(後藤文彦の頁) (Retpaĝo de GOTOU Humihiko)
(後藤文彦の頁) (Retpaĝo de GOTOU Humihiko) (暴走しやすいシステムと暴走しにくいシステム)

小学時代の作文


Frazfaradoj en mia element-lerneja tempo

注意
目次

はじめに


小学低学年(1973/4〜1975/3)。担任:KNN先生

ぼくのおとうさん

えんそく

ふゆ休みのこと

学校かえりのこと

きゅうしょく(1)

大きくなったら

一年生のおもいで

しっぱい

リレー大かい

夏休みのこと

うんどう会

おとうさんのこと

あがゆのおばちゃんとおんちゃんが来たこと

スキーに行ったこと

きのうのこと

きゅうしょく(2)


小学中学年(1975/4〜1977/3)。担任:UTM先生

ゴキブリ(初稿1975/6/8)

みらいのたび(ものがたり)(初稿1975/6/9)

だいめいのないおはなし。(ものがたり)(初稿1975/7/3)

雪男たいじ(初稿1975/12/8)

ネスコの中のかいじゅう

冬休みのこと(初稿1976/1/9)

アイスクリーム作り(初稿1976/2/23)

三年の思い出

霞が城をたずねて

おはかたんけん

続く


小学高学年(1977/4〜1979/3)。担任:SGI先生

感想を書く(1)
関連:「落どした場所」

感想を書く(2)
関連:「落どした場所」ダムがら落ちた

ゆめ

お墓の火星人
関連:「落どした場所」お墓の火星人

スーパーカーのおはじき

ミミズの研究

宇宙戦争を読んで

修学旅行

続く


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al la paĝo de GOTOU Humihiko


はじめに

 運良く、私の親は私の小学校時代の作文の多くを保存していてくれた。 これは、私自身にとって様々な意味で考証学的な貴重な資料である。 現にこの作文のおかげで、 「落どした場所」 の中で私が幾つかの記憶違いをしていることも明らかになった。 石巻語の音韻に従った表音表記が先生によって 「矯正」されていたことも観察される (「はみり」等)。 対話文にはしばしば石巻語が現れ、 地の文においても目的格助詞「ば」を使っていたり、 石巻語特有の語彙(「いっそ」「ひどい」)などを使っているのが 認められる。 「りゃ、りゅ、りょ」を「や、ゆ、よ」と識別できていなかったこと なども確認できる。 「彼/彼女」のような 性区別代名詞 を使わずに、呼び名を何回でも繰り返している ことや、文章中の一人称には「ぼく」を使っていること も確認できる(「おい」を使うか「ぼぐ」を使うかの葛藤に ついては、いずれ 「落どした場所」 に書く予定)。

 そうした考証学的?価値はさておくとしても、 「落どした場所」の前書ぎにも書いたが、 私にとって、子供時代の記憶は 「自分の記憶の中でも最も貴重な部類に属する大切な思い出」である。 特に私という個人に興味のない人には、つまらないものかも知れないが、 自分で読む限りでは、なかなか面白いので、試しにここに少しずつ 公開していってみる。

 尚、明らかな誤字/脱字などもそのままとし、 担任の先生が赤ペンで訂正したり書き込みしたところは、 「まがれみぎまわれみぎ」 のように削除線と朱書きで記す。また、解読不能の文字は「@」で 記す。

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小学低学年(1973/4〜1975/3)。担任: KNN先生

ぼくのおとうさん

ごとうふみひこ
ぼくのおとうさん
ぼくのおとうさんは
おさけや、ごはんばっかし
たべている
だから、おかあさんが
「おさけのみすなあ」
という、しばらく(す)ると、
おとうさんがすこし
やせてきました。
そしておかあさんが
よろこぶけど
ぼくはおとうさんが
かわいそうだと思う
ふみひこくんは、やさしい子だね

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えんそく

   えんそく     ごとうふみひこ
ぼくは学校にきて、ばすにのりました。
そしてずうっといったら、おうだんほどうがありました。
そしてぼくはおおきなこえで「ここをずうっといくとぼくのうちへいける。」
といいました。
そしたばすてバスがすすんでまがりかどの とちところまできました。
そうしたらみんなが「どこどこといいました。
だからぼくは「あそこをまがってずうっといくだ。」
といいました。
そうしたらいせくんが、「うだおれごとうくんのうちしってるんだおんなと。」
といいました。
そしてまたずうっといってばすからおりました。
そしてあさひ山にのぼっていたらとちゅうで雨がひどくなってきたので、 先生が、
「まれー右。」といいました。
そして先生が「びにーるビニール をかぶらい。」といいました。
そして山をおりました。
そしてきた村小学校のかをこうどうを、 かりて、はいりました。
そうしたら先生が「おやつまだたべてだめ。」といいました。
そしてまた先生いが「いまこうちょう先生とごあいさつをしてから。」
といいました。
そしてこうちょう先生とあいさつをして、
先生が「おやつたべていいよ。」
といいました。
そしてしばらくすると先生に「おべんとうをたべていいよ。」
といわれました。
そしておべんとうをたべて、あそんで、
ばすにのってかえりました。

お話をしたことがよく書かれています。

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ふゆ休みのこと

   ふゆ休みのこと
 ぼくは、ふゆ休みにすきいにいきました。
おとうさんと、おねえさんと、ぼくとして いきました。
すきいをするためにまずくつをとりかえました。
そして山を上ていきました。
さいしょのうち三十めーたーぐらいころばないですべれました。

