると、たとえエスペラントがラテン系の高級語を多く含み、 基本語からの造語を徹底していないとはいえども、 少なくとも発話ということに関しては、その造語能力のお陰で、英語などに比べると 圧倒的に少ない努力で流暢な会話が可能になる言語だということは言えると思う。
ということで、今回のセミナーで得た結論?をまとめてみる。
二千数百語の語幹も覚えれば、 発話に関しては造語を駆使してエスペラントで 自分の言いたいことを自由に表現する ことは十二分に可能である。続く相手もラテン系の高級語を使わないでくれるなら、 二千数百から三千の語幹を覚えさえすれば、エスペラントで 不自由なく込み入った議論をすることも可能である。
その程度のエスペラントを習得するには、二年も学習すれば十分 であろう(但し学習の方法に依るが)。
会話や議論が十分にできるようになってきた私でも、エスペラントで書かれた 専門書や世界エスペラント協会の機関誌は、ラテン系の高級語が頻出するため 辞書がないとスラスラとは読めない。
一方で、中国報道雑誌のような読みやすいエスペラント機関誌も存在するし、 私の頁のエスペラント版に対して海外のエスペランチストから電便が来て 議論したりする時のエスペラントは、その人が欧米人であっても、十分に 分かりやすい(話し言葉に近い、高級語を使わない)表現である。
つまり、エスペラントは三千語も語幹があれば、十二分に用をこなせる言語 であり、そうした少ない語幹からの造語を駆使してエスペラントを使う傾向 のある人々も一部にはいる。
それなのに、三千語の語幹には到底 含まれないラテン系の高級語を使いたがる エスペランチストも他方にはいる(世界エスペラント協会の機関誌もそれに近い)。
そうしたラテン系の高級語を多用するエスペラントを「自由に使いこなせる」 ようになるには(つまり、専門書や世界エスペラント協会の機関誌を辞書なしで スラスラと読めるようになるには)、二年の学習期間では足りないだろう。
そのような二年以上の学習期間を要する「ラテン系の高級語を含むエスペラント」 は、「国際語」としてそれほど魅力があるとは私は思わない。
それでも、エスペラントは文法や発音が極めて簡単で造語能力もあるために、 たとえラテン系の高級語を含めたとしても、英語を習得することに比べたら 雲泥の差において(習得までの時間にして五倍から十倍は)簡単だと思う。
だから、「英語に比べたら五倍も簡単だから」エスペラントは今のまま でいいとは私は思わない。
エスペラントの習得に比べて英語の習得が圧倒的に難しいのは、英語の 文法や発音の難しさもさることながら、英語は造語能力が著しく低いために、 たとえ五千語以上の語幹を覚えたとしても、その五千語の中には含まれない 様々な事物や概念を表す単語を、その 五千語の手持ちの駒から咄嗟に造語することが極めて難しいということも 大きな要因だと個人的体験から実感する。つまり、英語を不自由なく使いこなせる ようになるためには恐らく一万語以上の膨大な単語を覚える必要があるのだろう (それでも尚、聞き取りや慣用表現の難しさは残るが)。
言語を習得する際の容易性には、文法や発音の簡単さばかりではなく、 覚えなければならない単語の少なさも含まれる。 そして、 基本語からの造語がしやすく、またそうした造語がその言語圏で一般的に使われて認知 されているかということも容易性に深く関係する。
エスペラントは文法と発音に関しては既に十分に簡単だと思うが、 ラテン系の高級語も多用して 基本語からの造語を徹底していないことによって、 せっかくの潜在的な「容易性」を半減させていると私は判断する。
エスペラントがラテン系の高級語を除くせいぜい三千語幹からの造語を駆使する 言語になれば、「英語に比べたら五倍」どころか数十倍も簡単になるのではないか と私は思う(現に、どんなに英語を学習して現地で生活しても、現地人と 同じように英語がペラペラに話せるようになる人はごく限られている。 しかも大人になってからの二年程度の学習では、それは殆ど不可能である。 ラテン系の高級語を使わないエスペラントであれば、 二年程度の学習と実践で十分にペラペラに話せるようになると私は実感する。 というか、普段は 独り言ぐらいでしかエスペラントを喋る機会のない私ですら、 二年程度でだいぶ話せるようになったのだから、 毎日のようにエスペラントを話せる恵まれた環境にあれば、 一年とか半年で、その域に達しても別に不思議ではない)。
結論?:英語と比べればエスペラントは雲泥の差において習得しやすい (同じ言語水準に達するのに要す学習量にして五分の一から十分の一程度)。
ラテン系の高級語がなければ、 エスペラントは更に何倍も習得しやすくなる。
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閉会式
Wさんが走ってきた
北京空港の売店、世界語は英語でない?
乗り遅れられないようにね
(JEI)
電便L,M他、Bさんが実はストラビンスキー愛好者
Lさんの生徒から電便
北京放送でPost KSが喋る
Bさんが日本に来る
WHさんが日本に来る
まだまだ続く。なかなか終わらない
khmhtg