そして うとや て、おひるをたべました。
そしてまた うとすべ てて、こんどは、やすみました。
そしてこんどすべ て、こんどは、 あそこに上ろうよ といたら、おとうさんは、 「だれあそごにのぼんのが」といいました。
ぼくは、りふとで上ればいいぢゃあといいました
おとうさんは、 「んでいくべ」といいました。
そしてりふとにのらないではんぶんまで上りました。
そしてすべたら百めーたーぐらいすべれました。
そしておとうさんははじ「はちみりと ておけばいかったな。 といいました。
ぼくは、おとうさんにもう かいすべ からはみりをとって といいました。
おとうさんは、もうふいるむなくなったから しゃしんとってや からといってうつしました。
おわり
とても、たのしそうです。おはなしのところの「  」を わすれないように。よくよみながらかきなさい。

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学校かえりのこと

   学校かえってからのこと
きのうぼくは、学校かえってからおたよりぶくろの中にどりるがはいっていないので ぼくは、きょうかしょにはさまっていないかなとおもって見て見ました。
そしたらないので学校へわすれたのでないかとおもって学校へおかあさんとくるまで どりるをとりにいきました。
そして先生に「どりるわすれました。」
といいました。
そして先生にどりるをもらて先生とおかあさんが ちょっとおはなししてうちにかえりました。
おわり これからは、わすれないように、 気をつけなさいね。

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きゅうしょく(1)

 きゅうしょく
ぼくが、にっちょくのときはきゅうしょくのときになまえをわるいことをしてたら よびますそしてよんでふたりたちました。
そしてつぎのひにちょくが先生におこられました。
そしてぼくはきょうぼくがにっちょくでなくてよか たなとおもってしんぞうがどきどきしました。
おわり
ほんとうに、おぎょうぎのわるいおともたちを、よんでね。

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大きくなったら

   大きくなったら
ぼくは、大うきくなったらおみせやさんになりたいだっておみせやならあさでかけて みんなとはなれなくてもかぞくといっしょでいられるもん。
だから大きくなったらおみせやさんになりたいんだ。
いつまでも、おかあさんといたいのかな
どんなおみせやさんになりたいの。

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一年生のおもいで

   一年生のおもいで
ぼくは、おかあさんとおじいさんとおねえさんといとこのともたけくんとなつやすみ にぎんざんおんせんにいきました。
そしてほらあなにいってかえとちゅう でかわに足をどぶんといれてしまって足をよごしてしまいました。
そしてはだしでよかん*へか りました。
そしておんせんにはいってあがってきました。
そしてすこしあそびました。
おわり
あぶなかったね。
おでかけしたときもおちつくこと

* 私は小学三年時に「言葉の学校」の「検査」にひっかかるまで、 「りゃ、りゅ、りょ」の発音ができなかったし、 「や、ゆ、よ」の発音と同じだとしか思っていなかった。 だから、「旅館」を「よかん」とか「料理」を「ようり」と書いていた。 私が「言葉の学校」にひっかかったことを知った母親は、 私に「りゃ、りゅ、りょ」の発音を練習させたりした。 その辺の話は、いずれ「落どした場所」 に書く。
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しっぱい

   しっぱい


ぼくは二年生の本をかいました。

そしてふろくのウルトラスペースガンをつく@いし@ましたそして できあがったと思て@@@くやって みたらしっぱいをしていました
おわり*

* この文章は全文が消しゴムで消されており、判読が困難である。
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リレー大かい

   リレー大かい
ぼくは朝おきてごはんをたべて、たいくの よういをもって学校へいきました。
そしてたいくのよういをきてしばらくすると、先生がきました。
そして先生が「そとへならばい」といいました。
そしてまた先生が「二年生は、一年生の方ですよ」といいました。 でもどこだかわかりませんでした。
そしてうろちょろしてると先生が二年生はこっちといいました。
そしてらじおたいそうをしてすなばのほうにござをしいてすわりました。
そしいるうちにぼくのばんがきました。
そしてはしったらはじめのうちとう だったけどうしの人においこされて三とうになりました。
おわり
おいこされたときの気もちは、どうだったのかな、 そこをかくとよかったね。じをきれいにね。

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夏休みのこと

   夏休みのこと
ぼくは、おとうさんとおねえさんといとこのともたけくんとくりこま山 と山しました。
ぼくは、はじめのうちにいっそ*「あとなんメートル」といってばかりいました。
それからしばらくたってしょうわこの水 うみにつきました。
ぼくたちは水うみにむかって 石をなげてあそびました。
それからまたのぼってちょうじょうにつきました。
そしてびすけっとを食べて、はりみりをとったりかめらをとったりしました。
それからかえる時にくだるのがひどかった**。それからしょうわこの 水うみ につくとやすみました。
その時ゆっくさっくの下のほうにあかちんが赤くもっていました。 あわててゆっくさっくをあけました。そして 水うみ であらってかえりました。
おわり
がんばってのぼったんだね。えらかったね。
ちょう上にのぼったときのようすなどもっとくわしくかくとよかったね。

*,** 「いっそ」「ひどい」については石巻語辞典参照。
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うんどう会

   うんどう会
ぼくはさいしょからかけあしが ときょうそうはびりから 二ばんめだと思っていました。
しばらくたって二年生のかけっこになった、ぼくのばんになった、 ぼくはどうせびりから二ばんめだと思った、ピストルがなった ぼくは 走ったおぎのくんをおいこしてびりから二ばんめになったやっぱりこれまでだと 思 その時もうひとりおいこせそうになったとたん、二三にんころんでぼくは四とう になったとてもうれしかった 
それからたまいれになりました。
ふえがなりました。
そしてたまをどんどんなげてやりました。
ふえがなりました。
すぐに自分のところにすわりました。
一二とかぞえて赤組が三十九で白組が三十六で白組のまけです。
とてもざんねんだった。
赤組のほうに もうひとつで四十だ といった人がいたぼくはすごく にくたらしかった。
四とうになってよかったこと、はしってみなければ、 わからないでしょう。
たまいれ、ほんとうにざんねんだったね。

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おとうさんのこと

   おとうさんのこと
○たいじゅうのこと
○学校のこと
○食べもののこと
ぼくのおとうさんの年は四十五才です。
せいの高さは一メートル七十二センチです。
たいじゅうは七十五キロあったんだけれどあんまりふとっているので少し へらして今は六十八キロになりました。
朝おきるとパンツ一まいでかならずはかりにのってたいじゅうをはかります。
それからごはんを食べて学校へ行きます。
おとうさんは学校で数学を教えています。
ぼくには、さん数をあまり教えません。
でも水えいとスキーそれからしょうぎやごもくならべなどを教えます。
ぼくのすきな食べものはたいていおとうさんはすきです。
さんまのしおふりやき、スパゲッティ、ぞうすいなどです。
だからふとるのです。
すきな食べもの、おとうさんとおなじなんですね。 すばらしい、おとうさんです。おとうさんにまけないように、すばらしい 子どもになりましょうね

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あかゆのおばちゃんとおんちゃんが来たこと

   あがゆのおばちゃんとおんちゃんが来たこと
ぼくは絵をならっています。
日よう日に絵をならいにいきますそしてかえって来たら あゆのおばちゃんとおんちゃんが 来ていたのでだいどころを通ってろうかを通ってぼくのつくえのおいてあるへやまで 来ました。
そしてだれだかしらないけどぼくとおねえちゃんを よびました。
そしてすこしおかしを食べたりしてから、ぼくとおねいちゃんのえで ならってた絵を見せてとたのまれたので、もって来て見せたら、 「ほほう」となんどもいいながら見ていました。
ぼくは「おねちゃんはぼくよりあとで ならったし、いっそ*休んでばっかしいっからぼくの絵のほうが多いんだ」。
といいました。
お昼は、おすしを食べました。
それからあかゆのおんちゃんやおばちゃんは、おかあさんたちと話し合いました。
そして二十センチのスキーぐつをくださいとたのまれました。
二十センチのスキーぐつは、ぼくはきつくてはけないからやりました。
そしておばあさんのうちに行きました。
あとからおかあさんが行く時ぼくもついて行きました。
行ってみて三十びょうぐらいたったらにもつをもって外へ出て白い車にのってかえって 行きました。
絵「じょうずだね」とほめられたでしょう
字もていねいに書くと、じょうずに書けると思うね。

* 「いっそ」「ひどい」については石巻語辞典参照。
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スキーに行ったこと

   スキーに行ったこと
ぼくはスキーに行きました。
そしてすべっているうちにおとうさんがぼくはリフトにのるのがはじめてなのに 「リフトにのんねえが、」といいました。
ぼくは「うんいいよ。」
といいました。
そしてのりました。
そしてリフトにのってすべってまた のってすべっているうちにスキーがうまくなってきました。
それにまがれるようになりましただからおとうさんが 「うまぐなったなああ」といっていました。
それにはちみりもとってくれました。
そしてかしまやとゆうりょかん*に とまりました。
そしてつぎの日もまた スキをすべりに行きました。
そしてまたリフトにのってすべってのってすべっているうちにきのうよりもっと うまくなりました。だからぼくがおとうさんに「はちみりとったら」と いったらおとうさんが「はちみりもうねぐなったよ」といいました。
はちみり、なくなったのはざんねんでしたね。 おとうさんとスキーが、できて、ほんとうによかったね。
らい年は、もっとじょうずになるでしょう。
、と。をきちんとつけなさい。

* 私は小学三年時に「言葉の学校」の「検査」にひっかかるまで、 「りゃ、りゅ、りょ」の発音ができなかったし、 「や、ゆ、よ」の発音と同じだとしか思っていなかった。 だから、「旅館」を「よかん」とか「リュックサック」を「ゆっくさっく」 と書いていた。 私が「言葉の学校」にひっかかったことを知った母親は、 私に「りゃ、りゅ、りょ」の発音を練習させたりした。 その辺の話は、いずれ「落どした場所」 に書く。

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きのうのこと

   きのうのこと
ぼくは朝おきました。
そしてごはんを食べて絵を書きに行きました。
ぼくは日ようびにえいがんじで絵をかいています。
だから絵を書きに行きました。
そして絵を書いていました。
きょうはいろんなくだものを書きます、自分がいろいろなくだものを かってに書くのではなく絵の先生がりんごやみかんなどいろいろなくだものを ちらがすのでそれを書きます。
絵の先生が「もうすぐてんらん会だがら休んでる人に ってでけらいね。」
となんでもいいました。
それからぼくはかえって来てきのうあおきくんとかずひこくんとストロングザボーガー ば作るやくそくだったのでそのよういをしました。
それからなんかいもあそべないとかかいものをするのでなんじにあそぶべとか いろいろでんわがきました。
そしてあおきくんだけとあそべるようになりました。
でもあおきくんはきませんでした*。
おわり
あおきくん、あそべるようになったのになぜこなかった のでしょう。ざんねんでしたね。絵、じょうずにできましたか、てんらん会 見たいですね。

* この辺の友だち関係については、 「落どした場所」参照。
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きゅうしょく(2)

   きゅうしょく
みんなきゅうしょくがおいしいとゆいながら、たべているのがうそだと思う。
みんなおなかがいっぱいで、パンをのこしているのでは、ないみたいだ。
パンをのこしてもほかのものは食べるからぼくは、みんなはおもしろがって、 パンをのこしているんだと思う。
それから女の人はだいたいパンをのこす。
ぼくは、きゅうしょくがパンの時は、はらがへってこまる。
でもうどんの時は、おなかがいっぱいになる。
それから、パンをのこす人たちは、たいていうどんをたべる。
だから、パンをのこす人たちは、おもしがってのこすか、うまくなくてのこす んだと思う。
だからぼくは、きゅうしょくのおばさんにわるいと思う。

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小学中学年(1975/4〜1977/3)。担任:UTM先生

ゴキブリ(初稿1975/6/8)

六月八日

ゴキブリ
ゴキブリ取りにつかまったゴキブリを
太ようの光にあてている。
ゴキブリ取りの中のゴキブリは、くるしみながらあばれている。
よく見ると、ゴキブリがかわいそうな気がする
でもゴキブリを外に出して、にがさないように、 足でふむのはおもしろい。

かわいそうと足でふむ……のではだいぶ気もちのちがいが あるね。 でも おもしろい だい だったね。

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みらいのたび(ものがたり)(初稿1975/6/9)

みらいのたび(ものがたり)
みらいでは円ばんがあります
ぼくは、その円ばんへのってうちゅうへいきました。
光のようなものが見えてきたと思ったら円ばんがついらくしました。
ついらくしたところはタイムマシンの中でした。
そこにはへんてこな木がありました。
「あっ」とぼくはさけびました。
それは、目の前にきょうりゅうがいたからです。
円ばんはきょうりゅうにふみつぶされました。
ぼくはゆうれいになりました。
そしたらたちまち力がわいてきたので、きょうりゅうをやっつけました
そしてぼくはおもいっきり、じめんをふんだら、じめんがこわれて、 タイムマシンの外へ出ました。
タイムマシンには、何びょう、何分、何時間、何しゅう間、なんかげつ、 何年、何せいき、とかいていたダイヤルがあったので、何分とかいているところ にましてて、タイムマシンの中にはいりました。
そしたら人間にもどりました。
それに円ばんの中にはいっていました。
だからきょうりゅうにふまれないうちに、じめんと円ばんとたいあたりしたら、 タイムマシンの外に出たので、ちきゅうへ帰りました。

ごとうくんの物語はゆめがあってとても楽しいね。
大ぼうけんをして地球に帰れてよかったね

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だいめいのないおはなし。(ものがたり)(初稿1975/7/3)

七月三日 56分

だいめいのないおはなし。(ものがたり)
男の子がプールで、うきわでおよいでいました。
ところが手をすべらして、うきからはなれました。
ちょうとそのとき自分のからだを見てみたらたちおよぎができていました。 そして、「ばんざい」といったら、手が上へあがったので、プールのそこへ しずんでしまいました。こんどは、そこで、せんすいを、おぼえました。 そしてどんどんおよいでいったら、プールのかべに頭をぶつけました。
いたかったので頭をおさえました。
手が頭へいったので、さかさまになって水めんにういていきました。 そこでこんどは、せおよぎをおぼえました。
それからひっくりかえって、ひらおよぎや、クロールぜんぶおぼえてしまいました。
そしてその子がおとなになってすいえいのせんしゅになりました。
つぎのページにつづく

あるひその水えいのせんしゅが、船にのっていました。そしてつなみがきて 船がひっくりかえりました。みんな、船のしたになりましたが水えいのせんしゅ だけが、せんすいで、船のしたからでてきました。そこから二まんメートルも およいでやっとりくちにつきました。そこは、ちゅうごくでした。
だからといってはなしをしたってことばがつうじません。そのひのよる水えいの せんしゅは、ちずをぬすんで日本まで、六まん八千メートルおやぎました。
そして水えいのせんしゅは百六十才でしにました。水えいのせんしゅのおはかに おがみにいくと、その人が水えいのせんしゅになるといういいつたえがあるそうです
3ページへつづく

男の人がそのおはかへおがみにいきました。ところが水えいのせんしゅになれなかった ので、おこってそのおはかをこわしました。
そこへ水えいのせんしゅのほねがでてきました。
そのほねだけは、まだいきていました。
そのほねがちゃんとくみあわさって、おはかをこわした人をたべました。
そしたらもとの水えいのせんしゅになりました。
まだいわなかったけれどもこの水えいのせんしゅのなまえは、さがらみつお*です。 このさがらみつをは、一おくまんねんもいきていました。さがらみつおはいまでも います。
それにさるのわくせいのさるとたたかったことがあるそうです。おわり

むりやりつづけたようですね。君もこんなせんしゅに なるように水えいをおぼえられるといいね。

* UTM先生はよく授業の合間?に怖い話を読んで聞かせてくれた。 「さがらみつお」というのは、そうした「怖い話」の中の主人公の一人で はないかと思われる。 何の小説の主人公だか分かる人は私に電便で教えてくれないだろうか。 はて、江戸川乱歩の「文鎮人間」の主人公だったろうか? 16/1/13追記:梶山季之の「人間文鎮」だった
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雪男たいじ(初稿1975/12/8)

12/8
   雪男たいじ
           後藤文彦
 ぼくたちは、しゅうさいのメガネと力もちの力とやせっぽっちのガイコツと、雪男 たいじに行った。
 はじめは草村むらをかきわけて行った。
そしたらメガネが急に「雪男の足あと発見」といきなりいうので足あとをつけて 行きました。
 そしたらそこに大きな家があったのではいって行きました。そこにねむり薬が ありました。それをジュースとまちがえてガイコツが「オレンジジュースだ」と いいました。
それでみんなねむり薬をわけてのみました。
 そこに雪男が来て三人とものみこんでしまいました。
 三人は雪男のはらの中でめをさましまたのでこまってしまいました。
それにメガネも「ここでいっしょうすごすしかないよ」といいました。
 そこでガイコツが雪男のはらをよじのぼっていったら、のどに食べものが ひかかっていたので、わけて食べました。
 そのうちみんなあたまにきて、雪男のはらのまわりをちぎっては食べ、 ちぎっては食べました。
 雪男は、力をはきだしました。外に出た力はむちゅうでたたかいました。
はらの中のふたりは、ちぎっては食べていました。
 そのさいちゅう雪男のなかまたちがかきたので、力はいままでのばいも たたかったけれどまたたべられて しまいました。
力は、たたかっておなかがすいていたので、雪男のはらをむちゅうでくいあらした。
メガネとガイコツも雪男をくいあらした。まずいけれどもがまんしてたべた。
 雪男は、はらのにくをたべられたのでしんだ。三人は、はらの中から出てきた。 なかまたちは、メガネ、力、ガイコツの三人がこわくなってにげました。
 そこで石をなげながら、おいかけた
三人は、ばらばらにはならなかったけど草むらのところで、まよってしまった
 いまにもへびが出てきそうなきもちのわるいところです。
 そこに大きなほらあながあったのではいってみたら、そこは雪男のかくれが だったのです。
 ガイコツのポケットに、ねむりぐすりがはいっていたので、こっそりいって、 スープをつくっていたなべにいれてきました。
 そのスープをのんで、ひとりのこらず雪男はねこみました。
 そこに力が大きな石をもってきて、ほらあなをふさぎました。
 それから、三人はいそいで家へ帰りました。

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ネスコの中のかいじゅう

   ネスコの中のかいじゅう
           後藤文彦
 ぼくは、あしたおじさんと、船にのってネスコに行くことになりました。
 ぼくの名まえは、スコットです。
いよいよしゅっぱつ出発です。
 グーン、グーン、モーターボートの音がものすごく耳にひびいて、あたりの人が しゃべっているこえも、虫がないている音も きこえませんでした。
 その時、とつぜんそらがくらくなり、あらしになりました。
船は、もう少しでひっっくりかえりそうです。
 水だってたくさんたまりました。
スコットが、「たすけてくれ」とさけんだとたん、小さなたいりく 大陸がうきあがってきて、船がしずみました。
スコットが気づいてみると、そこはどうくつのようなところでした。
 よく見るとそこには、ゴリラとクジラとカバとキリンと、いやそれは、かじゅうだ。
スコットはみぶるいをして、にげようとしましたが、おじさんをすてるわけには いかないので、おじさんをせおっていくと、ものすごいごちそうやまほどです。 スコットは、どくがはいっていると思って、走りつづけました。
 走っていけばいくほどじめんが水っぽくなり、どろどろのぬまにすいこまれました。
ぬまをとおりぬけると、ガチャーンと音がして見たこともないようなところに おちました。
じめんには、さっきのかいじゅうの、ほねが うまっていました。
そこには、さきのかいじゅのなかまがいました。
 ふくろにたくさんほねをいれておみやげにもっていけというようたことをいうので、 うけとりました。
かいじゅが、ちんぼつした船を出しました。
 スコットはびっくりして、「ワッ」といったら、おじさんが気がつきました。 おじさんにわけをはなして、家へかえりました。
みんなにかいじゅうのことをはなしても、しんじてくれません。
ある日、おじさんとスコットは、またかいじゅうのいたところにいって見たいと 思いました。
しばらくして、今いっみることにしました。
かいじゅうのところにいって見ると、ダイヤモンドがたくさんあって、かいじゅうの すがたは見えませんでした。

 この話には、ある「しかけ」を施しておいたことを覚えている。 それで、自分ではなかなか凄い作品が書けたつもりになっていたけのだけれども、 UTM先生には「なんだが、よっく分がんねなあ」と理解されずにがっかり した覚えもある。 しかし、今になって読み返してみても、どんな「しかけ」があるのか 確かにさっぱり分からない。 例えば「大陸がうきあがってきて」というのがネッシー (作中の「かいじゅう」とは別物) の背中のことで、スコットたちはネッシーに飲み込まれてしまったという ことだろうか?  「どろどろのぬま」とかはネッシーの消化器官の中ということだろうか?  「ぬまをとおりぬけると、ガチャーンと音がして」は 食道を登っていって歯を折って突き抜けたということだろうか???  「さっきのかいじゅうの、ほねがうまっていました」というのは、 ネッシーが食べて消化した「かいじゅう」の骨ということだろうか???  「ダイヤモンド」というのは、人間を食べてもダイヤモンドだけは消化 できないで残るということだろうか???? 
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冬休みのこと(初稿1976/1/9)

1/9
   冬休みのこと  後藤文彦
 ぼくは、おとうさんといっしょに、
航空母艦しょうかくのプラモデルを買いに行っきました。
 たかいから小さいのをさがしていました。
けれども小さいのはどこにもありませんでした。
そしたら、おとうさんが千二百円もするはしからはしまで一メートルぐらいもする プラモデルをとって、「しゃねえがらこいずかえや」といいました。
ぼくは、「おかあさんにまだ」ととちゅうまでいったら、おとうさんが、 「おとうさんおがしねえのかってきたのすかておごらいってが」とつづけて いいました。
ぼくは「うだあ、おとうさんだらまだかってきたのすかあていわいっとお」と いいました。
こんなことをいっているうちに、買うことにきまりました。
 ぼくは千二百円をさいふからとりだして、みせのおじさんにしょうかくの プラモデルをだしたら、みせのおじさんは、 「ほほう、航空母艦しょうかくか、モーターいらねが、」といわれたので、 ねだんがたかくなると思って、「いりません」といったら、「かん電池は」 といわれたから、「いらないかざるだげでいいの」といいました。
そしたら、「んで千二百円といわれたので、千二百円んやって、早くつくりたい から急いで帰って来ました。
 急いで紙をやぶき、はこをあけましたせっけ づをとりだして急いでつくりはじめました。
 はしらせないからモーターなどはつけないで外をつくっていった。
半分もつくらないうちに、おひるになったので、ひるめしをたべて、またつくり はじめた。
 かんぱんとりつけまわりをつくっていたら あしたやれといわれたので、あしたを たのしみにしていた。
 つぎの日になってつくっていきましたが、だいたいかっこうができてきたので、 みかんせだけれども、かざっておいた。

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アイスクリーム作り(初稿1976/2/23)

2/23  アイスクリーム作り
 ぼくは、アイスクリームを作りたいと思い氷を作るカプセルに水を入れて、 さとうを入れました。
 それからぶどうの実をちょっととってぶどうのみをつぶして カプセルにしるをたらしたら手についていたどろどろといっしょにしるが たれました。
でも「まあいいや」と思って五つぐらいしるを入れて、こんどはみかんのしるを 入れました。
 ときどき指を入れて味をみました。
 それからスプンでかまして*、水をたしました。
 そしてれいぞうこに入れてまっていました。
 だいぶたってかられいぞうこからとって アイスクリムをたべてみました。
 少しすっぱかったがまあまあおいしかった。

* 「かます」は石巻語辞典参照
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三年の思い出

   三年の思い出
 三年になってから、二年の時と少し代わったことは、そろばんをやったことだ
あとはあまりかわったことはない
 ぼくには、そんなに三年の思い出などあまりないみたいだ。
毎日同じように生活しているみたいだ。
はじめはあそんでつぎにべんきょうしてをくりかした一日が毎日同じようだ。
 でもえん足などがある。
 けれどもそんなことはあまりおぼえていない。
 でもおぼえているのがある。
それは水えいだ。
 ぼくは水えいで四百メートルおよいだことがあるはじめおよいだ時はあまりなれて いなくて、二年のとき五十メートルおよげたのに、二十五メートルもいかなかった。 そのうちなれてくると百、百二十五、百五十、百七十五、三百と、およそ二十五メートルづつふえていった。
そしてある日四百メートルおよいだ。
 ひらおよぎでおよいだ。
 それから百メートルや百二十五メートルというのは、みんな石高でおよいだ。
 そして四百メートルは、石小のプールでおよいだ。
水泳ではびっくりするほどの力をだして先生もみんなも おどろいたよ。
同じような生活の中にも後藤君はいろんなことを勉強しているんだと思います。 四年には一日一日をだいじになにかめあてをもってやるようにがんばろうね。

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霞が城をたずねて

   霞が城をたずねて
 ぼくは、おとうさんとおかあさんといとこのともたくんとおねえちゃんと 霞が城をたずねて行った。
 畠山満泰がきずいた城は山の頂上にあるのでそこまであるいて行った
頂上までいく間は山を登山しているようだった。
 頂上についてみたら日本の名城という本にのっていたもぎやぐらがなかった。 そして頂上にある便所が城のやぐらににていたので 「おとうさん便所ばとってけろ」と言った、おとうさんいが以外の人に はんたいしたがとってもらった。
 頂上の畠山満泰がきずいた城を見まわりながら写真をとってもらったりして したの丹波光重がきずいた城に行った。
 おりるときは登山して頂上からおりてくるようではなかった。
 丹波光重がきずいた城のかいだんが少しくずれていた。
 日本の名城という本にのっていたもぎやぐらがなかったのはあとで いろいろ考えてみたら丹波光重の城にきく人形祭りという祭りにしか 作らないらしい。

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おはかたんけん

   おはかたんけん   後藤文彦
 ぼくは、作文に書く事がないのでこまっていた。
「そうだ、おはかをたんけんしてきてその事を書けばいいんだ。」と思い おはかをたんけんすることにした。
 おはかにはいってからしばらくすると、ピキキキーとへんな鳴き声がした。 それも北からも南からも西からも東からもあちこちから聞こえてくる。 ぼくは、なぜだろうと思った。
 車の音がうるさくておはかたんけんの気がしないので、おくの方に行った。
 すると光が見えた。光の見えるところへ行ってみると、一本の道が長くつづいて いた。そこを走って行くと、もみじがたくさん落ちているところについた。 ぼくは、ふざけてもみじを頭からかぶって前を見るとそこは道路だった。
 道路にでてまたむずかしそうなところからスタートした。
 しばらく行くと、ねこがいたので、おいかけて行ったら、人の家の方にはいって いったので、おいかけるのをやめた。ふとまわりを見ると草でいっぱいだった。
 一本の道があったので、そこを行ってみるとどぶでいきどまりだった。ぼくは もどってしかたなくおはかの上を通って行くと一本の長い長い道があった。
そこを走って行くと車の音がきこえてきた、そして道路があった。ぼくはおはかを ぬけだしたのだ。

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続く


小学高学年(1977/4〜1979/3)。担任:SGI先生

感想を書く(1)
関連:「落どした場所」

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               後藤文彦
 次のようなことを経験した。二年生のときに高橋君の家で、遊んでいた。
 しばらくして高橋君の母にあめをもらいなめていた。ヒクッ、ぼくはあめをのどにつかえてしまった。 高橋君に水をもらいのんだが、まだつっかかっていた。
 それで、高橋君の母が、しょうゆを飲ませるといいんだよと言ってしょうゆを 飲まてくれた。 しかしまだつっかかっているので、耳鼻科へ行った。 一けんは ことわられ、一けんは休みだった。
 そしてこんどはみなとの医者へ行ってレントゲンをとってもらった。
 そしたら、何もする前にいの中にはいっていった。
 こう思った。
 きかんにはいらなくてよかったなあ。

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感想を書く(2)
関連:「落どした場所」ダムがら落ちた

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               後藤文彦
   ぼくは次のようなことをした。
 二年生のお正月に、かん野先生の家にあそびに行った。
 そのかえりに、つづじえんのうらの方に行った。 そしてがけくずれしないように つくったコンクリートのへいの上にのってあそんでいたら、あしをすべらして、 へいからおちて頭をうって顔から血がだらだら出た。
   ぼくはこう思う
 目げき者、 ■■豊君▲▲▲かず彦君●●よしのり君ISあきら君です。
 この人たちは、あの時かっこいがったなあといっています。
 そんなにかっこよかったのかなあ。

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ゆめ

   ゆめ
                藤文彦
 ぼくにはゆめ(将来なりたいもの)がたくさんある。それは、学校の先生、 科学者、作家、マンガ家、とうふ屋、忍術の先生、検道の先生などだ。
 しかし、どれも、おかあさんや、おとうさんに、もんくをつけられて、 なれそうもない。しかも、おめえは将来どぼく工事のおんちゃんはなんだおんな、 などという。
 だから、ぼくはふつう会社員になって、しゅみとして、機械をいじったり、 小説をかいたり、忍術の研究をしたりするのかなあと思った。でもまだまだ 職業をきめるまで 何年もあるから、そのうち、よい職業をえらべばよいだろう。
 ぼくは、今までかいてきた作文をみて思ったことだが、むかしぼくのゆめという 題でかいた作文を全部あつめてみると * 、全部ちがったことがかいてある、だから、 ここでなにかになりたいとかいても、いずれはまたべつのものになりたがるの だろう

* 今までのものを集めていること
すばらしいことです 大切にしてがんばってください

どうしてお父さんお母さんが文句をつけるのだろうね
君が可愛いからだと思います。俺だってという気持でがんばりあっと 云わせるようにしようではないか、
夢というものは変るものです(年とともに)変ってもよいから 大きな希望をもってがんばってください。**

* この作文には「伊亀」という印が押されている。もしかすると、この添削文 はSGI先生のものではなく、校長先生のものかも知れない。

 ところで現在の私は、「学校の先生」「科学者」「どぼく工事のおんちゃん」 とそう遠くない職業?に就いて、 「ふつう会社員になって、しゅみとして、機械をいじったり、小説をかいたり、 忍者の研究をしたりする」のとそう遠くないこと?をしているらしい???

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お墓の火星人
関連:「落どした場所」お墓の火星人

               後藤文彦
   お墓の火星人
 この話は、たぶん四年生ときのことだと思う。友だちの平塚君とお墓で忍者ごっこ をして遊んでいると、四つか五つぐらいの女の子と男の子がいたので、ちょっとあいず ばからかってみっかとふたりでそうだんした。
 そして、ディーホーディーホーとさけびながら、 「ハッハッハッハッわれら火星人のしめいは地球をせいふくすることである。」 などとさわいだ。
 それからしばらくして、ウアーーーといってたおれて、地球のき圧はつよすぎる などといってにげていった。
 すると、さっきの子どもたちは、家にかえってなきながら 「お母さん、うんとねえお墓に火星人いだのう」といっていたので、 ぼくたちは、あわててにげていった。
 ぼくはこのようにして、いつも平塚君とあそんでいた。

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スーパーカーのおはじき

   スーパーカーのおはじき
            五ノ一後藤文彦
 キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン。
 金がなった。
 「注目れい」。
授業がおわった、みなくらいスーパーカーのけしゴムをはじいてあそびはじめた。
 おもしろくないので四組へあそびにいったが四組は受業をしていた。
 おもしろくないなあと思っていたら
キンコンカンコーンと金がなった
ということがしょっちゅうあるので学級会にスーパーカーの消しゴムなどをはじいて あそんでよいのかという議だいをだした。
 ぼくはいろいろの意見をだした。
しかしみんなはスパーカーのけしゴムなどをはじいてあそびたいので だした意見がよくてもわるくてもいいから とにかくスパカーのけしごむなどをはじいてあそべるようにしたいようだ。
ぼくはどうにかして消しゴムをはじいてあそんでだめというきまりができないかと がんばったが、たすうけつで、消しゴムをはじいてよいことになってしまった*。
 それであとは先生の意見だ。
しかし先生は場所をとるとかとらないのはなしをしているので、ぼくはもう だめだと思った。
そしてとうとうスーパーカーの消しゴムなどをはじいてあそんでよいことになった。
 だからこの五年一組にはスーパーカーきちがいしかいないんだなと思った、また、 はやくスーパーカーなんてはやらなくなればいいなあと思った。
 そしてスーパーカーがはやらなくなったらこんどは何がはやりだすだろう、 忍者なんかはやりだしたらいいんだが、それまであと何日ぐらいあるだろう ……………………と思った。           おわり
君のすきな忍者なんかはやったら
またまたもんだいもありそうだなあ

* この頃、ランボルギーニ カウンタック/ミウラ/イオタとかいう 「スーパーカー」が異常に流行っていたが、流行りとは関係のない私は 当時から少数派だったようだ。因みに、このときの多数決では、 確か女子の全員と男子では私一人だけが「スーパーカーはじき」に反対し、 私以外の全員の男子が賛成して多数決で賛成派が勝ったのだと思う。 私の反対の動機も「遊び相手がいなくなる」というのでは、弱すぎる (今の私が親なら?「スーパーカーとかの流行に左右されていない 女子と遊んだらわ?」などと助言するかも知れない)。

「四組」というのは「平塚君」のいる組だが、ここの先生は 英才教育の先生で、 この時も休み時間まで授業が続けられていたということであろう。

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ミミズの研究

   ミミズの研究
               後藤文彦
 ぼくはKMR君と二人で、しゃべるやバケツをもってお墓へミミズをとりにいった。
 ゴミすてばをほっていると十五、六センチぐらいのミミズがでてくる。 それをつかんでいれ物にいれる。
 そして十五、六ぴきとった。まず最初に一ぴきとって、しゃべるでまん中から 二つに切った。それを大きい入れものに入れた。
こんどは細かく1.5センチメートルぐらいに切った。そして小さい入れ物に入れた。 切っているうちに、KMR君がざんこくだといって、ギロチンだと上からしゃべるを バンとたたきつけて一つきできってみせた。ぼくはこんどは手をはなしてみたりして、 いろいろとやっているうちに全部切りおわった。
 それから入れ物にあみをかぶせてぎっちりゆわえ家にもってかえった。
さいごがかかれていないかんじです。 と中のようすはよくかけている

 私とKMR氏とは、小学五年時、六年時、中学一年時の 夏休みの自由研究に三回とも「ミミズの研究」をやっている。 この作文は恐らく、六年時の第二回目の研究のことを書いたものと思われる。 研究の「報告書」は見当たらないので、記憶を頼りに書くと、 小学五年時の第一回目の研究のときは、 塩や砂糖や酢や酒をミミズにかけてみた。 塩や砂糖や酒をかけてもミミズは平気だったが、 酢の中に入れると暴れ回って死んだ。 死んだあと、首筋(帯の下)の腹側(地面と接する側)に二つの小さい丸い疣 が現れるのが認められた。 第二回目は、ミミズを切って再生するかどうかを調べた。 二分割(頭側としっぽがわ)、三分割(頭、胴、しっぽ)、更に細かく分割した 群ごとに分けて三つのバケツに入れて庭に置いておいた。 何日もたってからバケツをあけてみたら、 みんな腐って死んでいた。 第三回目は、失敗した第二回目の追試をした。今度はバケツを日陰に置いた。 二分割した群は、頭側だけが生きていた。 三分割した群は、ほとんど死んでいたが一部の頭側は生きていた。 更に細かくした群は、恐らく全部 死んだ。結論: ミミズを切った場合、頭の側しか生き残らない。体の半分より多くを切られると、 頭側でも死ぬ。
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宇宙戦争を読んで

   宇宙戦争を読んで
               後藤文彦
 ぼくは本屋いって宇宙戦争という本を見つけた。表紙を見たら、火星人や UFOみたいな絵が書いていて、とても面白そうなので買った。
 家に帰ってさっそく読んでみたら、この本の主人公は子どもではなく、 おとなだったので、この本はおとな用に書かれたのかと思ったが、 この本は、「少年少女講談社文庫」なので、おとな用を子供用になおしたのだろう と思って読んでいった。
 火星から円筒が落ってきて中から火星人のあやつる機械がでてきたとき、 ぼくは火星人の乗り物だとすぐわかったが、この話に出てくる人たちは この乗物を火星人だと思っているし、自動車がなく馬車に乗ってひっこししている ので、この話は、だいぶ昔のに書かれた話だと思った。
 それで、ぼくは、昔の人なのに、よく熱線を出す機械などを考えることが できたなあと感心した。
 火星人はイギリスじゅうをあばれまわり軍隊以外の人間は、ほかの国に にげたりしていた。いくら軍隊が攻撃しても火星人のあやつる機械はびくともせず、 熱線をだしたり毒ガスを出したりして攻撃してくる。
 たいていこういう話は、主人公が悪物をやつける方法を発見、発明するのだが、 この話の主人公は、学者でもなんでもない。どうなるのだろうと思っていたら、 火星人は、地球にある目に見えないばいきんによって死んでしまった。
 ぼくは、主人公を学者にして火星人をやつける方法を見つけるとか主人公を 軍隊にして火星人の乗物の弱点を見つけるとかして火星人をやつけた方が この話は面白かったんじゃないかと思ったが、やっぱりこの作者は昔の人なので、 そこまでは考えられなかったんだろうと思う。
でも同じ宇宙人どうしがどうしてそうけんかばかりするように 物語はかかれるんでしょう
なかよくしたとか助け合ったとかいう話がないのがふしぎですね

 この「宇宙戦争」は恐らくH.G.ウェルズ原作のものだと思われる。 このSFの大家に対して、私は何ともおこがましいことをほざいているが、 感想文の課題で作者を批評するというのは、当時の私にとって「字数増やし」 のための常套手段であった。 「この本はおとな用に書かれたのかと思ったが……少年少女講談社文庫なので」 のくだりとかも、字数を増やそうとしている魂胆が見え見えである。
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修学旅行

   修学旅行
○         六年一組 後藤文彦
 ぼくは五月三十日、三十一日にみんなで修学旅行をした、福島へ行った。
 一日め の列車の中ではあめていどのおやつしか食べられなかったので、 少したいくつで、便所のカギをかけて、便所使用のランプをつけたり歌を うたったり、しりとりをしてあそんだ。
 伊達駅について、バスに乗った。
浄土平の山小屋でおひるを食べて、五色沼にいった、バスガイドさんは、世界で 何番めかに美しい湖だとかといっていたが、ぼくはそんなに美しいのかなあと思った。
 そして、やっと芦の牧温泉についた。
へやにおちついてしばらくするとふろにはいった、あがるとすぐ夕飯をたべた。
 食べおわっておみやげを買いにいった。
木刀などいろいろとかってきた、ねるときにおみやげの木刀で、ちゃんばらをしたり、 ふとんをなげたりしてあそんだ、とてもおもしろかった、おもしろのはよいが、 なかなかねられなかった。
十一時ごろやっとねられた。
 二日めは最初に鶴ヶ城へ行った。
ぼくは最初五そうの天守閣だから中は七かいぐらいまであるだろうと思っていたが、 実さいにみてみたら、とても小さかった。
でも、中には、よろいや刀などがたくさんあるだろうと思ってはいったが、よろいは 四つしかなかった。
 でも、いいもり山には、いろいろなやりやしゅりけんなどがあったので おもしろかった
ここで木刀を一本かっていった。
 野口記念館では千円ぐらいにみえる三百円のちょきんばこをかった。
 帰りの列車はおやつばかりたべていたのでとてもおもしろかった。
よい買いものをしましたね、たべることがたのしそうでしたね

続く

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